心が読める王弟殿下は人の心が分からない。

こふる/すずきこふる

1章

第1話 王弟 ライオス


 国立フェリス学園。そこは十二歳になる年から十七歳までの貴族の子女が通う名門校だ。


 男子は家名に相応しい紳士になるため、女子は将来、夫を支える良妻賢母になるべく教育を受ける。


 しかし、その実情は社会に出た時の予行練習に過ぎない。この国の社交界デビューは十七歳。それはこの学園を卒業した後である。そのため、授業には社交界デビューに向けて、マナーやダンスレッスンが組み込まれていた。そして在学中、男子は他の貴族との繋がりを作り、女子は良い嫁ぎ先を探す。各々の生徒が目的を持って学生生活を送っている中、ただ一人、毛色の変わった男子生徒がいた。


 別棟にある王族と公爵家専用の談話室。窓際のソファに座るプラチナブロンドの少年は、窓の外を眺め、静かに笑みを浮かべていた。

 そんな彼の前に、紅茶が置かれる。


「ライオス殿下、まだ見ていらっしゃるのですか?」

「いいじゃないか、マシュー。あと少しくらい」


 ライオスと呼ばれたプラチナブロンドの少年は、置かれた紅茶にも、声をかけてきた相手にも目もくれない。彼の紫色と青色のオッドアイは、依然と窓の外に向けられたままだ。


「婚約者様の様子を眺めるのはそんなに楽しいですか?」


 そう呆れた口調で訊ねられ、ライオスはようやく相手に顔を向ける。


 目立つ赤い髪色をした少年はライオスの従者、マシュー。彼はその口調通りの呆れた顔をし、ライオスに向ける視線は少し冷たいものだった。不敬ともとれる態度だが、ライオスは気にせず頷く。


「ああ。ほら、お前も見てごらんよ。今日も可愛いよ」


 そう言って、紅茶を手に取るライオスは、この国の国王の末弟だ。現国王とは二回り近く年が離れており、すでに世継ぎもいる。ライオスは権力争いからすでに外れており、重圧が少ないため自由奔放に育った。温厚かつ気さくな性格は、王族としていかがなものかとマシューから小言が漏れることもある。


 無論、この覗きのような行為も、小言の対象であることに違いない。しかし、楽し気に窓の外を見つめるライオスの様子に、マシューは一周回って呆れに変わってしまったのだった。


「いいえ、遠慮しておきま……」

「まったく、何をなさっていますの!」


 少女の怒号が二階にある談話室まで届いた。


 この学園は将来の紳士淑女を育てるためにある。本来であれば、感情的に声を荒げることはあってはならない。さすがのマシューも窓の外に目を向けると、中庭に女子生徒たちが集まっているのを見つける。


「貴女、この学園に通う意味を分かっていましてっ⁉」


 声の主は、癖の強い金髪を豪奢なリボンでまとめている少女。ライオスの婚約者、公爵令嬢ルルイエ・ローウェンである。


 彼女は友人達を連れて、一人の少女に言い募っているようだった。

 相手の少女はルルイエの叱責を受けて首を竦める。


「は……はい」

「いいえ、分かっていません!」


 弱々しくそう答える相手にルルイエはぴしゃりと言い放った。


「この学園は女子生徒を良妻賢母の淑女に育てるためにあるのです。貴女の言動は、それに反しています!」

「そ、そんな……っ! わ、私は……私なりに頑張っているつもりで……」


 少女はオリーブ色の瞳に涙を浮かべ、小さく俯く。


「努力をしているのなら、なおのこと身の程を弁えなさい! 貴女は平民育ちなのですから!」

「は、はい……」


 怯えながら頭を下げるのは、ルルイエの異母妹だった。名前はヴィオという。なんでも、公爵家の落胤であることが発覚し、去年ローウェン公爵家に去年引き取られたらしい。それからというもの、ライオスがルルイエをお茶に誘うと、彼女は必ず自分の異母妹の話ばかりするようになった。


