Vegetable Sounds
その次の春、ペロは空の向こうへと旅立った。
最期が描写されていないのではっきりとはわからないが、家族に見守られながらまるで使命を果たしたとでも言うかのように、穏やかに息を引き取る場面がありありと頭の中に浮かんだ。
場面はペット霊園の一角に切り替わった。
見晴らしのいい丘の上に作られている場所で、一家の住む街と思われる風景を一望出来る。
人間のそれとは多少趣の異なる墓の前に、優樹は制服を、両親は喪服を着て立っていた。
黙とうをした後、優樹がぽつりとつぶやく。
「ペロは俺とほとんど同じくらいの歳だったし、いつこうなっても不思議じゃなかったんだよね」
「ああ」
父が頷かずに声だけで答えた。
「足腰だって悪くなっていたのに、あんな遠出までして……辛かったろうな」
「それは違うと思うぞ」
優樹が父の方を振り向く。
「しんどかったかもしれんが、辛くはなかったと思う。ペロは弟のように可愛がってきたお前の為に頑張ったんだからな」
「そうね。結局あの子、身体が動かなくなる時まではあなたの側にいようとしていたものね」
母親はハンカチで目元を拭いながら語った。
「そっか……うん、そうだよね」
そして優樹はペロの墓標の前に花を添えると、涙をまなじりから溢れさせながらもどうにか笑顔を作って言った。
「ペロ、ありがとう」
ここでエンディングテーマと共にエンドロールが流れ始める。
エンディングテーマを歌っている女性の、美しく透き通った声が印象的だった。
エンドロールが流れていることもあり、気付けば観客席からはちらほらと立ち上がり退出する客が出始めている。
個人的にはもうちょっと余韻を味わいたいけど、美雪はどうだろうと思ってちらりと目線だけで横を見た。すると、そのまま釘付けになってしまう。
美雪の瞳は揺れ、その頬には一滴の雫が伝っている。けれども決してスクリーンからは目を逸らそうとしない。
その横顔の美しさに、力強さに、どうしようもなく惹かれてしまった。
美雪にはこういうところがある。
見た目は大人しそうで、派手な服装も好まないから自己主張も激しいという印象は受けない。どちらかと言えばか弱く、守ってあげたくなる雰囲気を纏っている。
けれども実際には心の芯が強く、辛いことからは目を逸らさずに困難にも立ち向かう意思を持っていて。
それを感じる瞬間が、俺はたまらなく好きだった。
彼女が涙を流してるところを見て惹かれるとか俺、大丈夫かな……ちょっと変態っぽいかな……などと少し悩んでいると、美雪がこちらに気付いた。
ウエストバッグからハンカチを取り出して手渡すと、それで涙を拭いながら「ありがとう」と微笑む。
「ペロちゃん、可愛かったね」
「うん」
「最後死んじゃったのは悲しかったけど、すごくいい映画だった」
「そうだね。何だかすごく穏やかな気持ちになれたよ」
ド派手な演出も入り組んだ謎も用意されてなかったけど、全体的にほのぼのとしていて温かい雰囲気の映画だった。
そう何度も見たい感じではなかったけど、なんて感想を述べるとビンタをくらいそうなので当然のように伏せておく。
ただ、正直に言ってこの映画のストーリーは、俺にとってはどこか他人事ではないような気がした。
それから美雪が落ち着くのを待って映画館を後にする。
その足で駅に直行し、映画での感想を語り合いながら、電車で繁華街の近くまで移動した。
ここでゆっくりと落ち着きつつ映画の余韻に浸る為にカフェに来た。本当は映画館の近くが良かったんだろうけど、今日最後に美雪を連れて行きたいイベントに遅れるという事態だけは避けたかったのでこっちまで来た。
一応予約はしていたものの、日曜の夕方ということで大分混んでいるので正解だったみたいだ。
難なく入店して席に着く。
外観や壁、床は和風の素材で出来ているのに、調度品や照明なんかは洋風のものを使っているので何だか不思議な感じのお店だ。
落ち着くなり美雪が内装を眺めながら口を開いた。
「へー、実君こんなお店知ってたんだ。ちょっと意外かも」
「まあね」
ドヤ顔をするも、次の質問で固まってしまう。
「わざわざ調べてくれたの?」
「いや? 前からシッテタヨ?」
「へ~そうなんだ。どうやって?」
「スイーツニキョウミガアッタノデ」
「ふ~ん」
めっちゃニヤニヤするやん。
まあ、ばれるよね。絶対に今日の為に調べたと思われてるよね。正確には「調べたか哲也に聞いたんだろうな」、かな。
今日は違うけど、こういうことは大体あいつ頼りだからな。全く! 本当に哲也は何でも知ってるんだから! いつもありがとうございます!
