新庄青年の悩みごと
「どれだけ二人で幸せな時間を過ごせたかが大事……か」
そんなつぶやきは、昼下がりの喧騒の中へと消えていく。
あれから二日後の月曜日。三時限目の講義を終えた俺は部室に向かうべく法学部棟の脇を歩いていた。
空を見上げれば、青の上にちぎれた綿菓子のような雲がまばらに浮かんでいる。
SIDのプラベ直後に落ち込んでいた美雪と、一昨日の絵本について話したことを踏まえて、俺には思うことがあった。
俺は美雪と精一杯楽しい時間が過ごせているのかな、と。
いや、それは正確じゃない。
美雪と一緒にいるのは楽しい。一緒にいるだけでも楽しいし、どこかに出かけたりゲームをしたりすればもっと楽しい。
俺が悩んでいるのは、美雪も楽しいのかどうか、ということだと思う。
プラベの直後に落ち込んでいたのだって、俺に合わせてSIDに付き合わせなければ起こらなかった事態だ。まあ、その原因はSIDではないけど。
美雪が「ゲームも好き」と言ってくれていることに甘えてきたけれど、そもそも俺に合わせて多少なりとも無理をしているのかもしれない。あの子は本来、本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きなはずだから。
それに、美雪はふとした時に「旅行に行ってみたいな」という時がある。
一昨日の書店で観光ガイドが並ぶコーナーに寄った時も、ネズミーランドに行ってみたいとつぶやいていた。俺がインドア派だから旅行には行きたくないと思って言い出せないのかもしれない。
俺は美雪を大切に出来ているのだろうか。色んなところで我慢や、寂しい思いをさせてしまっていたりはしないだろうか。
あれこれと考えながら歩いていると、目の前を遮る影が二つあった。
その影たちは全体的に俺の知り合いとよく似た形姿をしていながらも、顔には特撮ヒーローもののお面を被っている。哲也と北条さんだ。
「はっはっは! そんなに浮かない顔をしてどうした少年! 何か悩みごとか!?」
哲也とは入学して割とすぐからの付き合いだ。俺が何かに悩んでいるのを表情から察してくれたのかもしれない。
北条さんも「何かあるなら私たちに打ち明けてみたまえ!」と続く。
そうだな、この二人なら恋愛経験豊富そうだし、ちょっと相談してみよう。
「いや、実は美雪のことでさ……」
しかし、そこで哲也の動きがぴたりと止まる。
「え、本当に悩んでるのか?」
「おい?」
どうやらさっきのは適当だったらしい。適当に浮かない顔とか言ったと思えばそこそこに失礼な話だが今はスルーだ。
「おおっと何でもない。美雪というのは少年のガールフレンッのことかな?」
「声でけえよ、それに別に発音良くないからそれ」
すると、ずいっと北条さんが前に出た。
「おっと、Girlfriendのことなら私に任せてもらおうか」
「こっちは無駄に発音いいな」
とりあえずこのままでは恥ずかしいので、二人にお願いして近くのベンチに移動してもらった。
俺、哲也、北条さんの順番に座すると哲也が話を切り出した。
「それで、一体どうしたんだい少年」
「まだそのキャラ継続なのかよ」
二人はお面を外していない。哲也の口調がそのままなのを見るに、ハイパーマンの設定は継続しているらしい。
「ていうか、明らかに三分過ぎてるけど大丈夫なの?」
ハイパーマンには、主人公がハイパーマンに変身してから三分間しかその姿を維持出来ない、という設定がある。
哲也はぐっ、と親指を立ててから答えた。
「それなら問題ない。私は人々の元気を分けてもらうことで、この姿でいられる時間を延長することが出来るからな」
「何てことしてんだお前」
どこかの漫画のパクリだし、元ネタのようにそれで敵を倒すならともかく、自分の姿を維持するというのは己の利益の為にしかならず、言語道断だ。人々の元気という貴重なエネルギーを奪ってまでやることではない。
そんなやり取りをしていると、北条さんが身を乗り出し、哲也越しに俺に視線を向けながら言った。
「では少年、先ほどの話の続きを聞こうじゃないか。君のGirlfriendに何があったんだい?」
直接表情は見えないけど、声はすごく活き活きとしている。割とこういう話が好きな子なのかもしれない。
この期に及んで、やはり他人に相談するべき話じゃなかったのかも、と躊躇する気持ちが湧いて来た。でも一人でうまく解決出来るか心配だし、ここまで来たらやっぱりなし、ってのも二人に悪い。
一つ息を吐いてから悩みを打ち明けてみた。
「俺は美雪を、ちゃんと大切に出来てるのかなって思って」
「なるほど……どうしてそう思ったんだい?」
どうでもいいけど、哲也は今「思ったより話が重いな」と思っていそうだ。
「実は」
なるべく美雪が恥ずかしくなるようなポイントは伏せつつ、昨日の出来事を語ることにした。
哲也は正面を向いたまま腕組みをして、北条さんはこちらを向いたまま黙って聞いていてくれた……と思いきや、たまにぷるぷると震えていた。笑っていたのか何なのかはお面のせいでよくわからない。
話が終わるなり、北条さんが腕を組み厳かに語り出す。
「話は大体わかった。何と言うか、君のGirlfriendはとても可憐なのだな。思わず興奮してしまったよ」
「ハイパーセブンさん?」
北条さんから微妙にオッサン臭がし始めた。
「うむ。可愛いからと絵本を手に取って朗読し始めるところもそうだが、悲しい展開になって途中で涙ぐんでしまうところなど、非常にポイントが高い」
「哲也まで何言い出してんだよ」
やっぱりこの話をしたのは失敗だったか。
しかし、心の中で美雪に謝罪の言葉を述べていると、ややあって北条さんが咳ばらいをしてから姿勢を正し、少しだけ真面目なトーンで口を開いた。
