第2話 しごいてあげるよ、新妻くん
広々とした空間の真正面に会長のデスクらしい大きな机が見える。広さは教室二つ分ほどの巨大な生徒会室は、資料を詰め込む大きな本棚が入って左側の壁を埋め尽くし、逆に右側には来客を迎えるためらしい大きなソファと一枚板の高級そうなテーブル。それからカフェみたいなカウンターが設置されていた。奥に見える棚にはコーヒーメーカーや紅茶の箱なんかが見える。
ここの設備一つ見ても、普通の生徒会には到底必要ないように思えるものがたくさん用意されている。ここが学校の敷地内ということを考えれば異常な光景に違いなかった。
「いったい何なんですか、ここは」
「生徒会室。教室に行ったときもそう言ったでしょ?」
「生徒会がここで活動してるんですか? 他の役員は?」
姫路会長は僕の疑問に答えることなく、自分のデスクに向かうと引き出しから何かを取り出して僕に手渡した。
「着替えて」
「いや、これなんですか?」
新品の箱に入ったそれは、表面にメイド服を着た女の子のイラストが描かれている。中身は見なくてもわかる。安っぽいコスプレグッズが入っているらしい。中学のとき、文化祭で誰かが着ていたから予想はついた。
「生徒会の制服」
「そんなわけないですよね!?」
こんなものを着た人間が生徒会をやっていたら学校の名声に傷がつく。ましてやここは西東京で最も東大に近い場所と言われる天稜高校。そんなおふざけは許されない。
「副会長。これは命令だから」
姫路会長の目に力がこもる。青白い瞳から吹雪が吹きすさぶような幻覚に襲われる。断れない。この全身が凍るような命令に抗うには、僕の意思はあまりにも無力だった。
「会議室が隣にあるからそこで着替えてきて。わからなかったらここで着替えてもいいけど」
「いえ、一人で何とかします」
僕は泣く泣く渡された箱をもって隣の会議室に向かった。副会長ってなんなんだろう。その言葉の意味を僕はまだ理解できないまま、言われるままに制服のボタンを外した。
「着替えてきましたけど」
「わー、とっても似合ってる」
無表情のまま僕のメイド服姿を見た姫路会長は、両手をぱちぱちと鳴らしながら抑揚のない声で感想を言った。
「そう思うならせめて感情を込めて言ってください」
薄っぺらい生地に丈の短いスカート。激しく動いたら破れてしまいそうな不安感がある。背中で結んだエプロンの腰ひもがリボンのようになって動くたびにヒラヒラと揺れて邪魔に感じる。ここに入ったときは、今すぐ逃げ出したいと思っていたのに、今はどうしてもここから出たくない状況になってしまった。
「それで、僕はこれからどうすれば?」
「そうね、この資料の集計でもしてもらおうかな」
「そこは普通っぽい生徒会の仕事なんですね」
そう簡単に言ってくれたけど、会長のデスクに置かれた紙の山は数十センチにもなるほどに積み上がっている。そう簡単に終わりそうにない。
「本当はオーダーメイドで最高品質のメイド服を作ってあげたかったんだけど、私の力じゃそれが限界だったわ」
「そこにこだわるくらいなら制服で仕事させてくださいよ」
この安っぽいコスプレ衣装に何の意味があるんだろう。とにかく早く集計の仕事を終わらせて制服に着替えたら、副会長を辞退して逃げ帰るんだ。
デスクから重い紙の山を空いている来客用のテーブルセットに移動する。千里の道も一歩から、とまずは一番上の紙を一枚とる。書いてある内容を読んでみると、球技会の参加アンケート用紙だった。
そういえば、入学手続きの資料の中に入っていたような気がする。もちろん僕は不参加で提出した。他の一年生も同じ考えのようで、めくってもめくっても不参加の文字だけが並んでいる。
二年生、三年生になると、少しだけ参加者が出てくる。三学年分が終わると、次に出てきたのは音楽会の参加アンケートだった。いったいどれだけの参加アンケートをとったっていうんだろう。
ふと机の端にきれいなピンクの布カバーがかかった文庫本サイズの本を見つけた。
「これは?」
本来ならここにはなさそうなものだったから、中を確認しようと手を伸ばす。すると、ものすごくすばやい動きで駆け寄ってきた会長が僕の手よりも先にその本を回収した。
「これはいいの。私物だから」
「会長の私物?」
私物なんてこの学校には持ち込めないはずなのに。
アンケートの集計はいつまで経っても終わらない。次第に窓から差していた夕陽も落ち始めていた。急に目覚まし時計がけたたましくベルを鳴らす。会長はさして驚く様子もなく、その音を白い手を伸ばして撫でるように止めた。
「もう下校時刻だから、今日は終わりにしましょう」
そう言われてはっとした。もうそんなに時間が経っているなんて。今日は入学式で授業がなかったから、オリエンテーションを含めても十五時前にはホームルームが終わったはずだ。それがもう十八時半。三時間以上も自習時間を失ったことになる。こうしている間にもライバルたちは勉強して力をつけているっていうのに。
「それじゃ、僕は着替えてきますね」
「ちょっと待って」
逃げるように生徒会室を出ようとした僕のスカートの裾を会長がつかむ。つんのめって倒れてしまうところをなんとかこらえると、ふらついた僕は会長の前に立たされたような形になった。
「まだ、何か?」
「うん。今日はよく頑張ってくれたから。ご褒美を上げようと思って」
会長は椅子に座ったまま少し前かがみになって、右手でOKサインのように親指と人差し指で輪っかを作る。薄い唇の口を少し開けて、舌の先を出していた。
「いっぱいしごいてあげる」
「それってどういう?」
しごく、ってやっぱり、そういうことだよね。
体育会系の部活動で後輩に対してやる理不尽な練習メニュー。
全然働いてないから罰として校庭十周、とかってこと?
理不尽だ。何もわからないまま
「たくさん、可愛がってあげるから」
会長はこれまで見てきたのと少しも変わらない。無表情で抑揚の少ない声。そのせいで余計に発している声の意味が冷徹に聞こえる。
かわいがる、って言えば、少し前にニュースで問題になっていた。相撲部屋での一件。普通の人は入ってこられないこの密室なら、竹刀やバットで叩いてもバレないってこと?
その右手に作ったOKマークはあなたが死んでも代わりはいるもの。死んだらうまく闇に葬ってあげるからってこと?
こ、殺される!?
気付いたときには、僕は無意識に膝を折って、額を柔らかい絨毯の床に擦りつけていた。
「バットは、バットは勘弁してくださいー」
自分でも情けなかった。でも命には代えられない。自分で言っていて悲しくなるけど、僕の体力は同年代の半分もない。力士が死んでしまうような暴力に耐えられるわけがない。
「そっか、バット。いきなりバットはダメなのね。順番は守らないと」
「竹刀でもダメですってー!」
なぜか僕の答えに考え込んだ会長の隙をついて、僕は脱兎のごとく生徒会室を飛び出した。後ろで会長が何かを言っていたような気がするけどよく聞こえなかったし、聞くつもりもない。
階段を降りようとしてメイド服を着ていることを思い出す。でも着替えている暇なんてない。会議室に置きっぱなしだった制服をつかむと、そのまま生徒会館から逃げ出した。
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