第24話 抱いてよ、新妻くん
会長はかなりの高熱だったにもかかわらず、一日ぐっすりと眠った翌日には完全復活を遂げていた。
「新妻くんの手厚い看病のおかげね」
と言っていたけど、実際のところは会長自身の力だと思う。生徒会の仕事もお昼ご飯も会長は一人でやると言って聞かなくて、参考書探しもいったん中止。僕は今までの遅れを取り戻すために勉強に集中してほしいということになってしまった。
本当は僕じゃなくて会長のために頑張りたいと思っているのに。もやもやとした思いは頭の中に霧をかけてうまく働かなくさせる。来客用のテーブルで問題集と向き合っているのに、勉強にも会長の助けにも集中できない。宙ぶらりんのままで、時間だけが過ぎていく。
「今日は泊まっていって」
下校時刻を知らせる目覚まし時計を止めながら、会長は短く言った。いつもの命令口調とは少しだけ違う。でもいつも以上に拘束力のある声。言われた僕が何かを答える前に会長はテキパキと片付けを始める。僕はキリのいいところを見つけられず、焦りでよけいに頭が回らなくなる。
その時、生徒会室の照明が消えた。
急に暗くなった部屋の中で伸ばした手の先すら見えなくなる。柔らかな絨毯の上を会長が歩いてくる音だけが聞こえてくる。僕のすぐ近くで足音が止まる。会長がすぐそばに立っている。でも何も言ってくれない。
「会長?」
声をかける。答える代わりに会長の体が倒れかかってきて、ソファの上に押し倒された。
「会長、どうしたんですか?」
もぞもぞと体を動かして逃げようとするけど、肩をしっかりと押さえられていて簡単には抜け出せそうもない。
「どうして新妻くんはそんなに頑張るの?」
「そんなの会長に会長のままでいてほしいからですよ」
「そうすれば生徒会役員でいられるから?」
「違います。僕は会長の」
言葉が止まった。僕の肩をつかむ手に力がこもっていく。少し痛いくらいに握り込まれた手はわずかに震えていた。
「私は、別に会長を辞めてもいいの」
「そんなこと言わないでください」
「新妻くんにそんな顔をさせてまで、私はこの部屋に残りたいとは思わないわ。一つだけ、新妻くんが私の願いを叶えてくれるなら」
声も震えている。漏れる吐息が耳に入りこんできてイケない雰囲気を感じさせる。
実際かなりイケない状況だ。真っ暗な部屋。誰も入ってこない生徒会室。二人きり。柔らかなソファに押し倒された状態。何も起こらないはずがないように見えて、きっと何も起こらないよね。だって相手は真面目な会長なんだから。
「新妻くん、私とセックスして」
耳を疑った。
「はえ?」
肯定とも否定ともとれない声がただ漏れただけだった。今信じられない言葉が会長の声で聞こえた気がする。これは夢なのかもしれない。僕の動揺にわずかに喜んだ会長の口に笑みが浮かぶ。
「よかった。新妻くんもセックスは知っているのね。
性交、愛交、交合、情事。どこまで知っているの?」
いつものからかうような軽い口調じゃない。僕の体が今にも食べられてしまいそうな底冷えする恐怖をまとっている。真面目で
「新妻くんが今、私を抱いてくれるなら、生徒会長なんて辞めていい。お願い」
そんなお願いをされるなんて、人生の中にあると思っていなかった。保健体育の授業でしか知らない大人たちの営み。そんなもの僕にはせいぜい遠い未来にあるかもしれない程度のものでしかなかった。それが急に目の前に現れても、どうすればいいかなんてわからない。
答えられないまま、沈黙が生徒会室を包み込む。僕の体に会長の体がのしかかってくる。何度か経験した細いけれどしっかりと柔らかな肌の感触。胸が否応なしに高鳴っていく。生物としての欲望が下半身に溜まっていく。
「私じゃダメ?」
「そういうことではなくて、ただ僕はまだ高校生で」
ただの時間稼ぎだってわかっていた。でも僕には会長を愛する資格なんてない。
「これだけは言いたくなかったんだけど」
会長の声が少しだけ冷酷さが増す。まだ暗闇に慣れきっていない僕の目に、氷のように冷たく青白い瞳が映りこんだ。
「新妻くん。あなたは去年、痴漢事件を起こしたわね。私を抱いてくれないならそれを告発するわ」
全身の血が凍ったような気がした。
嘘だ。なんで会長がそのことを。僕は誰にも言ってない。あの日のことは僕自身ですらよく覚えていなくて、両親にだって話していないのに。見られていた? あの瞬間を? いったいどこで。
会長の顔が僕の目の前まで来ていた。いつもなら目を引く銀髪も暗闇の中では真っ黒に脳内で補完される。その姿に僕の封じ込めていた記憶がフラッシュバックする。
去年の秋、僕が胸を触ったのは、
今の会長とは全然似つかない。脳の奥深くの迷宮から記憶が少しずつ引き出されていく。あの日の会長は、黒髪でショッキングピンクのビキニみたいな服に半透明のワンピースを着て、街中を歩いていた。
僕は、あんな人なら触ったっていい。むしろ触られたいからあんな格好をしているのだ。そう自分を納得させて真正面から彼女の控えめな胸を触ったんだ。
「あのときの、女の人が会長?」
「そう。思い出した?」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
謝ることしかできなかった。すべてを思い出す前に僕の口から出てきたのはただただ謝罪の言葉だけだった。心のどこかで逃げ切ったという安心感があったのだ。この天稜高校に入ってしまえば三年間は交流する人間は限られる。その間に風化していくのだろうと思っていた。
「さぁ、選んでよ。私とセックスするか、退学するか!」
「ごめんなさい」
それは謝罪と同時に、拒絶の意思表示でもあった。
会長がそのことを知っているというのなら、なおさら会長を愛することなんてできない。いったいどんな顔をして愛のない行為に及べばいいというんだろう。会長はそれでいったい何を得られるっていうんだろう。
僕にはわからない。何もわからなかった。
「ここまでしても、新妻くんは応えてくれないのね」
カチャリ、と首筋から鍵の開く音がする。ようやく慣れてきた首にまとわりつく重みがなくなって、僕に身体を預けていた会長がゆっくりと起き上がった。
悪い予感を確かめるように僕は首をなでる。今まであったはずの生徒会役員を示すチョーカーがなくなっていた。
「どうして?」
慌てて立ち上がる。窓際へと歩いていった会長を追いかける。雲に遮られていた大きな月が顔を出し、月明かりが部屋の中に差し込んでくる。
会長がこちらを振り向く。
大粒の涙が、月明かりを受けながらとめどなく流れ続けていた。
「新妻晶くん。現時点をもって、あなたを生徒会副会長から解任します」
僕の人生の中で、こんなに寂しい声を聞いたことがなかった。
「もうあなたは生徒会役員じゃないわ。今すぐここから出ていって」
表情はあんなにも悲しそうなのに、会長の声は感情的で、でもいつも以上に体中が凍るような気分がした。
僕はもうそれ以上何も言えないまま、ただ荷物をまとめて生徒会館を逃げるように立ち去ることしかできなかった。
「全然、意味がわかんないよ」
会長の言っていた言葉の真意も、痴漢の僕を生徒会に入れた理由も、突然の解任宣告も。
何一つとして僕には理解できない。
もう一度、首の周りを探す。やっぱりチョーカーはない。
あの首輪のようなチョーカーと一緒に僕の高校生活がすべて消えてなくなったような気がして、僕は半月の浮かぶ空を見上げながら生徒会室で見た会長と同じように涙を流し続けるしかなかった。
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