第21話 秘密の参考書だよ、新妻くん

 中間考査はいよいよ二週間先に迫ってきた。毎日の勉強は順調とは言えない。どれだけ勉強をしても少しも自信はつかなかった、周りだって同じかそれ以上に勉強している生徒ばかりなのだ。いくら問題集に正解を書きなぐっても安心できることなんてない。


 それに加えて丸一日眠ってしまっていたのだ。何かを、周りを突き放せるほどの学力の飛躍ができる何かを、どうにかして手に入れないと。僕の焦りは集中力を阻害する。悪循環が生まれ始める。今の僕にはそれを払拭する方法が必要だった。


「そういえば」


 前に千波先輩から聞いた生徒会館の七不思議。生徒会長に代々伝わる試験対策シケタイの参考書。ただの噂で何の根拠もないけれど、もしそれが本当だとしたら、僕が次の中間考査で十位以内に入ることもできるかもしれない。


 それに他の根拠のない怪談と違って、これに関しては目星がついている。会長が大切に持っていたピンクのカバーがかかった文庫本。結局アレの中身を僕はまだ知らない。もしも生徒会長しか見られないすごい参考書だったとしたら、会長が余裕でいられるのも納得がいく。


「見せてもらえるか、ダメ元で頼んでみようか」


 そういうのって他の人は見られないから少しズルい気もするけど、そんな甘えたことを言っていたらこの学校では生き残れない。生きるか死ぬか。そのくらいの決意で挑まなければ待っているのは後悔しかないのだ。


「ダメ。あれだけは絶対に見せられない」


 生徒会室にいた会長に聞いてみると、思っていた通りの明確な拒絶だった。同じ生徒会役員といっても会長と副会長では天地の差がある。伝説の参考書は生徒会ではなく生徒会長にだけ伝わっているんだろう。


 むしろもっと冷ややかな目線で冷静に断られるかと思っていた。初めて生徒会に来た時だって僕が手にとる間もなく隠してしまったし。


 会長は口元に丸めた手を当てながら視線を泳がせている。声もちょっと震えていて予想外の反応過ぎて返しに困ってしまう。


「やっぱりダメですよね」


「新妻くんはどこでその話を聞いたの?」


「新聞部で。そういう生徒会館の七不思議があるとか」


 他には異世界に繋がるタンスとか窓に映る首吊り死体とか、倉庫で泣く女生徒の霊ってのもいたっけ?


「あの、私ここに住んでるの。そんな話、聞きたくなかったんだけど」


 会長は涙目で頭を抱えている。お化けがダメなのか。そういえば球技会のときもボールを投げようとしてコケていたっけ。外見が日本人離れしているから、勝手に完璧超人だと思っていたけど、会長って意外と弱点多いんだな。


「とにかくこのか、参考書は見せられないから」


 そう言って会長はデスクの引き出しを開ける。そんなところに入っていたのか。どこかのタイミングで盗み見に行きたいんだけど、会長は毎晩ここに泊まっているわけだからなぁ。


「ない」


 慌てた様子で会長はデスクの引き出しの中を覗きこむ。一瞬僕を疑うような視線を向けてすぐにそれを改めた。


「新妻くんが盗んだりするはずないわね。ごめんなさい」


 すいません、今まさに頭の中で盗もうかと考えていました。そんなに信頼されたらもう盗もうだなんて思えなくなってしまう。


「なくなったんですか?」


「えぇ。でもここ以外にはしまうことはないし。誰かが入ってきて盗んだとしか」


 そう言ってもここは生徒会館。生徒はもちろん教師すら入ることはできない禁断領域。校舎からも離れているから僕と会長以外の人間が近づけば目立ちそうなものだけど。


 でも逆に言えば誰も入らないというのは、生徒の自主性に基づくものだ。入ろうと思えば学校から逃げ出すよりも簡単だ。古い洋館みたいな建物の中に防犯カメラみたいなものもない。一応不在のときは鍵を閉めているけど、かなり古い鍵で最新のものと比べれば気休め程度と言えなくもない。


 もちろん生徒会の特権を侵犯するのは脱獄と並ぶほどの大罪。侵入がバレたら退学が待っている。そんなリスクを負ってまで入る人はいないと思うんだけど。


「どうしよう。あれがないと。もし誰かに見られたら」


「そんなに危険なんですか?」


「私、もしかしたら退学になるかもしれないわ」


「ホントに参考書なんですよね!?」


 退学になるほどの参考書ってもはや学校の秘密レベルの内容が書かれているんじゃないだろうか。次のテストの問題が書かれている魔法の参考書、というのはさすがに千波先輩に影響受けすぎかな。


 退学、というのは混乱した会長の言い過ぎだったとしても、本当に学力が上がる参考書だとして、それがないと会長の成績が十位以内をとれないとしたら?


