第66話 私のために美しい白いお花を摘んでくださる貴方


 身籠みごもったジュリエットに、キリアンは過保護が過ぎるほどに世話を焼いた。


「おい、具合が悪いなら仕事は休んだらどうだ?」

「大丈夫ですわよ。ただの悪阻つわりですもの」

「だが顔色が良くないぞ。いや、やっぱり休め。今日はアンに俺が伝えてくるから」

「もう、大丈夫ですのに」

「お前はそう言いながらも大丈夫じゃないことが多いからな。とにかく今日はゆっくり休んどけ」

「分かりました。ではアンさんによろしくお伝えくださいね」


 ジュリエットが起きる前からさっさと朝食の準備を済ませてしまったキリアンは、悪阻中のジュリエットが食べられる好物ばかりを揃えている。

 今日はゆっくりしておくようにと念入りに伝えて、仕事に出掛けて行った。


 ぐるり部屋を見渡せば、妊娠中で足元が不安定なジュリエットの為にそこら中に手すりを付けたのもキリアンで、子が産まれたら危ないからと家具の角を削ったのもキリアンである。

 キリアンが過保護にするから、ジュリエットのお腹の中の子は順調に大きくなっている。

 華奢なジュリエットに対して、あんまり子が大きくなり過ぎると難産になるからと産婆に注意されたほどである。


 妊娠が順調に進んで腹も大きくなった頃には、口うるさいキリアンが仕事で居ないうちにとジュリエットは集落の中を散歩したりするようになった。


「ジュリエット、お腹が随分と大きくなったねえ」

「もうすぐ生まれるね」


 ジュリエットを見かけた集落の人々は、皆優しく声を掛ける。


「キリアン様には内緒にしてくださいね。私が出掛けると心配し過ぎて口うるさいの」


 そうジュリエットが言った時に、どこからか走って来て息を切らしたジャンが現れた。

 ジュリエットは驚いてジャンの背中をさすってやった。


「はぁはぁ……、お嬢……頼むからっ、家で居てよ。キリアンが心配して仕事になんねぇんだよ」

「え? キリアン様が?」

「はあー……。そう。『ジュリエットがどこかに出掛けてるかも知れない』『体調が悪くなってるかも知れない』って言って僕にこっそり見て来いって言うんだよ……」

「まあ、そうだったの。ごめんなさいね、ジャン。もう帰るからキリアン様には内緒にしておいてね」

「分かった……っと、ごめんお嬢……内緒は無理みたい」


 ジュリエットがジャンの視線の先を追って振り向けば、そこには心配そうな顔をした腕を組んでキリアンが立っていた。


「ジュリエット、出掛けるなら俺がいる時にしろよ。転んだりしたらどうすんだ?」

「ごめんなさい、キリアン様。お仕事が忙しいと思って……」


 呆れたように、それでも心配を含んだ声音で話すキリアンにジュリエットはこそばゆい思いをしながら答えた。

 いつの間にこの旦那様はこうまで自分に甘くなったのかと、ジュリエットは思わず笑みを零した。


「ジャン……、俺暫く仕事休むわ。生まれるまでもうあと二週間くらいだし。俺は暫く居ないと思ってくれ」

「へ? そんなことってありなの?」

「ジュリエットは破天荒な奴だから心配だ。無事生まれるまでそばにいてやりたい」


 いつの間にかジュリエットの隣に立って手を握ったキリアンは、そのまま手を引いて歩く。


「分かったよ……。僕に子どもができた時にも頼むよ」

「まずは嫁を探せ」

「うっ……! 分かってるよ!」


 少し悔しそうなジャンを残して、キリアンはジュリエットの手を引いて家へと向かう。


「ごめんなさい。産婆さんがね、少し歩きなさいって言うから」

「……どこか行きたいところがあったのか?」

「子どもたちがね、綺麗なお花が咲いている場所があるよって教えてくれたから……」


 ジュリエットから話を聞いたキリアンは、花が咲いているという場所へと手を繋いだままで向かった。


 着いた場所は集落の外れで、森の木々が開けた場所一面に真っ白な花が咲き誇っている。

 野花の可憐さは、作られた庭園では見られない自然な形で木々の緑と調和している。


「とても可愛らしいお花ですわね」


 ジュリエットはゆっくりとしゃがんで花を摘み取ろうとしたが、大きくなったお腹では難しい。


「待て、俺が……」

「ふふっ、それではお願いします」


 白か可憐な野花を数本摘み取ったキリアンは、それを無造作に整えてジュリエットへ手渡す。


「ほら、これでいいか?」

「ありがとうございます。とても綺麗。私、お花が好きで以前は庭に咲いた花々を毎日部屋に飾っていましたのよ」


 嬉しそうに花の匂いを嗅ぐジュリエットは、ふわらりと風にそのローズピンクの髪を靡かせて笑う。

 キリアンはもうすぐ母となる妻の表情が時折とても美しいと感じたが、それを口にすることはなかった。

 そんな時はただじっと、熱っぽい視線を向けるのであった。

 

 それから毎日、夫婦の家には白い花が飾られている。

 キリアンはそれについて何も触れないが、古くなる前に必ず新しい花が花瓶に生けられているのだ。

 とても無造作な飾り方だけれど、ジュリエットはそれを見るたびに幸せそうに微笑んだ。

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