第22話 あなたを犯人ですよ、新妻くん

 まだ朝早いというのに、会長はもう生徒会館にはいなかった。もしかして参考書を探しているんだろうか。僕がやるとは言ったけど、二人で探した方が早いし、盗まれていなくてどこかに忘れているだけなら、それがわかるのは会長だけなのだ。


 食堂に案内して、とりあえず冷蔵庫にあったお茶を出してみる。青山先生は口元をだらしなく緩ませて、僕の顔を見つめていた。


「まさか新妻くんから誘ってくれるなんて。ついに私と付き合う決心がついたのかな?」


「そんな展開がどこからやってくるんですか」


「私の脳内ではすでに新妻くんを五十八回新妻にしてるの」


 僕が妻の側なのかぁ。青山先生がおかしいことは生徒指導室に連れ込まれたときからわかっていたけど、やっぱり二人きりはよくないな。会長にも立ち会ってもらおうと思っていたんだけど今はいないし。


「それでよく教師になんてなれましたね」


 嫌味というよりも純粋な疑問だった。直球で僕の口撃を受けた青山先生は、その場で勢いよくテーブルに突っ伏した。いい音が額の辺りから発せられる。


「私だって、本当は小学校教師になりたかったのにー!」


 麦茶を一気飲みして、空になったグラスを叩きつける。


「マスター、もう一杯!」


「ここはバーじゃないんですけど」


 これ本当に麦茶だよね。同じ麦でも発酵してるやつだったりしないよね? 匂いを嗅いで自分のコップの麦茶を飲む。うん、大丈夫だ。


「教育学部に行って単位もちゃんととったのに。教育実習でね。あなたは何だか危険な気がするから実習は中止、って言われたのよー。一生かわいいショタに囲まれて定年まで楽しむ私の人生設計を返してー」


 シラフのはずなのに、とめどない涙を流しながら、青山先生はくだを巻きはじめる。どこからどう見てもその判断をした人は正しかったと言わざるを得ない。次に注がれた麦茶も一気に飲み干すと、青山先生はとろけた目で僕を見つめた。


「でも新妻くんはいいわよ。ちょっと背は高いけどギリギリストライクって感じ。優しいし、正義感があるし、男としてけがれてない感じがするわ。男なんてモノが立つようになったら女と見ればがっつくようなやつばっかりなのよ」


 モノって何のことですか、とは聞けない雰囲気だった。朝から容疑者を尋問するつもりだったのに、なんで先生のお悩み相談をしなくちゃいけないんだ。


「ねー、新妻くん。私と付き合ってー」


「いや、社会的にダメです」


「なんでよー、この体好きにしていいからー」


 いつかと同じように青山先生はスーツのジャケットを脱いで、ブラウスのボタンを外しはじめる。この人はある意味自分の武器をよく理解している。もしかしてそれを教育実習でやったりしてないよね。


 生徒指導室のときはギリギリで会長が助けてくれたけど、今回はそうはいかない。広い食堂の大きなテーブルに向かいに座ったら距離が足りない。ボタンは次々と外れ、もうつけている黒のレースのブラが見え始めている。さすがに目のやり場に困る。


 窮屈なブラのフロントホックが外れる。重力に負けて白い大福みたいな何かが飛び出す。


 それと同時に何か硬いモノが床に落ちる音がした。


「あっ!」


 テーブルの下を滑るようにこちらに転がってきたそれを、青山先生より先に捕まえた。

 それは、小さなデジタルカメラだった。


「これ、先生の胸の谷間から出てきませんでした?」


「い、いや、私は知らないかなぁ」


「じゃあ、誰のものか特定するために中身を見てみましょう」


「それは、ダメ!」


 慌てて立ち上がって僕の方へと走ってくる。でもテーブルをぐるっと回ってくるには距離が遠すぎる。中には動画ファイルがいくつか入っている。その一番上の一つを再生し始めた。


