第9話 フェリス国王と末弟と息子
とうとうフロイス公爵令嬢がやってくる日が来た。
彼女を迎え入れる準備を終えたライオスは、国王であり、異母兄でもあるミカエルに呼び出されていた。
「いいか、ライオス。お前は極力、きょーくーりょーく、フロイス公爵令嬢との交流は控えること。それから、リグレー伯爵令嬢は初めての大役を担う。労わるように……いや、労わるな。そっとしておくんだ。いいな?」
「そんなに言い聞かせなくても分かっていますよ、兄上」
本日、彼女を出迎えるにあたって、国王ミカエル、王太子リチャード、そして王弟ライオスも立ち会う。
簡単な挨拶を済ませた後は、リチャードが彼女を客室までエスコートするのだ。
彼女の世話役となるリグレー伯爵令嬢と自分の婚約者のルルイエの紹介は翌日のお茶会で行う予定だ。
シャルメリアからこの国フェリスまで陸路よりも船を使った方が早いが、それでも移動時間は一日。おまけに港からこの王宮まで少し時間がかかる。到着したら今日はゆっくり休んでもらうつもりだ。
「私はルルイエという素晴らしい婚約者がいるので、他の女性になんて目移りしませんよ」
「妙な軽口を叩くな。ルルイエ嬢には今回の留学の趣旨を伝えているだろう?」
「もちろん。リチャードには伝えていますか?」
「あれは顔に出やすいからな。変に緊張されても困るし、留学生と仲良く交流しろとだけ伝えた」
「兄上、それは優しさとは言えませんよ?」
リチャードは腹芸が苦手である。おまけに前のお見合いでは何も伝えていなかったことで失敗しているのだ。
「リチャードはもう十六になるんですから、今回の留学が政治的な意図が隠れていると伝えた方が、自分も政治に関わっている自覚が生まれると思いますよ? あと普通に喜ぶと思いますしね」
「何を言う。むしろ、自覚がない方が問題だろう? お前は昔から年齢のわりに達観しているところがあったとはいえ、少しリチャードを侮り過ぎじゃないか? リチャードは十六になるんだ。もう子どもじゃないさ」
「十六歳って、自分が考えているよりずっと子どもですよ、兄上?」
「一つしか違わない叔父上には言われたくないです」
そう言って執務室に入ってきたのは、リチャードだった。どうやら、自分たちの会話が聞こえていたらしい。聞かれても問題はないとはいえ、一体どこから聞いていたのだろうか。
「これは失礼。来ていたのか、甥殿」
ライオスがおどけていうと、リチャードから突き刺すような苛立ちが向けられる。
「父上の言う通り。叔父上はオレを侮り過ぎです。いくら王弟とはいえ、口が過ぎるのではないですか?」
「やれやれ、我が甥も言うようになったな。しかし、お前に私を窘める権利はあるのかな?」
言外で「私は言うだけの権利はあるぞ」と言ってやると、リチャードの額に青筋が浮く。
『コイツ――――ッ!』
そう心で叫びながら敵意をむき出しにする息子の様子に、ミカエルは小さく首を振りながらため息をついた。
「ライオス」
ミカエルが咎めるように呼んだのと同時に『それ以上リチャードを煽るな』という感情が伝わって来た。
これから他国の客人が来るのだ。これ以上リチャードの機嫌を損ねるのはよくないだろう。ライオスは大袈裟に肩を竦め、「失礼」と短く謝罪する。
未だにライオスへ敵意を突き付けるリチャードの態度にミカエルは呆れた様子で口を開く。
「それで、リチャード。お前は何の用だ?」
「どうやら、船が予定よりも早く着いたらしく、フロイス公爵令嬢の到着時刻が早まったようです」
「分かった。ではロータリーに移動しよう」
立ち上がって執務室を出るミカエルに続いて、ライオス、リチャードが後に続く。
(なーんか後頭部がちくちくする感覚がするな……)
当たり前だ。リチャードの攻撃的な感情が今もライオスに向けられているのだ。
『ほっっんと、コイツは! 一つしか違わないのに偉そうなことばかり言いやがって! ヴィオの時といい、いつも一言多いんだよ!』
(うーむ、これは反省だな。まあ、このくらいの嫌味くらい簡単に流せないようでは、まだまだ子どもだな、リチャード)
内心で笑ってやると、今度は前方からミカエルの何とも言えない感情が流れて来た。
リチャードを心配し、悩み、不安を抱え、ライオスに何かを懇願するような感情。
(お労しや兄上。不出来な息子を持ったばっかりにこんなに多くの悩みを抱えて……)
その悩みの主な原因が、自分にあるとはライオスは全く思っていなかった。
ロータリーには既に国の重鎮達が集まっており、ライオス達に気付いて皆が恭しく頭を下げる。
留学生の公爵令嬢とはいえ、シャルメリア王族と繋がりが深い人物だ。この場に揃えられた顔を見れば、それだけ大事な客人を迎えていることが分かるだろう。
フロイス公爵令嬢を迎える定位置についた時、ライオスは何やら不穏な気配を感じ取り、その気配の方へ顔を向ける。
それは単なる虫の知らせではなく、その気配は今もなおこちらに近づいてくるのだ。
(なんだ、これは? 殺気……ではないな?)
