第5話 お茶会

 

(誘うぞ! 彼女が恥ずかしがらないよう、スマートに。自然に)


 放課後、ライオスは事前にマシューに頼んでルルイエの侍女にお茶を誘うことを話していた。ルルイエも先に話を聞いていれば、答えやすいだろう。


 ライオスは廊下でルルイエを待っていると、彼女の姿を見つける。


「やぁ、ルルイエ……ん?」


 彼女の隣に、ライオスの天敵はいた。


「ごきげんよう、ライオス殿下」


 優雅に挨拶をするルルイエの隣で頭を下げて小さくなっているのは、彼女の異母妹、ヴィオである。


「今日は珍しく彼女と一緒なんだね。他の友人達は?」

「はい。他の皆さまはご用事があると」


 ルルイエが一瞬目を逸らした。


 ライオスは彼女の侍女に「放課後、お茶に誘うつもりだ。もし友人達もいるならご一緒に」と事前に伝えていた。


 おそらく、友人達はライオス達に気を遣って辞退したのだろう。それなら、その流れで彼女の異母妹も断れたはずだ。


 異母妹から申し訳なさそうな、それでいて気まずい、そして懺悔の感情が伝わってくる。


(そんな感情を垂れ流しておいて、なんでここにいるんだ……?)

『殿下とのお茶会……』

(ん?)


 ルルイエから気迫に満ちた感情に乗って心の声が聞こえてくる。


『これは彼女に礼儀作法を復習させるいい機会! 殿下はお友達もいいと言ってたもの! 妹のヴィオが一緒でもいいはず!』

(なるほど)


 どうやら、彼女は妹の礼儀作法の練習に付き合って欲しいらしい。こう見えてライオスも王族の身分だ。礼儀作法は叩き込まれている。彼女の異母妹のいい手本になるだろう。


(ルルイエと二人きりの時間が……まあ、私は心の広い婚約者だからね! 我慢するさ! ルルイエの為なら!)


 ライオスはにっこりと笑う。


「そう、それは残念だね。実はお茶を誘いに来たんだ。時間はあるかな? もちろん、君の妹も一緒に」


 彼女の異母妹にも優しく微笑みかけた。が、


『ひぃいいいいいいいいいいいい!』


 彼女の異母妹の心から悲鳴が聞こえた。


(おかしい。委縮しないように笑いかけたつもりなのに)


 ライオスは内心で首を傾げるのだった。


 ◇


 ライオスが案内したのは校内にあるカフェだ。このカフェには個室があり、ライオス達はそこを利用していた。


「ヴィオ、いくら殿下の前とはいえ、緊張しすぎですよ」

「は、はい……」


 背中を丸めて小さくなっている彼女の異母妹は、涙目になりながらルルイエの隣に座っていた。


(まあ、一度叱られた相手で、身分も違うし、委縮するのも当然か……)


 ライオスは口をつけていた紅茶を置き、ルルイエと彼女の異母妹に微笑みかけた。


「ルルイエ。彼女が委縮してしまうのも無理はない。この間、私が彼女に対して苦言を呈してしまったからね」


 びくりと彼女の異母妹が震えた。ルルイエも緊張で声を強張らせた。


「妹が殿下に粗相を?」

「私にというよりも、ルルイエへかな。君の優しさが彼女に伝わっていなかったみたいだから」


 そう口にすると、異母妹からじんわりと負の感情が伝わってきた。劣等感や屈辱、言われていることに納得できない念だ。

 別にライオスは異母妹にそんな感情を抱かせるつもりで注意したわけでも、こうしてルルイエへ伝えたわけでもない。


 これは、ルルイエへの忠告でもある。


「ルルイエ。君は彼女を心配しているのも分かる。でも、少し厳しいんじゃないかな? 他家の者達に対して体裁を整えるにも、もう少しやり方があるはずだ。君が彼女に言った通り、不相応な相手に付け入る隙を与えないために、礼儀作法や威厳が必要だ。しかし、それは君にも言えること。彼女を人前で叱ることで、君にあらぬ噂が流れたら、私は悲しい。ただでさえ、君の婚約者は曰くつきの私だからね」

「は、はい……」


 しゅんとなって返事をするルルイエにライオスは(かわいい)と内心で思いながらも、神妙な面持ちで彼女の異母妹に向く。


「ルルイエの異母妹殿」

「は、はい!」

「君は、ローウェン公爵家に入ってまだ一年だ。伸びしろを期待するには、少々時間が足りないが、よき淑女になれるよう精進してくれ」


 ライオスの優しい言葉が意外に思ったらしく、彼女から発せられていた負の感情が薄くなっていく。


「え……その……はい」

「ところで……」


 ライオスは異母妹の丸まった姿勢に目を向ける。


「君に礼儀作法を教えたのは、主にルルイエと聞いたが……私の婚約者殿は丸まった姿勢で震えながら席に座るように教育したのかな?」


 ライオスの嫌味でその場に緊張が走る。

 彼女の異母妹はピシッと背筋を伸ばした。


「いえ、違います!」

「じゃあ、私の婚約者殿はそんな早口で強い口調で返事をするように教えたのかな?」

「え、えーっと…………」


 徐々に声が小さくなり、泣きそうな感情が伝わってくる。

 自分が惨めで、悲しくなる感情はライオスにも覚えがあった。


「君の態度は、ルルイエだけでなく、ローウェン公爵家も陥れる隙になる。別にこれは貴族に限った話じゃない。平民でもあるはずだよ。『あの家はどんな教育してんだい!』ってさ」


