第12話 波乱の顔合わせ
その翌日、お茶会の予定時間より少し早く王宮にやって来たルルイエをライオスは出迎えた。彼女はライオスの顔を見るなり、昨日のことを思い出したようで頬を少しだけ赤くする。
(かわいい)
そう心で呟きつつ、ライオスは笑みを浮かべた。
「ルルイエ、よく来てくれたね」
「ごきげんよう、ライオス殿下。本日はよろしくお願いします」
ライオスは彼女をエスコートしながら、顔合わせの席である応接間に案内する。
応接間の前にくれば、どこか気まずげにしているリチャードの従者の姿があった。
どうやら、ライオス達を入室させるか悩んでいるらしい。
後ろに控えていたマシューが前に出て「王弟殿下に何か?」と睨みを利かせる。
従者は歯切れが悪そうに「リチャード王太子殿下がすでに入室しております」を口にし、ライオスに頭を下げた。
(なんだ? あの腫れ物に触るような感情……私ではなくリチャードに対してか?)
彼は「王弟殿下、ローウェン公爵令嬢が到着です」と中にいるリチャードに声をかけ、ドアを開ける。
するとそこには、口から魂が抜けた状態のリチャードがクッションを抱きしめてソファにくつろいでいた。
その油断しきったリチャードの様子にライオスも面食らってしまう。どうやら、従者が気にしていたのはこのことらしい。
リチャードはこちらの存在に気付いていないらしく、呆然と宙を見上げていた。
ルルイエはリチャードの気の抜けた態度を見たのは初めてだっただろう。困惑した様子でライオスを見上げている。
正直に言うと、こんな油断しきったリチャードの姿はライオスも滅多に見たことがない。
「ライオス殿下、リチャード殿下は一体どうされたんですか?」
「急な客人の応対で疲れたのだろう。今はそっとしておこう」
さすがに正面に座るのは憚られるため、彼の後頭部を眺める形で椅子を用意してもらった。
(昨日は大変だっただろうから、少しくらい大目に見ないとな……)
少なくともキャロラインの留学期間は二週間もある。学年は違うとはいえ、学園では行動を共にすることが多くなるだろう。少しだらしがないが、世話役のカレンが到着するまで自由にさせてやろう。
しばらくしてリチャードが「ンゴッ!」という豚のような声を上げたかと思うと、大きくむせ返った。
「大丈夫か。我が甥よ」
そう声をかけてやれば、リチャードは弾かれたように振り返った。
「お、叔父上⁉ それにルルイエ嬢! いつの間に⁉」
「この部屋に来たのはついさっきだ。まだくつろいでいてもかまわないぞ」
「…………いえ、もう十分です」
リチャードを気遣ったつもりが、なぜか内心で舌打ちをされた。
抱きしめていたクッションを放って姿勢を正したリチャードに向かって、ライオスは言った。
「昨日、彼女とお茶をしたのだろう? フロイス公爵令嬢の印象はどうだった?」
「叔父上だって、彼女のことをご覧になったでしょう? そのままですよ」
今回はお見合いを兼ねた留学だが、この口ぶりから察するにやはり第一印象が悪かったらしい。
(リチャードの態度次第では後で兄上へ報告かな? 外交の練習にしたってこれではまずい)
苦笑する気持ちを抑え、ライオスはミカエルへの報告事項を頭の中で書き加えた。
「そうだろうか? 我々が知らない一面がまだあると思うけれどね? 相手は女性だ。失礼のないよう努めなさい」
「叔父上の心配には及びませんよ」
そう殊勝なことを言いながら、リチャードは内心で苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて悪態をついていた。
『心がねぇくせに、何を偉そうにっ!』
(私にだって心はあるよ。でも、おかしいな。激励したつもりだったんだけど、なぜ怒る?)
