2章

第7話 ルルイエの決意

 

「テレサ、わたくし考えましたの」


 ローウェル公爵家の長女、ルルイエは唐突にそう口を開いた。

 幼い頃からルルイエに仕えている侍女、テレサはカモミールティーを淹れる片手間に相槌を打つ。


「何を考えたのですか?」

「わたくしとライオス殿下が婚約して、八年の時が経とうとしています」


 ルルイエの婚約者、ライオスはこの国の王弟だ。特殊な出自からルルイエの父親が後見人となり、婚約が成立したのである。


「そして、来年の春に学園を卒業すれば、殿下とけ、け、結婚、するでしょう」

「はい、大変喜ばしいことですね」


 ルルイエの前にカモミールティーが置かれ、一度それを口に運ぶ。甘い香りがルルイエの緊張をほぐし、ほっと息をついた。


「でも、気づいてしまったのです。わたくし達は婚約者同士ですが、決して恋結ばれた関係ではありません」

「はあ……?」


 気の抜けたテレサの返事を気にすることなく、ルルイエはさらに言葉を続けた。


「わたくし、殿下のことを心からお慕いしています。殿下はいつもわたくしに好意を伝えてくださいますが、きっとそれは婚約者としてお世辞。あの方はお茶目なところもあるので、きっとわたくしをからかう、戯れのようなものかもしれません」


 七歳の時にライオスと出会ってから、ルルイエはライオスと交流を深め、良き婚約者になれるよう努めてきた。そして、ライオスはとても温厚で優しい人柄だ。


 ルルイエがプレゼントをなかなか渡せず、無言になってしまった時、ライオスは優しく見守ってくれる。彼への恋を自覚し、恥ずかしさのあまり逃げてしまったとしても、彼は変わらず接してくれた。またルルイエに突然、血が半分しか繋がっていない妹ができた時も、彼は親身になって悩みを聞いてくれた。


 きっとそうしてくれたもの、ルルイエが彼の婚約者で優しい人だからなのだ。その反面、彼のお茶目な性格も十分理解している。特に彼の甥であるリチャードの前では、敢えて冗談を口にすることもあるのだ。


「なので、私は考えました。この残り僅かな学生のうちに、ライオス殿下に想いを告げ、真の恋仲になるのだと!」

「お嬢様……っ!」


 ルルイエの決意に、テレサが感極まった様子で目を潤ませる。


「私、お嬢様を応援します!」

「ありがとう、テレサ。わたくし、頑張りますわ。ま、まずは……殿下にわたくしを意識していただかなくては!」


 ライオスとはすでに婚約者同士。八年近い時間を共に過ごしており、ルルイエを意識してもらうように動くのは遅すぎるかもしれない。しかし、長い時間を共に過ごしたからこそ、相手のことを良く知り、逢瀬の機会はいくらでもある。


 ただ問題があるとすれば、ルルイエは恋愛初心者であり、恥ずかしがり屋だ。ライオスの宝石のようなオッドアイに見つめられると、恥ずかしさのあまりこのまま身体が溶けてしまうのではないかと錯覚するほど。


「世の恋人達は一体どんなプロセスを踏んで成就に至っているのかしら……」


 こればかりは未知の領域だ。誰かに聞くにも下世話ではないかという躊躇ためらいもあった。ルルイエには恋人と婚約している異母妹がいる。以前に比べ姉妹らしくなってきたとはいえ、この手の話題を振る勇気はない。


 ルルイエはふと、同級生達の間で話題になっている本の存在を思い出した。


(そういえば、クラスの女の子達が大衆向けの恋愛小説を読み回していたような。確か、ロマンス小説というのだったかしら?)


 それは市井で話題となっている新ジャンル小説で、人の恋愛模様を描いた創作らしい。しかし、年頃の娘を持つ貴族の家では読むのを禁じているところが多いらしく、女子生徒達が教室でこっそり読み回ししているのをルルイエは何度か目撃したことがあった。


(我が家は大衆向けの本を禁じていないけれど、ロマンス小説は読んでも大丈夫かしら……?)


 時折家族と読んだ本について語ることがあるが、ロマンス小説の話題は上がったことがない。おそらく父や母はロマンス小説の存在すら知らない可能性があった。


「テレサ。貴女、ロマンス小説なるものをご存じ?」

「ロマンス小説ですか? 読んだことはないですが、他家の使用人達の間で流行っていると耳にしたことがありますね。あとはご令嬢が隠れて読んでいたのがバレて、旦那様に怒られたとか……」


 どうやら、本当に読むのを禁じている家もあるようだ。長年我が家に仕えているテレサも読んだことがないのなら、ルルイエも判断しづらい。


「我が家でそれを読んだら、お父様は怒るかしら……?」


 ルルイエがそう口にすると、テレサは目を丸くする。


「お嬢様……?」

「べ、別に疾しい気持ちがあるとかではなく! 周りがどういった恋愛をしているのか気になって……! でも、人様の恋愛事情を根掘り葉掘り聞くのは、はしたない行為なのではという気持ちもあって! それならまずは小説からと……! も、もちろん、創作だと理解しています!」


 必死に弁明しているうちにルルイエの頬は熱を帯びていく。言い終えた頃には、きっと自分の顔は真っ赤になっているだろう。


(なんでこんなに必死になっているのかしら。まるで言い訳を並べている子どもみたいで恥ずかしい……!)

「お嬢様」


 テレサがルルイエの肩に手を置いた。


「このテレサにお任せください。お嬢様の恋愛成就のため、必ずやロマンス小説を入手してきます!」

「テレサ……!」


 こうして、ルルイエはテレサの協力によってロマンス小説を手に入れた。


 なんでも、巷で一番人気の作家らしい。


 皆が寝静まった夜、ルルイエはこっそり明かりをつけて、ロマンス小説を開いた。

 一ページ、ニページと読み進めているうちに、ルルイエの頬は徐々に熱を帯びていく。



「は、は、はっ、破廉恥はれんちですわーーーーーーーーーーーーーっ!」


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