ブヒィ

 死闘を終えた後の美雪の部屋は、主の弾んだ声に支配されていた。


「実君もまだまだだね」

「参りました」


 結果は美雪の勝利。三本先取で三対二というスコアなので接戦だったのもあり、美雪の機嫌はとてもよくなっている。

 一応言っておくと、わざと負けたりということはしていない。実は元々のゲームセンスに関しては美雪の方が上なので、他のゲームならいざ知らず、お互いがやり込んでいないゲームに関しては何もしなくても素で負けてしまう。


「落ち込んでる実君の為に、今日は私がご飯を作ってあげる」

「ありがとうございます」


 今にもスキップに変わりそうな足取りでキッチンに向かう美雪。

 これは思わぬ効果だ。仲直りして上機嫌になってくれただけでなく、ご飯まで作ってくれるなんて。

 でも、美雪が作ってくれることを想定していなかったので、あまりちゃんとした食材を買い込んでいないんだよな。


「え、何これ」


 冷蔵庫を開けた美雪の声色が、表情を見ていなくても真顔になったとわかるそれに変わった。

 振り返ると「どういうこと?」と言わんばかりの視線を送ってきている。ローテーブルの前に座ったまま応じた。


「自分で作るつもりで買いました」

「カレー?」

「そうです」

「実君カレー多くない? もうちょっと他のも覚えようよ。ていうかカレーにしても具少ないし……」

「申し訳ございません」

「なのにちゃっかりプリンは買ってるし……」


 プリンは美雪の好きなのが三個セットになってるやつを買って来た。仲直り用のプリンをスーパーで買うかはちょっと迷ったけど、近くに本格的なお菓子のお店がないのでしょうがない。

 そして恐らく、三つのうち二つが美雪のものになることは口に出さずともほぼ確定していると見ていいだろう。


「食べたかったので」

「もう、しょうがないなあ」


 言葉とは裏腹に、笑顔でエプロンを身に纏う。

 美雪のエプロン姿はいい意味で慣れない。いつ見ても幸せな気持ちになれる。


「何見てるの?」

「すいません」

「ていうか何で敬語なの」

「卑しい豚なんで」

「そっか。豚ちゃんならしょうがないね」

「何かお手伝い致しましょうか?」

「じゃあ、皮むきしてもらえると嬉しいな」

「かしこまりました」


 姫に仕える忍びの如く静かに立ち上がり、側に控える。その後無事においしいカレーが出来上がり、仲良く一夜を過ごすことが出来た。




「で、結局話してないのかよ」

「ごめん……」


 翌日、大学の文学部棟内にて。二時限目前に哲也を捕まえて、長椅子に腰かけながら昨日のことを報告しているところだ。

 ちなみに、今日はお互いに一時限目から講義が入っている。


「雰囲気的にどうしても切り出せなくてさ」

「わかるけどな。まあしゃーない。そんなに焦ることでもないし」

「でも、活動を始める前には絶対に話しておきたい」

「活動って、一回目の練習入る前にってことか?」

「いや、ミーティングとかそういうのも含んでる」

「ミーティングもかよ。そりゃ早急に手を打たないとだな」


 仮に美雪が気にしなくても、俺が意識し過ぎだとしても。内緒で別の女の子と会ってるみたいで気が引ける。

 哲也は少しの間腕を組み、難しそうな顔をして思案してから口を開いた。


「じゃあさ、この後美雪ちゃんと綾香ちゃんを呼んで飯でも食おうぜ。で、ついでにバンドのことも話しちゃえばいい」

「それ、後で大変なことになるやつじゃん」


 その場では、美雪は「そうなんだ。実君をよろしくね」とか、「頑張ってね」くらいしか言えることがない。家に帰ってから不平不満をぶつけられるパターンだ。


「俺的には、今日中に集まってどんなバンドをコピーするかとか話し合うつもりだったからさ。強引だしあまり良くはないけど、そうするしかないだろ」

「今日中にって、北条さんの予定は知ってるの?」

「LANEで聞いたら大丈夫だって言ってたぞ」


 無料通話&チャット機能付きアプリは、通称「LANE」。ていうかこいつ、もう連絡先交換してるし……いや、別にそれは普通か。


「俺の予定は?」

「どうせ暇だろ?」

「バイトとかあるかもしれないだろ」

「それはない」

「何でわかるんだよ」


 そう聞くと、哲也は何やらスマホをいじり、その画面を俺に見せて来た。チャットのトーク画面で、相手は美雪だ。


『今日さ、実って何か予定はある?』

『ないよ~』

『じゃあ講義が終わったら借りてもいい?』

『どうぞどうぞ』


 直後に、香箱座りをした猫が「つまらないものですが……」と言って、皿に乗せた鮭を差し出すスタンプが押されている。

 それに対して哲也は、「かたじけない」と神妙な面持ちをした侍が言っているスタンプで返していた。


「何で美雪に聞くんだよ」

「そっちのが面白いかなと思ってな。それに、お前返信遅いし」

「うっ」


 たしかに、美雪に対しては鬼の速さで返信するけど、哲也に対しては「まあいいか」と既読だけつけて後回しにするパターンが多い。親しき中にも礼儀ありと言うし、これに関しては俺が悪い。


「悪かったな」

「じゃあ講義が終わったら……あー、場所は後で連絡する」

「了解。美雪には後で伝えとくよ」

「よろしく」


 話の区切りを迎えたところで、丁度いい時間になっていた。俺たちは一言挨拶を交わして互いの講義が行われる教室に戻っていく。

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