不意にノックされ、カレンの入室を告げられる。
「リグレー伯爵が娘、カレン。参上いたしました」
見事な淑女の礼を見せたリグレー伯爵令嬢カレン。背中まで伸びるダークブラウンの髪。緑色の瞳はつり上がっていてどこか勝気な印象を与える。メリハリのある体つきもあって、大人っぽい雰囲気を醸し出している。伯爵家とはいえ、さすが旧家だ。所作も洗練されており、一見見苦しい部分は見受けられない。
「本日はよろしくお願いいたします」
彼女が挨拶したあと、リチャードはソファから立ち上がった。
「カレン嬢。よく来てくれた。隣国の公爵令嬢の世話役は大変かと思うが、二週間よろしく頼む」
「いえ、今回の大役見事果たして見せますわ。それとカレン嬢なんて他人行儀な。我が弟が世話になっているのですから。どうぞ、カレンとお呼びになって」
ぐいっと距離を縮めようとするカレンに、リチャードの心の距離が三歩ほど後退する。
「友の姉とはいえ、淑女をそう気安く呼べないさ」
(ほう……ついこの間まで、叔父の婚約者の異母妹を呼び捨てしていたくせに)
そのことをカレンも知っているだろう。一瞬頬をひきつらせたが、すぐに身を引いた。
「そう、残念ですわ」
ちらりと視線を送ってきたため、ライオスはルルイエを連れて行く。
「やあ、リグレー伯爵令嬢」
「ごきげんよう、カレン様」
「ライオス殿下とルルイエ様。ごきげんよう。本日はよろしくお願いいたします」
和やかに挨拶をしたかと思えば、彼女はルルイエに対して優越に浸った目を向けて来た。
「しかし、まさか此度の大役に私が抜擢されるなんて。てっきりルルイエ様が選ばれるかと思いましたわ」
成績も身分も申し分のないルルイエではなく、自分が選ばれたことで傲慢な感情を助長させてしまったのだろう。まっすぐに嫌味をぶつけてきたカレンに、ルルイエはお手本のような笑みを浮かべる。
「買いかぶりですわ。カレン様は宰相閣下のご息女で、弟のヨルン様もリチャード様のご友人です。選ばれて当然ですわ」
事前にカレンが選ばれた理由を知るルルイエには、彼女の嫌味が届かない。
カレンも手応えがなく肩透かしを食らって口元を引きつらせていた。
ルルイエはカレンのように気が強いわけではないが、生真面目な性格が故に裏表があまりない。カレンも先ほどのルルイエの言葉が心から言っていることだと分かっただろう。
「そ、それこそ買いかぶりですわ。家が古くとも伯爵家ですから……」
「そんな謙遜しなくても……」
「ルルイエ嬢、カレン嬢、立ち話もなんだ、ひとまずソファに座ったらどうだろうか?」
リチャードがソファを薦め、ライオス達は席に着いた。
「さて、今回の留学では急遽、フロイス公爵令嬢だけでなく、エスメラルダ王女も一緒だ。ただし、エスメラルダ王女は学園内には入らないことになっている。休日や放課後に王宮内で顔を合わせることがあれば、客人として対応して欲しい。特に、カレン嬢はフロイス公爵令嬢と共にいるから会う機会が多いだろう。よろしく頼む」
「承知いたしました」
リチャードはカレンの言葉に頷くと、改まったようにライオスに向き直った。
「そして、叔父上」
「なんだろうか、甥殿」
「叔父上は極力、きょーくーりょく、ルルイエ嬢と一緒にいるようにお願いします。我々のことは気にせず、婚約者との時間を大切にして、仲睦まじく過ごしているんですよ? いいですか? 分かりましたね?」
なんとなく既視感がある言い方に、ライオスはリチャードの背後にミカエルの姿が浮かんだ。やはり親子である。
「ふぅ、甥に婚約者との仲を心配されるなんて、お前の成長には日々驚かせられるな」
『嫌味か、この野郎……!』
(おかしいな。褒めたつもりだったのに)
突き刺さんばかりに飛ばしてくるリチャードの敵意を無視して、ライオスはルルイエに笑いかけた。
「ルルイエ。そういうことだから甥殿のお言葉に甘えて、我々はゆっくり過ごそう」
なぜかルルイエは曖昧に笑って返す。その上彼女から戸惑いと困惑、嬉しさと申し訳なさが滲み出ている。おそらく、リチャードの機嫌を気にしているのだろう。
(気にせず頷けばいいのに)
ライオスがそう思っていると、ドアの向こうから焦りと絶望の感情が渦となってこちらにやって来る。まるで嵐のような強い感情は言葉となってライオスの耳に届いた。
『あ~~~~~~~~~~~~、どうしたらいいの~~~~~~~~~っ!』
(あ、フロイス公爵令嬢だ)
一夜明けて少しは冷静になったかと思ったが、意外にそうではなかったらしい。
『あのお猿さんは意地を張って何も話さないし、実家に手紙を送ろうにも変なこと書けないし! こうなるんだったら、あのお猿さんのコードネームでも作っておけばよかった! 秘密の暗号的な!』
(おう、荒れてる荒れてる……)
どうやら、キャロラインもエスメラルダの密入国理由が分かっていないらしい。
さて、彼女は一体どうするのか。とはいえ、彼女の目的は留学しつつ、リチャードと交流を深めること。エスメラルダのことは放っておけばいいのにとライオスは思うが、本人はそうはいかないのだろう。
『今頃、きっとエスメラルダがいなくなったって、大騒ぎになっているに違いないわ! ミカエル国王陛下が連絡してくれるって話だけど……絶対に抗議文よ!』
(安心してくれ、フロイス公爵令嬢。大きな問題にはならないはずだ。だって兄上は『一体どんな言葉選びをしたらお宅の娘さんが密入国してきましたってやんわり書けるんだ』って頭を抱えてたから)
ミカエルは歴代の国王の中でも穏健派なのだ。よほどのことがない限り、問題を大きくすることはない。
『もうこうなったら仕方ないわ! 私は私の目的を果たすだけよ!』
(目的?)