それは負の感情に近いものだ。だんだんその気配が近づくにつれて感情がはっきりとしてくる。
(焦りと……強い緊張感。それに絶望? 誰か脅されている者がいるのか?)
もし、この気配がミカエルやリチャードを狙ったものであるなら、彼らの身が危険だ。心が読めても、誰かを守れるような万能な力はライオスにはない。彼らをここから遠ざけた方がいいだろうか。
「どうした、ライオス?」
ライオスの様子に気付いたのか、ミカエルが怪訝な顔を向けて来た。
「いえ、兄上。今日は日差しが強いので、せめて馬車が見えるまで日陰に移動しませんか?」
建物の陰になっているところであれば、遠距離からの攻撃範囲が狭まる。それにミカエルとリチャードを害するには近くに寄らねばならない。そこは護衛が守ってくれるはずだ。
「そうか? 今日は温かいくらいかと思うのだが?」
「季節問わず、日光を浴び続けるのは体力を使います。ただでさえ、身体を酷使しているのですから、油断していると倒れますよ」
「あ、ああ? お前が言うなら……リチャード、お前も来なさい」
ミカエルはライオスのこう言った気遣いに対して、応じてくれることが多い。実際に彼はフロイス公爵令嬢を迎えるにあたって、相当気を揉んでいたので精神的にも疲れていたことだろう。
彼が少し怪訝な顔をしながらも、リチャードを連れて建物の陰に移動した時だった。
ピンと糸が張ったような緊張感がライオスに伝わる。
それは、こちらに迫ってきていた感情が、誰かに伝播したのだと理解した。
(ん? なんだ?)
『なんてことだ! 早く殿下をどうにかせねば! いや、まず陛下に!』
そんな心の叫びが耳に届いたかと思えば、脳裏にライオスとリチャードの顔が浮かぶ。
(私とリチャード?)
「陛下」
宰相が血相を変えて現れ、ミカエルが顔をしかめた。
そして、そっとミカエルに耳打ちする。
『はぁ⁉ なぜ彼女が⁉』
ミカエルの顔つきがいっそう険しくなり、彼の脳裏に白い毛並みの小型犬の姿が浮かんだのが見えた。
(小型犬……はっ!)
その瞬間にライオスの中で甲高い警鐘が鳴り響く。今すぐこの場から離れなければならないと本能が告げていた。
「あ……兄上! 私、とんでもない用事を思い出しました! 今すぐにすっ飛んで行かないとこの国が終わるような気がする用事が!」
そして、『何言ってんだコイツ』という顔をしているリチャードの腕をひっつかんだ。
「なっ、我が甥よ!」
「はぁ⁉」
素っ頓狂な声を上げるリチャードを他所に、ミカエルは大きく頷く。
「ああ、そうだったな、私もお前とリチャードに用事があったことをすっかり忘れていた。この国の未来はお前達にかかっている。ライオス、今すぐリチャードを連れて国を救ってこい」
「父上ぇ⁉」
「頼む、甥殿。この国を救うのはお前しかいないんだ!」
「さっきから何を言っているのですか、あなた達は! ちょっと、叔父上! 引っ張らないでください! ちゃんと説明を!」
「我が甥よ、今は何も分からなくていい。きっと未来でこの言葉の意味が分かる時が来るはずだ」
「そう遠くない未来でお前のことを待っているぞ、リチャード」
「誰かーっ! 国王と王弟がご乱心ですよ! 止めてください!」
リチャードが激しく抵抗し、なかなかその場から連れ出せないでいると、馬の蹄の音が聞こえてきた。
「皆様~っ、ごきげんよう~!」
(げっ!)
城門から馬を走らせて現れたのは、淡い色のドレスを身に纏った少女。綿あめのような銀髪に、空色のつぶらな瞳、小さな唇。小型犬を彷彿とさせるその少女の名は。
「シャルメリア第三王女、エスメラルダ。参上いたしましたわ~っ!」
昨年、王宮に大きな波乱を呼んだ王女であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます