軽音楽部

 一時限目が終わると、別の講義がある為に哲也とは離れた。二時限目が終わると美雪と昼食を食べて、それから三時限目に臨む。

 そして三時限目終了後、真っすぐに部室へと向かった。


 今まで講義を受けていた西側広場から北東……正門のある方向へ歩いていく。昼休みには人で溢れかえるキャンパスも、講義の時間に入ると少しはマシになっていた。

 中央広場は正門から入って来るとすぐに見える場所で、各サークルの部室のある学生会館や体育館、そして主に法学部の講義が行われる棟などで囲まれていて、映像学部の棟や大学院生用の研究棟もある。

 学祭等のイベントの時には大きなステージなんかも設営されて多いに盛り上がっていた。

 映像学部棟や研究棟はキャンパス内では比較的新しく出来た建物で、何年か前はこの広場ももっと広かったらしいけど、俺には想像も出来ない。


 法学部棟の前を通り過ぎて学生会館へ到着。正面玄関から入ってすぐにある階段を上がって二階へと向かっていく。部室に近付くにつれて、明るく弾むような声がいくつか聞こえてきた。

 扉を開けると、部屋の中央にあるローテーブル周りのソファーに座って雑談をしている人が二、三人程。後は部屋の隅で思い思いに過ごしている人が数人。雑談メンバーには哲也がいて、こちらを振り向くなり早々に声をかけてきた。


「おっ、実。やっと来たか」

「やっとって何だよ。三時限目が終わってからすぐに来たのに」

「俺は二時限目が終わってからずっと待ってたからな」

「どんだけ暇人なんだよ」


 軽口を叩きつつ、挨拶を交わしながら中に入っていく。

 壁際にはケースに入ったまま寝かされたギターやベース。分解されたまま放置されているドラムセット。棚には俺たちくらいの年代なら大体夢中になったことのあるバンドや、海外の大物アーティストのバンドスコアが並んでいた。

 俺たちが所属しているサークルは軽音楽部。同好会やサークルなどではなく部と銘打っているのは、学校から部費をもらって活動している、公認団体と呼ばれる部類のサークルだからだ。

 部室とは別に地下にバンド練習用のホールも持っていて、練習する前後や暇な時などにこうして部室に集まって雑談をしたりしている。


 哲也の隣に腰をかけながらちらっと向かい側を確認すると、見たことのない女の子が座っている。恐らく、彼女が哲也の言っていた新入部員だろう。

 俺の視線に気付いた哲也が、その子を手で示しながら紹介してくれた。


「実。この子がさっき話した新入部員だ」


 綺麗な子だな……というのが正直な第一印象だ。

 艶のある黒髪が肩まで流れていて、切れ長の目が知的な印象を与える。哲也の言っていた通り、可愛いと言うよりは美人という感じ。

 彼女は座ったまま軽く一礼をしてから、透き通るような声で言った。


「初めまして。北条綾香です」

「はっ、初めまして。新庄実です」


 哲也が面白いものを見つけたと言わんばかりに口角を上げる。


「実~、何きょどってんだよ」

「別にいいだろ、こういうの得意な方じゃないんだよ」

「ま、そういうことにしといてやるか」


 何か悔しいな。美人だからちょっと動揺したのは事実だけど。

 彼女がいても女の子に慣れているかどうかというのはまた別の話だ。


「実君。北条さんは前からバンドをやりたいと思っていて、二回生になった節目にうちに来てくれたらしい。パートはベースを希望していて、最近始めたばかりだから色々教えてあげてね」


 そう説明してくれたのは部長の田淵さんだ。

 法学部の三回生。うっすら茶色に染まったショートカットで、見た目からも話し方からも感じられる爽やかさは、大学生にして早くも「デキるビジネスマン」の雰囲気を醸し出している。ちなみに男で彼女持ち。

 色々教えるとは言っても、俺も大学に入ってからドラムを始めたクチで、バンド演奏のいろははろくに掴めていない。


 北条さんが「初心者で、わからないことばかりですがよろしくお願いします」と改めて腰を折った。

 それに哲也が反応する。


「大丈夫、大丈夫! うちはそういうやつ多いから」

「哲也は経験者だけどね」


 俺がさりげなくツッコむと、田淵さんが苦笑いをしながら補足を入れた。


「うちは大学内にある他の軽音サークルと比べてもゆるいからね。コピーオリジナルも、ジャンルも、経験の有無も問わない。だからうちには、初心者で入ってまずはコピーから、慣れたらオリジナルをやろうって人が多いよ」

「そうみたいですね。どこのサークルに入ろうかなって思ってたんですけど、一番初心者が多いって聞いてここに決めました」

「部員の数も一番だからね、同じ趣味を持った友達も作りやすいし、うちに来たのは正解だったと思う」


 大学内の他のサークルはオリジナル――バンドで演奏する楽曲を全て自分たちで作る――志向が中心になっている。プロ志向の人も多く、実際にプロも輩出しているが、だからこそ初心者には敷居が高い。

 当たり前の話だけど、初心者がいきなりオリジナルの楽曲なんて作れるわけがない。だから、大学に入ってから楽器を始めましたなんて人はまずうちに来る。


「でさ、綾香ちゃんはどんな音楽が好きなの?」


 哲也はもう既に下の名前で呼んでいる。こいつのこういうところは本当にすごいなと思う。この前の総会で会った時に、何て呼んだらいい? みたいな会話を交わしたんだろうか。

