終戦~本屋にて
「じゃあ今日はこれぐらいで。お疲れ様ー」
最後のマッチが終わった後、互いに軽く挨拶を交わしながら通話アプリとゲームを落とす。
さて風呂に入って寝るか、と背伸びをしていると背後のローテーブルに置いてあるスマホが震え出した。ゆっくり手に取ると、画面には「美雪」の二文字が表示されている。
『もしもし』
「どうしたの?」
『ううん、何かあるわけじゃないんだけど』
いつもの悪い癖が出てしまった。
特に何かあるわけではないけれど、声が聞きたかったとか、寝る前に少し話がしたかったという理由で電話をかけて来てくれているのに、つい聞いてしまう。
ひとまず、明日聞こうと思っていたことを聞いてみる。
「今日、どうだった?」
『楽しかった』
言葉とは裏腹に、美雪はどこか元気がない。元々静かに喋る方とはいえ、今の彼女の声色には、静まり返っている俺の部屋の中で、カーテンの向こうに透けて見える宵闇へ溶けていってしまいそうな危うさがある。
「大分キラーを気に入ったみたいだったけど」
『あれは実君を追いかけるのが楽しかっただけ』
「そ、そっか」
どう答えたらいいのかわからず、曖昧に笑うしかない。
『ねえ』
「ん?」
『怒ってる?』
「何で?」
少し考えてみても思い当たる節は全くなかった。
『私、実君ばっかり狙っちゃったし』
「なるほどね」
キラーに集中して狙われた場合、サバイバー側からしたらたしかに面白くないかもしれない。実際にネット上ではそのような行為をするキラーは基本的に叩かれる風潮にある。
でも、これは「トンネル」といって賛否両論あるものの、立派な戦術の一つだ。少なくとも俺はそう思っている。
キラー側は同じサバイバーを集中して狙って早めに闇に葬ることが出来れば、それだけで大分楽な展開になるからだ。
「……ってわけで、俺は全然気にしてないよ」
説明すると、スピーカーから聞こえる声が若干和らぐ。
『そっか、なら良かった』
「でも、どうして急にキラーやりたいって思ったの?」
今日まで美雪がキラーをやりたいという素振りを見せたことはなかった。きっと何か理由があるはずだと思って聞いたんだけど。
返って来たのは予想だにしない回答だった。
『実君が綾香ちゃんとイチャついてたから』
「え!?」
『二人だけで楽しそうにわいわいやってた』
「ちょっと待って。それいつの話?」
『最初の試合の時』
「最初の試合の時……?」
言葉を反芻しながら視線を宙に躍らせ、必死に記憶を掘り起こす。
最初の試合では北条さんがキラーをやって、他四人がサバイバーをやっていた。美雪がサバイバーをやった唯一の試合でもある。
「あの試合、俺と北条さんってチェイスしてただけだった気がするんだけど」
『でも、すごく仲良さそうだった』
「どちらかと言えば強いやつに会えてオラ嬉しいぞ的なノリだったよ? アスリートが試合を楽しむみたいな……」
『あっそ』
「えぇ……」
取り付く島もないけど、実際にはとても可愛いことを言っている。
つまりは俺と北条さんが互いの実力を認めて楽しそうにはしゃいでいる様子に、嫉妬してくれていたということ、だと思う。
「不安な気持ちにさせてごめんね」
『別にそんなんじゃないし』
「ならいいんだけどさ」
ようやくいつもの調子に戻ってきたように思えたけど、また次の瞬間には、スピーカーからは少し元気のない声が響く。
『綾香ちゃんと哲也君はどう思ったかな?』
これは話の流れで理解できる。西川さんに「イチャついている」と表現されたあれのことだろう。
「美雪がヤンデレ化してたこと?」
『ヤンデレって何?』
「いえ、すいません」
『私ってヤンデレなの?』
「そんなことないです」
他にあれをどう表現したらいいか、ぱっとは思い浮かばなかったので、からかいながら聞く方向性に持って行こうとしたけどアウトだったらしい。
例えば普通に追いかけていただけなら、多少イチャついているように見えたとしても美雪が気にすることはないと思う。ゲーム内でチェイスをしているだけだし、周りには仲が良い人しかいなかったから。
「あまり気にしてないんじゃない? いいもん見れた、くらいには思ってるかもしれないけど」
『そうなの?』
「うん」
美雪は人前で俺と仲良くすることを嫌う。恥ずかしいというよりは、バカップルに見られるのが嫌ということらしい。
だから知り合いが特にいそうな、例えば大学付近で手を繋いだりなんていうことは絶対にしない。ただ、特に仲の良い友達の前では、多少の言葉での触れ合いやスキンシップをしたりとかの例外はあるみたいだ。
さっきのヤンデレ化は、それが少し激しくなってしまったという感覚だと思われる。
だから哲也、西川さん、北条さんは「普段二人きりの時はこんな感じなのかな」と微笑ましい目で見てくれたに違いない。いや、あんな感じじゃないけどね? なんなら俺は本気でびびってたけどね?
