映画3

 一方で優樹は、当てもなく街を駆けまわっていた。

 明らかに冷静さを欠いていて、いつもの散歩コースらしきところ以外は、どこにペロが行きそうかなどを考えもせずにとにかく走る。

 やがて疲れて、路上で膝に手をついて肩で息をしていると、ポケットに入っているらしいスマホが鳴った。

 着信画面には「母」と出ている。


『もしもし、あなた今どこにいるの?』

「家から少し離れたところ。あの公園の近く辺り」

『なら一旦こっちに戻って来て、服を着替えて一息つきなさい。お母さんも一緒に探すから』

「えっ」

『制服のままだと補導されるかもしれないから。そしたらペロを探すのも遅れるでしょ。とにかく止めたりしないから一旦冷静になりなさい』

「……わかった……うん。今から戻るよ」


 そう言って電話を切った優樹は、少しの間ホーム画面に戻ったディスプレイをじっと見つめていた。優樹からすれば母親の、優樹とペロのことを第一に考えての言葉がかなり意外だったのだろう。

 スマホをポケットにしまうと、優樹は狐につままれたような表情で家に向かって歩き出した。


 家に帰ると、母親がリビングで待っていた。優樹の帰宅を確認するとすぐに温かいココアを出してくる。


「これを飲んで一息つきなさい。もう学校には連絡を入れてあるから」

「うん、ありがとう」


 言われた通りに一息つくと、優樹は顔を上げて母親に声をかける。


「あのさ、母さん」

「……あなたの言いたいことはわかってるつもりよ。それに私からも謝らなきゃいけないことがあるの。でも、それはペロが見つかってからにしましょう」

「……そうだね」


 それから母親はソファに置いてあった車の鍵とバッグを取り、リビングの出口まで行くと後ろを振り返った。


「じゃあお母さん行くから、戸締りお願いね。制服を着替えるのも忘れないで」

「ああ」

「そうそう。あと、お父さんも早退して探してくれるって」

「え?」

「あの人最近有給とってないし、ましてや早退なんて全くしないものだから、『犬を探すために早退します』って言ったら、上司の方がすぐには言葉も出ないくらい驚いてたらしいわよ」

「父さんが?」


 その上司どころか優樹も驚いている。きっと今の彼の頭の中には無数の「?」が漂っているはずだ。


「じゃあ行って来るから。出る時はスマホもちゃんと持つのよ」


 母親が出て行った瞬間、リビングはしんと静まり返った。


 仕度を済ませると、優樹も街に繰り出して捜索を再開する。

 そこからは母親と優樹の捜索シーンが交互に映し出されていく。途中からは父親も加わり三人体制となるが、それでも発見には至らなかった。


 やがて陽も沈み始めた頃、父親からの提案で、一度家に戻って会議を開くこととなる。

 家のリビングにてテーブルに着きながら休憩を取りつつ、父親が口を開いた。


「見つからんな」

「近所で探せるところはほとんど探したしね。こうなると、知らない人に連れて行かれたか、家を出てまっすぐにどこか離れたところに向かったか」


 優樹が思いつめたような表情で語る。


「思い当たる場所はあるか?」

「いや、ない。こうなったらSNSで迷い犬の情報を拡散してもらうか」

「でも、これまで庭で遊ばせても敷地外に出ることなんてなかったのに、珍しいわよね」


 そう言った母親は、ちらりと優樹に視線をやる。


「まして、兄弟みたいにして育ったあなたを置いてどこかに行くなんて」

「お前が生まれてからこれまでずっとべったりだったからな」

「俺もそうは思ってる」


 沈黙が流れ、三人共何か考え事をし始めた、その時だった。

 父親のスマホが鳴った。

 父親はスマホを確認するなり、怪訝そうな表情をする。


「前の家の大家さんだ」


 優樹と母親の視線を受けながら電話に出た。


「もしもし。ええ、ご無沙汰しております……はい。家族全員元気にやっております……え? ペロが?」


 優樹が音を立てて椅子から立ち上がる。


「ペロがそちらに? はい、ちょうど今朝家出しまして、家族総出で探していたところです。恐らく間違いないかと……はい、すぐに向かいます」


 「それでは失礼します」と言って通話を終えると、父親ははやる気持ちを抑え切れない様子で自身を見つめる優樹に言った。


「ペロが前の家の敷地内で見つかったらしい」

「前の家? どうしてそんなところに」

「車の中で話す。とりあえず行こう」

「うん」


 三人は仕度という支度も済ませず、最低限の持ち物だけ持って父親が所有する車に乗り込んだ。


 車は宵闇の中に沈んだ街を駆ける。優樹が見つめる窓の外には、美しい月とその下に広がる夜景が映り込んでいるが、どこか現実感がない。車のエンジン音すらもどこか遠くから聞こえるようだ。


「大家さんも連れて帰ろうとしたが、全く言う事を聞かなかったらしい。強引に運べるような大きさでもないからとりあえず見張っていたら、敷地内のある場所を堀り初めて、そこにあるお菓子の箱を見付けたそうだ」


