第15話深愛 蓮【守りたい女】

◇◇◇◇◇


これまで誰かを守りたいと思ったことがないわけじゃない。

チームの奴らや、かけがえのない友達。

幼い頃からまるで本当の我が子のように組員を守っていた親父の背中を見てきたからこそ、自分も大人になったら大事な奴らを精一杯守れる男になりたい。

そう思ってきた。


ただその大事な奴らの中に女は入っていなかった。

そもそもそんなに大切だと思う女と出逢うなんて思っていなかった。


……そう、あいつに出逢うまでは……。


◇◇◇◇◇

ある日の夜。

リビングで仕事をする俺の横で美桜は雑誌を読んでいる。

すると――

「ねぇ、蓮さん」

不意に美桜が俺の顔を覗き込んできた。

「うん? どうした?」

「男の人って弱い女の子が好きなの?」

唐突な質問に

「……はっ?」

俺は困惑した。


「なんか守ってあげたくなる女の子に惹かれるって書いてあるんだけど……」

自分が読んでいた雑誌を指さす美桜の手元を見る。

「確かに書いてあるな」

「でしょ?」

「あぁ」

「守ってあげたい女の子ってどんな女の子のなの?」

「……どんなって……」

「例えば身体の小さな女の子とか?」

「……」

「あっ、弱々しい感じの女の子とか?」

「……まぁ、そういう女を守ってやりたいって思う男もいるんじゃねぇのか?」

「ふ~ん……あれ?」

「どうした?」

「今の言い方だと蓮さんは違うんじゃないかと思って……」

「一般論で言えば、美桜が言ったような女を好む男も確かにいると思うけど……」

「うん?」

「そんな女は街中に一杯いるだろ?」

「へっ?」

「そもそも男と女だったら、男の方が体はでかい訳だし」

「うん」

「男から見れば女は弱く感じて当然じゃないか?」

「うん。そう言われてみれば確かにそうだね」

「だろ? もし、それだけで惹かれるんであれば街中を歩いたらすれ違う女みんなに惹かれるんじゃないのか?」

「……あっ、本当だ。そうなっちゃうね」

「あぁ」

「やっぱり雑誌の記事は鵜吞みにしない方がいいね」

「そうだな」

「……危ない騙されるところだった」

そうぼやきながら美桜は雑誌を閉じるとそれをマガジンラックに仕舞い、今度はマンガ本を読み始めた。

そんな美桜に苦笑しながら、俺はノートパソコンの画面に視線を戻す。


雑誌の記事が完全に間違いという訳じゃない。

読み手の解釈も大きく影響すると思うけど、男が惹かれるのは守ってやりたいと思う女には条件があるのだ。

その条件とは――そんなことを考える俺の頭の中にはいくつかのエピソードが浮かんだ。


◇◇◇◇◇


あれは美桜と付き合い始めてそれなりの月日が過ぎた頃だった。

美桜の過去のトラウマもずいぶん解消され、夜中に夢を見て魘されることもほとんどなくなった頃。

神様は美桜に試練を下した。

美桜は偶然、実の母親と遭遇した。

実の親子だといえど、何年も離れて暮らしていた2人。

その原因は実の母が美桜を虐待したことだった。


もしこれがドラマや映画ならばその偶然の再会が2人の距離を縮めるきっかけになるのかもしれない。

だけど実際はそんなに甘くない。

この再会は2人を完全に決別させるきっかけにしかならなかったのだから。


母親との再会で大きなショックを受け、癒えかけた傷をえぐられた美桜は、しばらくの間深く落ち込み抜け殻のような生活を送らざるをえなくなってしまった。

食事も喉を通らず、眠ったら悪夢に魘される。

見る見るうちに身体は弱ってしまい、とうとうぶっ倒れてしまった。

そんな美桜の隣にいることしかできない俺は自分の無力さを痛感した。

それは俺だけじゃない。

美桜の周りにいて彼女の事情を知る者たちは皆、心を痛めていたのだ。


その時、儚く弱い美桜はこのまま突きつけられる現実に押しつぶされてしまうんじゃないかと思っていた。

だけど違った。

美桜は必死で自分の力で現実を受け入れ立ち上がろうとしていた。


その姿がとても痛々しくて

「無理しなくてもいいぞ」

俺は何度も美桜にそう言った。

でもその度に美桜は

「大丈夫」

そう言って踏ん張っていた。

その時、俺は初めて美桜の強さを目の当たりにして知ったんだ。


◇◇◇◇◇


いつだったか――こんなこともあった。

その日、俺はケンに誘われ美桜と一緒にチームの溜まり場にいた。

週末ということもあって、溜まり場のクラブは一般の客が大勢入っていて大盛況だった。

だけど俺や美桜はVIPルームで過ごしていたので、一般の客と接触を持つことはない。

それが俺の油断に繋がった。

「蓮さん、私ちょっとお手洗いに行ってくるね」

「ひとりで大丈夫か?」

「あっ、美桜ちゃん私が一緒に行こうか?」

「ありがとう、アユちゃん。でもひとりで大丈夫」

「でも……」

「大丈夫だから心配しないで」

アユは窺うような視線を俺に向けてくる。

“付いていかなくて大丈夫ですか?”

