第4話 運命の出会い
当時、七歳のライオスは自身の心を読む能力のせいで荒んでいた。
本心とは違うことを平気で口にする汚い大人。
自分の欲望や感情に忠実な同年代の子ども達の羨望や嫉妬、そして蔑み。
幼いライオスはそれら全てを一身に受けてきた。
──大人は汚い。
──子どもはうるさい。
そのうち人の心の声どころか、人の言葉すらも届かなくなった。心を閉ざしたライオスは虚無の時間を過ごしていた。
そして、運命の日は訪れた。
現国王である兄、ミカエルに手を引かれて向かったのは、国王と謁見する為にある大広間だ。
ミカエルの方へ顔を上げると、彼が何か言っている。
言葉を発していることは分かるが、それがまるで別の言語のように聞こえるのだ。
顔をしかめるライオスに、ミカエルは小さく首を横に振って、近くの者に紙とペンを持ってこさせる。そして、ミカエルから手渡された紙には、こう書かれていた。
『お前の婚約者候補と顔を合わせる。相手が礼をした後、合図をするから相手に名乗り、エスコートしろ』
(婚約者候補って何?)
しかし、ライオスの疑問が解決することなく、その相手は現れた。
ミカエルと同じくらいの年の男性とライオスと年の近そうな少女だ。
ややつり気味の勝気そうな瞳。豪奢なドレスを纏い、髪も綺麗に整えている。いかにも、貴族らしい貴族の娘。
彼女の姿を見た時、ライオスの心は氷点下にまで冷める。
今まで会ってきた貴族の子どもは、犬のようにぎゃんぎゃんと叫び、それでいて我儘で浅ましい心を曝け出していた。できれば、関わりたくない。
ジトッと睨むライオスに貴族の親の方が、にっこりと微笑んだ。
そして、何か言って礼をし、娘の方もそれにならって、淑女の礼をした。
ミカエルがライオスの背を叩いた。
これが、彼の伝えてきた合図なのだろう。ライオスは打ち合わせ通りに挨拶を済ませ、彼女に手を差し伸べる。
彼女は目を大きく見開き、隣にいる父親やミカエルの様子を覗った後、ライオスの手を取った。
そして、困ったような、嬉しいような、なんとも言えない笑みをライオスに向けたのだった。
ミカエルがエスコートをしろと言うからには、どこかに案内するのだろうとライオスは考えていたが、予想は的中した。
ミカエルは、ライオス達を中庭へ案内した。どうやら、お茶会をするらしい。
しかし、お茶会をするのはライオスと彼女の二人だけのようだ。
彼女は身振り手振りを交えながら何かを話している。その淑女らしからぬ仕草とはいえ、ライオスは咎めることなく、愛想笑いで返していた。そのうち、侍従がやってきてライオスに紙を手渡す。
『笑っているだけでなく、庭の案内しておいで』
どうやら、ミカエルはどこかでライオスの様子を覗っているようだ。
(面倒だな……)
内心でため息をつきつつも、従っておいて損はないだろう。
彼女がひとしきり喋り切り、紅茶を飲んでひと心地ついた後、ライオスは行動に移した。
「一緒に庭を散歩しませんか?」
ライオスがそう声をかけると、彼女は大袈裟に頷いた。
(落ち着きのない子なのかな。大広間での挨拶はちゃんとした気がするけど……まあ、いいや。どうせ彼女とはもう顔を合わせないだろうし)
ライオスは後ろからついてくる護衛に「庭の探索だからついてこなくていい」とだけ告げて、歩き出した。
中庭には、生垣でできた迷路がある。その中心部である噴水の広場は、ライオスのお気に入りだ。なぜなら、噴き出る水の音ですべての雑音を遠ざけてくれるから。
通り慣れているおかげで、あっという間にたどり着く。
彼女が噴水を見て何かを話し出す前に、ライオスは自分から口を開いた。
