第11話 女装してお出かけだよ、新妻くん
「いったいどこに行ったんだろう」
スカートの裾のゆるいプリーツを直しながら、僕は中山さんが行きそうな場所を考えていた。
「三人で出ていったってことはたぶん遊びに行ったんだよね」
友達と遊びに行くとしたら、と考えて、僕の思考は深い奈落に落ちていく。そんなのわかるはずがない。友達と遊んだ経験なんてまったくない。だから高校生のしかも女の子が三人で遊びに行く場所なんてわかるはずがない。
捜索を始める前から詰んでいるようなものだ。同級生の女の子の気持ちなんてわかるはずがない。だったらわかっていることで推論を積み重ねていくしかない。
朝の様子からして、学校が嫌になったって感じじゃなかった。球技会にも文句を言っていたけど、うまくまとまっていたみたいだしそもそも参加しなければいいんだから逃げる理由もない。
「球技会、種目決め」
僕は着替えを済ませ、会議室から生徒会室に戻る。確か資料の中にこの学校の付近の地図があったはずだ。八王子駅から少し外れた南西に位置する天稜高校は駅前の繁華街からは離れているけど、徒歩でも行けないってほどじゃない。スポーツ用品店なんかがあれば、と思ったけど、この大きな地図じゃわからなさそうだ。
「他には、
駅とは逆。学校の西側に大きな公園がある。野球場まであるような大きな運動公園だ。ここなら球技会の種目を決めるのによさそうだ。とにかく行ってみるしかなさそうだ。
地図をつかみ、ポケットに入れようとして、スカートにポケットがないことに気付いた。女の子の服って結構不便だ。
胸ポケットにはみ出すように地図を差し込んで階段を降りると、ちょうど着替えが終わったらしい会長が寝室から出てくるところだった。
胸元が大きく開いた薄いグレーのカットソーにカーディガン。下は紺色のロングスカート。飾り気のないシンプルな無地の組み合わせだった。たぶんどこにでもある量販店で買ったものだと思う。それなのに会長が着ているというだけで、なんだか後光の差す高級品のように見えてしまう。
彼女が着る服は料理で言えば付け合わせに過ぎない。例えるならステーキの隣に置かれたキャロットグラッセくらいのものだ。美しい銀髪に見る者を戸惑わせるほどに射抜く冷たく青白い瞳。それに比べれば着ている服なんてどうでもいい。そう思わせる凛とした美しさがある。
その美しい瞳が今は濁っていた。
「ずいぶん着替えに時間がかかったのね」
「ちょっと場所の見当をつけていたので」
「ふーん、そう」
声色はいつもと変わらない。でもさすがの僕でもこの数週間で会長の気持ちがわかるようになってきた。目を見ればわかる。わずかな濁りが僕に対する不満を訴えかけていた。
「のんびりしてたわけじゃないんですよ」
「別に私はそんなこと言ってないけど。いくじなし」
すねるようにすれ違いざまに僕の耳元に言葉を投げて、会長は僕を置いて生徒会館から出ていった。
「いくじなし、って。ちょっと出発が遅れただけなのに」
これ以上会長の評価を落とす前に僕も行こう。
授業中の校内は本当に静かで平和という言葉がとても似合う。体育も今の時間はやっていないみたいで助かった。天稜高校では体育を含む技術科目は自由参加だから誰も参加していないだけって可能性もあるけど。
その平和の裏で起きている大事件をこれからどうにかしなきゃいけないのが大変だ。これも会長の言う生徒に奉仕する生徒会ってことなんだろうか。
メイド服のせいで少しは慣れたといってもそれは会長以外いない生徒会室の中だけ。こんなものを着て外に出るなんて、おかしな人がいると通報でもされないだろうか。
考えただけで寒気がする。やってきた警察に連れていかれて、服を剥かれて男だってことがバレて、そのまま公然わいせつで刑務所に放り込まれるんだ。
裏門の鍵はきちんとかけなおされていた。それだけ会長も警戒しているってことだろう。だったらなおさら僕にまともな服を着せて外に出させてほしかった。でも中山さんのこと考えたら行かないわけにはいかない。
「あぁ、もう!」
ぐるぐる巡る思考を放棄する。こうなったらやけだ。どうせ平日のお昼間。別に富士森公園まではオフィス街というわけでもない。人通りの少ない道を堂々と歩いていれば通報なんてされないはずだ。
頭の中で不安定な大丈夫という理由を並べ立てて、裏門の鍵を外す。ここから出たら、僕は女の子だ。
公園までの一キロ弱の道のりで何人かとすれ違ったけど、びっくりするほどこちらに気付いていないようだった。そもそもただの道路ですれ違った相手なんて、いちいち興味を持ってじろじろ見るようなことはしない。
なんだ、意外と平気じゃないか。この調子ならバレることなんてなさそうだ。少しヒールのついた靴は歩きづらくて急ぎたくても急げない。それでもバレることを考えたらこっちの方が何倍もマシだ。
バレないと思うと気分がすっかりと軽くなる。自由に外を歩くなんていつ以来だろう。こう考えるとただの街並みを眺めながらゆっくりと歩けるっていうのは、案外贅沢な時間の使い方なのかもしれないな。
そんなことを思いながら何の変哲もないコンビニの看板を眺めていたら、いきなり目の前に現れた何かにぶつかった。
「あ、すみません。よそ見をしていて」
ぶつかった相手の顔を見る。青い帽子と制服。胸ポケットに連絡するための通信機。
警察だー!