 それを聞いて、彼女の異母妹はハッとした顔をする。


 昔、ライオスがお忍びで城下へ遊びに行った時、色んな民の声を聞いた。その中でどこかの母親が心の中でそう言っていたのを覚えている。それを聞いたライオスは「意外に市井の教育観念は社交界とそんなに変わらないんだな」と思ったものだ。


「別にローウェン公爵も君を苦しめたくて家に招き入れたわけじゃないはずだ。もし、今の生活に慣れないようなら、学生のうちに身の振り方を考えるといい。ローウェン公爵もきっと君の意志を尊重してくれるさ」


 彼女の背筋が自然と伸びた気がする。そして、彼女からもルルイエからもなぜか尊敬の念が飛んできた。


(大して良いことを言ったつもりはないんだが……ん?)


 少し離れたところから、怒りと焦りが混じった感情を抱えた何かが、ライオス達に向かってくるのが感じた。

 ライオスは内心でため息を漏らすと同時に個室のドアが開く。


「叔父上」

「ああ、我が甥よ。一体、何の御用かな? ご友人達も引き連れて」


 リチャードが友人達を連れて押しかけるようにやって来た。おそらく、ライオス達がお茶をすると聞いて、慌ててきたのだろう。


(まったくご苦労なこと……)


 ライオスが給仕に目配せをすると、リチャード達の分の椅子を用意させた。

 それをリチャードは怪訝な顔で見つめる。


「なんのつもりですか?」

「私はホストだからね。来客分の椅子を用意するのは当然だろう?」

「いえ、結構です。オレはヴィオに用事があってきたので」


 そう言ったリチャードの言葉に、ヴィオはきょとんする。


 そして、伝わってきたのは、『なぜ?』という疑問の感情だった。


「ヴィオ、叔父上とルルイエ嬢とのお茶会はさぞ居心地が悪かっただろう? きっと君のことだ。断り切れなかったのだろう」

(まぁ、間違っていないが……)


「君がカフェで異端査問会のようなお茶会に参加していると聞いて慌てて来たんだ」

『は?』

『あ?』


 背後に控えていたマシューとルルイエの侍女の心から舌打ちと共に聞こえてきた。


 確かにこれは聞き捨てならない。


 ルルイエも物申したい雰囲気を醸し出しているが、ここは叔父であるライオスが彼を窘める必要があるだろう。


「異端査問会……それは穏やかではないね。一体どこの誰が開いているんだろうか?」


 いけしゃあしゃあとライオスがそう口にすると、ピリッと敵意がリチャードから伝わってくる。


「さあ、オレも噂に聞いただけですので……」

「そう……まあ、仮にここが異端査問会だったとして……誰が異端なんだろうね?」


 室内の温度が急激に下がった気がした。おそらくそれは後ろに控えているマシュー達の殺気のせいに違いない。


 ここは少し空気を和らげてやるかと、ライオスは異母妹に笑みを向ける。


「まあ、そんな冗談はさておき。異母妹殿。我が甥が遠回しにデートに誘っているようだが、いかがされる?」

「ひえ、デート⁉」

「叔父上! 私はそんなつもりで言ったわけでは……!」

(……ん?)


 ライオスは二人の様子に内心で首を傾げた。

 リチャードは期待や恥ずかしい感情がビシビシと感じるが、異母妹はひどく焦った感情が伝わってくる。少なくとも彼女からは嬉しいという感情はなかった。


(なんだ? いくら甥っ子の片思いとはいえ、浮足立たない女性はいないだろうに)


 リチャードは一人の男としては頼りない男だが、その身分と受けた教養は最高峰。容姿も悪くない。そんな相手にデートに誘われたと知って、こんなに喜ばないのも珍しい。


「お、おおおおお王弟殿下。わ、わわわわわわわ、私……!」

「大丈夫、落ち着いて言ってごらん」

「お、お姉様から習いました。こ、婚約している方とみだりにお話をしてはいけないことや、お茶をすることは……貞淑な淑女に反するとだと」

「…………うん、そうだね」


 とはいえ、リチャードは誰かと婚約をしていないので、そう言った相手に含まれないはず。

 異母妹は深呼吸をした後、リチャードに向かって勢いよく頭を下げた。



「わ、私! 実は、将来を誓い合った殿方がいます! 今まで勘違いをさせる態度を取ってしまったことをお詫び申し上げます! そしてお誘い、申し訳ありません!」



 しんっと室内が静まり返る。


 ルルイエからは驚きの感情。

 後ろに控えているマシュー達からはリチャードへの嘲笑。

 そして、リチャードは……。



(真っ白になってる)



 心の声を聞かずとも、見て分かるほどリチャードは真っ白になっていた。


(口が利けなくなってるリチャードの代わりにちょっと聞いてあげようかな?)


