新歓ライブ
「こんにちは、俺たち新歓Bチームの『野菜王国』です。Vegetable Soundsってバンドのコピーをやります」
新歓ライブ真っ最中の学生会館の1Fホールに、新一回生の声が響き渡る。
客席は軽音楽部の部員と、新歓ライブに出る一回生の友達と思われる人たちでそこそこに賑わっていた。
その中に美雪も紛れていて、隣には奈海の姿もある。控えめに客席の後方からステージを眺めていた。
新歓ライブのバンドは、演奏する曲を自分たちで選択している。つまりBチームには、最低でも一人はヤサオを好きな人がいるということだ。
全ての新入生バンドは予め曲目を公開している。それで、美雪は気になって彼らのライブを見に来たのだ。
今マイクを使っているのはギターボーカルの男性で、新入部員とは思えないくらいにはきはきと話す。
「じゃあ一曲しかないんで、先に自己紹介させてもらいます。まずギターボーカルの俺が堀哲也って言います、よろしくお願いします」
ぱちぱち、と拍手用の間を置いて再び喋り出した。
「本当はピンボーカルの子がいたんですけど、最初の練習すら来なくて。バックレってやつですね。急遽俺がギターとボーカルを兼任することになりました」
おお、と客席からは感嘆の声が起こる。
ヤサオは本来ギターボーカル+ギターのツインギターでやっているので、曲の作り的にそう難しいことではないと思うが、それでもギターのみの予定だったのを急遽ボーカルと兼任するというのはすごいことなのではないだろうか。
やっぱり、堀君? は経験者なのかもしれない。
それから堀はマイクをスタンドから外して各メンバーのところに持って行き、順番に自己紹介をさせていく。
そして遂に最後、ドラム担当の男性の番になった。
「えっと、新庄実って言います。初心者ですがよろしくお願いします」
何というか、一言で言えばフツーな感じの人だ。
あくまで第一印象だけれど、おしゃれというわけでもないし、かと言ってダサいというわけでもない。明るくもなければ暗いという感じもしない。
堀君のように自信に溢れているということもなく、緊張で声は震えている。
ただ、だからこそ全体的に話しかけやすい雰囲気を纏っているような、そんな人だった。
「おいおいそれだけかよ。もうちょっと何か喋れよ」
「緊張してるんだって」
「いいからもっとアピールしてけって。ほら、彼女募集中とか!」
「うるせえよ!」
どっ、と客席から笑いが起こった。
「あの、皆さん。こんなやつですけど、どうぞ堀哲也をよろしくお願いします」
「俺の紹介かよ!」
再び笑いが起きる。
先に演奏した新入生のバンドがどれも緊張でガチガチになっていた中で、これだけスムーズに進行して笑いも取るバンドは初めてだった。
「それじゃいい感じにオチもついたところで曲やります。『blow』って曲です、聴いてください」
堀の紹介と共に、ドラムのカウントから演奏が始まる。
「blow」は美雪の好きな曲のうちの一つだ。
草原を散歩していると、一陣の風が吹いた。君への想いは叶わないけれど、この風のように君の心を少しでも揺らすことが出来ていたらいいな、と、概ねそんな内容の曲だ。
ストレートでアップテンポなギターロックなのに、シンプルな編曲と天堂義明の淡々とした歌い方の影響もあって、どこか穏やかでほんのりと温かい。
今でも、目をつぶればあの時のライブがまぶたの裏に浮かんで来る。
もちろん、演奏は哲也君以外は初心者という感じが出ていた。でも、同じ新入部員にヤサオを好きな人がいるということ。そして、大学生になってからでも初心者でバンドをやっていいんだ、ということ。
とても嬉しかった。勇気をもらえた。
美雪はその一曲しかない、お世辞にも上手いとは言えないライブを、しっかりと目と耳に焼き付けた。
新歓ライブの後には打ち上げが予定されていた。
