確固たるアイデンティティを持つティーンエイジなんていない。
これが私だ、と胸を張るには、世界は狭いし、知識は限定的で、与えられた責任も追わされた義務も、吹けばふわりと舞い上がってしまう羽毛みたいに、軽い。
主人公、岳人も然り。
それでも彼は、素晴らしい才能を持っている。
当たり前だとみんなが語る価値観に、違和を感じる嗅覚。
その違和感を無視しない、自覚のない勇気とか、強さ、みたいなもの。
そんな才能は、どんなことでも、幸せに変換することのできる尊さを、必ず、携えている。
そしてそういう強いひとは、同じような強いひとを惹き寄せる。
例えば、鉄也のような。
アイデンティティの確立されてないティーンエイジたちが、こぞって“みんな”に流されるなか、岳人も鉄也も、確信のない違和感を、決して蔑ろにしない。
だから、輝いて見える。
その尊さを、教えてくれる作品。
とはいえ、物語の中じゃない現実で、本当にそれを実践するのも、そもそも気づくことも、困難だ。
だからこそ、十代の皆さんに是非読んでほしい。
読んで、何かきっかけを、きっかけだけでいいから、掴んでほしい。
そう、思わせる作品。
・・・ん?
鉄也?
この物語の主人公は高校生ながら、行方をくらました両親に代わって老いたお婆ちゃんの介護をし、「緑のたぬき」を食べる時間に癒しを感じています。
この「緑のたぬき」を食べる描写が本当に美味しそうで、一見辛い生活の中にも豊かさがある事を、読み手にもしみじみと感じさせてくれます。
お婆ちゃんと二人の生活にも、主人公はそれなりに満足しているようで、この感覚は実際に介護経験のある私にも「わかる」と思いました。
日に二回カップ麺を食べる生活を「悲惨」ではなく「背徳」と言ってしまう感覚。
貧困に慣らされている、とも言えるかもしれませんが、カップ麺を「ごちそう」と感じるのは私達にとってまさにリアルそのものです。
社会問題を取り上げつつ、外から見たら「悲惨」な現実の中の煌めきや温もりを掬い上げた、文学の王道を行く珠玉の作品だと思います。