口から飛び出そうになった言葉をなんとか飲み込んで消化する。そんなに驚いたら何か後ろめたいことがあると言っているようなものだ。
「ごめんなさい。前を見ていませんでした」
「いやいや、大丈夫だよ。気をつけてね」
帽子をとって、白髪交じりの頭を見せ、警察のおじさんは去っていった。
あれ? なんで? 逮捕されないの?
自分の服を見る。間違いなく今の僕はスカートをはいている。誰がどう見たって不審人物のはずなのに。すれ違うだけならまだしも真正面から話して気付かれないはずがないのに。
そうか。わいせつ物の定義は『徒に性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』と法律で解釈されている。今の僕は女装しているけど、長袖にロングスカート。別に露出が多いとかいうことはない。これなら逮捕することはできない。
ふふ、勝った。これで僕は逮捕されない。これなら安心して中山さんを探しに行ける。
ん、安心して? つまり僕って男だって気付かれてない? それはそれでなんか敗北感。
「これも全部中山さんのせいだー」
なにか大切なものを失った気がする。その失望を怒りに変えて、僕は富士森公園へと心だけが急いだ。
公園を入ったところにいきなりサッカーコートが目に飛び込んでくる。地図で見て想像していたよりも数倍広い。この中にいるとわかっていても探すのには時間がかかりそうだった。
公園をぐるりと一周回ってみたけど、中山さんたちの姿は見つからなかった。これだけ広いとすれ違いになっていてもおかしくない。春先でまだ涼しいとはいえこれだけ歩き回ると汗も浮かんでくる。スカートが足に張りつく感覚に慣れなくて、歩き方が変になっていないか心配になる。
そこでふと思いつく。必死に探している僕でも疲れたって思うんだ。気ままに飛び出したあの三人がそう思わないはずがない。もしここに来ていたとしたら、今頃どこかの喫茶店かコーヒーショップあたりで僕の心配なんて知るはずもなくゆったりと休憩しているに違いない。
胸ポケットから地図を取り出す。さすがにこんな紙の地図にはお店の場所なんて書いてはいない。駅の方に歩いていけばすぐに見つかるだろうけどルートはいくつかある。どうやって向かえばいいかなんてわかるはずもなかった。
公園を出て、交差点に立つ。十字に走る道路の北向きと東向きに伸びる二本はどちらも駅の方に向かうことができる。口元に指先を当てて考える。どうあがいたって運試しにしかならない。時間もほとんど残っていない。自分の勘に賭けるのはあまりにも蛮勇だった。
「お嬢さん、ちょっといいかしら?」
赤信号を前に悩んでいた僕の後ろから優しそうな声がかけられる。振り返ると、手押し車を引いたおばあさんが優しそうに微笑んでいた。
「
「えっと、少し待ってくださいね」
僕は地図を取り出して広げてみる。ここは富士森公園通りと松姫通りが交差してるところ。南北に走る松姫通りを行けばおばあさんの言う信松院がある。
「えぇ、こっちですよ」
「そう、ありがとう。久しく来ていなかったからボケちゃってねぇ。あそこのあんみつを食べたくなったからゆっくり歩いてきたのだけれど」
「お寺にお参りじゃないんですか?」
「お参りもするけど、お寺に喫茶店があってねぇ。松姫さまぜんざいっていうのがおいしいのよ」
おばあさんは信号が変わったのを見てゆっくりと歩き出す。それを追い越すように僕も松姫通りを北に向かって歩き出す。
完全に管理された学校生活では登下校中の寄り道も校則違反だ。事実、僕も高校に入って一ヶ月経ったけど、ラーメンも食べていないし、高尾山に登ったこともない。
中山さんたちなら寄り道なんて平気でやっていそうだけど、まだ一ヶ月なら少しくらいは物珍しい場所に行きたいと思うはずだ。
頼むからそこにいて、と願いながら、僕は張りつくスカートも気にせず走り出していた。
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