 映っていたのはこの生徒会館の二階。生徒会室の映像だった。入り口から右手の来客用スペースと給湯スペースを映すように固定されて撮ったらしい。ときどき僕が会長のためにコーヒーを淹れたり、事務作業をしているのが映っている。もちろんメイド姿で。


「なんですか、これは?」


「これは、その」


 とりあえず言い訳の前にその胸をしまってほしいんだけど、一度飛び出すとなかなか収まらないのは相変わらずらしい。とりあえずそっちは見ないようにすると、自然と画面に目が向く。どうみても生徒会室の隠し撮りだ。


「どうしても、新妻くんのメイド姿が見たさに魔が差して……」


「そんなしかたがなかったみたいに言われても」


 一般生徒は生徒会館に入ったら退学処分らしいけど、教師の場合はどうなるんだろう?


「とにかくこれは没収です」


「またなの!? 生徒会は横暴よー」


 やっぱり不法侵入はしていたけど、これは参考書を盗んだって感じじゃなさそうだ。カメラをセットするときと回収するときに青山先生の姿もしっかり映っているけど、まっすぐ最短距離で動いている感じで、生徒会室を物色している様子はない。なんか壁にかけてあるメイド服を名残惜しそうに見つめているくらいだ。


 とりあえず先生はシロみたいだ。だけど、これで参考書探しは振出しに戻ってしまった。一番怪しいと思ってたんだけどなぁ。


「じゃあ先生はもう戻ってもらっていいですよ」


「そんなこと言われてもこんな格好じゃ職員室に戻れないわよ」


「じゃあ僕は廊下で待っているんで、早く整えてきてください」


 まだ何か言いたげな青山先生を置いて、僕は食堂を出る。廊下を挟んで向かい側。僕も一度泊まった寝室を静かに開けた。やっぱり会長の姿はない。こんな早起きをして学校に行ったのかな。だとするとあの参考書は生徒会館から持ち出されていたのかな。


 食堂から出てきた青山先生を追い返し、僕は没収したカメラをしまうために生徒会室へと向かった。


 資料用の本棚に置こうとしたとき、ふと気になって、もう一度カメラに写っている映像を調べてみる。角度が悪いから入り口の扉から入ってきた生徒がいてもよく見えない。でも一縷いちるの望みをかけて倍速で動かない生徒会室の様子をじっと見つめる。


「今のは、僕でも会長でもない」


 少し映像を戻して今度はスローで再生する。一瞬だけ体が半分ほど映り込む。頭の方は見切れているけど、スカートだから女の子だとわかる。一瞬映った右手がキラリと光った気がした。でもそれ以降はカメラの外に消えてしまって、結局それ以上のことはわからなかった。


 僕はカメラを資料用の本棚の隅にしまいこむ。念のため、少しだけ生徒会室の中を調べてみたけど、やっぱり参考書は見つからなかった。


「それにしても会長はこんな早くからどこを探してるんだろ」


 心当たりがあるのなら僕に言ってくれれば探しに行くのに。やっぱりどこかで僕が中身を盗み見る可能性を否定しきれていないのかもしれない。


 信用していると言ってくれたけど、どこまで本当なんだろう。

 不安になる。


 一緒にいて、少しずつ会長のことはわかってきているつもりだった。でもそれは僕の予想でしかなくて会長の口から聞いたわけじゃない。ただの僕の妄想だって可能性も否定できないのだ。


 会長はいつも僕と二人きりでここにいて、何を考えているんだろう。僕は時々ドキドキと心臓が高鳴るのを無視して平静を保とうとしているんだけど、会長は僕と同じ気持ちでいるんだろうか。それともこれは、僕の一人相撲なのかな。


 ここにいない人に聞いたところで答えは返ってこない。それよりもまずは目の前のことに集中しなきゃ。僕はしっかりと鍵をかけたことを確認して生徒会館を後にした。

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