 ライオスは異母妹を叱り飛ばす婚約者の様子を、なぜか楽し気に見つめている。


「見てごらん、マシュー。彼女、目がキツいことを気にしているのに、あんなに目を吊り上げちゃって……本当に可愛いね」

「お止めにならないのですか?」


 傍から見れば、ルルイエが大勢で一人を責め立てているように見えるだろう。

 婚約者の言動は、ライオスの体面にも関わってくる。マシューはそれを心配しているらしい。


「必要ないよ。なぜなら──……」


 ライオスは言葉を切ると、たった一言「まずいな」と呟いて立ち上がる。


「殿下、どちらへ?」

「彼女の所へ。困った子の姿が見えたからね」


 談話室から出て、階段を降りれば、現場はすぐだ。


 マシューが「では……」と談話室のドアを開けに向かった時、ライオスは目の前の窓を開けた。そして、躊躇なく窓から飛び降りる。背後でマシューが悲鳴を上げていたが、そんなこと知ったことではない。


 衝撃を和らげるように着地すると、簡単に汚れを払い落して彼女達の下へ向かった。


「そうですわ! ルルイエ様の言う通りです!」


 ライオスの耳に届いた声は、ルルイエの後ろに控えていた令嬢のものだった。ルルイエがはっきりと不満を言ったことでここぞとばかりに追撃する。


「無邪気に振舞っているおつもりでしょうけど、何事も節度というものがありますわ!」

「その通りです! この前だって、ルルイエ様に注意されたというのに、婚約者がいる殿方とお茶をしていたのですよ!」

「まあ、なんてこと! きっと婚約者のご令嬢は深く胸を痛まれたでしょうに……」

「皆様、静粛に!」


 徐々に感情が昂っていく令嬢達に向かって、ルルイエが一喝する。


「わたくしは今、姉として妹を叱責しているのです! 彼女に不満があるのなら、この場にいない者の気持ちを考えた言葉ではなく、ご自身の言葉でお伝えなさい!」


 その言葉を聞いて、ライオスは口元が緩んだ。


(本当に優しいな……)


 異母妹への文句も友人達が「他人が迷惑している」と主張しているのに対して、彼女は他者の感情を代弁するような真似はしない。いつも真っすぐに自分が思ったことを自分の言葉で口にする。


 何より彼女は貴族の慣習に疎く、異性に気安くしてしまう異母妹をただ心配しているのだ。突然できた妹に困惑しつつも懸命に良き姉になろうと努めている。ライオスの目にはそれがはっきりと見えていた。


(もっと素直になっていいのに)


 ルルイエは異母妹の説教に夢中になっているが、彼女の友人達はこちらに気付き、ぎょっと目を剥く。ルルイエの肩越しにいる異母妹も気付いたようだ。ライオスはそっと口の前で指を立てた。


「いいですか、ヴィオ。貴女は平民育ちではありますが、公爵家の血を引いています。爵位を手に入れたばかりの家とはわけが違うのです。道理を分かっていなければ、必ず貴女を利用し、陥れる者が現れます。だからこそ、自分の立場を理解し、言動に気を付け……ヴィオ、聞いているのですか?」

「やあ、ルルイエ」

「──っ⁉」


 ばっと振り返った彼女が声にならない悲鳴を上げた。

 その驚いた表情は淑女とは到底思えないもので、ライオスの笑みが深くなる。


「今日も元気がいいね、私の可愛い婚約者さん」

「ら、ライオス殿下! な、なぜここに⁉」

「最近、君が異母妹を構ってばかりで寂しくてね。甘えたくなったのさ」

「な、なな、なななっ⁉」


 彼女の頬がみるみると赤くなっていく。


 冗談のように聞こえるかもしれないが、ライオスの言葉に偽りはない。彼女は異母妹のことを気にかけているため、ライオスのことが若干おざなりになっている。彼女を異母妹から引き離すのにちょうどいい理由だ。


 そっと彼女の髪をすくって指を絡めると、ルルイエは少しだけ身を引く。しかし、ここで負けるライオスではない。


「談話室にお茶を用意しているのだけど、どうかな? 久しぶりに二人きりで……ね?」


 そう小首をかしげれば、彼女はとうとう耳まで真っ赤になった。


「わ、わわわわわっ、わたくし……!」


 彼女は目にうっすらと涙を浮かべ、声を震わせた。ライオスは穏やかな気持ちで彼女の返事を待っていると、ルルイエはぎゅっと目を瞑る。


「わ、わたくし、急用を思い出しましたわ! ご、ごきげんよう!」


 逃げるように駆け出したルルイエを友人達が追いかけていく。

 そんな彼女達と入れ替わるようにマシューがライオスの元に追いつき、すれ違った際にルルイエの顔を見たのだろう。


『一体何を言ったのですか?』


 口には出していないが、呆れた顔を向けられた。


(おかしい……私の予想では恥ずかしがりながらも了承してくれると思ったのだけど……攻めすぎたかな?)