 元々成績がいいのは間違いないけど、最近の会長は明らかに生徒会の仕事と僕のお世話でオーバーワークになっている。それが伝説の参考書をアテにしていたんだとしたら?


 また僕が会長の足を引っ張っている。必死になっても僕じゃ会長の支えになれない。僕のせいで共倒れなんて絶対に許されない。生徒のために奉仕するのが生徒会なら会長に奉仕するのが副会長の役目なんだ。


「僕が探します」


「でも新妻くんはもうすぐテストが」


「それは会長も同じじゃないですか。ただでさえ生徒会やお昼の準備を会長にしてもらってるんですから。僕だって、会長の役に立ちたいんです」


 デスクに両肘をついて頭を抱えたままの会長に手を伸ばす。そのまま透き通るように光る会長の銀髪の上から頭を撫でた。


 全身に電流が走ったような衝撃。このくらいの距離でのスキンシップなんて今まで何度もあったはずなのに、自分から触れたという事実が感覚を鋭敏にしている。


 思わずやってしまったけど、なんだかこれ恥ずかしい。そもそも年上の会長の頭を撫でるなんて僕がやったらおこがましいなんてものじゃない気がしてきた。


 でも会長は焦っていた顔が少しだけ落ち着いて、冷静さを取り戻しつつある。意外と効果があるのかもしれない。


「新妻くんはきっと私を助けてくれるから。信じる」


 その表情は初めて見る。白鷺姫と称される孤高の生徒会長じゃない。一人の少女のような微笑みだった。


 会長との約束を守る。そのためには何としてでも参考書を探し出す。それと同時に中間考査でも好成績をとらなきゃいけない。相反する二つのことを同時にやるのは簡単じゃない。でもこの会長の顔を見たらやっぱり無理でした、なんて言えるはずがない。


 そういうわけで寮に戻ってきてから、僕は勉強もそこそこに今回の事件を整理してみることにしたんだけど。


「何一つわかんない」


 当たり前といえば当たり前だった。盗まれたものもわからない。僕と会長以外の誰かが生徒会館に入ったかわからない。いつなくなったのかわからない。かろうじてわかったのは、少なくとも球技会の日まではあったことを確認しているっていう会長の話だった。


「盗みそうな人といえば」


 一番最初に思い浮かんだのは千波先輩だった。生徒会の秘密を探ろうとしていたし、会長のことも探ろうとしていた。あの参考書に興味を持つとすれば一番の容疑者だろう。


 今は中間考査直前だし、僕と同じように伝説の参考書にすがりたいっていう生徒はいるかもしれない。千波先輩から噂を聞いて生徒会館に忍び込む生徒もいるかもしれない。


「あ、盗むかはわからないけど、生徒会館に忍び込んでそうな人はいるな」


 手がかりもないし、まずはそこから当たってみよう。

 翌朝、僕は早くに寮を出て、まっすぐに容疑者の居場所へと向かった。一階の端にある教室より二回り広い部屋に入って容疑者を探す。職員室の中、今日もスーツにわがままな体を詰め込んで日誌をつけている。


「青山先生」


 横に立って笑顔を見せて名前を呼ぶ。僕の顔を見て、青山先生の顔色が変わった。


「どうしたの、新妻くん? もしかして愛の告白でもしてくれるの?」


「どういう思考をしていたらそうなるんですか」


「日々を一生懸命生きていたら、かしらね」


 ふ、っと吐息を漏らして青山先生は足を組みなおす。あいかわらず絶好調だなぁ。だからこそ僕が一番疑わしいと思ったんだけど。


 最初は生徒指導室で怪しい誘いを受けた。球技会ではなんかでっかい望遠レンズをつけたカメラを持ってきていた。あ、そういえばあのレンズを体育倉庫に隠したまま返してなかった。


 そんな人だから、生徒会館に入って何かやっていてもおかしくない。


「なんか、私の評価が現在進行形で下がってない?」


「心配しなくてもすでに最低ですよ」


「嘘! こんなにいい先生なのに!」


 生徒と会話してるだけで鼻息荒くする人がなんで教師になれたんだろう。人前ではそれなりに理性的に振るまえるだけ中山さんより性質たちが悪い。


「とりあえずここでは話しにくいので移動しましょうか」


「ぜひ、喜んで!」


 この人と二人きりは嫌だなぁ、と思いつつ、僕は青山先生を連れて朝の生徒会館へと向かった。

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