「私は生まれつきの化け物なんだ」
「?」
彼女は首を傾げる。
(少し唐突過ぎたかな……)
ライオスは相手の言葉が分からない分、伝わるように言葉を選んだ。
「私の母親は魔女族、それも族長の娘だ。おまけに私は、魔女族で滅多に生まれない男。魔族の男は化け物になるから魔女族にとっても災いなんだって。化け物である証拠に、私はここ最近、人の言葉が分からない」
そう言うと、彼女はつり気味の目を大きく見開いて、ライオスを見つめて口を開いた。
「──、……」
「私は今も君が何を喋っているのかも全然分からない。あの広間で挨拶ができたのは兄上と事前に筆談で打ち合わせしていたからだ。だから、私ともう会わない方がいいよ。君と一緒にいた人は御父上かな? 彼にはこう伝えて、『殿下は誰も見えない所では終始無表情で話しかけても無視をする不愛想な人だった』って。君と引き合わせるくらいだし、兄上は私の事情を御父上に話していると思うよ」
「……! ……!」
(でも……と言いだけな感じだな)
ライオスはため息をついた。
「言葉が通じないなんて不気味なだけでしょ? 少なくとも私は、どこの誰なのかも分からない君と仲良くなれないよ」
淡々とライオスが告げると、彼女は泣きそうな顔をして、来た道を走って戻っていく。
彼女の姿が見えなくなったところで、ライオスはふと思い出す。
(しまったな。あの子、引き返していったけど、入り口までの道順を覚えているかな……でも、まあいっか)
護衛にはついてこなくていいと伝えてはいたものの、まさか本当にそうするわけがない。きっと近くで待機しているはずだ。
(もし、彼女が戻ってきたら、非常口を教えてあげよう)
ライオスは噴水の縁に腰掛け、目を閉じた。
噴水の音と真っ暗な世界が、ひどく落ち着く。噴水の音は人の声を遠ざけてくれる。真っ暗な世界が、人の姿を消してくれる。
そんな中、遠くからパタパタと慌ただしい足音が聞こえてきた。
目を開けると、必死な顔をした彼女がライオスに向かって走ってくる。腕を大きく振り、ドレスの裾を蹴飛ばしながら駆ける姿はやはり淑女らしくない。
「迷子になって戻ってきたの? 非常口なら……」
しかし、彼女はライオスに目もくれず、噴水の縁に手を付けたかと思うと──頭から入水した。
それは最早、飛び込みと言っていいほどの勢いだった。
「は……? はぁ⁉ 何やってるの⁉」
ライオスは慌てて彼女を噴水から引き上げる。
「この一瞬の間で何を思って飛び込んだの⁉ いや、やっぱり言わなくていい! 聞いても分からないから!」
彼女はライオスの言葉に大袈裟に首を横に振った後、乾いている石畳へ移動した。
そして、濡れた手で何かを書いていく。
『数々の無礼をお許しくださいませ、王弟殿下』
「へ…………」
彼女は白く綺麗な指をざらざらな地面で傷つけることも厭わず、文字を書いていく。
『わたくし、ルルイエ・ローウェンと申します。お父様は公爵で、国王陛下のお友達ですわ! 大変恐縮ながら、わたくしのお名前を殿下の口からお聞かせください。』
「…………ルルイエ?」
戸惑いながらもライオスは彼女の名を口にする。
すると、彼女はさらに文字を書く。
『わたくしと殿下はちゃんと言葉が通じています。わたくしは殿下を不気味だとは思いません。もし、殿下がよろしければ、私とお友達になっていただけませんか?』
ライオスが顔を上げると、彼女ははにかんだ笑顔を向ける。なんだか急に恥ずかしくなったライオスは、俯きながら答えた。
「……いいよ、お友達。なってあげる」
「──!」
ルルイエは両手を上げて大喜びした後、ライオスの手をぶんぶんと振り回した。