 彼女の異母妹に目をやると、ぽかんとした顔で姉達の背中を見つめていた。そして、はっと我に返った後、ライオスに一度頭を下げた。


「あ、あの……すみません。もしかして……私を……」


 彼女の異母妹はライオスを上目遣いで見る。媚びているつもりはないのは分かるが、どこか期待に満ちた眼差しに、ライオスの良心は一気に覚めてしまう。

 どうやら、彼女は姉の親切心を分かっていないようだ。


(一応、はっきりと言っておくか……)


 言われているうちが花だ。ルルイエが彼女を見捨てれば、本当に孤立してしまう。


「ああ。悪いが、君をかばったつもりはない」

「え、あの……」

「私は、君を庇う理由はないし、そう思われる筋合いもない。少しでも君が庇ってもらったと感じるなら、ルルイエの言葉を理解していないということだ。考えを改めなさい」

「は、はい……」


 彼女はしゅんと小さくなってしまい、その目には涙を浮かべていた。


(これはやり過ぎたかな? まあ、私が怒られるくらいなら……)

「ヴィオ!」

(ほら、来た)


 本校舎の方から取り巻き、いや友人達を引き連れて現れたのはライオスと同じプラチナブロンドの髪をし、深い青色の瞳を持つ少年。制服のネクタイは赤色。それはライオスの一つ下の学年の色だ。そして、プラチナブロンドと深い青色の瞳は、王族の血筋を引く者の特徴だった。


 彼はライオスがいることに気付くと、眉間に深い皺を刻み込んだ。


「なぜ、ここに貴方がいるのですか、叔父上」


 敵意のこもった熱烈な視線に対し、ライオスは笑顔で返す。


「やあ、我が甥……いや、リチャード。奇遇だね。こんなところで出会うなんて?」


 彼は現国王の第一子、リチャード。ライオスの甥にあたる。しかし、彼との年の差はたった一つだけだ。

 ライオスの父親である先王は年甲斐もなく若い妃を娶り、しばらくしてライオスが生まれた。しかし、ライオスが生まれる前からすでに現国王が王太子として定まっており、ライオスの母親の身分が低いことで勢力争いから外れている。


(相変わらず、ピリピリしているな……)


 一つ違いだとしてもライオスとリチャードではのしかかる責任の重圧が違う。かたや生まれた時に勢力争いから外され、かたや生まれた時から王位を継ぐことが決められているのだ。


「愛しの婚約者がこちらにいたのが見えたものでね。お茶に誘ったのだが、逃げられてしまったんだ。この可哀そうな叔父を慰めておくれ」


 おどけた口調でそう口にすると、笑顔でリチャードに返される。


「いいえ、男を慰める趣味はありませんので」

「相変わらず冷たい。ところで、我が甥はどうしてここへ?」


 一瞬だけ、彼の表情が強張る。そして、視線はライオスの隣にいるヴィオに向けられた。


(はーん……青春してるなぁ)


 彼がここに来た理由は一つだ。ルルイエに叱られていたヴィオを連れ出すためだろう。


 ルルイエは決して心無い言葉をかけているわけではない。人前で異母妹を叱るのも見せしめではなく、体裁を整えているにすぎないのだ。しかし、それは他者の目にそう映らないことが大半だ。異母妹に憐れむ者もいれば、ルルイエの言動を利用しようとする者が現れてくる。リチャードは後者だ。


(あわよくば、叔父の婚約者を失礼のない程度に窘めて、異母妹から好感を得る算段か)


 狡猾な考えだ。ルルイエもやりすぎな面があるとはいえ、彼女の言葉が理にかなっていることをリチャードも頭では分かっているはずだ。そして、この異母妹がリチャードの伴侶になり得ないことも。


