第2話 何も分かってない。

 翌日の昼休み。サロンでくつろいでいたライオスはマシューにこう告げた。


「実はマシュー。私は人の心が分かるんだ」

「はいはい。またその話ですか」

「相槌が雑過ぎるだろう」

「殿下が魔女族の技術を受け継いでいないのは存じておりますので」


 マシューの言葉にライオスが肩をすくめた。


「ああ、母上曰く、一族でそういう掟らしいからね」


 マシューが淹れてくれた紅茶からレモングラスの匂いがする。爽やかな香りが室内に広がり、ライオスは紅茶を口に運んだ。相変わらず、マシューが淹れる紅茶は美味しい。


「魔女から生まれる男は繊細さに欠け、物事に鈍感らしく、技術を習得したところでロクなことにならないらしいからな。まったく失礼な話だ」

「そうでなくても、本当に心が読めるなら、今頃『殿下は人の心が分からない』なんて言われないでしょう」

「何……?」


 それは聞き捨てならない。ライオスは仮にも王族だ。民の為にこの力を遺憾なく発揮したいと考えている。それなのに、人の心が分からないと言われているとは、なんと悲しきかな。

 ライオスはカップを置くと、優雅に足を組んだ。


「…………じゃあ、分かった。今、お前が私をどう思っているか当ててやろう」

「ご随意に」


 マシューをじっと見つめると、心の声は聞こえないものの彼の感情が伝わってくる。


(好意、尊敬の念、若干滲み出ている不安の感情はきっと私が心を読めると言ったのが原因だろうな……)


 従者のマシューは腹違いの兄より、ずっと近しい存在だった。

 そんな彼がライオスに対して好意や尊敬、そして心配する気持ちがあるということは、きっとこういうことだ。


「私のこと『大好き』って思っている」


 マシューの顔が一気に険しくなる。従者としてその顔はいかがなものだろうか。


「おい、顔」

「ホント……殿下のそういうところですよ……」

「ええぇ……?」


 彼が自分を嫌っていないことは十分過ぎるほど分かる。しかし、今にでも舌打ちをされそうな雰囲気は伝わってくる感情と矛盾していた。


(おかしいな。どうしてこうなるんだ?)


 彼の言動を理解できないライオスに、マシューはため息をこぼした。


「何度も申し上げますが、そういう発言はお控えください。殿下のこれからに響くのですよ?」

「これ以上、何に響くっていうんだ……」


 ライオスの立場は実に弱い。

 母の実家は魔女の一族のまとめ役であり、一応伯爵家である。爵位の中でも決して高い地位ではない。ましてやライオスの兄は現国王で、自分の一つ下には甥がいるのだ。たとえ、王家の血を継いでいても魔女の血を引いているライオスを持ち上げれば、あらぬ疑いがかけられる。


 そういう事情もあって、魔女が国家転覆を狙っているだの、リチャードが立太子式をする前にライオスが暗殺を企てているだのと根も葉もない噂がよく流れていた。こんなライオスの後見人となってくれたルルイエの父、ローウェン公爵には感謝しかない。現国王の親友だったとはいえ、懐の深い男である。


 現状、ライオスは卒業後にルルイエと結婚し、公爵家を興して与えられた領地に引きこもる予定である。ルルイエには弟がいるので、跡継ぎに心配はない。そう、実に平穏な未来である。


「もしかしたら、婚約者様を異母妹様に挿げ替えられるかもしれませんよ?」

「それは困るなぁ。私とルルイエは相思相愛の仲なのに」

「また軽口を……」

「本当のことだろ? その証拠にほら」


 ライオスの言葉の後すぐに、談話室の扉をノックされる。マシューがドアを開け、一瞬固まったのが遠目から分かった。


「あ、あのっ……殿下はいらっしゃるかしら……?」


 緊張交じりにそう告げたのは、愛しの婚約者ルルイエだ。

 ルルイエの登場にマシューは平静を装っているが、内心では驚いていることをライオスは分かっている。


「ローウェン公爵令嬢。主に何か御用でしょうか?」

「こ、これを……殿下にお渡ししたくて……」


 彼女がマシューに何を見せたのか、もちろんライオスには分かる。


(調理実習で作ったマフィンだ。知っている)


 この学校では、特別授業として使用人達の働きを体験する場が設けられている。調理に関してはさすがに刃物を使わず、クッキーやマフィンなど混ぜたり、デコレーションするものが多い。ちなみに焼くのは使用人達に任せる。


(彼女は朝から私に渡すために張り切っていたからな)


 彼女は『殿下に絶対にお渡しするの!』と心の中で意気込んでいたのだ。そんな健気な思いがライオスにとって嬉しいものだった。


「では中へ」


 マシューがそう促すと彼女の心に焦りと緊張の感情が見えた。これはまずいとライオスは静かに腰を上げる。


「いえ、わたくしはお渡しいただければそれだけで……」

「マシュー、何を突っ立ってる?」


 引き下がろうとするルルイエを逃さないために、ライオスはマシューの肩越しからにっこりと微笑みかけた。


「やあ、ルルイエ。君が私を訪ねてくれるなんて嬉しいな。もしかして、お昼のお誘い?」


 そういうと、彼女の頬が朱に染まる。しかし、ルルイエはすぐに淑女らしい笑みを浮かべた。彼女から威嚇に近い気迫が伝わってくる。


「いえ、そこまでお時間をいただくわけにはいきませんわ。ただ、こちらを殿下にお渡ししたく……」


 マシューは彼女から受け取っていたマフィンをこちらに渡す。チョコレート入りのマフィンはとても甘い匂いがし、ライオスは笑みを零した。


「これは?」

「調理実習で作りました。殿下の口に合うか……いえ、そもそも手作りを渡すことが失礼かもしれませんが……」

「そんなことないよ。とても美味しそう。そうだ、ルルイエ。よければ、一緒に食べないかい?」


 ライオスの誘いに、彼女が小さく驚いた。


「せっかく私のために作ってくれたんだ。私はすぐ君に感想を伝えたいし、食事でもなんでも君と共有できることがあると嬉しい」


 昨日は寂しさを伝えるためにストレートに感情を伝えすぎたかもしれない。少し回りくどい言い回しかもしれないが、昨日の反省を活かしてそう伝える。しかし、彼女から不思議な感情が伝わってきた。


『殿下は王族』→『手作り系のお菓子は食べてもらえない』→『でも、建前上、受け取ってはくれる(予想)』→『たとえ、食べてもらえなくても嬉しい』→『が、一緒に食べようと誘われている』→『素人の自分が作ったお菓子を一緒に食べる』→『(言葉にならない悲鳴と悶絶)』

「…………ルルイエ?」


 ライオスが心配になって声を掛けると、彼女はひったくるようにライオスからマフィンを取り上げた。


「も、もっと腕を磨いてから出直して参りますわーーーーーーーーーーーーっ!」

「え、ちょ、ルルイエっ⁉」


 彼女は駆け足とまではいかない、競歩で逃げ去っていく。あっという間に姿が見えなくなったのを見て、ライオスは内心で頭を抱えた。


(なぜこうなる……っ!)

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