そこで店員さんが注文を聞きに来てくれたので話は切り上げ。慌ててメニューを手に取りつつ「すいません、もう少し後で」と断りを入れる。
店員さんの背中を見送りつつメニューを広げて再び固まる。
そこにはカレーとかサラダとか、予想していたものと違うラインナップが記されていた。
え、カフェっつったら大体甘いものが置いてあるんじゃないの……?
たしかに甘いものもあるけど、明らかにメインはカレーとかこのキッシュ? とかいうやつになっている。
ふと正面を見据えると、美雪がメニューで顔を隠しながら全身をぷるぷると震わせていた。
ふう、と息をつく音が聞こえてから、ひょっこりと笑顔を覗かせる。
「実君、スイーツに興味があったからこのお店を知ったんだよね?」
「ソウデスヨ」
「何で急に敬語なの?」
「ナントナクデス」
「このお店、キッシュがメインみたいだね」
「ソウデスネ」
すごくいじられることになってしまったけど、美雪がすごく楽しそうなので良しとしよう。
丁度お腹も空いていたということで、俺はカレーを、美雪はキッシュプレートとかいうのを注文した。
カレーは見た目も味もオシャンティーだった。キッシュとやらは何かピザみたいな見た目してたけどよくわからない。
料理に舌鼓を打ちつつ、デザートまで頂いてからカフェを後にした。
時間の調整用に本屋に寄ってから、本日のメインイベントが行われる最後の目的地へと出発する。
「次はどこに連れて行ってくれるの?」
道すがら美雪が尋ねてきた。
「ついてからのお楽しみ」
「え~そればっかり」
と言いつつも、不満そうな様子は一つもない。
美雪は目的地に行ったことがあるので、どこへ行くのかが風景でばれないように敢えて回り道をする。でも、流石に近づくにつれて「もしかしてここって……」みたいな表情が見え始める。
そして、遂にその場所へと到着した。
「ここが今日のメインイベント」
「得々じゃん」
古き良き日本の木造建築然とした外観――実際に築百年を越えているのだが――は、繁華街近くの住宅街に突然現れて異彩を放つ。出入り口や、その左手側にびっしりと貼られたポスター類がなければ、ここがライブハウスだとは誰も想像すら出来ないだろう。
そう、ここは老舗のライブハウス「得々」。
キャパは公称で三百五十――個人的な体感では二百ほど――と決して大きいハコではないものの、メジャーレーベル所属のアーティストがツアーで訪れることなどもあって知名度は非常に高い。
ちなみに俺と美雪は以前に軽音楽部の定期演奏会というイベントでここを訪れたことがある。
そして、今日ここで催されるライブイベントとは……と説明しようとする前に美雪がそれを口にした。
「もしかして、ヤサオのライブを観るの?」
「そうだよ。ここまで来ればそりゃばれるか」
「もしかしてとはちょっとくらい思ってたけど……本当に連れて行ってもらえるなんて思ってなかった」
ヤサオ。正式名称はVegetable Soundsというバンドだ。それぞれの単語を直訳すると野菜と音なので特にファンからはヤサオと呼ばれている。
美雪は本当に「まさか」と思っていたのだろう。小さく口を開けたままどことも知れぬ一点を見つめている。
ヤサオは美雪の好きなバンドランキング一位に堂々と名を連ねている美雪界の超大物バンドだ。美雪界隈でその名を知らぬ者はいない。
