ゲームに付き合ってくれる彼女ってよくないですか?
偽モスコ先生
プロローグ
「ねえ、素敵だと思わない?」
「何が?」
どこにでもあるような学生マンションの一室。白い壁に木目のフローリング、そこに敷かれたベージュのカーペット。広さ七畳ほどの部屋の中心に置かれたガラス張りのローテーブルが、照明を浴びて地味な存在感を見せる。
そんな空間で、俺は今可愛い彼女と二人きり。ただし、やっていることは。
「私たち、ゲームの中でも一緒にいるんだよ?」
そう、ゲームだ。某大人気無双系のアクションゲームで協力プレイをしている。俺が操る無駄にイケメンな戦国武将の隣を、かなりごついおっさんキャラを操る彼女が馬に乗りながら駆けていた。
コンシューマーゲーム機を接続したテレビの前で、二人で仲良く並んで座りながらのプレイ。
コントローラーを握ったままふと隣を見ると、彼女はきらきらとした瞳をしながら画面を見つめたままだった。
「う、うん」
黒髪のボブカット。女性の平均よりも少しだけ低い背丈に、年齢よりもいくらか幼く見える目鼻立ち。
俺の彼女……立花美雪は、普段は穏やかで読書が好きな、やや大人しめな大学生という印象ながら、たまによくわからないことを言い出すのがチャームポイントの一つだと思っている。
「これって、すごいことだよね」
こちらを振り向き、「ね?」と同意を催促してくる。思わず微笑みつつ、「そうだね」と一言だけ返してゲームに戻った。
こんな風に、少しだけ変わった彼女と一緒に過ごす大学生活は、いつも波風すらたつことなく平和に過ぎ去っていく。
優しい風が頬を撫でる。うららかな陽射しに誘われたかのように街を出歩く人々の数は、いつもより心なしか多く見えた。
大学のある北へと向かって、緩く長い上り坂になっている西大路通りを美雪と二人で上る。いつもなら、二人の時は大学へはバスで行くんだけど、今日は天気がいいこともあって徒歩を選択した。
平野神社の脇を通ったところで、既に衣替えを終えて緑の色彩を帯びた桜の樹々が目に留まる。それらと一緒に風景に溶け込んでいた美雪の横顔が、不意にこちらを向いた。
「今日の講義が終わった後って、何か予定はあるの?」
宙に視線を躍らせながら、今日の予定を思い出す。
「特に何も」
「そっか」
一瞬の間が空いた。俺は三限、美雪は四限まで講義がある。一緒に帰ろうと思ってくれているけど、そうなると俺が待たないといけないから遠慮しているってところ……かな?
「じゃあ、四限が終わるまで待ってるよ。適当に時間潰してるから、連絡して」
「わかった。ありがと」
嬉しそうに微笑む美雪。どうやら正解だったらしい。
俺たちが付き合い始めてそこそこの月日が経った。去年の夏、七月からだから……大体九か月になるのだろうか。
とはいえ俺は人生で初めて出来た彼女なので、さっきみたいに相手の気持ちとかを考えながら、探り探りの付き合いが続いている。美雪の方もそこまで経験があるわけじゃないらしいから、似たようなものみたいだけど。
美雪を悲しい、あるいは寂しい気持ちにさせなかったことに安堵していると、不意に彼女がこちらを向いたまま立ち止まった。
ただし、その視線は俺よりも更に後ろ、道路の対岸に向けられている。
さっきまでとは打って変わって瞳を輝かせ、まるで子供のようにはしゃいで嬉しそうな声を上げた。
「ねえ、あれ!」
俺に近寄り、控えめに指を差した方向を見れば、一人のご老人がゆっくりと歩いている。そう、一人のご老人がゆっくりと歩いている。本当にただそれだけ。一見して大学生の女の子がはしゃぐ要因なんてどこにもない光景だ。
「おじいちゃんがいるよ!」
「うん。いるね」
「可愛くない!?」
「……どこが?」
はしゃぐ美雪が可愛いからなるべく同意したいところだけどそうもいかない。子供が、とかならまだわかるけど、おじいちゃんが可愛いってどういうこと?
