喧嘩ごっこ
法学部が主に講義を行っている棟は学生会館のすぐ側にある。
さっきまで雑談をしていたメンバーも解散し、西側広場方面に向かう北条さんと少しだけ一緒に歩くことに。
学生会館を出たところで、皆と別れの挨拶を済ませてから歩き出す。北条さんが俺の横に並びながら話しかけてきた。
「本当に私と組んでもらっても良かったの?」
「え?」
「ほら、何か事情があるみたいだったから。美雪ちゃん……だっけ? 哲也君が言ってたの」
聞かれたからには正直に答えるしかない。嘘をつくのも違う。
「彼女がいるんだよね。同じ軽音楽部に」
「あっ、そうなんだ」
「一応だけど……北条さんは気にしなくていいから。新入部員の子と組むって言えばわかってくれると思うし」
「でも、気にする子は気にすると思うよ?」
「そうかなあ」
「うん」
「でも、頼まれて自分の意志で受けたことだから。きちんと話してわかってもらえるように頑張るよ」
田淵さんの言っていたことは紛れもない事実。ここでバンドを組むことが出来ずうまく部に馴染めなかった場合、北条さんがかわいそうだ。
ありのままを話せば、きっと美雪もわかってくれるはず。
「ありがとう。嬉しいけど、本当に無理はしないでね」
「うん」
「あーあ、羨ましいな。私も彼氏欲しい」
「北条さんならすぐに出来るよ」
「本当に? ありがとう」
思いもよらないところでの新情報。北条さんは今フリーらしい。後で哲也に教えておいてやろう。
法学部棟の前で北条さんと別れる。
スマホのメッセージアプリに、美雪から「講義終わったよ。今どこ?」と来ていたので、「法学部棟前のベンチにいるよ」と打っておいた。
正門前広場の、法学部棟に近い位置にあるベンチに腰かけて待つ事数分。すぐに美雪はやってきた。正面玄関から出て来るなり俺を見つけて、嬉しそうな表情をしながら歩いて来る。
「お待たせ」
「じゃ、帰ろっか」
「うん」
美雪の横に並び、東門に向かって歩き出す。
別にどの門から出てもあまり変わらないし、京都の街は道がとてもわかりやすいので、その日の気分で家に帰るまでの道のりを変えている。多分、そうしている学生は少なくない。
帰りも何となく徒歩を選ぶ。
美雪と二人で歩いている時の、街中なのに世界に自分と相手しかいないような、この幸せな感覚が好きだ。
北野天満宮付近にある、主に婦人服を販売している店の前を通りかかった。この前をよく通るけど、お客さんが入っているところをあまり見かけないし、自分が立ち寄ることもない。けれど、もし閉店してしまったらきっと寂しく感じるんだろうなと、そんな風に思った。
お互いに今日の出来事を報告しあう。講義が難しかったことや、学部内での友達とのやり取りなど。
俺は哲也が相変わらずだったことを話した後、軽音楽部に新しく仲間が増えたことを告げた。
「この時期に、ってことは一回生?」
「俺も最初はそう思ったんだけどね。二回生なんだよ」
「へえ……ってことは、新歓で興味を持ってくれた感じかな」
「みたいだよ。前から興味はあったみたいだけど。それで、この機会にってことで入部したみたい」
「実君はもう会ったの?」
「うん。哲也に誘われてさ、美雪を待ってる間に部室で」
「ふ~ん。私も会いたかったなあ……それで、男の子? 女の子?」
来た。ここからが本番だ。
「女の子だよ」
「そうなんだ。興奮した?」
「何で興奮? それよりまず可愛かった? とか聞かない?」
「だって、実君って女の子とわかれば見境がないから……」
「その悪評どこからたったの!?」
軽く握った手を口元に当てて、疑いの眼差しでこちらを見ている美雪。一見おっとりしているように見えて、実はこういう系のボケが好きなんだよな。
美雪がスッと演技を解く。
「それで、可愛かったの?」
「まあ可愛いって言うよりは美人系?」
「へぇ~美人だったんだ。ふぅ~ん」
ちょっと不機嫌になったけどまだまだ演技が入っているから大丈夫だ。というかこの手の質問ってどう答えるのが正解なんだろうな……。
「美雪の方が可愛いよ」
「そういうのいいから」
とりあえずのフォローを入れるも取り付く島もない。つん、とそっぽを向いたと思えば、こちらにジト目を向けた。
「で、肉体関係にまで発展したんだ?」
「何その急展開!?」
ハーレムもののラノベですらもうちょっと段階を踏むよ!