アユは目線でそう聞いていた。

「フロアーにはチームのメンバーがいるから何かあったらすぐに声を掛けろよ」

「うん、分かった」

美桜は頷いてVIPルームを出て行った。


いつもなら5分もすれば戻ってくる美桜が10分経っても戻ってこない。

……遅いな。

俺は美桜の身になにかあったんじゃないかと心配していた。

そう思っていたのは俺だけじゃないらしいく

「蓮さん、美桜ちゃん遅くないですか?」

そう言ってきたのはアユだった。

「……そうだな」

「私、ちょっと見てきますね」

アユが立ち上がった時、VIPルームのドアが開き

「ただいま」

美桜が戻ってきた。

「遅かったね」

アユの言葉に

「ちょっと混んでて……」

美桜は笑顔で答える。

その笑顔に不審なところは一切なかったので、俺は美桜の言葉を素直に信じてしまった。

だけど美桜が遅かったのは、トイレが混んでいたのではなく、トイレで一般客として来店していた数人の女に話しかけられたからだと俺が知ったのは後になってからだった。


美桜がトイレから戻ってきて30分が経った頃

「蓮さん、ちょっとだけいいですか?」

俺は護衛班の責任者であるトーマに呼ばれた。

「どうした?」

「ちょっと報告しておきたいことがあって」

「なんだ?」

「あっちでいいですか?」

「あぁ」


「美桜、ちょっと出るからアユと待っていてくれるか?」

「……えっ?」

「どうした?」

「……ううん、なんでもない。すぐに戻ってくるんだよね?」

「あぁ」

「分かった。いってらっしゃい」


「どうした?」

「一応、報告しといたほうがいいと思って」

「なにかあったのか?」

「さっき美桜さんがトイレに行きましたよね?」

「あぁ」

「俺、フロアーにいてトイレの方に行く美桜さんに気が付いたんですけど、さすがについていくのはどうかと思ってその場で待機してたんです」

「あぁ」

「しばらく経っても美桜さんが戻ってこないので、何かあったのかと思って様子を見に行ってみたら」

「なんかあったのか?」

尋ねると

「なんかあったというか……」

トーマは言いにくそうに口籠る。


トーマのその言動に嫌な予感が過る。

「なんだ?」

「美桜さんはトイレで一般客の女、数人に話しかけられたみたいで」

「それって普通の一般客なのか?」

「えぇ、どちらかと言えば美桜さんに好意を持っている女達です」

「そうか」

「ただ、聞こえてきた話の内容が俺的にちょっと気になるものだったので……」

「どんな内容だったんだ?」

「最初は蓮さんと付き合っていることを羨む内容だったみたいなんですけど」

「あぁ」

「そのうち蓮さんと付き合うことに対する……」

「気を遣わなくていいから言え」

「はい。蓮さんと付き合うことで発生するデメリットを指摘する内容が含まれていて」

「デメリット?」

「えぇ、このまま蓮さんと付き合っていくなら結婚するんじゃないかという推測から神宮組の姐になったら大変だとかそういうことを女が言っていて」

「……なるほど、そういうことか」

「はい」

俺はトーマの報告に納得こそしたものの、ネガティブな反応を示すことはなかった。

なぜならば、自分と付き合うことで美桜にもたらすデメリットをいちばん知っているのは俺自身だったからだ。

これまでそれについて散々迷い悩んできた。

今更、それを他人に指摘されてもたいしてなにも思わなかった。

「それで美桜はなんて言ってたんだ」

「それが……」

「ん?」

「美桜さんはなにも言わなかったみたいなんです」

「なにも言わなかった?」