「え、だってほら、すっごいプルプルしてるよ?」
プルプルしてると可愛いらしい。なので、俺は全身に力を込めてプルプルと震えてみた。
「どう? 可愛い?」
「うん。まあ、それなりには……」
「申し訳なさそうに言うのやめてもらえる?」
プルプル震えていれば何でもいいというわけではないらしい。
実は今までにも似たようなやり取りは何度も交わしているんだけど、未だにこの価値観を理解出来ていない。
苦笑いの表情になり、若干テンションの下がってしまった美雪に申し訳なくて、咄嗟に話を掘り下げてみる。
「プルプルしてると何で可愛いって思うの?」
「う~ん。何だろ、守ってあげたくなる、感じ?」
いや、そこで可愛らしく首を傾げられても。
「震えるおじいちゃんを守ってあげたいの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「あ、じゃあさ。 チワワとかって結構プルプルしてるイメージあるじゃん。あれはどうなの?」
「可愛いとは思うけど、それはワンちゃんだからであって、プルプルしてるからっていうのとはちょっと違うかな」
「なるほど……全くわからん」
そもそも理屈で理解しようとしていること自体が間違っているのかもしれない。それが自分の悪いところだという自覚はありつつも、好きな人のことだから何とかわかりたいと思ってしまう。
とりあえずこの話は切り上げることにしよう。
大学に近付くにつれて、同じ方角へと向かう学生の姿が増えて来る。敷地付近の風景に目を凝らせてみれば、寺に神社、マンションやアパートに公園、学生御用達の定食屋さん等、中々に忙しない。
東門を通過した辺りで別れることにした。俺たちはそれぞれ学部が違う。美雪の学部で主に講義が行われる棟じゃ大学の北、正門近くにある。対して俺のそれは西側だ。
別れ際、美雪はこちらを向きながら胸の辺りで小さく手を振った。
「じゃあ、また後でね」
そうして去っていく後ろ姿を、同じく手を軽く振りながら見送る。最近はこの瞬間が寂しいと思うようになった。どこか空虚で、心にぽっかりと穴が空いた、というと大げさだけど、それと似たような感覚だ。
以前は一人の時間が平気だったし、むしろ好きだったとも言えたけど。美雪と長く一緒にいる影響で寂しがり屋になったのか、ただ単に彼女と一緒にいられないことが残念なだけなのか、自分でもよくわからない。
何かを探すみたいに、喧騒の中へと身を潜らせていった。
そのまま一限目の講義が行われる棟へと向かう。
うちの大学は割と古くからあってそこそこに有名だ。なのに、逐一改修でもされているのか、古くてぼろい建物というのはあまり見当たらない。東門の側にある現代社会学部なんかも、初期からある学部のはずなのに建物は新しい。
それでも古い建物も存在はする。キャンパスを横切っていると、洒落た風景の中においてまるで置き去りにされたかのように、古い建物が埋もれていた。
キャンパスを行き交っていた無数の人影も、建物に入ると不思議とまばらになっていく。目的の教室へはすぐに到着した。
適当な席に座って準備していると、横から声を掛けられる。
「よう」
聞き慣れた声のした方角を見上げれば、見慣れた顔が目に入った。
「おっす」
「朝からテンション低いな」
「いつもこんな感じだろ」
「そうか?」
「まあ、せっかく声を掛けてもらったのに、相手が哲也だったからってのはあるかもな」
「この学部でお前に声を掛けるやつなんて他にいないだろ」
「うるせぇ」
背が低く、イケメンではないが二重まぶたで整った容貌は、どちらかと言えば年上の女性にモテそうな印象を受ける。
堀哲也。この学部の中における俺の数少ない友達の一人だ。
ちなみに、「堀」よりは何となく「哲也」の方が呼びやすいので下の名前で呼んでいる。
哲也は俺の隣に腰かけながら話題を切り替えた。
「ところでさ、実。今日は何か予定ある?」
「美雪と一緒に帰る約束はしてるけど」
「相変わらず仲いいな」
「別に付き合ってたら普通じゃね? 知らんけど」
「おお、言うようになったねぇ~」
「うるせえな。知らんけど、って言っただろ。皆そういうもんじゃないのかなって思っただけだよ」
「そうかい」
にやにやと、からかうような笑みを浮かべている哲也。何だか少し腹立たしいので話を戻すことにした。
「で、何かあるのか? 一応三限が終われば、美雪の講義が四限まであるからその間なら暇だけど」