やはり彼女は淑女らしくない。
彼女が手を振り回すのを止めた後、ライオスはルルイエの指先を見た。
赤く傷ついてしまった指先が、なぜか嬉しく思ってしまう。
ずぶ濡れで迷路から戻って来たライオスとルルイエを見て、ミカエルと彼女の父、ローウェン公爵は苦笑していた。
その後、ルルイエと筆談での交流が続き、ライオスは彼女のことを知るたびに愛おしくなっていった。淑女らしくない大袈裟な仕草も、表情も。何もかも。
彼女と出会って一年が経とうとする頃、ルルイエが王宮に遊びに来た日に、リチャードにばったり出くわした。甥っ子なのに一つ下の彼は、いつも顔を合わせると何か言って去っていく。
何を言っているのか分からなかったが、傍にいた侍従やメイドたちが顔を強張らせていたのでひどいことを言っていたのは、ライオスにも理解できた。
(何言ってるか分からないけど、最近リチャードのやつ、当たりが強いんだよなぁ)
ルルイエと友達になってから、やたらとライオスに絡んでくる。一方的に話しかけてくるので、ペンと紙を差し出すと、叩き落とされたこともある。
(何かした記憶はないんだけど……まあ、いいか。どうせ、何言ってるか分からないし。でも、大人があの反応をするってことは……ルルイエはどんな顔をっ⁉)
隣にいたルルイエは、今までに見たことがない笑顔をしていた。
(こ、この笑い方……知ってるぞ!)
その笑みは母が人前に──戦場に立った時と同じものだった。
ルルイエは持っていた扇子で口元を隠し、何か言った。
その瞬間にリチャードがばっとこちらを振り返るが、ルルイエはいつもの淑女らしくない笑顔に戻り、ライオスの背を押すようにして歩き出した。
彼女の知らない一面に驚いたが、きっとライオスが知る彼女はほんの一部なのだろう。昔の自分がさっきの顔を見たら、おそらく嫌悪していたが、今は不思議と嫌ではない。もっと知ってみたいと思うようになっていた。
そして、こう思った。彼女の言葉が分かったら、もっと彼女を知ることができるのに。
お気に入りの噴水の場所で、二人で話している時、ライオスはぼそりと口にした。
「君と、ちゃんと会話ができたらな……」
何気なく口にした言葉だった。
「わたくしもです。殿下」
「え?」
聞こえた言葉に思わず、自分の耳を疑ったライオスは顔を上げる。
ルルイエは、不思議そうな顔で目をぱちくりさせていた。
「ルルイエ……もう一度言ってくれる?」
「え……わたくしもです。殿下……殿下⁉」
気づけばライオスは目から涙を流していた。
「どうかされましたか、殿下⁉ お腹が痛いのですか⁉」
(違う……違うんだ、ルルイエ)
自分は嬉しくて泣いているんだ。そう伝えたかった。しかし、思うように声が出てこない。
「そう、筆談! こういう時こそ! 人類が生み出した文明の利器! 紙とペン!」
(ああ、君はそうやっていつも私に話しかけていたんだね)
元気に。大袈裟に。
「ああっ! 紙! 紙が、殿下の涙で!」
紙に落ちた涙を払い、ペンを握ったルルイエの手をライオスは掴んだ。
「殿下……?」
不思議そうに顔を上げるルルイエ。ライオスは声を絞り出して言った。
「もう必要ないよ」
「え……?」
「ルルイエ、君とようやく会話ができる」
その言葉で彼女は察したのだろう。
それなのに、なぜかルルイエはぽろぽろと泣き出してしまった。
(おかしいな、彼女が泣く理由なんてないのに)
ライオスは彼女の涙を指で拭う。
「ルルイエ、なんで君も泣いてるの?」
「だって、だってわたくしっ! やったんですもの!」
「………………ん?」
ライオスは思った。
(何をやったって?)
