心が読める王弟殿下は人の心が分からない。
こふる/すずきこふる
1章
第1話 王弟 ライオス
国立フェリス学園。そこは十二歳になる年から十七歳までの貴族の子息息女が通う名門校だ。
男子は家名に相応しい紳士になるため、女子は将来、夫を支えるため良妻賢母になるべく教育を受ける。
しかし、その実情は社会に出た時の予行練習に過ぎない。男子は他の貴族との繋がりを作り、女子は良い嫁ぎ先を探す。授業も社交界デビューに向けてのマナーやダンスも組み込まれている。
各々の生徒がそうした事情を抱えている中で、ただ一人だけ変わった事情を持つ者がいた。
「ライオス殿下、まだ見ていらっしゃるのですか?」
「いいじゃないか、マシュー。もう少しぐらい休ませてくれ」
別棟にある王族や公爵家専用サロンに二人の少年がいた。一人は窓際のソファに座る白金髪の少年。紫色と青色のオッドアイはずっと窓の外に向けられている。
「婚約者様の様子を眺めるのがそんなに楽しいですか?」
自分の従者であるマシューに呆れた口調で尋ねられ、ライオスはにっこりと微笑んだ。
「もちろん。ほら、お前も見てごらんよ。今日も可愛いよ」
そう言って無邪気に外を指さすライオスは、この国の現国王陛下の末弟だ。
陛下とは二回り近く歳が離れており、すでに世継ぎもいる。権力争いからすでにはずれており、重圧が少ないため自由奔放に育った。温厚かつ気さくな性格は王族としていかがなものかとマシューは常に頭を悩ませていた。この覗き見みたいな行為も悩みの一つだった。
「いいえ、遠慮しておきま……」
「まったく、何をなさっていますの!」
少女の怒号が二階にあるサロンまで届いた。
この学園は未来の紳士淑女を育てるためにある。本来であれば、感情的に声を荒らげることはあってはならない。さすがのマシューも外に目を向けると、中庭に女子生徒達が集まっている。
「貴女、この学園に通う意味を分かっていましてっ⁉」
声を荒らげるのは、癖の強い金髪を豪奢なリボンでまとめている少女。ライオスの婚約者、公爵令嬢ルルイエ・ローウェンである。
彼女は学友達を引きつれて、一人の少女に言い募っているようだった。
「は……はい」
「いいえ、分かっていません。この学園の女子生徒は良妻賢母の淑女を育てるためにあるのです。貴女の言動はそれに反しています!」
「そ、そんな……っ! わ、私は私なりに……頑張っているつもりで……」
責め立てられている少女はオリーブ色の瞳に涙を浮かべ、小さく俯いていた。
「努力をなさっているならなおのこと、身の程を弁えなさい! 貴女は平民育ちなのですから!」
「は、はい……」
怯えて小さく礼をとるのは、ルルイエの異母妹だった。名前はヴィオという。なんでも公爵家の落胤だったことが発覚し、去年引き取られたらしい。それからというものライオスがルルイエをお茶に誘うと、彼女は必ず自分の異母妹の話ばかりする。
ライオスは婚約者が妹を叱る様子を楽し気に見つめていた。
「見てご覧、マシュー。彼女、目がキツいことを気にしているのに、あんなに目を吊り上げちゃって……本当にかわいいね」
「お止めにならないのですか?」
「必要ないよ。なぜなら──……」
ライオスは言葉を切ると、たった一言「まずいな」と呟いて立ち上がる。
「殿下、どちらへ」
「彼女の所へ。困った子の姿が見えたからね……」
サロンから出て階段を降りれば、現場はすぐだ。マシューが「では……」とライオスの為にサロンのドアを開けた時、ライオスは目の前の窓を開けた。そして、躊躇なく窓から飛び降りた。背後でマシューが悲鳴を上げていたが、そんなことは知ったことではない。
衝撃を和らげるように着地すると、簡単に汚れを払い落として彼女達の下へ向かった。
「そうですわ! ルルイエ様の言う通りです!」
聞こえてきた声はルルイエの後ろに控えていた令嬢のものだった。ルルイエがはっきりと不満を言ったことで、ここぞとばかりに追撃する。
「無邪気に振舞っているおつもりでしょうけど、無邪気と奔放は違いますわ!」
「その通りです! この前だってルルイエ様に注意されたというのに婚約者のいる殿方とお茶をしていたのですよ!」
「まあ! なんてこと、きっと婚約者のご令嬢は深く心を痛められたでしょうに……」
「皆さま、静粛に!」
背後で白熱しかけているところをルルイエが一喝する。
「わたくしは今、姉として妹を叱責しているのです! 彼女に不満があるなら、この場にいない者の気持ちを考えた言葉ではなく、ご自身の言葉でお伝えなさい!」
その言葉を聞いてライオスの口元が緩んだ。
(本当に優しいな……)
異母妹への文句も友人達が「他の人が迷惑をしている」と主張するのに対して、他者の感情を代弁するような真似を彼女はしない。いつも真っすぐに自分が思ったことを自分の言葉で口にする。
