第6話 姫はじめだよ、新妻くん
「そもそも、君は誰?」
「待てよ! 同じクラスだよ! アタシの完璧な自己紹介覚えてないの?」
自分の大きな胸に手を当てて自分を主張する。でも僕には全然覚えがなかった。
「自己紹介?」
そんなもの覚えているわけがないよ。僕にとって自己紹介っていうのは学校生活で一番嫌な時間なんだから。今回も名前を言った瞬間にクラスの片隅から堪えきれない笑いが漏れたことだけは覚えている。
できるだけ早くこの記憶を脳内から消去したいんだけど、そこまで記憶は自由にならない。覚えておきたいことは忘れてしまうのに、忘れたいことはいつまでも記憶に残り続けてしまう。
「なんで忘れられるんだよ。アタシの超キレイな金髪見てなかったのかよ」
「金髪? そういえば」
墨で染めたみたいだと思った黒髪を頭の中で派手な金色に塗り替える。そこでようやく思い出した。クラス全員が名前と出身中学くらいしか言わない中、一人だけ優に三分はしゃべり続けていた生徒がいた。
「ダチが受かったらなんでもオゴるっていうから受けたんだけどさー、ヤマ勘ばっちりだし、テキトーに選んだ四択全部当たってさー。アタシがこんなトコ受かっちゃったんだけど。アタシの代わりに落ちたヤツ、今頃どうなってんだろうねー」
そんな自慢にもならない話を延々と一人で話し続けていた。名前は確か。
「中山、さん」
「やっと思い出した! オマエら頭いいんだろ。なんでアタシのこと誰も覚えてないかなぁ。やっぱあれだって。初日に生徒指導室に呼び出されてさ。その場で黒に戻されたのが悪いんだよ」
中山さんは髪を指に絡めてくるくると回しながら、教室の中を見回している。誰も覚えていないんじゃない。いないものとして扱っているだけだ。
この学校では無駄な時間をとられそうな相手には触れるべきじゃない。僕だってそうしたいのになぜか向こうから
「ってそうじゃなくて。アタシにその首輪を」
そこまで言ったところで、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
「じゃあ、授業があるから。あとこれは会長しか渡せないし外せないから。僕に言っても意味はないよ」
結局昼休みも少しも勉強できなかった。特権階級だって言うんなら、授業のない時間くらい自由にさせてほしい。この首輪のようなチョーカーが示すように、僕は特権階級の犬か奴隷くらいの立場と言った方が正しそうだ。
さすがに授業中は会長も邪魔に入ってはこれない。先生の説明の声しかしないこの空間こそが僕の安らげる空間だった。授業の時間が五十分しかないのが口惜しい。幸せな時間は長く続かず、放課後になれば、僕は今日も生徒会室に向かうしかない。
教師すらも黙らせることができる特権階級。そんな会長に首輪をかけられた僕は、会長の気分一つで退学処分だってありうるかもしれない。
ホームルームが終わり、教室では生徒各自が自習を始めている。ふと後ろに目を向けると、扉から中山さんが友達らしい二人を連れて飛び出していくのが見えた。
僕も行かないとまた校内放送で呼び出されそうだ。静まり返った中に、文字を書きつける音だけが響く教室を後ろ髪を引かれる思いで出ていった。
生徒会館の入り口を遠目に見ると、そこにはすでに姫路会長が待っていた。僕が来るのを期待しているのか、そわそわとして落ち着かない様子であちこちを見回している。別に物陰に隠れているわけでもない僕が見つからないって、目が悪いんだろうか。
「会長。何してるんですか?」
「あぁ、新妻くん。メイド服じゃなかったから遠目からだと気付かなかったわ」
「僕が普段からメイド姿みたいな言い方やめてもらえません?」
そんな不名誉な噂がたったらどうしてくれるんだろう。この生徒会館は役員以外立入禁止だというからそこだけは安心できる。いや、安心してどうするんだ、僕は。早くこの生徒会を辞めさせてもらわなきゃならないのに。
「じゃあ早く着替えてきてね」
「やっぱりこれ着るんですか?」
「生徒会の制服」
有無を言わせない会長にメイド服を押しつけられる。これを着ている間は逃げられない。たとえ檻に入れられずとも、実質監禁されているようなものだ。 手渡された安っぽいメイド服を恨めしく見つめる。ふわりとバラの香りが漂ってくる。
「もしかして洗濯してくれました?」
「もちろん。使ったら、洗っておかないとね」
「なんだか、すみません」
自分が着ていた服を家族でもない会長に洗濯されたということが、妙に恥ずかしく思えた。また一つ、弱みを握られてしまったような気がする。いったいどうすれば僕はこの負のループから抜け出せるって言うんだろう。
