第12話 逆転の発想だよ、新妻くん
信松院は武田信玄の四女である松姫さまが尼となった後に過ごした場所であり、その松姫さまのお墓が祀られている。境内はかなり広く、裏手にある墓地には松姫さまのお墓もあるらしい。
入り口にある看板を読んで中に入る。すると入ってすぐ左に他のお寺ではまず見ない『カフェ』という横文字が目についた。
「本当にあったよ」
おばあちゃんの言っていたことを少し疑っていた。お寺にカフェなんてあるはずないと思いこんでいた。表に掲げられたボードには聞いた通りのぜんざいやあんみつのスイーツやカレーに抹茶といったメニューが書き並んでいる。
「いるかな、中山さん」
店内を覗き込み、座っているお客さんの中を探す。制服を着ている人はいない。ここも外れだったかな。店員さんに声をかけられる前に早く出よう。
「いや、違うって」
店内から背を向けたとき、聞こえた。僕の記憶の中にある数少ない女の子の声と一致する。声の届いた先に向かう。四人席に三人座った女の子たち。みんな私服に着替えてメイクも済ませてある。たぶん毎日のように文句をつけられていなかったら、僕も見逃していただろう。
「やっと見つけた」
僕や会長の心配なんて少しも考えていなかったらしい三人はおいしそうに寒天パフェをつっつきながらメモ用紙に球技会の種目候補を並べてあれやこれやと言い合っていた。
僕がこんなに心配して恥ずかしい思いで女装までして探してたのに、寒天パフェ食べてた!
「こんな知り合いいたっけ?」
「こんなかわいかったらさすがに覚えてるっしょ」
僕の顔を見ながら二人が口々に失礼なことを言い合っている。君たちと違って僕は服こそ着替えているけど、メイクもしていなければ髪型すら変わっていない。他のクラスメイトならともかく、二人は気付いてほしかった。僕もどっちが五月さんでどっちが有馬さんかわからないけど。
「ってか新妻じゃん。なんでそんな格好してんの? てか似合い過ぎ」
みじめな気分になる僕に中山さんがようやく気付いてくれる。っていうか誰のせいでこんな格好させられてると思ってるんだ。
「変装だよ。みんなを探しに来たんだ」
「なんで?」
こっちは必死だっていうのに、向こうは全然危機感がない。ここまで頭と体をフル稼働させて辿りついた労力が無駄だったような気分にさせられる。本当に助け甲斐のない人たちだ。
「授業の脱獄は校則違反なんだよ。下手したら退学だって」
「「退学ぅ!?」」
ようやく事の重大さに気付いてくれたらしい。五月さんと有馬さんがテーブルに両手をついて立ちあがった。
「いや、さすがにそれはマズいって。やっとの思いで天稜に受かったのにいきなり退学とか親に殺されるって」
「そうそう勉強しかやんないってのは無理だけど、一発退学はひどすぎだって」
超管理主義の進学校だけあって、天稜高校の卒業生は優秀だと言われている。成績は上から下までいるとはいえ、地頭の良さと長時間集中して勉学に取り組める能力は卒業できたという事実だけで十分証明に足る。退学処分になっても転校先はすぐに決まるだろうけど、退学と卒業では当然価値が違うのだ。
「別にアタシはいいよ。退学でも」
焦る二人と対照的に中山さんは落ち着いた声でそう言った。
「そんなコト言うなよ。美由がいなかったら私らどうすんの」
「アタシは運がよかったからたまたま入れただけだしさ。最初からアタシは来ちゃいけないトコだったってだけ。二人はアタシが無理やり連れてった、ってことにすれば退学にはならないっしょ」
「それで美由が退学になったら何にもなんないじゃん。謝りにいこうよ。なんとかなるかもしんないじゃん」
「元はと言えばさ、アタシが一人で遊びに行くの怖いから二人を誘っちゃったんだよ。アタシと違ってちゃんと勉強すれば天稜でもやってけるって」
中山さんは笑っていた。でもその声は乾いていてどこにも楽しさなんてない。すべてを諦めた声がカフェの中で静かに響く。覚悟は決まっている、とでも言いたげな顔で僕を見た。それでも寂しそうな瞳が僕を見つめている。
会長と過ごすようになってから瞳を見るクセがついた気がする。表情や声色を隠していても何となく人の心がわかるようになってきた。今の中山さんはそんなこと関係なく退学したくないって顔に描いてある。
「そんなの嘘だよ。誰かが犠牲になったら意味がないんだ」
中山さんの目を見て答えた。助けてと中山さんが願っているなら、何としても助ける。探すのに手間取っている間にもう午後の授業は一つ終わりかけている。ここから戻っても間に合うはずがない。何か言い訳を考えなきゃいけない。少なくとも教師たちを押し返せるような何かが。
必死に頭を働かせて、退学を免れるルートを探す。ただただ両親の言う通りに生きてきた僕は言い訳がうまくない。そんなのはわかっている。でもなんとかして中山さんを守るんだ。
僕の考えは中山さんにも伝わったみたいだった。