「今日部室で会ったのが初めてだし、挨拶程度に少し会話をしただけだよ」
「欧米では挨拶代わりにキスをするって言うよね?」
「ここは日本だから。ていうか欧米でも流石にキスはしないから」
いや、するのか? 海外に行ったことがないからわからない。
永遠に終わりの見えないやり取りを繰り返している間に、美雪が部屋を借りているマンションの近くを通りかかった。本来なら、今日はこのままうちまで来てくれるってことだったんだけど……。
「じゃあ私、こっちだから」
美雪が、人差し指で自身の家の方角を指し示しながら言った。
「えっ? 今日もうちに来る予定じゃ」
「さよなら」
「いやいや、ちょっと」
すたすたと歩き出す美雪を追いかけて横に並ぶ。
過去に何度かこういうことはあったからわかる。ここで本当に別々に帰ると、後でとても大変なことになる仕様だ。だからここは食い下がるのが正解。
「ついて来ないで」
「実は昨日さ、今日美雪に食べてもらおうと思って、プリンを何個か買って冷蔵庫に入れておいたんだけど」
「それはもう昨日のうちに食べたから。全部」
「食べたんかい! ていうかいつの間に!?」
俺も食べたかったのに……。
「何? 何か文句あるわけ?」
「ございませんっ!」
ビシッと敬礼のポーズを取る。女王陛下に対する異議などあろうはずもない。
そんなことをやっている内に美雪の部屋に到着。俺が入るのを拒まない辺り、やはり本気で怒っているわけではないらしい。
このまま帰りづらい雰囲気ではあるから、今日は泊まっていくことになるかもな……。ひとまずの問題は食材の買い出しが必要になることか。ご機嫌を取るならここが腕の見せ所だ。
とは言っても、俺は料理なんて全然出来ない。付き合い出してから美雪に教わったレベル。いつもは美雪が作ってくれるか、俺が料理とは言えない、レトルトやインスタント食品を利用したものを適当に作るかしている。
だから、美雪のご機嫌を取るには出前でも取るしかない。
今回のような場合、普段ならそこまでする必要はない。というか必要以上の出費が出る案件になると美雪が遠慮する。でも、北条さんの件を切り出すためにも早めに仲直りしてしまいたい。さて、どうするか。
気付けばもうすぐ十七時という頃合い。買い出しに行くのに不自然な時間帯でもなかった。
「夕飯の買い出しに行ってくる」
「うん」
一言断りを入れて部屋を出る。そして、マンションから少し離れたところでポケットからスマホを取り出した。メッセージアプリを起動して無料通話をかける。
『どうした?』
すぐに応答したのは哲也だ。こんな時はこいつに聞くのが一番いい。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
『何だ、また喧嘩(笑)でもしたのか?』
「何だよ(笑)って」
『お前らのは喧嘩の内に入らねえんだよ。むしろのろけ話でも聞かされてるような気分になるわ』
「こっちは毎回必死なんだよ。それに、今日はお前にも関係がある」
『どういうことだ』
今日の喧嘩(笑)の原因と、北条さんとバンドを組む話をする為に、なるべく早期に解決したい旨を伝えた。
『なるほどな』
「バンドを組む件に関しては哲也も一枚嚙んでるんだから、何かいいアドバイスをしてくれてもいいんじゃない」
『って言ってもなあ。別にガチで喧嘩してるわけでもないし、特別に何かするってのも逆に違う気がするけどな』
「それはそうなんだけど、でもバンドの話は早めにした方がいいだろ。北条さんも気にする子は気にするって言ってたし」
『ん? お前綾香ちゃんに美雪ちゃんの話したの?』
「ああ、あの後少しだけ一緒に歩いてね……ってその話はまた明日で」
電話の向こうから一つため息が響いた。
『とにかくさ。焦るなって。急いで解決しようとしても逆にぎこちない空気になるかもしれねえし』
「そういうもんかな」
『そうだよ。まあ、とりあえず帰ったら一緒にゲームでもしたらいいんじゃね? お前がやりたいやつじゃなくて、美雪ちゃんの好きそうなやつ』
「お、それいいな」
『だろ? お前は何でも難しく考えすぎなんだよ。ま、それがいいとこでもあるとは思うけど』
「じゃ買い出しは適当に済ませてさっさと戻るよ」
『そうしろ。じゃ、また明日な』
「おう」
そこでスマホから耳を離し、通話を切るボタンをタップ。ポップな効果音が一つなって、通話画面が終了した。
それから適当に買い出しを済ませて帰宅。夕飯時まではまだ少し時間があるので早速美雪に提案してみよう。
美雪の部屋は、入ってすぐがリビングまで伸びる廊下になっていて、途中にキッチンや風呂場やトイレへの扉がついている。
風呂場は脱衣所付きで洗濯機も置いてあって、最近のワンルームマンションにはよくある間取りだと思う。
買って来たものを冷蔵庫に詰めてから、リビングで本を読んでいる美雪の、ローテーブルを挟んで向かい側に座った。
本にやっていた目線がこちらに向かい、目が合う。
「何?」
まだ喧嘩ごっこは継続中らしく、物言いがつっけんどんだ。
「一緒にゲームでもしない?」
「何やるの?」
「ぽよぽよ」
チョイスしたのは、国民的人気の落ち物パズルゲーム。絵柄が可愛くて操作も簡単なので誰でも楽しめる。本当なら美雪が好きなのはのんびりと牧場を経営したり村づくりをするような育成シミュレーション系なんだけど、そういったものは一人用で一緒に遊ぶという感じではない。
それに、このタイトルなら俺もあまりやり込んでいないので、美雪と実力が同等……つまり、気兼ねなく全力で戦うことが出来る。
「いいけど」
すんなりオーケーしてくれた美雪が、傍らにあるバッグから携帯ゲーム機を取り出した。それからぽよぽよを取り出して、セット。俺も同じように準備を進めていく。
互いにゲームを起動して、ゲーム機に搭載された通信機能を使っての対戦モードに移行する。
そして対戦が始まる直前、美雪が俺をきっと睨んだ。
「絶対に負けないから」
「うん、俺も」
戦いは、俺たち史上で稀に見る激戦になった。
覚悟を決めるための間を空けて、本題を切り出す。
「そ、それでさ」
「うん……どうしたの? 急に緊張し出して」
「いや別に」
明らかに挙動不審になってしまった。
美雪も何か不穏なものを感じたのだろう。心の中で少しばかり身構えたのが表情から伝わってくる。
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