何より彼女は、貴族の慣習に疎く、異性に気安くしてしまう異母妹をただ心配しているのだ。突然できた妹に困惑しつつも懸命に良き姉になろうと努めている。ライオスの目にはそれがはっきりと見えていた。
(もっと素直になっていいのに)
ルルイエは説教に夢中になっているが、彼女の友人達はこちらに気付き、ぎょっと目を剥く。ルルイエの肩越しにいる異母妹も気づいたようだ。ライオスはそっと口の前に指を立てた。
「良いですか、ヴィオ。貴女は平民育ちではありますが、公爵家の血を引いています。爵位を手に入れたばかりの家とはわけが違います。道理を分かっていなければ、必ず貴女を利用し、陥れる者が現れます。だからこそ、自分の立場を理解し、言動に気をつけ……ヴィオ、聞いているのですか?」
「やあ、ルルイエ」
「――っ⁉」
ばっと振り返った彼女が声にならない悲鳴を上げた。
その驚いた表情は淑女とは到底思えないもので、ライオスの笑みが深くなる。
「今日も元気がいいね、私の可愛い婚約者さん」
「ら、ライオス殿下! な、なぜここに⁉」
「最近、君が異母妹を構ってばかりで寂しくてね。甘えたくなったのさ」
「な、なな、ななななっ⁉」
彼女の頬がみるみると赤くなっていく。ライオスの言葉には偽りはない。彼女は異母妹のことを気にかけていているため、ライオスのことが若干おざなりになっている。彼女を異母妹から引き離すのにちょうどいい理由だ。
そっと彼女の髪をすくって指に絡めると、ルルイエは少しだけ身を引く。しかし、そこで負けるライオスではない。
「サロンにお茶を用意しているのだけど、どうかな? 久しぶりに二人きりで……ね?」
「わ、わわわわっ、わたくし……!」
耳まで真っ赤し、目にはうっすら涙が浮かんでいる。
「わ、わたくし、急用を思い出しましたわ! ご、ごきげんよう!」
逃げるように駆け出したルルイエを友人達が追いかけていく。彼女達と入れ替わるようにマシューが追い付いた。すれ違った際に彼女の顔を見たのだろう。
『一体何を言ったのですか?』
口には出していないが、呆れた顔を向けられた。
(おかしい……私の予想では恥ずかしがりながらも『しょうがないですね!』と了承してくれると思ったのだけど……攻めすぎたかな?)
彼女の異母妹に目をやると、ぽかんとした顔で姉の背中を見つめていた。そして、はっと我に返ったあと、ライオスに一度頭を下げた。
「あ、あの……すみません。もしかして……私を……」
彼女の異母妹はこちらを上目遣いで見る。媚びているつもりはないのは分かるが、どこか期待に満ちた眼差しにライオスの良心は冷めてしまう。
どうやら、彼女は姉の親切心を分かっていないようだ。
(一応、はっきり言っておくか……)
言われているうちが花だ。ルルイエが彼女を見捨てれば、本当に孤立してしまう。
「ああ悪いが、君を庇ったつもりはない」
「え、あの……」
「私は君を庇う理由はないし、そう思われる筋合いもない。少しでも君が庇ってもらったと感じるなら、ルルイエの言葉の意味を理解していないということだ。考えを改めなさい」
「は、はい……」
彼女は小さくなってしまい、オリーブ色の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
(これはやりすぎたかな? ま、私が怒られるくらいなら……)
「ヴィオ!」
(ほら、きた)
本校舎側から取り巻き、いや同級生達を連れて現れたのは、白に近い金髪で青い瞳のした少年だった。制服のネクタイは赤色。それはライオスの一つ下の学年の色だ。そして、白金の髪に深い青色の瞳は王族の血筋を引く者の特徴だった。
彼はライオスがいることに気付くと、キッとこちらを睨む。
「なぜ、ここに貴方がいるのですか、叔父上」
敵意のこもった熱烈な視線に、ライオスは笑顔で返す。
「やあ、我が甥……いや、リチャード殿下。奇遇だね。こんなところで出会うなんて」
彼は現国王陛下の第一子、リチャード。ライオスの甥にあたる。しかし、彼との年の差はたった一つだけだ。
ライオスの父親である先王は年甲斐もなく若い妃を娶り、しばらくしてライオスが生まれた。しかし、ライオスが生まれる前からすでに現国王が王太子として定まっており、ライオスの母親の身分が低いことで勢力争いから外れている。
(相変わらず、ピリピリしているな……)
一つ違いだとしてもライオスとリチャードではのしかかる責任の重圧は違う。かたや生まれた時には勢力争いから外され、かたや生まれた時から王位を継ぐことを決められているのだ。
「愛しの婚約者様がこちらにいたのが見えたものでね。お茶に誘ったのだが、逃げられてしまったんだ。この可哀そうな叔父を慰めておくれ」
笑顔でライオスがそう言うと、同じく笑顔でリチャードに返される。
「いいえ、男を慰める趣味はありませんので」
「相変わらず冷たい。ところで、我が甥はどうしてここへ?」