ライブの撤収後、それぞれが会場となるお店にバラバラで向かう。場所がわからない場合は上回生が引率してくれるので、特に地方からやってきた新入生などはそれについていくことが多いそうだ。
繁華街にある飲み屋の近くに自転車を停めた美雪は、奈海と一緒に移動をしながら口を開く。
「ごめんね、ついてきてもらって」
「あたしも打ち上げには行こうと思ってたから別にいいけど、ちょっと意外だったかも」
「何が?」
「美雪ってそういうの参加しないタイプなのかなって思ってたから」
「うん。私もそう思ってた」
「やっぱりヤサオのコピバンの人たちが気になんの?」
「うん。とりあえず話しかけるだけでもしてみたいなって」
積極的に自分からコミュニケーションを取らない美雪にとって、「一度も会話をしたことのない人に話しかける」というのは一大事だ。
奈海もそれをわかっているのか、打ち上げに行くからついてきて欲しい、と誘ったら二つ返事でいいよと言ってくれた。もっとも彼女の言う通り、自分も行きたかったというのもあるのかもしれないが。
「ライブ後に『すごく良かった』ってテンション上がってたよね。明らかにど素人な感じ出てたのに」
「そのど素人な感じが逆に良かったっていうか……」
「そっか。最初は隣に座っとくから、頑張りな」
「その後はどうするの?」
「適当にいい男探す」
「彼氏募集中だっけ?」
「別にそんなんじゃないけど。飲み会でやることって言ったらそのくらいっしょ」
「えぇ~……みんなと仲良くなるためのものなんじゃないの?」
「無理無理。あたしはそこまであのサークルには溶けこめないよ。ちょっとした付き合いを持つくらいだったら全然いいけどね」
「それは何となくわかるかも」
部員登録や新歓ライブの打ち合わせのために総会に参加した時には、部員に独特の雰囲気を持っている人が多いという印象だった。
音楽好きというより、音楽マニアみたいな。
奈海の言う通り、気の合いそうな人とだけ交流を持つ分にはいいけど、サークルの中心まで深く入り込んでいくのにはハードルが高い。
「てかあたしら、自分らのバンドは完全にほったらかしだね」
「ライブの後も話したし、打ち上げでも少しくらいは話すだろうし……その辺はいいんじゃない?」
「まあね」
打ち上げ会場に到着すると、上回生を中心に、既に何人かは着席していた。広い和室に長いローテーブルが設けられたシンプルな作りだ。
先輩から「好きなところに座って~」と言われて、逆にどこに行けばいいか迷ってしまう。
入り口で周囲を見渡していると、ヤサオのコピーをしていた新歓Bチームの男性二人が並んで座っているのを見つけた。たしか、名前は掘君に新庄君だったか。
奈海も小声で「あそこ、いいんじゃない? あの二人、Bチームの人たちっしょ」というので、あの二人の前に腰かけることにする。
美雪の正面が新庄で、奈海の正面が堀という並びになった。
これだけでも美雪にとっては思い切った行動だった。当然、ここからどうしたらいいのかがわからない。
「Bチームのメンバーに話しかけるだけでもしてみる」ために来たのだから思い切って話しかけるのが筋なのだが、やはり恥ずかしいし勇気がいる。奈海なら簡単だろうが、流石にここまで頼るのはやり過ぎだ。自分でどうにかしたい。
心の準備を整える為に座ったまま視線をテーブルに向けていると、突然右斜め前から予想外な声がかかる。
「えっと、Dチームの人たちだっけ?」
顔をあげてそちらを見ると、堀が美雪と奈海を交互に見ていた。どうやら自分たちに向けて話しかけているらしい。
美雪にとってはカモがネギを背負ってやってきたような状況だ。これにはすかさず反応する。
「うん。そっちはBチームの人たちだよね?」
「そうそう。覚えてくれてるんだ」
「私ヤサオ好きだから見てたの」