予定を聞くからには何か遊びに誘ってくれるのかな、と思ってそう言ってみる。
「この前の総会でさ、新しく女の子が入ったんだよ。だから実にも一度会わせておきたいと思ってな」
「へえ、ってことは一回生?」
新歓の時期はもう過ぎている。とは言っても、そこから少し遅れて一回生がサークルに入るのはそんなに珍しいことでもない。
ちなみに「新歓」というのは、大学内の各サークルが新入生を勧誘する為に設けられたイベント期間のことを指す。
四月上旬のうち四日間程、キャンパス内の至るところに各サークルのブースやイベントスペースが設けられ、ビラ配りに説明会、催しもの等を行って新入生を勧誘する。
新歓終了後もしばらくは各サークルによって新歓コンパなどが行われる為、何となく四月中旬くらいまでを曖昧に「新歓の時期」と呼んでいるのだ。
ちなみに、言葉の意味としては「新勧」の方が正しい気がしなくもない。皆、歓迎というよりは勧誘することに躍起になってるからな。
閑話休題。
問われた哲也は、若干癪に障るしたり顔を見せた。
「と、思うだろ?」
「……」
「それが二回生なんだよ」
「珍しいな」
「だよな」
通常ならこの時期に二回生が入って来るというのは、有り得ないという程でもないけど、かといって頻繁にあるものでもない。
「新歓のライブでも観て気に入ってもらえたのかな?」
「まあ、そんな感じらしい。前から気になってはいたみたいだけど」
「ふ~ん。新しい春を迎えて心機一転、ってところか」
まあそういう人もいるか、と思いながら頬杖をついていると、哲也は少し声に勢いをつけながら話を続ける。
「それよりもさ、お前もっと女の子ってところに反応しろよ。男じゃなくて女なんだぞ?」
「んなこと言われてもな。俺には美雪がいるし」
そこで哲也はわかってねえな、と言わんばかりに首を横に振る。
「お前は美雪ちゃんと付き合い始めてからずっとそうだ。俺には美雪がいる、美雪が一番……別にその気持ちを否定する気はない」
「じゃあ何が言いたいんだよ」
「美雪ちゃんがいるからって、他はどうでもいいっていうのは世の女性に失礼だとは思わないか?」
「!?」
た、たしかに。ちょっと女の子好きなクズの言い訳にも聞こえるけど、哲也の言う事には一理ある気がする。
「それに何様だって話でもある。美雪ちゃん以外の世の女性だってお前のことどうでもいいって思ってるよ」
「そこまで言う必要ある?」
そもそも、美雪以外の女性はどうでもいい、とは実際には言っていない。あくまで美雪が一番というだけのことだ。
しかし、ここで口論になってしまうと色々と面倒くさそうだ。観念して新しく入部した女の子とやらに興味を持った体で話を進めよう。
俺は「わかったよ……」とため息を一つついてから、仕方なしといった感じで話題を振った。
「で、その女の子ってのは可愛いの?」
どんな顔だったか思い浮かべているのだろう。哲也は宙に視線を躍らせながら答えた。
「まあ、可愛いっつーよりは美人系だな」
「クールな感じ?」
「見た目はそうかもな。黒髪ロングで背は女性の平均より少し高め、全体的にスラっとしてる」
聞いているといかにも「大和撫子」な感じだけど、結局のところは会ってみるまでよくわからない。
ただ、そういう子って俺よりも……。
「どちらかと言えば哲也好みって感じするよな」
「そうかもな」
「狙ってたりするの?」
「それはまだわからない。総会で挨拶がてら少し話しただけだから」
「ふ~ん」
ちなみに「総会」というのはサークルが毎週土曜に行っているミーティングだ。サークルの幹部から部員への連絡を主にしているけど、毎回毎回そんなに知らせるべきことがあるわけでもない。実際は、時間のある人が集まってわいわいする場と化している。
この総会の時に入部の受付もしているので、新しくサークルに入りたい人はまずここに来る。それで、前回の総会に参加していた哲也と新入部員の子が会ったというわけだ。
「ま、それはいいんだよ。とりあえずさ、実も講義が終わったら部室に行ってみようぜ。その子がいるかもしれないから」
「わかった」
雑談はそこまで。やがて教授がやってきて講義が始まり、互いにそちらへと意識を集中していった。
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