第4話  理不尽を強いていることはよく理解しておりますのよ


 ジュリエットがボンヤリと男から目を離せないでいると、その整った形の口からは遠慮のない言葉が飛び出した。


「おいあんた、お忍びで来てる貴族のお嬢様なんだろ。そんな町娘の格好に変装したくらいじゃバレバレだ。この悪どい親父さんに足元見られてるぞ」

「キリアン……そりゃないぜ」


 商人はそう言って儲け話をふいにしたことにガックリと肩を落とすと同時に、チラリとジュリエットを盗み見た。


「まあ、そうでしたのね」

「親父さん、これ千ギルくらいなもんだろ? 流石に五万ギルは言い過ぎだ」


 男が商人に何やら話をしているが、ジュリエットはそれどころではなかった。

 そのアメジストのようだと言われる美しい色彩の紫目を潤ませて、頬を染めてじっと熱烈な視線を男に向けていた。


「あの、お名前はキリアン様……とおっしゃるの?」

「は? キリアン、様? まあ、そうだが」


 それまで商人と話をしていたキリアンはやっと隣の令嬢が自分をじっと見ていたことに気づいた。


「キリアン様、困っていたところを助けていただきありがとう存じます」

「いや、別にあんた困ってなかったけどな。分かってなかったみたいだし」

「いいえ! 危うく騙されてしまうところを颯爽と助けていただきました」

「颯爽と? そんなことはないと思うが」


 何やらおかしな風向きになってきたのを感じ始めたのか、キリアンは怪訝そうな顔でジュリエットに目を向ける。


「私の名前はジュリエットと申しますのよ。ジュ、リ、エッ、ト。どうかそうお呼びになってくださいまし」


 そう言って町娘姿のジュリエットはキリアンに渾身のカーテシーで挨拶を行った。


「はぁ? ジュリエット?」

「はい、左様でございますわ! ああ、そのブローチは五万ギルで買いますから包んでくださいな。私が真実の愛を見つけられたほんの御礼ですわ」


 結局足元を見られたままの金額で買うと言うジュリエットに、思いがけない儲けとなった商人も間に入ったキリアンも呆然としている。


「真実の愛だと?」

「はい。私は貴方のことを愛してしまいましたの! どうか私と一緒に邸に来てくださいませ!」

「何を……、おい! やめろ!」


 どこからともなく屈強な護衛たちが現れて、背が高くそれなりに逞しいキリアンが逃げ出さないように両側からガッチリと掴んでいる。


「ま、毎度あり」

「おじさま、とても良い買い物ができましたわ。ありがとう存じます」


 未だ目の前で起こったことが理解しきれない様子の商人から包みを受け取ったジュリエットは、護衛たちに挟まれて馬車の方へと連れて行かれるキリアンへ声を掛ける。


「申し訳ありませんけれど、私にはのっぴきならない事情がありまして貴方を邸へとお連れしなければなりませんの」

「そんな勝手な事が許されるのかよ! クソっ! 慣れない人助けなんかするもんじゃねえな!」

「馬車の中で詳しい事情をお話いたしますから、とりあえず大人しくついてきてくださいませね」

「ついてこいって言ったって、この筋肉野郎どもに完全に引きずられて行ってる状態だがな!」


 離せと喚き逃れようとするキリアンを、筋肉隆々の護衛たちは難なく馬車へと連れ帰った。


 ジュリエットだって、見ず知らずの男に理不尽なことを強いていることは理解している。

 それでも、出会ってしまったのだ。


 もう出会えないかも知れないと諦めていた真実の愛に。


「それでは、こちらの事情をお話しいたしますわ」


 馬車に乗り込み、両脇を護衛で固められたキリアンはまるで罪人の護送のようであった。

 ジュリエットの言葉にもキリアンは憮然とした表情で鋭い視線を向ける。


「実は、私には人魚の呪いがかけられていますの。それで、期限までに真実の愛を見つけて婚姻を結ぶ必要がありましたのよ。そして、キリアン様こそ私の真実の愛の相手なのですわ」

「……あんたら貴族は、自分が助かる為ならば俺みたいな平民の事情は関係ねえのかよ。俺からすればあんたの呪いのことなんか知ったこっちゃねぇんだがな」


 怒るキリアンに対して、全くその通りだというようにジュリエットは大きく頷く。


「まあ、そうですわね。そのように思われても仕方のないことですわ。それでも、私は貴方のことを一目で愛してしまったのです。どうか私と婚姻を結んでくださいませ」


 故意にひどく冷たい声音で返事をしようが、全く意に介さない様子のジュリエットにキリアンは信じられないものを見るように瞠目して問うた。


「あんた、俺の話聞いてたか?」

「ええ、しっかりと」

「それじゃあ何でそうなるんだ?」

「私がキリアン様を愛してしまったからですわ」


 とうとうキリアンは頭を抱えて唸った。


 この荒唐無稽なことを平然と言ってのける令嬢は、果たして自分と同じ人間なのかと疑っていたのだろう。


「婚姻を結ぼうと、すぐに私のことを愛して欲しいなどと言ったりもしませんわ。呪いはことで解けるのですから、貴方からの愛は必須ではないのです。でも後々愛してくだされば私はとても嬉しいですけれど」

「あんたは呪いが解けりゃあいいんだろうよ。で、巻き込まれた俺には何の利があるってんだ?」


 護衛たちに挟まれ、目の前のおかしな令嬢は出会ったばかりの自分への愛を抵抗なく語る。

 もはやキリアンは抵抗することを諦めて投げやりな様子で尋ねた。


「相応の御礼はいたしますわ。それでいかが?」

「……相応の御礼ね……」


 訳の分からない事態に巻き込まれて心身ともに疲れ切ったのか、一言呟きを落としただけでキリアンは邸に着くまで一言も口をきかなかった。


 

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