「はい」

「それは確認済なのか?」

「はい。ドアの外から聞いただけでは状況をすべて理解することができなかったので、美桜さんと喋った女達と接触して話を聞きました。その女たちが言うには、美桜さんは微笑みながら女達の話を聞いていただけみたいです」

「そうか、分かった。トーマ、手間を取らせて悪かった」

「いいえ、事前に接触を阻むことができなくてすみませんでした」

「そんなの謝る必要はねぇよ。それに美桜もそれは望んでない」

「そうですね」


その後、俺はトーマと別れVIPルームに戻った。

「おかえり、蓮さん」

「ただいま」

「もう用事は終わったの?」

「あぁ」

美桜はなにか聞きたそうな顔を一瞬したが、結局なにも聞いてこなかった。


それから2時間程して俺と美桜は帰路についた。

自宅に帰ってから俺はタイミングを見計らって美桜に尋ねた。

「なぁ、美桜」

「なに?」

「今日は楽しかったか?」

「うん、とっても楽しかった」

「そうか、それは良かった。じゃあ、嫌なことはなかったか?」

「嫌なこと?」

「あぁ」

「……別になにもなかったけど」

美桜は怪訝そうに俺を見つめる。

「本当に?」

「……うん」

「だったら誰かになにかを言われたりしなかったか?」

「なにか?」

「あぁ」

「……別になにも……あっ……」

美桜はなにかを思い出したような反応を見せた。


「思い出したか?」

「思い出したっていうか……」

「ん?」

「蓮さんがなんのことを言っているのかが本当に分からなくて」

「そうなのか?」

「うん。てか、それってなに情報?」

「トーマ情報」

「……そう言えば私がトイレに行く時、トーマはフロアーにいた気がする。もしかして心配させちゃったかな?」

不安そうに聞いてくる美桜の頭を俺は撫でる。

『気にしなくていい』

そう言うのは簡単だし、トーマは自分の役目を果たしただけなのでそこまで気にする必要はない。

でもそれを伝えたからと言って美桜が気にしないことはない。

それが分かっているから俺は敢えて言わなかった。


「なんか言われたんだろ?」

「……まぁ……てか、全部知ってるの?」

「あぁ、ある程度は知ってる」

「だよね。トーマからの報告が中途半端なわけないもんね」

美桜は諦めたように呟いた。


「そうだな。てか、なんでなにも言い返さなかったんだ?」

「それは……」

「それは?」

「必要がなかったから」

「必要がない?」

「うん」

「でも、俺との将来のことを言われたんだろ?」

「そうだね」

「それなら『あんたたちに関係ない』って言ってやればよかったのに」

「関係ないからなにも言う必要はないと思ったの。だってもう私は決めてるから」

「なにを決めてるんだ?」

「私はずっと蓮さんの傍にいるって」

予想外の美桜の言葉に

「……」

俺は返す言葉を見つけることができずにいた。

「なにがあっても蓮さんの傍にいるって決めてるんだから、今更なにを言われようが気にならないっていうか……」

「なにを言われても気にならないのか?」

「うん、全然気にならない。それに綾さんも言ってたし」

「綾さん?」

「そう。蓮さんと付き合い始めてすぐの頃、綾さんから教えて貰ったことがあるんだ」

「なんだ?」

「あのね、『これから先、蓮と一緒にいる時間が長くなればなるほど、周囲にいろいろと面倒くさいことを言う人が増えていくと思う。でも周囲の声に惑わされてはダメ。美桜ちゃんが信用できると思う人と自分自身で決めたこと以外は耳を貸さなくていいのよ』って」

