第58話 なんだよ、これがそうなのか


 キリアンがジュリエットの顔をよく見れば、こめかみに煌めくものが見える。

 手を伸ばしてローズピンクの髪をかき上げると、左こめかみに虹色に煌めく鱗が少し。


「ごめんなさい、キリアン様……。呪いは解けていなかったのです。少しずつ身体が変化していたことを、隠していてごめんなさい」

「まさか……。なんで言わねえんだ⁉︎」

「いつか貴方に愛してもらえると信じて頑張っていたつもりだったのです……。誕生日までにはきっと……」


 キリアンは初めてジュリエットの状況を理解した。

 自分が頑なに拒絶したばかりに、ジュリエットは呪いを受けたままだったのだ。

 婚姻さえ結べば良いのだと皆が思い込んでいたとはいえ、ジュリエットの気持ちをえて受け入れないように努力していた節もあった。


 時々感情が湧き上がってきても、誤魔化すことで自分の気持ちに気づかないふりをした。


「俺は……」


 その時廊下をドタバタと近づいて来る足音が聞こえ、キリアンはジュリエットを背に庇い扉の方へと目を向けた。


「キリアン! お嬢は?」


 現れたのは誰かの返り血をそこかしこに浴びたジャンだった。

 手には大きな斧と剣を持っている。

 キリアンはホッと息を吐き、肩の力を抜いて答える。


「ジャン、大丈夫だ。ここに……」


 ジャンはキリアンの言葉もそこそこに、ズカズカと部屋を進んでキリアンの後ろに隠されたジュリエットの全身を確認する。


「お嬢! 良かった! あのピエールとかいう奴を脅して枷を付けてることは聞いたんだけど、鍵は見つからなくて。とりあえずこれで断ち切ろう」


 手に持ったのは頑丈そうな斧だった。


「ジャン……お前、それで鎖を切るつもりか?」

「だってそれしかないだろ? 流石におもりをつけたままじゃ走れないし……」

「……俺がやる」


 ジュリエットを床に下ろして鎖を伸ばし、ジャンがジュリエットを破片から守るように立った。

 キリアンは斧を振り下ろして鎖を断ち切った。


「こんなに鎖を残して重くないの?」

「んなこと言ったって、あんまり近くで切るなんて危ねぇだろうが!」


 キリアンとジャンはいつものようにギャーギャーと言い合って、そのうちキリアンはジュリエットを軽々と横抱きにした。


 枷と鎖は付いたままで少し足は重いが、そのままキリアンはジュリエットを抱いて部屋を出た。

 ジャンは何故かニヤニヤと笑みを浮かべてついて来る。


 廊下にはうつ伏せに倒された従者達がいて、見ていられなくてジュリエットは目を背けた。


 邸の外からも多数の人々の声が聞こえて来る。

 ドタバタと大人数が遠くの廊下を走る音も聞こえる。


「お前の父親がここに乗り込んで来てる。今までグロセ伯爵家のしてきた悪どいことを明るみにする為にな」

「お父様が……」


 キリアンたちは途中で庭へ飛び出して、垣根に隠されるように取り付けられた裏口から外に出る。

 そこには見慣れた馬車が停まっていてキリアンと抱かれたままのジュリエットは乗り込んだ。

 ジャンはいつも通りに御者席に乗って、馬車は裏道を走って行く。


 ガタガタと激しく揺れる馬車の中で、キリアンに抱かれたままのジュリエットは疲労と安心感からスウッと抗えない眠気に襲われて、やがて深い眠りについた。


 キリアンは腕の中のジュリエットを見下ろして、その痩せた身体とところどころについた新旧の小さな傷、そしてこめかみの虹色に光る鱗へと目をやると大きく息を吐いた。


「悪かった……ほんとに……」


 羽のように軽い身体は確かに温かく、キリアンはもう自分の気持ちを隠すことはやめた。

 とっくに欠片かけらはあったのだ。

 この破天荒で、我儘で、それでも芯の強いお嬢様に惹かれているという欠片は。

 だが認めたくなかった。

 ジュリエットとは金の為に一緒にいるのだと自分に言い聞かせて、一体それが何の意味があったのか。

 今となっては単なる馬鹿馬鹿しい意地だったのかも知れない。

 

 貴族の令嬢に好き勝手されて、挙句その相手に好意を抱くなどと馬鹿馬鹿しいと。


 今までまともに誰かを愛したことなどなかったから、こんな時どうしたら良いか分からなかった。

 馬鹿正直に好きだという気持ちを常にぶつけて来るジュリエットのように自分は出来ないと諦めていたところもあったのかも知れない。


「なんだよ……、これがそうなのか」


 腕の中の存在が大切で愛しくて守りたい。


 居なくなった時の焦燥感。

 無事な姿を見つけた時の大きな安堵感は、今までに経験したことのない感情だった。


「くそ……っ! 知らなかったんだよ、こんなの。どうすりゃいいかなんて……」


 こめかみの煌めく鱗にそっと手で触れる。

 そうすれば、キリアンの胸は締め付けられるように痛んで苦しくなるのであった。











 


 

 

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