(まったく……困った甥だ……)


 おどおどしながらライオスとリチャードを交互に見る異母妹に気付き、ライオスは再び軽口を叩く。


「やはり私を慰めに来たのでは?」

「ヴィ……ヴィオに会いに来たのです! 叔父上は婚約者殿を追いかけたらどうですか!」

「ああ、そうさせてもらうよ。私が言うのもアレだが、もう少し人に気を配りなさい」


 今の彼に心の余裕がない。王族としての責務や周囲からの期待に精神面で負担がかかっているせいだ。


(貴族の慣習に疎く、自分を飾らないで接する異母妹を気に入ったんだろうな)


 大いに同情する。年の近い兄弟や同じ経験者がいれば違っただろうが、身近にいるのは生まれながら他者からの重圧を知らないライオスなのだから。


 それに彼は思春期真っ只中だ。多少なりと恋を甘受する権利はある。


(応援したいのも山々だが、ルルイエを利用するのはいただけない……)


 彼女の婚約者として、彼の叔父として、しっかり釘を刺しておこう。

 言われているうちが花であるのだ。


「それと、人の使い方を間違えるなよ、甥」


 わざとらしく彼の後ろに控えている友人達にも視線を送ると、彼らは気まずそうに目を逸らした。本来なら彼らはリチャードの行動を諫めるべきだろうに。


「いくよ、マシュー」


 ライオスが踵を返すと、マシューは彼らに恭しく礼をし、後からついてくる。

 その直後だった。



『何が人の使い方を間違えるなだ、偉そうにしやがって!』



 リチャードの声が聞こえ、マシューに視線を送る。

 しかし、彼の様子に変わりはなく、むしろ怪訝な顔を向けられてしまう。


「何か?」

「…………いや、なんでもないさ」


 彼の耳に届いていないということは、そういうことなのだろう。

 リチャードの暴言はさらに続いていた。


『甥、甥って、オレと一つしか違わないくせによぉ!』

(おうおう、今日はよく吠える……)


 それはリチャードの激しい感情だった。


 王弟、ライオスは他人の心が読める。読めると言っても、全てが分かるわけではなく、心の奥に潜んだ感情が伝わってしまうのだ。


 リチャードのような激しい感情はこうして声となって耳に届いてしまう。



『何が王弟だ! あの色ボケジジイ、歳も考えず曰く付き女に生ませやがって!』



 ぴたりとライオスは足を止めた。

 静かに振り返ると、離れているにも関わらずリチャードと目が合う。まさか彼も目が合うと思わなかったのだろう。焦った表情を浮かべている甥を鼻で笑い、再び歩き出す。


(曰く付きの女ねぇ……まあ、母上は確かに魔女族の出だったからな)


 ライオスの母は魔女と呼ばれる一族の娘だった。

 この時代の魔女は、魔法を使える女性を指すわけではない。


 天候を占い、薬を煎じ、星を読むのを生業としている女性のことを呼ぶ。もちろん、世には薬師や星読みという職業は存在するが、その精度は魔女に及ばない。魔女は代々特殊な技術を受け継ぎ、それなりの地位を築いている。


(今では魔女が魔法を使えるなんて、お伽話に等しいが……)


 ライオスは彼女達が魔法を扱えることを知っている。かつて無から火や水を生み出していたと聞くが、代を重ねるごとにその力は衰え、母も小さな幸運を与える程度のおまじないしかできない。


(きっと私は、魔女の先祖返りなんだろうな)


 稀に魔女の力を大いに発揮できるものが生まれることがある。その多くは女児に受け継がれるが、三毛猫のオス並みの確率で男児にも現れるのだとか。この相手の心を読める能力も魔女の力の一つなのだろう。良くも悪くも引きが強くて笑ってしまう。


「さて、マシュー。談話室に戻ってお茶にしよう。ルルイエには逃げられた上に甥っ子の相手に疲れてしまったからね」

「リチャード殿下を挑発してよく言いますよ。これだから『人の心が分からない』と言われるのですよ?」


 ため息交じりにそう言われ、ライオスは納得いかない気持ちで首を傾げた。



(おかしい。誰よりも分かっているのだが……)



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