第20話 成長できない二人

 

 ルルイエとのデートから帰って来たライオスは、軽い足取りで王宮内を歩いていた。


(植物園楽しかったな~! 平日っていうのもあって客も少なかったし、ゆっくり出来た)


 感情が伝わってしまうライオスにとって、平日の植物園は居心地が良かった。見頃の花もじっくり楽しむこともできるし、何よりルルイエと穏やかに過ごせる。


(二人でお茶をする時間もいいけど、こうして出かけられるのも本当に嬉しいな……)


 卒業後はこれほどゆっくりできないのだ。今のうちに満喫しなければ。


(そういえば、リチャードの方はどうだっただろうか)


 彼らは城下へ散策に出かけていた。事前に留学中の予定を聞いた時はキャロラインが城下に興味を持っていたのは意外だったが、俗っぽい心の声を聞いた後では納得する。


(まさかこっそりロマンス小説を購入してたりしてな……)


 リチャードの他にカレンやヨルンがいるのでは購入が難しいかもしれないが、彼女ならやりそうだ。


(まあ、今日の会食はないから、あとでリチャードから彼女の様子でも聞いてみるか……お?)


 なんてタイミングだろうか。城下の散策からリチャードが帰ってきていたらしく、前方から歩いて来ていた。


「ああ、叔父上」


 ライオスに気付いたリチャードの表情がいつもより柔らかい。ライオスを見る目も険がとれて、伝わってくる感情もどこかリラックスしているような状態だ。


(ん? 何があった?)


 こうも敵意を向けてこないリチャードも珍しい。城下で何かいいことでもあったのだろうか。


「お前も帰ってきていたのか、我が甥よ。城下の散策はどうだった?」

「とても有意義なものでした。身分を離れて散策というのも面白いものですね。いい息抜きになりました」


 意外な返答に、ライオスは内心で感嘆とする。

 リチャードのことだから、キャロラインの世話だけでなく、リグレー姉弟の尻拭いにくたびれて帰ってくると思っていたのだ。


「へぇ。城下のどこを見てきたんだい?」

「主に商店街ですね。視察で赴いたことがありましたが、あの時とはまったく雰囲気が違って、普段の民達の様子をよく観察できたではないかと思います。それにかしずかれる立場と違って、買い物をするにも何をするにも人とのやり取りの距離感が近くて、温かみを感じられましたね」

(リチャードが…………成長しているだと⁉)


 まだ反抗期が抜け切れておらず、王族らしい傲慢さで幼い部分が見え隠れするリチャードが人の温かみを感じ取れるようになっているとは。


 ミカエルの言う通り、ライオスはリチャードに対する評価を改めなければならないようだ。


(まだ子どもだと思っていたけど、お前も成長していたんだな……ん?)


 リチャードが紙袋を小脇に抱えている。城下で買って来たものだろうか。

 ライオスの視線に気付いたリチャードが「ああ、これですか」と紙袋から一冊の本を取り出した。



「書店を見に行ったのですが、市井で今一番人気の恋愛小説らしいです」

(それは、ロマンス小説っ⁉)



 そう、つい数時間前までライオスも読んでいた王族がお忍びで城下へ行き、下町の女性に手を出して子どもまで作ってきてしまう……あれである。


(リチャードがそれを読むのか……リチャードは理想が高いというか少し潔癖というか、お子様なところがあるからな。『下品過ぎる。焚書だ』とか言い出さないかな)


 顔を真っ赤にして本を暖炉に放り込むリチャードの姿が容易に想像つき、ライオスは少し気まずくなる。


「フロイス公爵令嬢は民達の関心が何に向いているのか知れば、より良い統治ができるのではないかと考えているようでして。彼女の考えに感銘を受けて、一つ買ってみました」

(それ、自分がロマンス小説を買う為の口実だと思うな)


 華麗に言いくるめられている。おそらく彼女の人柄と腹芸の上手さが作用したのであろう。素直であることは彼の美徳だが、心配になる部分でもある。


(まあ、リチャードはもう十六だし、わざわざ止めることもないけど……確かリチャードって教育上、娯楽本に触れる機会はほとんどなかった気がするな)