一瞬だけ、彼の表情がこわばる。そして、視線はライオスの隣にいるヴィオに向けられた。
(はーん……青春しているな)
彼がここに来た理由は一つだ。ルルイエに叱られていたヴィオを連れ出すためだろう。
ルルイエは決して心無い言葉をかけているわけではない。人前で異母妹を叱るのも見せしめではなく、体裁を整えているにすぎないのだ。しかし、それは他者の目にそう映らないことが大半だ。異母妹に憐れみを向ける者もいれば、ルルイエの言動を利用しようとする者も現れてくる。リチャードは後者だ。
(あわよくば、叔父の婚約者を失礼のない程度に窘めて、助けて好感を得る算段か)
ルルイエもやりすぎな面があるとはいえ、彼女の言葉が理にかなっていることをリチャードも頭では分かっているはずだ。そして、この異母妹がリチャードの伴侶になり得ないことも。
(まったく……困った甥だ……)
おどおどしながらライオスとリチャードを交互に見る異母妹に気付き、ライオスは再び軽口を叩く。
「やはり私を慰めにきたのでは?」
「ヴィ……ヴィオに会いに来たのです! 叔父上は婚約者様を追いかけたらどうですか!」
「ああ、そうさせてもらうよ。私がいうのもアレだが、もう少し人に気を配りなさい」
今の彼には心の余裕がない。王族としての責務や周囲からの期待に精神面で負担がかかっているせいだ。
(だから、貴族の慣習に疎く、自分を飾らないで接する異母妹を気に入ったんだろうな)
大いに同情する。歳の近い兄弟や同じ経験者がいれば違っていただろうが、身近にいるのが生まれながら他者からの重圧を知らないライオスなのだから。
それに彼も思春期真っ只中だ。多少なりと恋を甘受する権利はある。
(応援したいのも山々だが、ルルイエを利用するのはいただけない……)
彼女の婚約者として、彼の叔父として、しっかり釘を刺しておこう。
言われているうちが花であるのだ。
「それと人の使い方を間違えるなよ、甥」
わざとらしく彼の後ろに控えている友人達にも視線を送ると、彼らから後ろめたい感情が滲み出ている。相変わらず、甥は見る目がない。
「いくよ、マシュー」
ライオスが踵を返すと、マシューは彼らに恭しく礼をし、後をついてくる。
そのすぐだった。
『何が人の使い方を間違えるなだ、偉そうにしやがって!』
リチャードの声が聞こえ、マシューに視線を送る。
しかし、彼の様子に変わりはなく、むしろ怪訝な顔を向けられてしまう。
「何か?」
「…………いや、なんでもないさ」
彼の耳に届いていないということは、そういうことなのだろう。
リチャードの暴言はさらに続いていた。
『甥、甥って、オレと一つしか違わないくせに!』
(おうおう、今日はよく吠える……)
それはリチャードの激しい感情だった。
王弟、ライオスは他人の心が読める。読めると言っても全てが分かるわけではなく、心の奥に潜んだ感情が伝わってしまうのだ。
リチャードのような激しい感情はこうして声となって耳に届いてしまう。
『何が王弟だ! あの色ボケジジイ、歳も考えず曰く付きの女に生ませやがって!』
ぴたりとライオスは足を止めた。
静かに振り返ると、離れているにも関わらずリチャードと目が合う。まさか彼も目が合うとは思わなかっただろう。焦った表情を浮かべている甥を鼻で笑い、再び歩き出す。
(曰く付きの女ねぇ……まあ、母上は確かに魔女族の出だったからな)
ライオスの母は魔女と呼ばれる一族の娘だった。
この時代の魔女は魔法を使える女性を指すわけではない。
天候を占い、薬を煎じ、星を読むのを生業としている女性のことをいう。もちろん、世には薬師や星読みという職業は存在するが、その精度は魔女には及ばない。魔女は代々特殊な技術を受け継ぎ、それなりの地位を築いている。
(今では魔女が魔法を使えるなんて、お伽話に等しいが……)
ライオスは彼女たちが魔法を扱えることを知っている。かつては無から火や水を生み出していたと聞くが、代を重ねるごとにその力は衰え、母も小さな幸運を与える程度のおまじないしかできない。
(きっと私は、魔女の先祖返りなんだろうな)
稀に魔女の力を大いに発揮できるものが生まれることがある。その多くは女児に受け継がれるが、三毛猫のオス並みの確率で男児にも現れるのだとか。この相手の心が読めるのも魔女の力の一つなのだろう。良くも悪くも引きが良くて笑ってしまう。
「さて、マシュー。サロンに戻ってお茶にしよう。ルルイエには逃げられた上に甥っ子の相手に疲れてしまったからね」
「リチャード殿下を挑発してよく言いますよ。これだから『人の心が分からない』と言われるのですよ」
ため息混じりにそう言われ、ライオスは納得いかない顔で首を傾げた。
(おかしい。誰よりも分かっているのだが……)
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