 ライオスは紅茶を一口飲んだ後、異母妹に微笑む。


「そう……その相手とはいつから懇意なのかな? ローウェン公爵はご存じで?」

「お、お父様はもちろん、ルルイエお姉さまのお母様も、相手の方を知っています。そ、その……というのも相手は子爵家で……私の従弟なんです」

(へ~~~~~~~)


 ルルイエから異母妹の母は元侍女だと聞いている。公爵家に務める侍女だ。行儀見習いの貴族の娘である可能性は十分にある。


「私がローウェン公爵家に入る前から……その、好きだったのですが。私は平民の身分だったので反対されると身を引こうとしたのですが……相手が子爵家の旦那様に話をつけてくれて……それでなんやかんやあった後、私がローウェン公爵の子だってわかり」

(あー、ローウェン公爵……脅されたな)


 子爵家の息子がごねて、その父親はローウェン公爵に責任を取って身分を用意しろと言ったのだろう。なんだかんだ言って、人のいい公爵だ。自分の娘でもあるヴィオの為にその要求を呑んだのだろう。

 ルルイエには話が通っていなかったようで「ヴィオ、おめでとうございます?」と呆けた口調で言っていた。


「なるほど、なるほど。これじゃあ、異母妹殿を誘うわけにはいかないな。ちなみにその相手は学園に通っているのかな?」

「いえ、昨年卒業されています」

「そう。よかったな、我が甥よ。異母妹殿の婚約者に背中から刺されずに済みそうだぞ?」

「そ、そんな! 冗談でもない! 彼はそんなことをいたしません!」


 リチャードから羞恥と苛立ちがひしひしと伝わってくる。そして、鋭い敵意がライオスに向けられていた。


(なぜ私に敵意を向ける?)


 背後に控えていたマシューの心の声が聞こえた。


『本当に殿下は人の心がない』

(おかしいな。善意で話を聞いただけなんだが)


 ライオスはそう思いながら軽く手を叩いた。


「殿方がいる女性を私達が囲っているわけにはいかないな。今日のお茶会はここでお開きとしよう」


 ライオスは立ち上がり、それにルルイエと彼女の異母妹が続く。レディファーストで先にドアを開けてルルイエ達を部屋に出すと、落ち込んでいるリチャードが目に入った。


(うん、ここは叔父として可愛い甥っ子を慰めてあげないとな)


 ライオスはリチャードの下へ行き、ぽんと肩を叩いた。



「傷が深くなる前に失恋できてよかったな、リチャード」

「~~~~~~~~~~~~~~っ!」



 言葉になっていないリチャードの激情がライオスに突き刺さる。それを無視して踵を返したライオスは内心で首を傾げた。


(うむ、慰めたつもりだったのだが……)

『これだから殿下は……』


 ため息交じりにマシューの心の声が聞こえ、ますますライオスは首をひねるのだった。


 ◇


 あれから数日後、ライオスは兄、ミカエルの執務室へ呼び出された。


「ライオス、あまり息子をからかわないでくれ」

「兄上、一体なんのことを仰せになっているのですか?」


 兄、ミカエルはため息交じりに言った。


「愚息がルルイエ嬢の異母妹、ヴィオ嬢に失恋した件についてだ。ここ数日、お前が絡んできてうんざりすると苦情が来ている」

「あ~、私なりの激励のつもりだったのですが、リチャードはお気に召しませんでしたか?」


 ここ数日、失恋で落ち込んでいるリチャードを慰めるべく、顔を見かけたら声をかけていたが、結果的に怒らせる事態になっていた。


(善意だったんだけどな?)

「ライオス、お前はもう少し人の気持ちを推し量るべきだぞ? ルルイエ嬢と婚姻ののち、小さくても領主になるのだからな」

「承知しております」


 しかし、ミカエルはライオスの言葉を信用していないのか、疑念の感情が伝わってくる。そして、諦めたようにため息を零した。


「まあ、お前のそういう部分はルルイエ嬢やマシューが補ってくれるだろう。今後も頼むぞ?」


 ミカエルが背後に控えているマシューへ告げると、彼は深々と頭を下げていた。


(おかしい……誰よりも人の感情がわかっているんだが?)


 人とは難しい生き物だとライオスは内心で肩をすくめ、執務室を出ようとした。


「ライオス」


 呼び止められ、不遜ながらも顔だけミカエルに向けると、彼は優しい笑みを浮かべていた。


「ルルイエ嬢とは仲良くやっていけるか?」

「ええ、彼女以上の女性はいませんよ」


 ライオスはそう答え、執務室を後にするのだった。

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