03_ピアノの音

 先程、後ろから迫ってきた不気味な気配。あの感覚が、頭にこびりついて離れない。


 僕たちは、踏み入れてはならない場所に来てしまったのではないだろうか。


 僕は、胸に広がる不安を抱えながら、アルバートとともに薄暗い小道を懐中電灯のほのかな光で照らし進んだ。


 先程の気配。もしかしたら噂の白い大蛇かもしれない。白く長細い胴体を巻き付けてた後、鋭く尖った歯を、首元に突き刺してくるかも。


 そして、毒を注入し身体を麻痺まひさせて少しずつ僕たちをむさぼり食うんだ。


 そんな妄想を膨らませながら、不安と期待が混ざり合った複雑な感情に支配されていた。 


 ただでさえ、薄暗く、異様な場所なのに、白い大蛇の話を聞いていて、さらに、恐怖を感じてしまう。それでも、真偽のほどを確かめたくなるし、妙な高揚感を覚えてしまうのは、不思議なものだ。平凡で変わり映えのない日常に、飽き飽きしていて、刺激的な非日常を求めてしまっているのだろうか。


「いたっ!?」


 前を歩いていたアルバートが突然、立ち止まり、僕は盛大に彼の背中にぶつかった。鼻の先が背中に強く食い込み、地味に痛みが残る。


「鬼山、着いたぞ、タイムベルだ」


 アルバートが見上げる先には、タイムベルの時計台があった。時計台に設置された時計の針は、さすがに動いてはおらず、いつからか静止しているようだった。


「近くに来ると、大きいね」


 門から遠目で見た時は、分からなかったが、タイムベルは、思っていたよりも大きな建物だった。異様で不気味な存在感がより際立って感じられた。


「そうだな。入り口は、どこだ。あそこに、扉があるようだな」


 アルバートは、僕を置いて一人でタイムベルの扉の方に足早に向かう。一刻も早く、白い大蛇の真相を突き止めたいのだろう。せっかちなところがある彼らしかった。


「ま、待ってよ!アルバート、僕を一人にしないでよー!」


 僕は慌てて、アルバートの後ろについていく。彼と一緒だから、ここに来れたけれど、一人だときっと、行く勇気すら出なかった。臆病な性格の僕も、彼と一緒だと、なぜか勇気を振り絞ることができた。

 

「鬼山、見てみろ。扉の施錠が壊されてる」


 タイムベルの門は、しっかりと施錠がされていたが、なぜか建物の扉は、施錠が壊され、中に入れる状態になっていた。


「ほんとだ......」


「誰かが、このタイムベルに侵入したんだろうな。俺たちみたいに」


「だね」


 扉の施錠が壊されていたのを見て、さすがに警戒しているのか、アルバートは、すぐには、建物の中には、入らなかった。少し扉を開け、その隙間から懐中電灯で、照らして中の様子を見た。


「何かいた?白い大蛇みたいなのは」


 僕は、扉から様子を見ているアルバートに、中の状況が気になり、話しかけた。


「いや、いない。中に、入って、確かめてみよう」


 アルバートは、ゆっくりと扉を開け、さっそく、建物の中に入った。


「えっ!?やっぱり、ここに入るの......」


 そう言いつつ、僕も彼に続いて中に入る。


 タイムベルの中は、教会になっており、どこからか月光が、ほんのわずかに差し込んでいた。奥の方に、ろうそくが何本も置かれた大きな祭壇さいだんがあり、手前には、いくつも、長椅子が並んでいる。


 壁には、色鮮やかなステンドグラスが施され、いくつもの聖画が、飾られていた。聖画を見てみると、キリストの受難じゅなんがなん場面かに分けて、描写されていた。


「中は教会になってたんだ」


 僕は、内部の様子を見渡して、言った。


「ああ、いくつか、部屋が分かれてるようだな。手分けして、探そうぜ」


 アルバートの言うように、タイムベルの内部は、この祭壇の部屋だけでなく、他にも部屋が続いているようだった。左右に他の部屋に行く経路がある。


「一人で探すのはちょっと.....」


 アルバートは、弱音を吐く僕の肩に右手を置いて言った。


「大丈夫だ、お前なら。俺は、鬼山がいざって時は、やるやつだって知ってる。川で溺れている人がいた時、お前は迷うことなく、川に飛び込んで助けたことがあっただろ。俺は、あの時、とっさに動くことができなかった。お前は、強い。そうじゃなきゃ、ここにお前を呼んで来たりはしない」


「アルバート......僕のことをそんなふうに思ってくれたんだ。分かったよ!手分けして探そう!」


 アルバートは、単純な僕を見て、小声で呟いた。


「ふん、ちょろいな」


 僕は、アルバートの呟きを聞いて、思わず声を上げる。


「おい!」


「冗談だよ。頼りにしてるぜ、鬼山。俺は左の経路を行く。お前は右の経路に行ってなにかないか探してくれ」


 アルバートは、すでに左の経路に向かって歩き、右手をあげながら、言った。後ろからでは、その時、彼がどんな表情を浮かべていたのか分からなかった。


「分かったよ......」


 僕たちは、タイムベルの中を、白い大蛇がいないか、隈無く探した。いくつもの部屋に繋がってはいたが、それほど、広くなかったので、探し終えるのに、時間は、思ったほどかからなかった。


「見つからないな。何かがいる痕跡すらない」


「そうだね。やっぱり、ただの噂に過ぎなかったってことなのかな」


 残念ながら、僕たちは、噂の白い大蛇を見つけることができなかった。普通に、考えれば、白い大蛇なんているはずがないのだ。


 当たり前の結果ではあったが、もしかしたら、本当にいるかもしれないという期待もあったので、落胆した。アルバートも、見つからなかったことに、悔しさを感じてるようだった。


「アルバート、そろそろ、帰ろう。いい時間だし」


 僕が、そう言うと、アルバートは、何かに気づいた表情を浮かべた。


「いや、待て。鬼山、何か聞こえないか。楽器のような音だ」


 静寂に包まれた教会で僕は、耳を澄まして、アルバートのいう音が聞こえないか確かめてみた。すると、確かに、かすかではあるが、楽器のような音が、聞こえた。


「本当だ。何か聞こえる。なんだろう、この音」


「どうやら、この教会の地下から聞こえているみたいだ」


 アルバートは、教会の床に耳をつけながら、言った。


「本当に......」


 僕も、床に耳を当てて、よくよく、地下から聞こえるという音を聞いてみた。


「本当だ。確かに聞こえる!」


 これはピアノの音だ。誰かが、教会の地下で、ピアノを弾いている。誰も使っていないはずの教会の地下で、一体、誰がーー。

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