「大丈夫。君は彼女を大切に出来ている」
「そうかな」
「もし大切にしていなければ、そうやって思い悩むことすらないはずだからね」
北条さんが言うならそうなのかもしれない。何より、美雪と同じ女性の立場からの貴重な意見だ。彼女の為にあれこれと考えることそのものが大事。
何かちょっとモヤっとする部分もあるけど、一応はホッとした。
「しかし、二人のことをよく知らない私からはこれ以上のアドバイスはできない」
「そういう設定だもんね」
「設定ではない」
「北条さんありがとう」
「北条さんではない」
「ありがとうハイパーセブンさん」
「うむ」
ハイパーセブンさんは演技っぽい所作でうなずくと、立ち上がって一歩前に踏み出してからこちらを振り返った。
「それでは私は行く。また会おう」
「お元気で」
次の講義があるのか、それとも周囲の目に耐えられなくなったのか。北条さんは人混みに紛れてその姿が見えなくなっていく。
後に残ったのは腕を組んだまま口を開こうとしないハイパーマンさんだった。
「哲也も行かないの?」
「私は哲也ではない」
「いい加減それ面倒くさいからどうにかならない?」
「実際に私の名前は哲也ではないからな」
「哲也じゃん」
「哲也ではない」
下手をするとこの押し問答だけで一日が潰れてしまいそうだ。そんな日がたまにはあってもいいと思うけど、今日じゃない。
哲也も特に何か言おうとする気配はないし、そろそろ行こうかと腰を浮かしてベンチから立ち上がる。そして部室へ向かおうと歩き出すと、後ろから俺を呼び止める声があった。
「待ちたまえ」
「え?」
声の主は当然ながら哲也だった。
「何?」
「少年よ、君はそれでいいのか?」
「何が?」
「彼女の為にあれこれ思い悩めば、それだけでその子を大切にしていることになる……それでいいと、そう思っているのか?」
「……」
それは、さっきの北条さんが言ってくれたことに対して感じた「モヤっとした部分」を的確に炙り出してくれるような、そんな言葉だった。
「いや、それは正確ではないな。たしかに君は彼女を大切にしているのかもしれないが、男としてそれでいいのか?」
「男として……」
「ただのエゴかもしれないが、自分から何かを彼女にして喜んでもらいたいと、そう思っているのではないか?」
そうだ。俺は美雪を大切に出来ているのかどうかを心配していたけど、それは付き合い始めてからこれまでの間に、美雪に何もしてあげられていないから生まれた悩みなんだと思う。
だから普段ゲームとかに付き合ってくれるお礼も兼ねて、何かをしたい。心の片隅でそう考えていたのではないか。
「うん。そうかもしれない」
「フッフッフ。そうだろうそうだろう」
俺の返答に、どこか怪しくかつ満足気にうなずくお面男。
「そこでだ。私のとっておきの店を紹介しよう」
「いや、それはいいよ」
「何で!?」
今度はハイパーマンではなく素の堀哲也からの叫び声があがる。何だろう、今のは俺が店を教えてもらうべき流れだったのか。
「それっておいしいスイーツを食べられるお店を紹介するから、そこに連れて行くといいよ、とかそういうことだろ?」
「スイーツとは一言も言っていないのに図星なのが腑に落ちないが……全くもってその通りだ」
「どこに連れて行くにしても何をプレゼントするにしても、ちゃんと自分で考えないと意味ないかなって思ってさ」
「そ、そうか。うむ。それはいい心がけだな」
どうも哲也の反応が微妙なのが気になる。
「ハイパーマンさん、ありがとう」
「うむ」
「あなたからのアドバイスがなかったら、北条さんからの言葉に甘えて、何もせず今まで通りに過ごすところだった」
「……」
「帰ったら早速、美雪の為に何をしたらいいか考えてみるよ」
今度こそ立ち上がり、ハイパーマンさんの傍らを通り過ぎると、後ろから呼び止めるかのように声をかけられた。
「少年よ」
「ん?」
振り返ると、哲也は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「私は君の役に立てたのか? ヒーローに……なれたのか?」
なるほど。先日の部室での会話を思い出す。
ヒーローごっこの話をした時、俺が北条さんに「進んで皆の嫌がる悪役を引き受けるから優しい」と褒められていたのを受けて、哲也は「俺は悪役になる」と意気込んでいた。
だから俺は「哲也は悪役というよりヒーローだよ」という話をしたはず。どうやらそれでヒーローになるべく、俺にアドバイスをしたかったようだ。
そんなことをしなくてもいつも助けてもらっているのに。まあ、好きな子のために自分磨きをしたいということなのだから、理屈云々ではないのだろうけど。
俺は一つうなずいてから、はっきりと返事をした。
「ああ。いつもありがとう」
返事を聞くなり、哲也は俯いて黙り込み、全身がプルプルと震え出した。
「て……ハイパーマンさん?」
「ぅわーはっはっは!」
かと思えば顔を上げ、辺り一帯に響く程の笑い声をあげる。
「ちょ、おい!」
「そうかそうか! 私はヒーローになれているか!」
「声でかいって! 恥ずかしいから!」
俺の制止も気に留めず、哲也は右腕を天に向かって伸ばし、左手を胸の前に持ってくるポーズを取った。
「私はヒーロー、ハイパーマン! 君が困っている時、必ず目の前に現れる!」
「今はそれで困ってるよ!」
「では、さらばだ!」
伸ばした右腕を地面と平行に伸ばし、「ジョワッチ」と言いながら去っていくハイパーマン。
後に残されたのは、無駄に注目を浴びてどうにもならず、いたたまれないまま立ち尽くす俺だけだった。
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