第9話 白いのかけてよ、新妻くん
「新妻ー、どういうこと?」
「私らいつの間に球技会に参加とかなってんの?」
翌日、球技会の種目を決めるため、中山さんの友達の五月さんと有馬さんに希望を聞きに来たところだった。昨日中山さんが勝手に決めた球技会への参加はまだ二人の耳には入っていなかったようだ。
顔を見る感じだと、これはそこそこ本気で怒っている。いつもの軽口よりもワンオクターブ低い声のトーンに眉間に刻まれた深いしわ。ギラつく視線が怒りの色を帯びて細められている。中山さんはいつもの調子で遅刻らしい。肝心なときには役に立ってくれないんだから。
「おい、新妻! なんとか言えよ」
「そうだぞ、お前勝手なことしやがって」
あぁ、もうめんどくさい。早く中山さん来てくれないかなぁ。何か他のことでイライラすることでもあったんだろう。そう簡単に解放してもらえそうにない。こういうときはとにかく嵐が通り過ぎるのを待つに限る。下手な言い訳は無駄な時間が増えるだけ。こういう手合いは胸の中にあるイライラを全部吐き出せば勝手に収まるものだ。
「新妻さー、名前の通りもっといい奥さんらしいムーブしてよー」
「そうそう。見た目も女の子っぽいやつだしさー。エプロンつけてご飯作ってくれそー」
「あ、メイド服着せてさー、おかえりなさい。ご主人様、とか言わせたりさ」
どっちも似たようなことをやったことがあるなんて、口が裂けても言いたくない。変な勘だけはいいんだから。この二人は絶対に生徒会館には入れちゃいけない。
背もそれほど高くない。声変わりも全然やってくる気配がない。何と言っても名前が悪い。この苗字じゃなければ男が呼ばれることはめったにない新妻なんて言葉を何百回と呼ばれてきているのが悪いのかもしれない。
人間の言葉には言霊がある。何度も新妻なんて呼ばれていたら、いつの間にか新妻という言葉に体が近づいてくるのだろう。
「ほら、新妻ー。私らの奥さんになってよー。そんなに女の子っぽいんだからさー」
「そんなことねーし。新妻はちゃんと男らしいし!」
バタバタと足音を立てて中山さんが教室に駆け込んでくる。中身のあまり入っていなさそうなカバンを両手で振りかぶると、五月さんと有馬さんの頭に振り下ろす。乾いた音が二つ鳴って、痛そうに叩かれた二人が頭を押さえてくるくると回りだした。
「いってー。美由、何すんだよぉ」
「アンタらが新妻困らしてるからじゃん! アタシが勝手に名前書いたの。授業サボれるんだからやらない手はないっしょ」
「え、サボれんの? マジ? 新妻やるじゃん」
「いや、あくまでも学校行事の一環だから」
「何やるかだっけ? 外より体育館の方が涼しいよねー。五対五ならやっぱバスケっしょ」
「えー、バスケよりバレーのが止まってる時間長くない?」
「バレーは一チーム六人いるじゃん、バカ?」
授業がサボれる、と聞いた瞬間に二人の脳内はどれだけその時間中に楽をするかということにシフトしていった。もう僕の存在なんて視界からきれいさっぱりなくなっている。ようやく助かったらしい。
ほっとした僕の顔に、中山さんがそっと顔を近づけてくる。校則違反の香水の匂いが首筋から漂ってきた。制服の奥に隠された金色のネックレスも見えた。まったくもう。また没収されて生徒指導室に呼ばれることになるのに。
横目で騒いでいる二人の様子を確認した中山さんは僕にだけ聞こえる小さな声でささやく。
「アタシは、ちゃんと新妻がカッコいいトコあるって知ってるからな」
「別に気にしてないよ」
「強がんなくてもいいのに。新妻のカッコつけたがり」
何か勘違いされているような気がする。中山さんは何かをわかっているという表情で僕の背中をぽんぽんと叩く。強がりというよりも、あまりにも何度も言われ続けて感覚が擦り切れたと言った方が正しい。あの二人に言われたことなんてたいして気にしていないんだけど。
「うん、ありがとう」
面倒だから、お礼を言って済ませておこう。あとはうまくまとめて三人でいい提案を持ってきてくれることを期待しよう。中山さんが二人の話に混ざっていく。それを見送って僕は自分の教科書に目を戻した。