 北条さんは少し悩む素振りを見せてから応えた。


「そうですね、昔聴いていたのは」


 その口から出て来たのは、誰しもが知る日本の大御所ロックバンドだ。


「へえ。それ、俺は今も聴いてるよ」

「かっこいいですよね」

「かっこいいし、曲も意外にポップで聴きやすいんだよね」

「そうなんですよ! 特にベースの人が作った曲が好きで」

「あの曲ね。渋いところ突くねえ」

「~~」

「~~」


 どんどん話が弾んで行く。哲也のすごいところ、その二。出会って間もない人でもこうして会話を盛り上げることが出来る。

 やがて、場にすっかり馴染んだ北条さんが、笑顔で話題を振ってくれた。


「新庄さんは、大学に入る前から音楽をやってらっしゃったんですか?」


 すると、即座に哲也が割って入る。


「こいつのことは実でいいよ」

「それ、哲也が言うの?」

「実はそういうこと言わなさそうだしな。シンジョウって何となく呼びづらいし」

「全国の新庄さんに謝れ」


 でも助かった。哲也の言う通り、苗字よりは名前で呼ばれる方が好きだけど、実って呼んで欲しい、ってのは何となく言いづらい。


「あ、それと綾香ちゃん。俺たち同じ二回生だからタメ口でよろしく」

「うん、わかった。でも哲也君も二回生だったんだね。最初一つ上かと思ってた」

「それって褒められてる?」

「もちろん。雰囲気がちょっと大人っぽいっていうか、年上って感じだったから」


 一旦落ち着いたところを見計らって話を戻していく。


「それでさっきの話なんだけど。俺は大学に入ってから始めたから、北条さんとそんなに変わらないよ。パートはドラム」

「そうなんだ。じゃあ私たち、リズム隊ってやつだね」

「うん。初心者同士よろしく」


 リズム隊というのは、バンドの中でリズムを担当するパートを総称したもので、基本的にはドラムとベースのことを指す。


「実君は、もう初心者って感じでもないけどね」

「ハードル上げるのやめてくださいよ」

「いやいや、楽器を始めて一年も経ってないのに、きちんとバンドで演奏出来るくらいにはなってるんだからすごいと思うよ」


 田淵さんに褒められると、お世辞であっても嬉しい。

 バンドで演奏出来る、というのはただ単に一人一人が失敗せずに演奏を終えることが出来ればいいというものではない。リズムをキープ出来ているかとか、ちゃんと周りに合わせることが出来ているかどうかとか、詰まることなくいい音が出せているかとか、様々な要素を要求される。

 だから田淵さんの言葉は、始めて一年も経たない俺に向けられるものとしてはかなり光栄なものだ。素直に受け止めることにした。


「ありがとうございます」

「うん。実君はもう少し自信を持った方がいい」


 思いもよらぬところで褒められてしまい、照れてしまう。むずがゆくなってしまった俺を察するかのように、哲也が話題を切り替えてくれた。


「綾香ちゃんってバンドを組む予定はあったりする?」

「いえ、まだ……」

「じゃあさ、俺と実の三人で組もうよ」

「「え?」」


 北条さんと驚きの声が被ってしまう。


「実って、今は一つしか組んでないだろ?」

「うん、そうだけど」

「だったら余裕だろ」

「いや、ちょっと待ってよ」


 うちのサークルではバンドを一つしか組んでいないという方が珍しい。特に数の少ないドラマーは、むしろ三つや四つくらい掛け持ちをしているのが普通だったりする。

 でも、それとこれとは別の話だ。


「美雪ちゃんのことを心配してんのか?」


 哲也の予想は当たっている。

 たしかに出会ったばかりで友達未満の関係とはいえ、女の子と組むとなると美雪が気にするかもしれない。というか、俺が気にするし。

 とはいえ、出会って間もない人に対して「彼女がいてそれで~」なんて話をするのも気が引ける。ここは問題の焦点をずらそう。


「技術的な問題だよ。掛け持ちするなんて俺にはまだ無理」

「今やってるの、コピバンだったろ」

「そりゃオリジナルよりは楽かもしれないけど……」


 北条さんが、俺と哲也のやり取りを心配そうな眼差しで見守っている。それに気付いてすごく申し訳ない気持ちになった。

 しかし、そこで田淵さんが割って入る。


「実君、俺からもお願いするよ」

「え、田淵さん? どうして」

「新しく入ってくれた人が、すぐにバンドを組める機会に恵まれるってことは中々ないからね。新歓企画もあるけど、あれはその場限りだから」


 新歓企画というのは、春に新しく入った部員を対象に、サークルの幹部が適当にメンバーを選定して新入部員だけでバンドを組んでもらい、約一か月後にライブをしてもらうというものだ。

 新歓企画が終わるとそのまま解散してそれぞれ別のバンドを組むというのが通常の流れだけど、たまにそうではないこともある。

 これはバンドを組んでもらうというより、サークルに馴染んでもらうことを主目的としている。


 もちろんその企画に頼らずとも、新しく入った人たちが自然にサークルに馴染んでバンドを組んでくれるならそれが望ましい。田淵さんは部長として、俺に新入部員さんとバンドを組んでくれと言っているのだ。

 まさか田淵さんにまで押されるとは。

 筋は通っているし、美雪のことを説明しないとこれ以上は断りづらい。それに仮に話したところで、出会ったばかりの人を女として意識しすぎ、キモみたいな話になるかもしれない。


 というか、田淵さんも俺が美雪のことを考えて渋っているのはわかっていると思うんだけど、その辺はどうなのだろうか。

 「美雪ちゃんはそういうのあまり気にしなさそう」くらいに思ってそう。

 う~ん……腹を括るしかないか。


「わかった。俺で良ければ、喜んで」

「よし来た」


 哲也がスパン、と自らの膝を叩いた。


「ありがとう。よろしくね」

「こちらこそ、よろしく」


 北条さんとそんな挨拶を交わし合う。

 間もなくして四限目の講義が終わる時間となり、俺は美雪を迎えにいくべく部室を後にした。

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