 父親から事情を聞いた優樹ははっと目を開いた。


「タイムカプセル? でもどうしてそんなものを」

「優樹は何を埋めたか覚えているか?」

「いや全く。何しろ十年以上前だからね」

「実は私もそうなんだ。母さんは?」

「私もそうね。でもペロはそれが目的で家出したってことよね」


 その後目的地に着くまで、三人は何を埋めたのか思い出す作業に勤しんだが、誰も思い出せなかった。

 車内でも再度連絡があり、ペロは大家さんの家で保護してもらっているらしい。何でもタイムカプセルを見付けた途端に、以前のように聞き分けがよくなったのだとか。

 父親は「ペロはすぐにでもタイムカプセルを持って帰りたかったのだろうが、口に咥えて運べる大きさではないからな」とコメントした。


 大家さん宅に到着すると、すぐに大家さんとペロが出迎えてくれた。


「ペロ! お前心配したんだぞ」


 屈みこんでわしゃわしゃとペロを撫でる優樹を微笑ましく見守ってから、父親が大家さんに礼を言う。


「すいません、ペロがお世話になりまして」

「いやあ、とんでもない。久しぶりに会えて嬉しかったよ」


 白髪で細身の大家さんは、柔和な笑みを湛えながら答える。


「そうそう。それで、ここにあるのがそのタイムカプセルなんだけども」


 大家さんの足下には、優樹たちにとって見覚えのある、汚れて古びたお菓子の箱が置いてあった。

 スチールで出来た缶は、大家さんが一度磨いてくれたのか、年月を経て汚れとくすみを帯びてもなお光沢を保っている。


「ペロちゃんは、待っている間ずっとここにいたんだよ。まるでタイムカプセルを守るみたいにしてね」

「そうなのか? ペロ」


 じゃれ合っていた優樹が確認を取ると、ペロはタイムカプセルの側まで移動し、「開けてみて」と言わんばかりの視線を返した。


「開けていいのか?」


 すると尻尾が左右に大きく振れる。正解だったらしい。

 優樹はタイムカプセルを手に取り、玄関の段差に腰かけた。それに合わせてペロもその隣に移動する。


「こういう時は家族だけの方がいい気がするね。私は奥にいるから」

「すいません、ありがとうございます」

「いえいえ。じゃあ帰る時は声をかけてね」


 そんな大家さんと父親のやりとりも聞こえているのかいないのか、優樹はタイムカプセルをじっと見つめている。中身が気になって仕方がないようだ。

 早く開けたい気持ちをこらえてゆっくりと蓋に手をかける。


 開封されると、父親と母親もその中を覗き込んだ。


「ああ、懐かしいわね」


 二人から思わず笑みが零れる。

 そこには当時使っていたミトンと、ハンカチが入っていた。恐らく前者が母親、後者が父親のものだろう。

 そして。


「これは……」


 優樹がぽつりとつぶやいた。

 中にはもう二つ、古い色褪せた写真とノートの切れ端を折りたたんだものが入っている。


「この写真って」


 母親が独り言ちる。

 写真には、当時住んでいた家を背景にして、満面の笑みを浮かべた家族全員の姿があった。


「懐かしいな」

「本当にね。優樹がこれをカプセルに入れてたなんて……」


 そんなしみじみと言った感じの父親と母親の会話を聞きながら、優樹はノートの切れ端を拾い上げて広げる。

 すると、全員が色んな感情が綯い交ぜになった顔で固まった。


 そしてスクリーンには手紙に、元気に大きく書かれた、たった三行の文章が映し出される。


「おとうさんとおかあさんへ

 いつまでもなかよしでいてね

 ゆうき」


 優樹はそこでようやく全てを理解した様子でペロを見やる。


「ペロ、お前……そうか、そういうことだったのか」

「優樹。どうしたんだ?」


 父親の質問に、優樹は写真を見つめながら答える。


「ペロが家出をした理由がわかったよ」


 沈黙に促されて、少し言いよどむ様子を見せながらも、どうにかそれを説明するための言葉を紡いでいく。


「最近の父さんと母さん、その……あまり仲良くなかっただろ。喧嘩したわけじゃないけど、雰囲気はよくなかったっていうか」

「「……」」

「それで、家にいるのが正直しんどくてさ。ペロにあの頃は良かった、みたいな愚痴をこぼしちゃったんだよね」


 泣いたことまでは言わなかったのは、恥ずかしいからだろう。

 それでも大事な部分はしっかりと伝わったらしく、父親は拳を握る指に強く力を込めた。


「だからこの写真と手紙を見せることで、二人にあの頃を思い出してもうおうと思ったんじゃないかな」

「そうなのか……? ペロ」


 両親が揃って視線をペロに向けた。当の本人は何も言わず、ただじっと二人を見つめ返している。


「そうか。二人をそんな気持ちにさせて、私たちは親失格だな」

「本当にね……優樹、ペロ、ごめんね」


 父親と母親は、どちらからともなく顔を見合わせる。


「最近、仕事が忙しくて……いや、これは言い訳か。いつの間にか俺は、三人のことを想う気持ちを失くしていたし、母さんにも冷たく当たっていたように思う。本当にごめん」

「私の方こそつまらないことでイライラしちゃって。昔はあなたが仕事で忙しい時にはそれを理解出来ていたのに……自分のことばかりで、皆のことを考えてなかったわ」

「父さん、母さん」


 瞳を潤ませた優樹に見守られながら、父親は照れくさそうに指で頬をかきながら口を開いた。


「こういう言い方は少し違うのかもしれないが、もう一度やり直さないか。家族全員でまた、あの頃のように」

「ええ。そうね」


 こうして、優樹一家は温かい家庭を取り戻した。


「ありがとう、ペロ」


 優樹がペロの頭を撫でると画面は外へと切り替わる。

 夜の帳が下りた静かな街の中。柔らかい光を灯す月の下で、一家の笑い声がどこまでも響き渡っていた。

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