第3話 独占欲

「マシュー、今度こそ私は学習した」

「一体何を学習なさったのですか?」


 ルルイエのマフィンを受け取り損なったその日の放課後、ライオスはいつも通りにサロンでマシューのお茶を淹れてもらっていた。しかし、彼は出されたお茶に口をつけず、真剣な顔でこういった。


「ルルイエは私の婚約者なのだから、校内では常に一緒にいるようにすれば彼女を独り占めできるのでは?」

「はあ?」


 気の抜けた返事をするマシューにライオスは続ける。


「ほら、我々は来年の春には卒業になる。そうなれば、すぐに私とルルイエは夫婦だ。これから常に一緒にいてもおかしくは……」

「殿下……入学当初にローウェン公爵令嬢に伝えた言葉をお忘れですが?」

「うっ……」


 ルルイエとは同学年で授業や行事でパートナーが必要になる場合は必ず同行する。しかし、短い学生時代を自分のために費やす必要ないと思い、入学当初にルルイエには『自分の時間を大切にしてくれ』と伝えていた。そう告げた時、彼女からあからさまに落ち込む感情が伝わってきたが、ライオスは原因が分からなかった。


「それに、王族の婚約者という重圧を一身に受けている彼女に、学校で殿下の傍に常に控えろというのは息が詰まると思いませんか? 曰く付きの、殿下と」

「いや、ルルイエは私と相思相愛で……」

「じゃあ、お聞きしますが、ライオス様は昨年、留学してきた隣国の王女殿下と校内で一緒にいろと言われたらどうします?」

「うっ!」


 昨年、見聞を広めるために隣国の王女が短期留学していた。それは王太子であるリチャードと引き合わせるという意図があったのだが、なんと彼女はライオスに惹かれてしまったのだ。俗にいう一目惚れというやつで、彼女の熱烈な思いは遠くにいても感じるほどであった。


「相手に好意を示されて、嬉しいかもしれません。しかし、相手は高貴な身分。そんな相手と共に過ごす緊張感を殿下は知らないはずがありませんよね?」

「ぐぐっ!」


 容赦のない言葉の凶器がライオスを襲う。マシューが本気で言っていると分かっているからこそ、鋭さは増していた。


「それに、殿下が仰せになっていることは、ただの束縛ですよ? 彼女を自分の腕にずっと閉じ込めておくことが、貴方の愛情ですか?」

「ぐはっ!」


 正論もド正論で返され、ライオスは心の中で白旗を上げた。


(マシューの言っていることは正しい……)


 ライオスはルルイエを束縛したいわけではない。自分の一方的な想いをすべて受け止めて欲しいわけでもない。ただ、社交辞令ではなく、彼女の口から好きだと、愛してると言ってもらいたいだけだ。ルルイエは恋情を向けてくれても、表に出してくれない。


 それが貴族の女性、慎み深い淑女だと分かっている。でも──。


「彼女には、誠実な男でいたいよ」

「はい」

「でも、さびしい…………っ!」


 つまるところ、これである。


「彼女が私のことを好いてくれるのは分かっている。恥ずかしがるところも愛おしい。でも、最近は妹、妹、妹。一時でいいから私だけを見て欲しい!」


 ルルイエは生真面目だ。実母を亡くした異母妹がローウェン公爵家に引き取られた時、ルルイエは父親を軽蔑したが、決して異母妹を憎んだり蔑んだりしなかった。むしろ、いきなり誰も知らない屋敷に連れてこられることになった彼女に同情すらしていた。彼女は頼れる相手がいないのだ。せめて自分だけでも味方になってやらねばと使命感を覚えるほどだった。


 侍女や使用人と上手くやれているかとか、口さがない大人達の悪口に傷ついていないかとか。ギクシャクしているルルイエの母との関係を取り持ってやらないと等々。彼女は悩みに尽きない一年を過ごしていた。もちろん、ライオスもそんな彼女に寄り添ってきた。心配事や助言もしている。しかし、二人きりでお茶をしていても、頭の中は異母妹のことばかり。口ではライオスを気にかけた言葉をかけてくれても、心が伴っていなくては意味がない。


「つまり、昨日ローウェン公爵令嬢の異母妹君に冷たくしたのは……?」


 マーシャルの問いかけに、ライオスは頷く。


「彼女がルルイエの気持ちを理解していなかったのもあるけど、男の醜い嫉妬もあったよ」

『うわぁ……』


 はっきりとマシューの心の声が聞こえた。わりと傷ついた。


「だって、腹立つだろ? 目の前にいる私を差し置いて、常に大切に思われているくせに……」


 ライオスがルルイエをお茶に誘って失敗した時、異母妹はルルイエから庇ってくれたと勘違いしていたのだ。これを怒らないでどうする。

 項垂れるライオスの頭上から深いため息が聞こえてきた。


「ローウェン公爵令嬢に負けず劣らず、不器用な人ですね……」

「主にそれを言うか……」

「私は、主を崇め奉るためにいる存在ではありません」

「知っているさ」


 まだ手を付けていない紅茶をマーシャルが下げようとして、ライオスはそれを制した。

 冷めた紅茶を口に含み、ライオスは笑う。


「私にはお前くらいの冷たさがちょうどいい……でも」


 どんなに諫められても、やはり彼女の異母妹への嫉妬心はぬぐい切れない。


(本当に醜い感情だ)


 ルルイエと初めて出会ったのは、婚約者の顔合わせの時だった。

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