僕のブラウスの袖を弱々しくつかんで引っ張る。
「やっぱアタシ、やめたくない。球技会もみんなとやりたい。新妻とも離れたくない。でもそんなの無理なんでしょ」
うつむいて中山さんがぽつりとこぼした。その視線の先に三人が考えていた球技会の競技の候補が書きだされている。
「そういえば、これってどうしたの?」
「今関係なくない?」
「いいから、ちょっと教えて」
「昼休み学校出て、富士森公園に行って場所借りたらできそうなのを書いてきたの。それでどれがいいかってここで話してたんだ」
それなら、もしかしたらいけるかもしれない。
「よし、学校に戻ろう。僕も一緒に謝るから。言い訳の方はまかせて」
三人が書いたメモを折りたたんで、胸ポケットに入れた。
学校に向かって裏門から入る。正門の方は教師が張っているみたいだけど、こっちは想定されていないみたいだ。会長が鍵を持っているくらいだから教師も知らないルートなんだろう。
生徒会館に連れていって一階で着替えを済ませる。会長はまだ戻ってきていないみたいだった。こういうとき連絡できる携帯電話があればいいんだけど。とりあえず生徒会室にメモ書きだけ残していくことにしよう。
中山さんたちを引き連れて職員室に向かう。たぶん大丈夫だ。右手で首にかかったチョーカーに触れた。
職員室は想像していたよりは落ち着いていた。担任の青山先生だけは少しそわそわしていたけど、僕たちの顔を見るとやや安堵したように立ち上がった。青山先生の席の前に立つと、ぞろぞろと教師たちが集まってきて、あっという間に周囲を取り囲む。
「あなたたちは授業を二つ欠席しました。どこへ行ってたのかしら?」
穏やかな声には強い脅迫めいた色が混じっていた。ちょっと変なところはあるけど、この天稜学園高校で教師をやれているってことは相当な頭の持ち主だ。下手な嘘が混じった言い訳は通用しない。だからここは、強権で一気に勝負をかける。
「はい。富士森公園で球技会の競技について調査をしていました」
持ってきたメモを青山先生に差し出す。ここには嘘はない。じっと目を見つめられても後ろめたいことは何も言っていない。最初に嘘がなければ後ろも真実味を帯びるものだ。
「調査?」
「生徒会からの依頼です。参加者の意見が聞きたかったので」
「授業をサボって、ですか」
疑うような視線が僕に向けられる。放課後でもなんでも行こうと思えば行けたはずなのに、という言外の意味が含まれている。答えを間違えたら終わりだ。
「はい。気候の面も含めて考えてほしかったので」
「それでは、この人選の理由はなんですか?」
なぜ三人も行かせたか。一人で十分だったんじゃないか。直接そう聞かないのは僕からミスを誘いだすためだ。でもそんなことわかっている。そのくらいのことが考えられないならこの学校では生き残れない。
「球技会は生徒たちが楽しむためのものですから。一人で決めては意味がないでしょう。仲の良い三人ならいい競技を選んでもらえると考えたんです」
「ふぅん。まぁ悪くない答えかしら。では、今回の件について責任は新妻くんにあるということでいいのね?」
僕の後ろで何かが動き出す気配がした。その切り返しは想定していなかった。急激に背筋が凍る。そんなことを言われたら、中山さんが今までのことは全部嘘だと言いかねない。僕の脇を通って中山さんが青山先生の前に立とうとする。それを僕は全身全霊で力を込めた左腕で遮った。
「はい。処分なら僕が責任をもって受けます」
生徒のために戦って、奉仕するのが生徒会だ。
会長はそう言っていた。最初はやりたくなかったし、未だに続けているのも引け目とちょっぴり会長が気になるからだけど、それでも僕は生徒会副会長なのだ。いや、たとえそうじゃなかったとしても、友達を見捨てて安全圏に逃げ込むなんて絶対にやりたくない。
「わかりました。じゃあ今日は帰りなさい。処分はおって伝えます」
まだ何か言い出しそうな中山さんを押し出すようにして職員室から出る。下手に話が聞かれないように今にも職員室に戻りそうな中山さんを三人で押さえて生徒会館まで向かった。
食堂のテーブルに三人を座らせて、冷蔵庫に入っていた麦茶を並べる。三人は助かったというよりも僕に責任を押しつけた形になったことを気にしているみたいだった。
普段なら教室でバカ騒ぎをして嫌な顔をされている三人が今はぐっと口を結んで何も話そうとしない。せっかく助かったっていうのに、それを喜べる状態じゃなかった。
「どうしよう、新妻が、アタシのせいで」
「大丈夫だよ。生徒会のせいってことにしたんだから退学にはならないはずさ」
どんな処分が待っているかはわからない。でも一般生徒と生徒会役員じゃ同じ罪でかけられる処分は違うはずだ。とにかく最悪の事態は脱した。そう思っている。
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