第12話  荷物が多ければ手放せば良いのです


 深い森の中の集落は、辿り着くまでの道幅が狭く直接馬車で行くことは出来ない。

 午後には最寄りの商業が盛んな街ティエリーに寄って一旦休憩を取ることとなった。

 このティエリーの街はジュリエットがキリアンと運命的な出会いを果たした街である。

 ジュリエットは感慨深い様子で馬車の窓から見える景色を見渡している。


「キリアン様、ここからは歩いてお家に向かうのですか?」

「俺たちの住むのは深い森の中だからな。途中から馬車では入れないような悪路を一時間は歩く」

「まあ、そんなに。それでは私のトランク三つを運ぶのは大変ですわよね? 少し整理しても?」


 そう言って街に着いてすぐにジュリエットは馬車の中でトランクを開け放ち、ドレスとまではいかないまでも華美なワンピースや装飾品、化粧品などを分別し始めた。


「あの、街でどなたかにこれをお譲りすることはできますの?」


 二つ並べたトランクを指差して、ジュリエットは馬車の外で待つキリアンとジャンに尋ねた。


「出来ないことはないが……必要なのはトランク一つでいいのか?」

「はい。大変な悪路を歩くのに三つは多すぎましたわ。そこまで考えが至らなかったことを反省しております。ですから、この二つの不用品をどなたかにお譲りしても?」


 キリアンは身だしなみを一番に大切にする貴族の令嬢がそのような提案をするなどとは思いもよらなかった為に、咄嗟に返事をすることができなかった。

 代わってジャンがジュリエットに向かって声を掛ける。


「お嬢、じゃあそいつらを早速売りに行こうか」

「はい! 参りましょう!」


 ジュリエットにとって二度目のティエリーの街はやはり活気があって、先日のように物珍しいものがあればつい目を奪われていた。

 今日も多くの出店が立ち並び、商人や客の活気ある声が行き交っている。

 異国の服を着たものたちも多いのは、ここが貿易の盛んな地だからか。


「これからは、私もここにいる皆さんの仲間入りですわね」


 そう言って明るく笑うジュリエットに、キリアンから話を聞いた時には一体どうなることかと心配したジャンも好感を持つのだった。


 キリアンは話し上手なジャンがジュリエットの相手をしているからか、あまり口数は多くなく楽しそうに歩くジュリエットとジャンの後ろを黙ってついて歩いた。


 そして街中の一つの商店の前に着いたとき、店先でうたた寝をする白髪で顔に深い皺の刻み込まれた女性にジャンが声を掛ける。


「おーい、エマ婆さん。買い取って欲しいもんがあるんだけど」


 皺の目立つ目元がピクピクと動き、やがて少し濁った色の目を開けた老女は嗄れた声で答えた。


「ジャンにキリアンか。今日は何だい? 珍しいね、に来るなんて」

「今日はこのご令嬢の不用品を買い取って貰いたくてね。なんと、このお嬢はキリアンの嫁さんなんだ!」


 ジャンが後ろ側からジュリエットの両肩を掴んでエマ婆さんと呼ばれた老女の方に突き出した。

 突然突き出されたジュリエットは少々驚いた顔をしたものの、すぐに美しい紫色の瞳を細めて笑顔になる。


「ごきげんよう。私はジュリエット・ド・メノー……いいえ、ジュリエットと申します」


 その場でカーテシーを披露しそうになったが、お辞儀に留めたジュリエットはエマ婆さんに向かってにっこりと微笑んだ。


「へえ。あのキリアンがこんなお嬢様を嫁に貰うなんてね。一体何があったんだい?」

「ただの成り行きだ。それより早く買い取ってくれ」


 腕を組み一人不機嫌な様子のキリアンは、ニヤリと笑うエマ婆さんを急かすのだった。




 査定を待つ間、ジュリエットはエマ婆さんの店先に並ぶ品々を物珍しそうに見ていた。

 並んでいるのは実に雑多な物たちで、装飾品から生活雑貨、何に使うか分からないような物まで様々な品揃えであった。


「ねえ、キリアン様。街には珍しい物がたくさんあるんですのね。このようなお品はどんな人が買うのかしら」

「エマ婆さんの店は品を売る気はない。ただ並べているだけだ」


 短いキリアンの答えをジュリエットは理解できず、コテンと首を傾げた。

 キリアンはそれ以上のことを話す気はないようで視線を逸らせた。

 その時、エマ婆さんが査定の終わりを告げた。


「何やら高価な品ばかりだったからね、全部で十万ギルでどうだい?」

「ではそれで良い……」


 ジュリエットが了承しようとしたところでキリアンがすかさず言葉を遮った。


「エマ婆さん、十万とはアコギだな。俺の嫁さんにそれはないだろう」


 突然のキリアンの言葉にジュリエットはハッとしてその横顔を見上げたが、それは自分の言葉を遮られたからではなく『俺の嫁』と宣言されたことに対する

喜びからくるものであった。

 パァーッと頬を染めて満面の笑みになるジュリエット。


「キリアン様!」

「や、やめろ! 離れろ!」


 嬉しさを爆発させたジュリエットは淑女らしさなど忘れて思い切りキリアンに飛びついた。

 近くにいるジャンは微笑ましいものを見るように、生暖かい目を向けている。

 グイッとジュリエットを引き剥がすようにしてからキリアンはエマ婆さんを睨んだ。


「そうさね、どうやらこの年寄りは目が悪くて良い品をいくつかつい見落としていたようだ。全部で三十万ギルでどうだい?」

「いいだろう。おい、あんたも簡単に人を信用するな。特に商人なんてやつは嘘をつくのが仕事みたいなもんだからな」


 子どもに言い聞かせるようにしてジュリエットに注意するキリアンの姿に、ジャンは含み笑いを隠せないでいた。


「失礼いたしました。これから肝に銘じますわ」


 ニコリと微笑むジュリエットは、市井のことを一つ知る度にとても嬉しそうにしている。

 そんなジュリエットをエマ婆さんは面白そうに見つめていた。


「じゃあこれはお嬢様に渡しゃいいんだね?」


 そう言って卓の上に置いたズッシリと金が入った袋を指し示した。

 ジュリエットは手を伸ばして袋を受け取ろうとしたがスイっと横からキリアンに取られてしまった。


「そんな重いもん、お嬢様のコイツが持てる訳ないだろう。エマ婆さん、またな」


 そう言ってキリアンは袋を持ったまま馬車の方へと戻っていくようだ。


「キリアン様、やはりお優しいわ!」

「いや、お嬢……もしかしたらキリアンはお嬢の金をネコババする気かもよ?」


 ジャンが細い目を眇めて去りゆくキリアンの背中を見つめている。

 エマ婆さんは骨張った身体を揺らしてフォッフォッと笑いを零した。


「たとえそれでも宜しいですわ。だって私はキリアン様の妻ですもの」


 そう言って左手に嵌められた銀の指輪をうっとりと見つめた。


「ほう……。アンタ面白いね。また来なよ」


 エマ婆さんの声かけに、ジュリエットはやはりニコリと幸せそうに笑ってジャンとともにキリアンを追いかけた。


「キリアンさまー! お待ちになって!」

「お嬢! 危ないよー!」


 


 






 


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