「うわーまじか。ファンいたのかー下手くそな演奏ですいませんでした」
堀が冗談っぽくその場で腰を折る。
「え~でもすごく良かったよ」
「いやいや、気持ちは嬉しいけどそりゃ無理があるって」
たしかに、こちらの気持ちを知らなければ普通はそう思うだろう。
初対面の人に深い話をするのもなんなので、話題を切り替える。
「ヤサオのコピーをやろうっていうのは誰が言い出したの?」
「ああ、それはこいつ」
と、堀が隣に座っている新庄を親指で示した。
「ヤサオ、好きなんだってさ」
「そうなの?」
堀との会話の勢いそのままに美雪が尋ねると、新庄は少し戸惑った様子を見せながらも答えた。
「ああ、うん。ヤサオは好きだし……それに、初心者でもやりやすそうかなーって思ったから」
「へ~。実際どうだった?」
「そんなに簡単じゃなかったよ。自分一人で叩くだけならまだいいんだけど、他の人が入ってくるとわけわからなくなる」
「私も、いつかヤサオのコピバンしてみたいなって思ってるんだけど……」
堀とは話しかけてもらった勢いに任せて会話をしていた感じがあったけど、新庄とは自然に話せていることに、美雪は自分でも驚いていた。
そこからは自然と話が盛り上がっていって、気付けば堀も奈海も別の場所に移っている。皆と同じ空間にいるのに、二人のいる場所だけが離れ小島のように感じられて、何だかそれがとても心地良かった。
そして、二人が会話を始めてしばらく経った頃。突然、新庄が気まずそうな表情をした。
「あ。えっと、その、ごめん。名前教えてもらってもいいかな」
「あ! ごめん、自己紹介がまだだったね。立花美雪っていいます」
「俺は新庄実」
「彼女募集中なんだよね?」
美雪がわざと悪戯っぽく言うと、新庄の耳が赤くなっていく。
「あれは哲也の戯言だから忘れて」
「じゃあ彼女は欲しくないの?」
「出来ればいいなとは思ってるけど、そんな気配は全然ない」
「ふぅん」
「でさ、立花は何でヤサオを好きになったの?」
「えっ」
改めて名前を尋ねてきたのは、これを聞きたかったかららしい。
もちろん、新庄としては何となくで発したのだろうが、美雪としてはとても返答に困る質問であった。
美雪は基本的に小説を読むが、漫画やアニメも好きだったりする。だが、特に知り合ったばかりの人に対しては、それを隠してきた。
何か過去に嫌なことがあったとかそういうわけではない。理由があるとすれば、「何となく恥ずかしい」ただそれだけだ。
漫画やアニメを好きだというだけで「オタク」と馬鹿にする人も世の中にはいるので、物心ついた時には自然と「オタク」だと思われるのは恥ずかしいという価値観が根付いてしまっていた。
ヤサオを好きになったきっかけは、好きな少女漫画がアニメ化した際に、そのOPテーマを担当していたからだった。
だから、初対面の新庄にそれを正直に答えるべきか迷ってしまう。
しかし、美雪が何か返事をするよりも早く新庄は言った。
「俺はアニメのOPテーマで知ったんだけど」
「えっ? それってもしかして『雲と飛行機』?」
「そうそう。知ってる!?」
衝撃的だった。
彼は美雪が答えるべきか悩んでいたのと同じ内容を自ら打ち明けた。しかも、男性なのに少女漫画原作のアニメを視聴したことを、何の躊躇もなく。
どこかで何かが、がらがらと音を立てて崩れていくのを感じる。
この人にはありのままの自分をさらけ出してもいい。高揚感と安心感の入り混じった不思議な感覚に襲われる。
「うん。漫画は一巻から全部読んでるよ」
「おおー原作勢かー俺はアニメから知ったんだよね」
「うわーにわかだにわかー」
「にわかでさーせんっ」
気付けば、美雪は新庄のことをもっと知りたいと思うようになっていた。
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