昼休みになるといつものように生徒会館に向かう。初めてのときはいきなりだったからありものの中から作ったけど、毎日作るとわかっていればメニューだって考えて一週間作ることができる。冷蔵庫の中身はいつもどこからともなく入ってきている。
今日のメニューはとろろのぶっかけうどんだ。まだ夏は遠いけど、最近の会長は球技会の準備のために奔走している。少し気の早いバテ対策だ。
「今日のご飯は何?」
キッチンで準備を整えていると、会長が食堂に入ってくる。足取りはしっかりしているし、元々ローテンションで抑揚がないからわかりにくいけど声の雰囲気に疲れはない。僕の気にし過ぎなんだろうか。
ゆでたうどんを冷水でしっかりと締め、その上に辛味を足す大根おろし。さらにしらすと彩りに錦糸卵。その上からたっぷりのとろろをかける。さらに特製のつゆをかけて完成だ。
「さぁ、できましたよ」
「やっぱり新妻くんは料理上手ね。いろんな料理を作れるし、手早いし」
「別にそんなこと。冷蔵庫の中身と相談して作っているだけですよ」
それにしてもこの冷蔵庫の中身は偏っている気がする。今日は山芋を使ったけど、かなりの量がいつも入っている。ナッツもくるみやカシューナッツ、ピスタチオとやたら豊富に揃っているし、野菜もピーマンとかほうれんそうとかにんにくがたくさん入っているのに種類が少ない。
お肉はいいとして、うなぎがいつも入っているし、やたらと貝類が毎日入っているから、消費ペースを考えないとすぐ傷んでしまう。
これを入れてるのってどう考えても会長なんだよね。好きなものばかりこの中に買ってきてるんだろうか。偏食だなぁ。
「でも、この料理ってなんだか、アレが、かかってるみたいね」
「アレ?」
「ほらあの、スぺ」
「スぺ?」
「ス、スペシャルな感じがするわね」
スペシャルがかかってるってなんですか。会長はなんだか顔を赤らめつつ箸でとろろをかき混ぜている。なんだか歯切れの悪い答えをごまかすように会長はうどんをすすり始めた。
「そういえば、球技会の競技の件はどうなったの?」
「えぇ、うちのクラスの生徒に競技を決めてもらっています。他の参加者はなんでもいいという回答が返ってきましたので」
「やっぱり野球がいいの?」
いきなりどこから出てきたのかわからないけど、会長の提案が飛び出す。そもそも野球をやろうと思ったら人数が足りない。一年生の参加者は十人しかいないんだからできる競技も限られてくる。
「なんで野球なんですか?」
「ほら、男の子ならバットとボールの使い方がうまいんでしょう」
バット、と聞くと、入学初日のことを思い出す。あのときはかわいがってあげる、と会長が言ったことをバットで殴られると勘違いして逃げたんだっけ。そのせいでメイド服を持ち帰ることになって。あぁ、なんであの時の僕はあんな勘違いをしたんだろう。
「別に僕は運動全般苦手ですから」
「運動って夜の方も?」
「なんですか、それ。ジョギングでもしたいんですか?」
普通の生徒ならまだしも寮生が夜に外出するのは校則違反になる。生徒会の特権を使えばそれも可能だろうけど。いまさら同年代の平均から大きく劣った体力が改善されるとも思えないけど。
「なんだか新妻くんと話すの疲れたわ」
「いきなりなんなんですか」
褒めてみたり顔を赤くしてみたり急に疲れたと言ってみたり。会長は僕にどんな答えを期待しているんだろうか。
考えたところで僕の頭の中に入っているのは、今まで積み上げてきた学校の勉強だけ。女の子の気持ちを理解するための公式や定理は入っていない。それに僕はまだ会長自身のことだってよく知らないんだ。
僕を入学初日に副会長にした理由も、メイド服を着せる理由も、ときどきよくわからないことを言って僕をからかう理由も。
最初は勉強の時間が減ると思っていたのに、いつの間にかこうして昼ご飯を作ることも日課になってしまっている。目の前でうどんをすすっているこのきれいな銀髪を持つ女の子に、自分でも思っていないうちに興味を持ち始めているのかもしれなかった。
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