第2話 真実の愛探しの始まりですわ


 自室へと戻ったジュリエットは、幼い頃から世話をしてくれる家族のように親しい壮年の侍女であるマーサに早速伯爵からの言葉を伝えた。


 そして初めてお忍びで出掛けるための支度を頼んだのだった。

 突然決まったことでお忍び用の衣装は持っていなかったので、背格好の似た侍女の中から良さそうなワンピースを借りることができた。


「マーサ、人魚の呪いは私が生まれる前にかけられたのよね?」


 ジュリエットは今着ている令嬢らしいドレスを脱がせるマーサに尋ねた。


「その通りでございます。奥様がお嬢様を身篭っていらっしゃる時に、人魚が奥様のお腹の中のお嬢様へと呪いをかけたのです」

「その人魚はお父様に失恋された方だったのよね? それで怒り狂った人魚は呪いをかけて、邸の庭の池に飛び込み煌めく泡となって消えたと聞いたわ」


 それは幼い頃から言い聞かされてきたことであった。


 伯爵は夫人と婚約する前に、別の新興貴族の令嬢との婚約話が持ち上がっていたのだ。

 その令嬢とは完全なる政略結婚になる予定で、当時まだ伯爵令息だった伯爵はその令嬢に対して特に愛情などは持てなかったが、令嬢の方は伯爵に会ってすぐに心を奪われていつの間にか深く愛していたのだった。


 しかしその令嬢と正式な婚約を結ぶ前に、現伯爵夫人であるジュリエットの母との婚約が電光石火で決まってしまった。


 突然の失恋に令嬢は怒り狂い、婚姻後に夫人が懐妊したと知るやこの邸に現れて美しい真珠をポロポロとまなこから零しながら呪いの言葉を浴びせたのだった。


『お前のその腹の中の子が十八になるまでに真実の愛を見つけ婚姻を結ぶ事ができなければ、その子は人魚病となりやがてその苦痛から息絶えるだろう』と。



 そう吐き捨てた令嬢は庭にある池に飛び込んで泡となって消えた。


 伯爵が後に知ったことだがその新興貴族の令嬢は実は人魚の一族で、その涙はこの国の特産品でもある貴重な真珠に変わるという。

 その貴重な真珠を国に売ることで莫大な富と地位を得て、人魚の一族は新興貴族となったというのだ。


 人魚の一族を貴族に据えたなどとは国家の重要な機密であり、高価な特産品の真珠を生み出す人魚一族の存在はそれほどこの国にとっては重要なものであったのだ。


 先代の伯爵は国の中枢で長らく勤めていたからその事実を知っていたが、息子である伯爵が心に決めた相手が他にいるのならばと人魚の一族との婚約話は令嬢の父親との話し合いによって白紙にしたのだ。


 それがまさかこのような結末になるとは思わず、晩年も心を痛めていたと言う。


「私の呪いはきっと誰も悪くないのよ。お祖父様も、お父様もましてやお母様も。そして、その人魚の令嬢だってお父様に失恋したことがとても悲しくてした事よ」


 ジュリエットは箱入り娘ではあるが決して性格が悪く我儘なわけではない。


 伯爵夫婦が娘をとても大切に育ててきたせいで生粋の深窓の令嬢であり、少しばかり変わった性格の持ち主ではあったが。


「それに、私もしかしたら街で真実の愛を見つけられてそのまま市井に下ることになるかも知れないでしょう。市井の暮らしぶりがどんなものなのか、私はあまり知らないけれど。新しい事に出会えることはとても楽しみなのよ」

「お嬢様はそうおっしゃいますが、市井の暮らしぶりというのはそう楽しいことばかりではないのですよ。生粋の貴族であるお嬢様に耐えられるかどうか……」

「その時はその時よ。私はやれるだけのことをするわ」


 マーサはあの伯爵が蝶よ花よと育てた娘を何処の馬の骨か分からないような平民の男に与えるなど、想像がつかない事であった。

 しかし実際に呪いの期限は迫っていることから、それもむを得ない事なのかも知れないと納得したのだった。


「さあ、お嬢様。出来ましたよ。これでどこからどう見ても町娘です」


 鏡の中のジュリエットはローズピンクの長い髪を丁寧に編み込んで頭巾を被っている。

 庶民の着るワンピースとベストを身につけて完璧なお忍びスタイルとなった。


「まあ、素敵。市井ではこのような洋服を身につけるのね。動きやすいし楽だわ」


 ジュリエットは物珍しさも相まって、クルクルと室内で回ってみせた。


「お嬢様、それでもお気をつけくださいね。市井では様々な危険がありますからね。誤っておかしな輩と関わったりしませんように」

「あら、どうして?このように完璧な変装ならば皆私を町娘と思って、わざわざ話しかけたりしないわ」

「お嬢様の普段の振る舞いではいっぺんに貴族だと知れてしまいますからね。それにお嬢様のその美しさは変装くらいでは隠せないものですよ。いくら隠れて護衛がついているとはいえ、悪い輩に絡まれても大変です」


 うーん……と首を傾げて人差し指を顎に当て、考える素振りをしたジュリエットは大きく頷く。


「分かったわ。周りをよく見て同じように振る舞うから大丈夫よ。こんな機会は滅多にないのですもの。どうせならば楽しまないと!」


 元々破天荒なところのあるジュリエットはお忍びのお出かけに一種の恍惚状態となっているようだが、その様子に眉を顰めたマーサは不安を覚えるのであった。


「マーサ、お土産を買ってくるわ! 何が良い? 私一人で市井でのお買い物は初めてですもの。記念になるような何かを買ってくるわ」

「お嬢様、そのようなことは考えなくとも良いのですよ。それに、お買い物が第一の目的ではないのですからね。何卒ご無事にお戻りください」

「心配いらないわ。護衛もついてくるし、街の様子は馬車の中からなら見たこともあるもの」


 もはや買い物が主だった目的となりつつあるが、あくまでも婚約者を見つけるお出かけなのである。

 ジュリエットは世間知らずなところがあり、マーサはそこのところが非常に心配であった。


――コンコンコン……


「お嬢様、馬車の支度が出来ました。街の近くまでお送りいたします」


 家令のダグラスが声をかけてきたことで、ジュリエットとマーサは伯爵邸の玄関まで向かうことにした。


 玄関先には伯爵夫婦と弟のマルセルが立っており、ジュリエットの『初めてのお買い物』もとい『婚約者探し』への見送りを行った。


「いいかジュリエット、きっと街にはお前の言う王子のような理想の相手がいるはずだ」

「はい、お父様」


 ジュリエットは父の預言めいた言葉にも、浮き足立った気持ちが勝ってよく聞きもせずにさっさと返事をした。


「ジュリエット、気をつけてね。何かあればすぐに帰るのよ」

「姉上、お気をつけて」


 夫人も弟マルセルも真実の愛をを探しに出かけるジュリエットを心配そうに見つめていたが、かと言ってどうすることもできないのだからと引き止めようとはしなかった。

 

「行って参りますわ」


 ジュリエットと護衛を乗せた馬車は街の側迄走り、そこからは徒歩で街へと入ることになっている。


 道中の馬車から見える風景は、あまり邸の外に出ないジュリエットからすればとても興味深いものばかりであった。




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