02_タイムベル

 漆黒しっこくの空にぽつんと浮かぶ赤銅色しゃくどういろ三日月みかづきが怪しげに微笑んでいる今宵こよい


 皆既月食かいきげっしょくで、月のほとんどが、地球の影に隠れて見えなくなっていた。何百年に一回しか見れない、貴重な月夜だ。そんな夜に、親友アルバートとともに、白い大蛇が出るというタイムベルに行くことになっていた。


 僕は、玄関の扉を開けて顔を上げると母親に言った。


「じゃあ、行ってくるよ」


「最近できたお友達と遊びに行くのね。イギリスに来てから、友達がなかなかできないって言ってたから、さとるに一緒に遊びに行くような友達ができて嬉しいわ」


 母親は、優しく微笑ほほえんでいた。


 以前、両親にイギリスに来てから、なかなか学校生活に馴染なじめないことを話したことがあった。それから、両親は学校生活を気にかけてくれていた。


「うん、アルバートっていうんだ。僕も嬉しいよ。友達といえる友達ができたから......」

 

「アルバートっていうのね。大切にするのよ。友達って、意外とすぐに縁がきれて会わなくなってしまうものだから」


「うん、大切にするよ。アルバートは、イギリスに来て、初めてできた友達なんだ。それじゃあ、お母さん、行ってきます」


「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね」


 僕は、母親に見送られながら、家を出て、アルバートと約束したタイムベルに向かった。


 タイムベルは、教会と隣り合わせになった時計台で、都市部から離れた山の中にあった。今は、門が閉ざされ、誰も利用していない。だけど、ネットの噂では、時々、タイムベルから、鐘の音が聞こえることがあるとかないとか。


 真っ暗な山道を懐中電灯で、照らしながら、恐る恐るゆっくりと進んでいく。山道を照らすのは、懐中電灯のみだ。懐中電灯を失えば、たちどころに何がどこにあるのか分からなくなって闇の深淵しんえんに飲まれてしまう。


 ここが、タイムベルなのか......。


 不気味な山道を抜け、なんとかタイムベルの門まで来た。鉄格子の門はび付いていて、触れると、手が鉄の錆で黒くなった。


 門をまじまじと見ていると、後ろから何者かの気配を感じた。


 なんだ。この感覚。息が詰まりそうだ。まるで、後ろからそっと、優しく首を締め付けられていくような感覚だ。こんなの初めてだ。


 後ろから迫りくる邪魔な気配に、恐ろしくて後ろをさっと振り向く勇気がなかった。その代わり、聞き耳を立て、周囲の音を聞いた。


 コツコツコツコツ。


 足音だ。足音がする。徐々に大きくなっている。僕の背後に誰かが、近づいてくる。


 足音が大きくなるに連れて、心臓が、激しく狂ったように鼓動するのを感じる。


 誰だ。誰なんだ.....。


 緊迫した状況に、体が硬直してしまい動けなかったが、身の危険を感じて恐る恐るゆっくりと後ろを見た。


 誰もいない。


 振り向いた先には、誰もいなかった。ただ、真っ暗な山道が続いているだけだ。


 おかしいな、足音が聞こえたはずなんだけどな。


「よお、来たか!鬼山」


 緊張が高まっていたところにアルバートの声が響き、心臓が口から飛び出そうになった。


「ア、アルバート!」


 アルバートは、タイムベルを囲う周囲の壁に沿って、こちらに向かって歩いていた。


「なんだ、鬼山。ビビってるのか。そんな状態でよくここに来ようと思ったな」


 アルバートは、あきれた様子で、僕を見ていた。


「ビビってるよ。ほんと死ぬかと思った。足音が聞こえたんだよ、さっき!ちょうど、僕の背後から」


 背後の聞こえた足音は、アルバートでないことは確かだ。アルバートは壁沿いを歩いてきたのだ。足音は、彼の来た方向からは、違った所から聞こえてきた。


「ふーん、足音だって......奇妙だな、それはそうと、ビビるのはまだ早いぜ。これから、俺たちは、このタイムベルに、入るんだからな」


「ここが、タイムベルか。初めて見たよ」


 僕たちは鉄格子の門の隙間からタイムベルを見た。所々、老朽化が進んでいるものの、当初の原形は残っており、芸術的で、美しい建築物だった。細部までつくりこまれており、ステンドグラスがいくつかはめ込まれ、幾何学的きかがくてきな紋様がほどこされていた。


「ああ、俺も初めて見た。だが、どうやって、中に入ろうか」


 タイムベルは、周囲に壁が張り巡らされており、唯一の入り口である門も施錠せじょうされていた。壁の上には、侵入防止のため、針が設置されており、壁をよじ登って、中に入ることもできなかった。


「これだけ、侵入を拒まれていたら、入るに入れなさそうだね。どうする。今日は諦める?」


 タイムベルの侵入が難しいだけではない。この場所の放つ、禍禍まがまがしく異様な雰囲気を肌で感じ、入ることを僕は躊躇ためらっていた。本能が、入るなと言ってくるような感覚だ。


「鬼山。俺は、諦めないぜ。白い大蛇がいるか確かめるまではな」


 確かに、ここまで来て、白い大蛇の真偽を確かめずに終わるのも、心残りだ。僕も、アルバート同様、本当に存在するのではないかと内心、わくわくする気持ちはあった。

 

 アルバートは、近くに転がっていた、少し大きめの石を持ち上げて、門の施錠を破壊し始めた。


「もしかして施錠を破壊するの。そんなことして大丈夫なのかな。やめておいた方がいいと思うよ」


 石で門の施錠を破壊しようとする、アルバートを見て、あわてて言った。だけど、時はすでに遅く、くだけ散る音がすると、地面に施錠が落ちた。どうやら、施錠もまた錆びついていて、かなり脆くなっていたようだった。


「残念。もう、壊しちまった。見ていた鬼山も、これで同罪だな」


 そう言うと、アルバートは、門に巻き付いた鎖を取り外した。


「そんな......僕は、ちゃんと止めたのに!」


「まあ、そう嘆くなよ。周りに、監視カメラはないし、こんなところ誰も見てねーよ。それよりも、入ろうぜ」


 アルバートは、いつの間にか、鎖をすべて取り外し、門を開けた。門先を見ると、タイムベルへと通じる薄暗い小道が続いていた。


「はー、分かったよ。僕も、白い大蛇を見てみたいからね」


「そうか、なら、さっそく中に入ろうぜ」


 アルバートは、まっ先に門に入ると薄暗い小道を歩き始めた。僕も、離れないように彼の後ろにぴたりとついて歩く。


 このタイムベルには、きっとなにかある。僕らの想像すらつかない恐ろしいなにかが......。


 タイムベルの薄気味悪い雰囲気に不安を抱きながら、僕はちょっとしたスリルと興奮を感じていた。


 

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