第10話 伯爵邸から解放されたあとには


 長らく拘束されていた伯爵邸からやっとのことで開放されたキリアン。


 ジュリエットと出会ったティエリーの街まで伯爵邸の馬車で送って貰えば、あとはそこからほど近いところにある森の中の集落へと徒歩で向かった。


 木々が鬱蒼と生い茂る深い森の中のその集落は、外界から閉ざされた空間であった。

 数多くの獣道の中から、住人だけが集落に辿り着ける道のりを知っている。

 普通の人間ならば迷ってしまって戻れなくなるような場所にある。


 そこには老若男女百人ほどが生活しており、農業や手工業を行っているのだ。

 ……表向きは。


「キリアン! どこ行ってたんだ? ティエリーに行ったっきりいつまでも帰って来ないから心配してたんだぞ」


 慣れ親しんだ木造の簡素な家々の立ち並ぶ集落に着けば、キリアンの悪友で仕事の右腕でもあるジャンが走って出迎えた。

 ジャンはこげ茶の髪を短く刈り上げ、つり目気味の細い目はよく見れば夏の木々のような緑色の瞳をしている。


「はあー……。色々あったんだよ。とりあえず、三日後にここに俺の嫁さんが来るから準備しといてくれ」

「それは大変だな……はっ⁉︎ 嫁さんって何だよ! 誰だよ!」

「色々あんだよ。とりあえず、疲れた」


 キリアンは随分と疲れた表情と重い足取りで集落の一番奥にある自分の家へと向かった。

 周辺の木を切り集落で加工して作られた無装飾の家は、この集落では一般的な造りのものである。


「どういうことだよ⁉︎ 嫁さんって何だ⁉︎ まさか……誰か孕ませたのか?」


 ジャンはひどく興奮気味にキリアンを問い詰める。

 この悪友の普段からの女遊びを考えれば有り得なくも無い話ではあった。


「違えよ。金貰って嫁さん貰ったんだよ」

「か、金貰って嫁さん貰うって……! いくら何でも貰いすぎだろう!」


 ジャンは細い目を限界まで見開いてこれ以上ないほどに驚いた顔をしている。

 そして人差し指でキリアンを指差して極度の興奮から唇を震わせているのだ。


「うるせえなあ。……ジャン、お前そこまで目が開くことあるんだな」


 そう言って、キリアンはこの口うるさい右腕に順を追って事情を話した。




「それじゃ、三日後にはその令嬢がここに来るのか? それで、お前僕らのの事は話したのか?」

「話す訳ねえだろ。暫くは黙って様子見ることにするさ。どうせすぐ嫌になって出て行くだろ。こんなオンボロな家にお嬢様が住める訳ないしな」


 そう言ってキリアンは木造の小屋と言った方が正しいような質素な家の中をぐるりと見渡した。


「あのお嬢様からしたら、この家なんか犬小屋だぞ。そのうち音を上げて出て行くだろうから、そんな奴に俺らの仕事の話する訳ないだろう」

「そうなのか? だが、なかなか出来ないことを思い切ってやるもんだなあ。その令嬢」


 ジャンは簡単な造りの椅子を後ろ向きにし、背もたれに寄り掛かって座ってはもっぱら感心したように言うが、キリアンからすれば今回のことは本意では無いのだから少しも感心できる余裕などなかった。


「変な奴だよ。俺が他の女と遊んでもいいから自分を伴侶として傍に置いてくれなんて言うんだからな」

「はははっ……! キリアン! 余程愛されてるな!」


 細い目をもっと細めて腹を抱えて笑うジャンを、何も面白いことなどないとキリアンは睨みつけて言った。


「笑い事なんかじゃねえよ」

「それで? 何故受けたんだ? いくら貰った?」


 ジャンは世の中で一番信用できる金というものが特に大好きな男であったからキリアンがいくら貰えるのか気になるのだろう。


「五千万ギルだ」

「……五千……万ギル⁉︎」


――ガタンッ!


 驚きのあまりのけぞったジャンはそのまま後ろに椅子ごと倒れ込み、薄っぺらい敷物だけが敷かれた木の床にしこたま身体をぶちつけた。


「……いってー。五千万ギルって、正気か?」

「正気だよ。それほどお嬢様たちは人魚の呪いってやつに困ってるらしいな。俺らだって五千万ギルあれば助かるだろ?」

「まあ、未熟な奴らが無理してまでしなくても良くなるわな」


 彼らには何やら秘密の仕事があるらしい。

 

 最近では集落のまだ未熟な者が無理をして仕事をすることもあったから、それをさせない為にも五千万ギルという大金は彼らにとって有難いものであった。


「とにかく、形だけ嫁さん迎えるからこの家のこととか準備しておいてくれ。俺はそういうの分かんねえから頼んだぞ」

「まあ、そういうことならまかせておけ」


 こうして、キリアンの方も何だかんだと言ってもジュリエットを迎え入れる準備をするのであった。


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