 生まれながら国王になることを義務付けられているリチャードは、ライオスよりも徹底した英才教育を受けていた。大衆文学はほとんど読んだことはなかっただろう。そんな彼がまともに触れるのは初めてであろう娯楽小説がロマンス小説で良いのだろうか。


(つい一か月前までルルイエの異母妹に恋慕を抱いていたし、身分差恋愛に目覚めたらどうしよう……)

「叔父上?」


 リチャードの呼びかけで我に返り、ライオスはわざとらしく咳払いをした。


「我が甥よ。その本のあらすじをちゃんと確認してから購入したのか?」

「ああ、そういえばちゃんとは見ていませんでしたね。ざっと目を通してみるに平民の女性が主人公のようですが……戦争や胸が引き裂かれるような展開、叶わぬ恋というワードから考えると、悲恋、もしくは感動ものですかね?」

「そうかそうか……」


 ライオスは頷きながらも内心で頭を抱える。


(思ったのと違う展開や、好みじゃない結末の作品に当たるのも良い読書経験だと思うが……これはなぁ)


 素知らぬふりをするのは簡単だ。リチャードはライオスがすでにその本を読んでいることは知らないのだから。しかし、ライオスにも少なからず良心の呵責というものがある。


「叔父上、さっきからどうしたのですか? 何か悩んでいるようですが」

「いや、悩みってほどではないのだが……なぁ、我が甥よ」

「はい?」

「お前に恋愛はまだ早いと思うんだ」

「…………は?」


 リチャードから『何言ってんだコイツ』という怪訝な感情が流れ込んでくる。

 彼がそんな風に思うのも無理はないだろうと、ライオスは小さく首を横に振った。


「恋は人を成長させると言うが、ある程度の心身の成長があってから経験した方が実りのいい恋ができると思うのだよ」

「は、はぁ?」

「それに小説というものは読書を通して自己投影し、追体験をしたような感覚になるだろう? 現実とファンタジーの区別が出来た方が面白さも楽しみ方も変わってくると思うんだ。うん。そう。絶対にそう」


 ライオスが根拠のない持論をダラダラと並べ終えると、先ほどまで呆けていたリチャードの顔がなぜか引きつっていた。


(ん? なんだ?)


 穏やかだったリチャードの感情がさっと冷め切り、底からふつふつと沸きあがるものを感じる。自分の内側で何かを必死に鎮めているような、そんな感情だ。


「…………叔父上。たしか叔父上は婚約者殿が初恋だと仰っていましたね」


 顔をひきつらせたままリチャードに訊ねられ、ライオスは首を傾げた。

 彼はライオスの話を、特にルルイエに関するものはまともに聞きたがらない。いつも適当に聞き流していると思っていた事柄をリチャードが覚えていたことに驚く。


「ああ、そうだな。それがどうかしたか?」

「婚約者殿への恋心を自覚したのは、一体いつだったんですか?」

「八歳の時だけど?」


 間髪入れずに答えた瞬間、リチャードの怒りが音を立てて爆発する。火山から噴き出る溶岩の如く、彼の怒りの感情はライオスに降りかかった。



『ほっんとうに、お前はよぉ! 今のオレが八歳だった頃のお前の精神年齢に届かないってかぁ⁉』

(そんなこと言ったつもりはないが⁉)



 まずい。よく分からないが、リチャードを怒らせてしまったようだ。

 目の前にいる彼は顔をひきつらせた状態のままだが、額にははっきりと青筋が浮かんでいた。


「待て、リチャード! なぜ怒る⁉」

「いいえ、叔父上。オレは何も怒っていませんが」


 感情を必死に抑えているせいか、彼の声は地を這うように低い。これで怒っていないというには無理があるだろう。


「今日の外出に関して父上に報告があるので、ここで失礼します」

「え。おい、リチャード!」


 ライオスの制止も聞かずにリチャードは足早にこの場を去っていく。あっという間にリチャードの背中は見えなくなり、ライオスは静かに頭を抱える。


(どうしてこうなった……)


 その後、外出の報告としてミカエルの執務室に呼び出されたライオスが、リチャードのことで小言を言われるのはこの数時間後のことである。


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2024年12月19日 05:00
2024年12月20日 05:00
2024年12月21日 05:00

心が読める王弟殿下は人の心が分からない。 こふる/すずきこふる @kofuru-01

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