ルルイエはライオスの腕を掴まえると、急にその場から駆け出した。
「わたくし! やりましたわ! お父様! 陛下! わたくし! や~~り~~ま~~し~~た~~わ~~~~~~~~~~っ!」
そう意味不明な言葉を叫びながら。
「ルルイエぇえええええええええええ~~~~~~~~⁉」
ライオスの叫び声も添えて。
その後、久々に会話をした兄、ミカエルからルルイエと正式に婚約することを告げられた。婚約とは将来結婚することを約束することらしい。
ライオスの特殊な生まれの事情により、信頼できる貴族との婚姻が必要だった。そこでミカエルは親友であり、高位貴族であるローウェン公爵を頼った。
しかし、ローウェン公爵家は超上流階級の貴族。言葉も通じないライオスを受け入れるには公爵家にとってもルルイエにとっても重荷にしかならない。そこで一年間ライオスの様子を見てから決めようと話をつけたようだった。
おまけに、今までの彼女の淑女らしくない大袈裟な感情表現は、言葉が伝わらないライオスへの配慮だったらしい。
「殿下! わたくし、お話ができて光栄です! 改めて初めまして! ルルイエ・ローウェルです!」
泣きながら自己紹介する彼女に、ライオスは笑った。
「こちらこそ初めまして、ルルイエ。そして、よろしく。私の婚約者さん」
そう告げると、彼女はぼんっと音が立ちそうな勢いで顔を赤くする。
『こここここここここここここ』
(ん?)
ルルイエは口を動かしていないのに、なぜか彼女の声が聞こえてきた。
『ここここここん、婚約者! わたくしが、殿下の!』
(あ~……これは、また聞こえてきちゃったか)
再び他人の心の声まで聞こえるようになってしまった。かつての苦い記憶を思い出し、ため息をつきそうになった。
『わたくし……婚約者。殿下の……』
心の中でそう呟くルルイエの顔を見て、ライオスはハッとする。
『嬉しい……』
恥ずかしそうに笑うルルイエに、見惚れてしまう。
(まあ、悪くないかも……)
しかし、ライオスは前よりも心の声が聞こえにくくなった。ある意味これは幸いと言っていいだろう。
こうして、ライオスは彼女をとことん愛すことを決めた。
聞こえづらくなった心の声も、彼女の心だけ聞こえれば十分だ。
彼女とともに過ごせるだけで、幸せだったライオスだが、会話が成立すると分かってから遅れていた勉学や礼儀作法を学ぶことになった。
ライオスは確かに、王族として他者から重圧を受けず育った。だからこそ、身内である兄王ミカエルが圧をかけてきた。ライオスがルルイエを溺愛していると分かると「このままでは公爵位はやれんな。ルルイエ嬢との婚約も……」と発破をかけてくる始末。
しかし、案外どうにかなった。
なぜか。それはルルイエの存在のおかげである。
式典も、社交界も、彼女と一緒にいられると思えば、苦とも思わなかった。それどころか、ルルイエも一緒に教育を受けることになり、ライオスはそれはそれはもうのびのびと過ごした。
そして、ライオスの幸福な時間に水を差す人物が現れた。
ルルイエの異母妹である。
彼女は急にできた妹に戸惑いつつ、ライオスの時のように一生懸命接していた。
彼女の心の声も異母妹のことばかり。
嫉妬せずにはいられない。しかし、彼女に嫉妬する度に、言いようのない罪悪感に苛まれるのだ。
かつて、自分が受けて胸を痛めていた負の感情を、他者へ向けるなんてと。
「殿下……」
マシューに呼ばれて、ライオスは現実に引き戻される。
「そろそろ、馬車が到着する時間かと……」
「ああ、そうだったね」
ライオスは冷めきった紅茶を見つめる。
(情けない顔……)
カップの中に映る自分の顔に向かって嘲笑うと、一気に飲み干した。
「さ~て、明日こそ、ルルイエをお茶に誘うぞ! 絶対に!」
「頑張ってくださいね」
心のこもっていない応援を背に、ライオスはサロンを出るのだった。
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