「そうなのか?」

「うん。あと対処法も教えてくれたの」

「どうするんだ?」

「ヘラヘラって笑って聞き流せばいいんだって」

……あぁ、だから美桜は女達が話している時笑って聞いていたのか。

俺は納得した。


「なぁ、美桜」

「なに?」

「俺の傍にいることに不安はないのか?」

「不安?」

「あぁ」

「そんなのいっぱいあるに決まってるじゃん」

「……はっ? いっぱいあるのか?」

「うん。そりゃあ、たくさんあるよ。でも、だからってウジウジしてるわけにはいかないし、それに不安は漠然とした感情であって実際に起きていることじゃないんだから悩んでも無駄っていうか」

「確かにそうだな」

「てか、私は信じてるから大丈夫なの」

「……?」

「なにがあっても蓮さんが傍にいてくれるって」

「……美桜」

「私は蓮さんが傍にいてくれたら、どんな未来が待っていたとしても大丈夫な気がするの。だから私は他人からいろいろ言われても気にしないんだ。だから今日のこともすっかり忘れてちゃってた」

そう言って笑う美桜に

……あぁ、俺は勘違いをしていた。

美桜は儚くて弱い女だと思っていた。

なにがあっても俺が守らないといけないと思っていた。

でもそれは単なる驕りに過ぎなかったのだ。

美桜は弱くなんかない。

芯なる強さを持った女だった。

俺はそう痛感した。


◇◇◇◇◇



男が女を守ってやりたいと思うのは、愛する女の健気で必死な強がりを見た瞬間だと俺は思う。

美桜は外見的に儚くて弱々しい印象を受ける女だ。

身体だって俺よりずいぶん小さい。

でも美桜を初めて見つけた時、彼女は深夜の繁華街にいた。

雑踏の中ひとりで凛と佇んでいた。

今、思えばあの頃の美桜は必死で虚勢を張っていたんだと思う。

お世辞にも安全とは言えない深夜の繁華街。

酔っ払いやガラの悪い連中が溢れる街中にしか居場所がなかった美桜。

少なからず恐怖心はあったはず。

その恐怖心を美桜はひた隠し、凛と佇んでいた。

あれは間違いなく強がっていたんだと思う。

その強がりに俺は心が惹かれ

“あいつを守ってやりたい”

そう思ったんだと思う。


「あのさ」

「ん?」

「私って弱そうに見える?」

マンガ本を読んでいた美桜が聞いてくる。

「なんでそんなこと聞くんだ?」

「客観的にみて私って弱そうに見えるのかなって思って」

「……そうだな。まぁ、見た感じは儚くて弱そうにみえる。だけど……」

「……?」

「美桜は強いと思う」

「えっ? 強い?」

「あぁ、お前は強い」

「……そっか」

「なんでがっかりしてるんだ?」

「別にがっかりなんてしてないけど」

「そうか?」

「うん。てか……」

「蓮さんは別に弱い女の子が好きなわけじゃないんだよね?」

「はっ?」

「だってさっきそう言ったじゃん」

「……あぁ、確かに言ったな」

「だよね? そう言ったってことは別に私が弱い女の子じゃなくてもいいってことだよね?」

「……」

「蓮さん?」

「……なぁ、それって俺に美桜のことが好きなのかって確認してんのか?」

「ち……違うよ」

「違うのか?」

「うん……いや……違うくないかな」

しどろもどろの美桜に愛おしさがこみ上げてくる。

俺は美桜に手を伸ばすとその小さな身体を抱きしめた。


「心配しなくても俺が好きなのは美桜だけだ」

「……本当に?」

「本当に」

「そっか、それならいいや」

「ん? なにがいいんだ」

「私は弱い女じゃなくてもいいやってこと」

「あぁ、美桜は美桜のままでいい」

「うん」


俺にとって美桜は“守りたい女”

辛い経験をたくさんして身も心もボロボロに傷付きながらも必死で自分の足で歩んでいこうとする。

おそらくこれから先、楽しいことだけじゃないだろう人生にも凛と立ち向かおうとする美桜を俺はずっと隣にいて支え守りたいと思っている。


深愛 蓮【守りたい女】完結

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