『ならいいけど……』
と言いつつも、やはりまだ多少は気にしているのだろう。美雪の声はまだいつも通りとはいかない調子だ。
何か励ましの言葉でもかけた方がいいのだろうか、と考えているうちに話題は別のマッチのことに移っていく。その後も結局何も言えないまま、今日のプラベを振り返って感想を語り合いつつ、お互いが眠くなってきたところで通話を終えた。
多くの人で賑わう休日の昼下がり。
計画的に商品がレイアウトされた店内の中を、客が無造作に行き交う。文庫の新刊コーナーを眺めている人も、雑誌コーナーで立ち読みをしている人も、何か他に目的があるわではなくただ時間を潰しているだけなのかもしれない。
プラベがあった翌日の今日は土曜日。俺も美雪も特に予定がなかったので、二人でうちの近所にある本屋に訪れていた。
休日とは言っても、土曜日なので日曜日ほど人が多くはない。俺たちの通う大学のある市全体が学生街になっていることもあり、客層は学生や子供連れの男女等が主になっている。
俺は男性コミック、美雪は文庫コーナーが主目的なんだけど、そこに行く前にまずは店内をぶらぶらするのが通例だ。
「見て見て、これ可愛い」
ふと立ち寄った絵本コーナーで、美雪が表紙に可愛い犬のイラストが描かれた、一冊の絵本を指差しながらはしゃぐ。
「このワンちゃん実君に似てる」
「そうかな」
「うん」
よく美雪に犬っぽいって言われるけど正直よくわからない。ついでに言えばそれを喜んでいいのかどうかもわからない。
次に美雪は絵本を手に取って表紙をめくった。するとその瞬間、眼がきらきらと輝き、何故か朗読を始めてしまう。
「ぼく、みのる! みゆきちゃんのことがだいすき!」
冒頭は表紙と似たような構図で、犬が読者の方を向きながらそうやって自己紹介をしている。もちろん主人公である犬はみのるという名前ではないし、飼い主もみゆきちゃんではない。
その絵本は煩わしい設定や世界観などというものはなく、どこかの村のような場所で犬とその飼い主が平和に暮らすといういたってシンプルでほのぼのとした内容だった。
『みゆきちゃん(仮名)といっしょにごはん!』
『おいかけっこ! みゆきちゃん、とってもたのしそう!』
『みゆきちゃんとぼくは、ずっといっしょ!』
一緒にご飯を食べたり、一緒に寝たり、草原や森の中を駆けまわったり。二人だけの時間はとても優しくゆっくりと流れて行く。
途中までは。
「えっ……」
とあるページを開いた瞬間、美雪がそう声を漏らしたと同時に動きがぱたりと止まった。
そこには、読者に背を向けて、とあるお墓の前にお座りをしている犬の姿が描かれている。台詞は、
『ずっといっしょだと、おもっていたのに。』
どうやら、何らかの原因で飼い主が亡くなってしまったらしい。突然壊れてしまった、犬の平和で幸せな日常。その背中が、どんな言葉よりも雄弁に心中を読者へと訴えかけている。
正に急転直下。それまですごくほのぼのとしていたのに、どうしてこんな展開を……これ読ませたら子供泣いちゃうんじゃね? と思いつつ、本から視線を外すと美雪も泣きそうになっていた。
こちらを見つめるその瞳は揺れていて、今にも悲しみが零れ落ちそうだ。
「実君……」
「悲しい展開になっちゃったね」
「うん」
犬と飼い主に感情移入していただけに、ショックも強かったらしい。
「でもさ、この犬は幸せだったと思う」
「どうして?」
「たしかに不幸で離ればなれにはなっちゃったけど、二人で過ごした大切な思い出っていうのはなくならないからね」
「なくならないから悲しいんじゃないの?」
「うっ」
思わず言葉に詰まってしまった。
たしかに思い出はなくならない。だからこそ、二人で幸せに過ごせば過ごした分だけ離別した時の悲しみがより大きくなるのかもしれない。
美雪を励まそうと紡ぎ出した言葉だったけど、失敗したかも。でもそうなると俺には一つ疑問に思うことがあった。
「たしかに悲しいかもしれないけど、この犬は『出会わなければ良かった』なんて思ってないんじゃないかな」
「この犬、じゃなくてみのるね」
「みのるは『出会わなければ良かった』なんて思ってないんじゃないかな」
あくまで主人公の犬をみのる、にしたい美雪に合わせる。
「それは、そうかも」
「離別は悲しいけど、遅かれ早かれいつかは訪れるわけだし……それに、悲しみに慣れることは出来ても、幸せな思い出はいつまで経っても色褪せない」
「うん」
「だから、いつかは来る別れの時までにどれだけ二人で幸せな時間を過ごせたかが大事なんじゃないかな。例え短い間でもみゆきちゃんと精一杯楽しく過ごせたみのるは幸せだと思う」
視線を手元の絵本に落とした美雪は俺の言葉を聞いて、しばらく考え込んだ後に一つ頷いてから口を開いた。
「じゃあ、みのるは幸せなんだね」
「うん」
悲しみに慣れたその時、みのるはみゆきちゃんと過ごせたことが本当に幸せだったと、そう思えるはずだ。
「よかった」
美雪はそう言って安堵した表情を浮かべると、絵本をそっと閉じて元あった場所に戻してから未だ目に輝きを残す笑顔をこちらに向けた。
「私たちも、いつか別れる時の為にたくさん思い出を作ろうね」
「俺たち別れる前提なの?」
すると美雪は後ろで手を組みながら、笑みを悪戯っぽいものに変える。
「実君はまだ私と一緒にいたい?」
「うん」
「しょうがないなあ」
そして、俺と手を繋ぎながら言った。
「じゃあもう少しだけ一緒にいてあげる」
「ええ……あの、出来ればずっと一緒でお願いします」
「プロポーズされちゃった」
それから、美雪のリードで俺たちは男性コミックのコーナーへと入って行った。
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