コンコンコン!
ドアをノックされて、キャロラインが到着したことを告げられる。
そして、入室してきた彼女はさっきの荒ぶる感情を感じさせない淑女らしい笑みを浮かべていた。
「やあ、フロイス公爵令嬢。昨日は慌ただしくなってしまい、申し訳ない」
「いえ、こちらこそ。我が国の王女のことで、大変ご迷惑をおかけしております」
「気にしないでくれ。今日はフロイス公爵に紹介したい人がいる」
フロイス公爵令嬢はソファから立ち上がったライオス達に目を向ける。
「昨日、すでに挨拶したと思うが、叔父のライオス。そして、その婚約者のルルイエ・ローウェン公爵令嬢だ。ルルイエ嬢、彼女はシャルメリアからの留学生で、キャロライン・フロイス公爵令嬢だ」
紹介を受けてライオスはやんわりと笑う。
「昨日はろくに相手ができず悪かったね。二週間、楽しんでいってくれ。ルルイエ、挨拶を」
「はい。フロイス公爵令嬢、お初にお目にかかります。わたくし、ルルイエ・ローウェンと申します。学園でもたびたび顔を合わせると思いますので、どうぞ、よろしくお願いいたしますわ」
「御二方にお会いできて光栄です。特にローウェン公爵令嬢は同じ公爵家の人間としてお会いできるのを楽しみにしておりました。短い間ですが、仲良くしていただければと思います」
ライオスとルルイエに挨拶すると、キャロラインの目がきらりと光ったような気がした。
そして、彼女から嬉しさや期待の感情が沸きあがっていくのを感じる。それは好意とはまた違う。まるで初めて動物を見る子どものような好奇心だった。
『プラチナブロンドの髪に青と紫のオッドアイ。魔女族と王族という特殊な血筋、人の心がないと噂される美少年。そして、曰く付きの王弟の最愛の婚約者! 公爵家で、ちょっと勝気に見える吊り目の美少女! なんて最高の組み合わせなの!』
淑女の笑みを浮かべたまま、心の中でライオスとルルイエを称賛するが、なぜか褒められた気がしなかった。
『陛下やお父様、それからエスメラルダから王弟殿下のお話を伺っていたけど、実物をお目にかかれる日が来るなんて! よろしくお願いいたします、ネタの宝庫様!』
「今、なんて言った?」
思わず聞き返して、ライオスはハッとする。
まるでルルイエに対するキャロラインの挨拶にライオスが難癖付けたような雰囲気になってしまっていた。
リチャードとカレンが白い目を向けてくる中、ライオスは誤魔化すように咳払いをする。
「すまない。ちょうど耳鳴りがしてね。最後の方が聞こえなかったんだ。気を悪くしないでおくれ」
「は、はい?」
苦し紛れの言い訳は効果が薄く、キャロラインは自分が何か失言したのかと考えているようだった。どちらかと言えば、失言したのはライオスの方である。
室内に妙な緊張感を漂う中、口を開いたのはリチャードだった。
「フロイス公爵令嬢。叔父上はルルイエ嬢をとても大切にしていて、大変心が狭い……ごほん。嫉妬深いところがあるんだ。叔父上の失言を許して欲しい」
(私の心が狭いことは認めるが、もっと他に言葉があっただろう、リチャード)
『嫉妬深い? 仲良くして欲しいと言っただけで?』
キャロラインから困惑した様子でそんな心の声が聞こえてきたかと思えば、何やら心の内から温まるような、それでわくわくするような感情が流れてきた。
『………………ごちそうさまです!』
(何が⁉)
何も食べていないのにごちそうさまとは。
心の声ははっきりと聞こえたはずなのに、その意味不明な言葉はライオスを酷く混乱させた。
(一体、彼女はなんなんだ⁉)
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