第19話 城下の散策
「まあ、これが城下町なのですね!」
目をきらきらと輝かせてそう言ったのは、なんとか富裕層のお嬢さんに見えるようになったカレンだった。
物珍しそうに周囲を見回す彼女は、都会に初めて訪れた少女のようだ。
彼女の隣でヨルンが落ち着きなく姉の後をついてまわっているおかげで、かなり目立っている。
そんな二人の後ろをキャロラインと歩いているリチャードは、富裕層の坊ちゃんではなく、侍従の姿をしている。こんな格好をしているせいか、余計に幼い子どもを引率している気分だった。
「そんな興奮するようなことだろうか?」
「まあ、よろしいではありませんか」
声を押さえて笑ったキャロラインが、カレンとヨルンが店先で販売しているお菓子を見ているのに気付いた。
カレンに言われてか、ヨルンが小銭入れから硬貨を取り出そうとしているのを見て、リチャードはぎょっとする。
ヨルンが出した硬貨が金色だったのだ。
(金貨で払うな!)
リチャードは事前に調べていたので平民は金貨で買い物はしないと知っていたが、彼らと情報を共有するのを忘れていた。
「ちょ、まっ……!」
慌てて用意していた銅貨を出そうとするリチャードの横をキャロラインが通り過ぎる。
「あらあら、お嬢様、お坊ちゃん。ここは私がお支払いしますから」
穏やかな口調でカレンとヨルンにそう語り掛けたキャロラインは、小銭入れから銅貨を取り出した。
「こちらを四人分いただけますか?」
「はい、まいど」
代金を払って小さな包みに入ったお菓子を受け取ると、キャロラインがカレン達にお菓子を手渡していった。
「お嬢様、お坊ちゃん。お買い物はほどほどにしてくださいませ。お夕飯が食べられなくなったら困ります」
苦笑しながらキャロラインが言うと気まずい空気が流れる。留学生、それも公爵令嬢に支払わせたのだから、余計だろう。
そんな空気を感じ取ったキャロラインはくすくすと笑いながらカレンとヨルンに耳打ちをする。
「私が侍女としてついて歩くふりをするので、事前に決めていた場所まで連れて行ってくださいませ。お菓子はそのお礼だと思ってください」
カレンとヨルンは頷いて、事前にキャロラインが行きたいと決めていた店や広場などに向かって歩いた。
この並びだとキャロラインは完全に富裕層の子どもについて歩く侍女のようだ。
落ち着きのないリグレー姉弟とは違い、キャロラインは慣れ親しんだ場所を歩くような様子にリチャードは、申し訳なさが浮かんだ。
「世話役が至らないところばかりで申し訳ありません」
「いいえ、初めて訪れる場所に感激するのは仕方ありませんから」
笑って答えるキャロラインに、リチャードは少し意外なものを感じた。
当初リチャードはキャロラインがもっと苛烈な性格だと思っていた。エスメラルダを平手打ちし、さらには泣き出した彼女を放っておくほどである。リチャードも叱責されるのではないかと内心ひやひやしていた。
(思ったよりも穏やかな女性のようだ。それとも心に留めて置いているだけか? 基本的に表情が変わらないからよく分からん)
彼女のポーカーフェイスは何一つ感情を悟らせない完璧なもの。父のミカエルも感心しており、リチャードは己の至らなさを思い知った。
(一体どんな教育を受けていれば、あのように育つんだ?)
キャロラインの留学開始からまだ数日だが、キャロラインに欠点らしきものは見つからない。カレンに聞けば、授業も真面目に取り組んでいるようだ。
(品行方正で真面目。才色兼備の公爵令嬢。でも、なんで他国の城下町に興味をを?)
商店街を歩いている彼女は、店員の様子だけでなく、並んでいる野菜や果物、肉などをまじまじと見ている。正直、公爵令嬢が興味を向けるものとは思えない。
「ヨルン、ここで合ってるわね?」
「ええ、ここです」
前方を歩くリグレー姉弟が書店の前で足を止める。
ここはキャロラインが行きたいと言っていた城下町の書店の中で最も大きな店だ。
(大きな書店とは聞いていたが、いうほどではないな。こんな店で何を見るんだか)
四人が入店し、カレンとヨルンを放っておいて、キャロラインが新刊のコーナーへ向かう。
並んでいる本は娯楽から専門書、または実用書など様々なものが並んでおり、彼女は目を皿のようにして表紙を一つ一つ見つめていた。
「本が好きなのですか?」
「それもありますが、民達が何に関心を寄せているのか、どんな専門書が出ているのか、気になりまして」
「民が?」
「ええ。文化でも何でも、世情を知れば、民達の心に寄り添った統治ができるのではないかと思って」
「…………いつもですか?」
まるで本屋に通っているかのような言葉にリチャードが訊ねると、キャロラインは笑う。
「いつもじゃありませんが、馴染みの書店には声をかけていて新刊と売れ筋のタイトルを聞いていますね」
「まさか、商店街の様子を見ていたのも?」
「屋敷の仕入れ担当に伺えばいい話ですが。やっぱり人から話を聞くより、自分の目で確かめるのも大事ですから。今回の留学では、この国がどんな国で、民達はどんな様子なのか見てみたくなったので、こうして城下に行けるようにお願いしました」
エスメラルダの観光目的の留学とは違い、キャロラインの勤勉な姿勢にリチャードは気まずいものを感じた。
(さすがは王家の血を引く公爵家か……)
噂に違わぬキャロラインの人と成りは、リチャードの中で焦りを惨めさが募った。
「どうかされましたか?」
無言でいたのが気になったのか、そうキャロラインに声をかけられ、リチャードは小さく首を横に振った。
「いえ、貴方の勤勉さには驚かされるばかりです」
「まあ、からかわれてしまいましたわ」
おどけた口調で言ったキャロラインの言葉に棘はない。
くすくすと笑うキャロラインに、リチャードは首を横に振る。
「そんなまさか。ただ、貴方が羨ましいと思っただけで……」
リチャードがそう言った時、キャロラインが大きく目を見開いた。鉄仮面のように笑顔を崩さない彼女が見せた表情に、リチャードはぽかんとしてしまった時だった。
「な、なんですの、これは⁉」
何やら本棚を挟んだ向こう側が何やら騒がしい。よく聞けば、カレンが何か騒いでいるようだった。
「お嬢様、一体どうされたのですか?」
キャロラインがそう声をかけると、顔を真っ赤にしたカレンが驚いた形相で本を閉じた。
隣にいたヨルンも顔を真っ赤にしてこちらを凝視している。
「何があったんだ?」
「い、いいい、いえっ! なんでもございませんわ!」
「そ、そうです! なんでもありません!」
カレンはそう言うと、本を棚に戻してキャロラインの肩を掴んだ。
「貴方の用事も済んだかしら? もう店に出ましょう!」
「そうです! 出ましょう!」
「え、ちょっと!」
そのままキャロラインを押し出すように書店の出口まで連れて行くのを見送り、リチャードは棚に目を戻す。
(一体、何を読んでいたんだ?)
カレンが棚に戻した本を手に取ると、それは女性一番人気と書かれた小説だった。綺麗な表紙をしたそれは、タイトルから恋愛小説だということが分かる。
(一番人気の恋愛小説ねぇ……)
リチャードは鼻で笑い、棚に戻そうとした時、ふとキャロラインの言葉を思い出した。
(民の関心か……)
棚に戻そうとした手を引っ込め、レジに向かったのだった。
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