昨日よりも慣れた動きで着替えをすませ、生徒会室に入ると、会長は自分のデスクに積まれた紙の山に一枚ずつ目を通している。
「それもアンケートなんですか?」
聞いた話だと、この生徒会はただの特権階級だという。だとしたら仕事なんてあるんだろうか。実際、生徒会室の壁沿いにある資料用の棚はスカスカで、過去の活動が少しも参考にならない。活動履歴がないことが、生徒会が名前だけという何よりの証拠だった。
「そうよ。全校で行った学校行事に対するアンケートの回答用紙。数だけはたくさんあるから」
僕が集計しているのは球技会に音楽会、文化祭。まだ数種類はありそうな雰囲気。それなのに、会長はさらにまだ持っているって、いったい何種類のアンケートを全校生徒からとったっていうんだろう。
「この学校の行事って知っている?」
「確か、二年の初秋に修学旅行がありましたね」
「そう。任意参加で北海道と沖縄のどちらかを選べるの。でも行ったところで普段と変わらないわ。合宿所に閉じこもって特別講習を二泊三日で受けるだけだもの。そんなの高校生活とは言えないと思わない?」
「この学校に来る生徒は、そんなもの望んでいないと思いますよ」
僕は素直にそう思う。普通の高校で、文化祭も体育祭もないとなったら、さすがに生徒から不満が出るだろう。でもここは天稜学園高校だ。勉強だけをしたいと願っているか、勉強する以外に存在理由が認められていない生徒が集まってきている。
この特殊過ぎる環境で普通の高校生活がしたいなんて、それこそ的外れじゃないかと思えてしまう。
「新妻くんは入学したばかりだからそう思うのよ。最初は自分が天才だと思っている生徒しかここには入ってこない。努力すれば勝ち上がっていい大学に行けると誰もが思っているわ。でもね、時間が経てば少しずつ気付いてしまう生徒が出てくるのよ、自分が凡人だったということに」
はっとして、僕は会長の顔を見た。いつもと変わらない感情のない声で、視線はアンケート用紙に向けられている。全国から天才と秀才と神童が集まったこの学校でトップに立つほどの最高の頭脳。だからこそどれだけの生徒を踏みつけてこの生徒会室にいるかを理解している。
「新妻くんもそのうちわかるわ。自分が本物なのかどうか。本物だったらそのまま勉強していればいいけど、そうじゃなかったときに君は残りの高校生活をどう過ごすつもり?」
背筋が凍るような気分だった。この高校で落ちこぼれと呼ばれたら、と考えただけで嫌な汗が額に滲む。
あの両親がどんな顔をするのかなんて考えたくもない。胃酸が逆流して喉元を焼いている。心を落ち着けるように大きく息を吐く。震える体を止めるために自分の体を抱いた。
「別に生徒会長になりたくはなかったけど、なった以上は生徒会らしいことをしたいの。この学校の生徒は成績上位者だけじゃない。その子たちのために戦い、生徒に奉仕するのが生徒会の役割だと思わない?」
「……白鷺姫、か」
姫と呼ばれるにふさわしい。まさに姫君のような考え方だと思う。会長は特権階級が欲しかったわけじゃない。僕は自分のことだけ心配して、勉強時間が足りない、とばかり考えていたのに。この学校でトップに立てる能力というのはこれほどの余裕がなければいけないのだ。
「その呼ばれ方。あんまり好きじゃないわ」
「いえ、お似合いだと思いましたよ。会長のことを端的に表しているじゃないですか」
はっとした表情で、会長は僕の顔を見た。少しだけ頬が緩んで口元に笑みが浮かぶ。
「新妻くんが呼んでくれると、初めて姫って呼ばれるのが気持ちいいって思ったわ。これが姫はじめ?」
「何言ってるんですか? お正月はとっくの昔に終わりましたよ」
姫路会長はときどき訳の分からないことを言う。姫はじめとは、年が明けて最初にお米を食べることを言うのだ。このセンスの差が
「新妻くんも勉強だけじゃなくてもっといろいろなことを学ばないといけないわね。だからこれからも生徒会の仕事、頑張って」
なんだかうまく丸めこまれた気がする。でも反論できないのも事実だった。自分だけじゃなく周囲の生徒にまで意識を向けられるくらいの余裕を持たなきゃ、この学校で生き残ることなんてできない。そう言われているみたいだった。
「生徒のために奉仕するのが、姫路会長の考える生徒会なんですね」
「そんなにいいものじゃないわ。権利には義務がついて回るだけ」
押しつけられた権利にも義務をもって答える。それが会長の
僕は淡々とアンケート用紙に目を通していく会長に今までの強引さと違う印象を抱き始めていた。
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