何でも、好きな漫画がアニメ化した際にOPテーマを担当していたのがきっかけで知ったのだとか。その世界観に惹かれて別の曲も聴いてみたら、どんどん好きになっていったらしい。
ちなみに、俺たちが仲良くなるきっかけになってくれたバンドでもある。
実は数ヶ月前に「ヤサオが得々まで来るから観に行かない?」と誘われていたのを二週間前の夜に思い出した。
あの時は俺の反応が薄かったからか遠慮して美雪は行かないことにしたようだったけど、一緒に行ってあげるべきだったし、今回の「日頃のお礼」の締めとしてはぴったりじゃないかと考えたというわけだ。
「じゃあ入ろうか」
「うん」
まだ驚きと、少しばかりの困惑をその表情に滲ませている美雪の手を引いて、ライブハウスの入り口へと向かう。
チケット販売サイトとの連携アプリで受付を済ませる。
受付を通り過ぎるとそこはもう客席の一角だ。入って左手側がステージになっていて、右手側、つまり客席最後方には厨房がある。
開演間近ということもあって既に前方はびっしりと埋まっていたが、元々俺も美雪も前の方で見るタイプではないので全く問題はない。それに、今日は二人共ライブ向きの服装じゃないからな。
中央やや後ろくらいの、ほどよくステージに近く、ほどよく人の少ない位置に陣取った。
「ドリンク。何にする?」
聞くと、美雪は一瞬だけ迷う素振りを見せる。
「じゃあ、烏龍茶で」
「おっけー」
繋いでいた手を離してフードカウンターに向かおうとすると、美雪もついてきてくれた。
「はぐれちゃうといけないから」
「それもそうか」
たしかに、さっきいた場所も後から来た客とかで埋まったら入りにくくなったりするし、その辺は俺が至らなかった。
ドリンクをゲットして元の場所に戻るも、状況はさっきとそう変わっていない。どうやらこれ以上客が増えることはなさそうだ。
店内にはジャズが流れている。どこの国の何という名前のバンドなのか全くわからないけど、とても心地が良い。賑やかな雰囲気とミスマッチなようで、ライブ前で浮足立つ客をいい感じに抑えている気もする。
そうやって周りを眺めていると、美雪がぽつりとつぶやいた。
「楽しみだね」
「うん」
「……あの頃を思い出すなぁ」
「え?」
美雪はステージをまっすぐに見つめている。まるでそこに、何か大切なものがあるとでも言うかのように。
「ねえ、実君は覚えてる? 私たちが出会った頃のこと」
「うん、そりゃ覚えてるけど……」
出会った頃、というのは具体的にどの時期を指しているのだろうか。知り合った頃か、仲良くなり始めた頃か、それとも付き合ってからか……。
「私が初めて実君を知ったのはね、新歓ライブの時だったの」
ちょうどその瞬間、店内が暗転してステージ用の照明が灯り、バンドメンバーの登場用SEが流れ始める。
沸き立つ客席。まだライブが始まってもいないのに、観客のボルテージは急激にあがっていき、メンバーの登場と共にそれは最高潮に達した。というより、爆発したと表現した方が正しいかもしれない。
美雪も、もう口を開こうとはしていなかった。
「あ、どうもこんにちは。Vegetable Soundsです」
せっかく格好良く登場したのに、ヤサオのギターボーカル兼リーダーを務める天堂義明が、至って普通のテンションでバンドを紹介する。
俺はその姿に、あの日の哲也の姿を重ねていた。
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