第17話Shine マサト【あたたかい陽だまり】

◇◇◇◇◇


日付が変わり、数時間経ってから俺はようやく自宅に帰りつく。

帰ってきてからいちばんにすることは寝室に行くこと。

もちろんそれは寝るためじゃない。

俺が帰ってきてまず最初に寝室に行くのは最愛の女の寝顔を見るためだ。


音を立てないように細心の注意を払いながらドアを開き、足音を忍ばせてベッドに近付く。

ダブルベッドだからそのなりの大きさがあるのにヒナはいつも落ちそうで心配になるくらい端っこに寝ている。

それは今日も例外じゃなかった。

……なんでいつもこんな端っこで寝てるんだ?

一緒に住み始めて以来、俺はずっとそんな疑問を抱いている。

その疑問を解消したくてヒナに聞いたことがある。

「ヒナ」

「なぁに?」

「どうしていつもベッドの端で寝てるんだ?」

「へっ?」

「俺が帰ってくると、いつも落ちそうなくらい端っこで寝てるだろ?」

「えっ? そうなの?」

キョトンとした瞳で俺を見つめ返すヒナ。

どうやら無自覚だったらしい。

無自覚なら仕方がないとその日はそれ以上、その話題に突っ込むことはしなかった。

だけど、数日後。

「あのね、マサト」

「ん?」

「この前聞いてきたでしょ?」

「なにを?」

「どうしてベッドの端っこで眠るのかって」

「あぁ。ヒナは気付いていなかったんだろ?」

「うん、そうなんだけど……なんか気になったから考えてみたんだよね」

「はっ? 考えた?」

「うん。それで自分なりに理由を見つけたの」

「わざわざ?」

「うん」

「……そうか。で? どんな理由なんだ?」

「多分なんだけどいい?」

「あぁ」

「多分、マサトが帰ってきた時にベッドを占領してちゃだめだという本能が働いてるんだと思うんだ」

「本能?」

「うん、そう」

ヒナは得意げに言い放ったヒナは満足そうに笑っている。

おそらくヒナはこの“理由”を見つけるために、かなり考えて悩んだんだと思う。

それでなんとか自分が納得できる理由を見つけることができたので、こんなに得意げであり、満足そうなんだと思う。

ヒナは基本的にまじめだ。

普通なら俺のあんな質問なんて軽く聞き流してもいいのに……。

それをしないのがヒナであり、ヒナらしいとも言える。

だけど、ヒナの身体はとても小さいのでダブルベッドのあんな端で寝なくても俺は十分に眠ることができる。

ヒナの“理由”を聞いてそんな意見を抱いた。

「あのさ、ヒナ」

「うん?」

「気を遣ってくれるのはありがたいんだけど、もしベッドから落ちて怪我でもしたら大事だからもっと真ん中で寝た方がいいぞ」

「……そう言われてみればそうだね。じゃあ、今日からそうするね」

「あぁ」

そんなやり取りをしたにも関わらず、その夜帰宅するとヒナはやっぱりベッドの端っこで寝ていた。


……もしかして元々端っこで眠る癖があるのか?

そう考えたが、同棲を始める前、ヒナはシングルベッドの真ん中で眠っていたことを思い出し、その可能性は消えた。

それからも俺が帰宅するとヒナはベッドの端で眠っていて、俺の疑問は今も解決していなかったりする。


眠っているヒナの顔を覗き込む。

気持ちよさそうな無邪気な寝顔に俺は張り詰めていた気持ちがふと緩んだ。


◇◇◇◇◇


その日俺はたまたま仕事が休みで家にいた。

仕事柄、休みは不規則で忙しい時には丸一日の休みを取ることも難しい時がある。

でもそんなに仕事が立て込んでいない時にまとまった休みをもらえることもあるので、本当に不規則としか言いようがない。

今回も2週間ぶりの休みだった。

しかも2連休。

とりあえず今日は家でのんびり過ごし、明日はヒナと買い物にでも行って好きなものを買ってやろう。

俺はそう考えていた。


「……マサト」

俺のところにきたヒナは顔が強張っていて、顔色も悪い。

なにかあったということは一目瞭然だった。

「どうした?」

「……えっと……」

「ヒナ?」

「なんか……親戚の叔父さんが亡くなったらしくて」

「……はっ?」

「小さい頃からものすごく可愛がってもらっていた叔父さんなんだけど」

「いつ亡くなったんだ?」

「昨日の夜、事故にあったらしくて」

「電話がかかってきたのか?」

「ううん、親からメールが来てた」

それを聞いた俺はすぐに立ち上がった。


「ヒナ、すぐに準備しろ」

「……えっ? 準備?」

「今から行くぞ」

「で……でも……」

「なんだ?」

「私は行かない方がいいんじゃないかな」

身内の不幸。

すぐに駆け付けるのが普通なのに、ヒナは躊躇う。

その理由が分かっている俺は言い聞かせるように伝える。

「いや、ヒナが身内の葬儀出席するのは問題ない」

「そうなの?」

「あぁ、めでたい行事は遠慮するべきだけど葬儀には参列できる。身内なら尚更行くべきだ」

「本当に?」

「あぁ」

「……良かった。ずっと会ってなかったからせめてお別れだけは言いたいと思っていて」

「そうだな、これが最後のチャンスだ。行って、きちんと挨拶してきた方がいい。ヒナの地元まで送っていくからすぐに準備しろ」

「……マサトは?」

「ん?」

「マサトは一緒に参列してくれないの?」

「悪いけど、俺は遠慮させてもらう」

極道の俺が堅気の人間と関わることはできるだけ避けた方がいい。

本音を言えば、ヒナの傍にいてやりたい。

でも俺にはそれができないのだ。

「……そっか」

「一緒にいてやれなくてごめんな」

「ううん、全然大丈夫」

「送り迎えはするから」

「ありがとう」

ヒナのその笑顔が不安を隠すものだと分かっていてもなにもできない自分の無力さを痛感した。


◇◇◇◇◇


それから俺はヒナを地元まで車で送った。

繁華街の自宅マンションからヒナの地元まで1時間弱。

いつもはよく喋るヒナが今日はずっと黙り込んでいた。

無理もない。

ヒナの地元に行くのはこれで2度目。

1度目はヒナの両親に結婚の報告に行った時だった。

結婚の許可ではなく報告。

ヒナにプロポーズをした時、彼女は一般的な女性のように喜びだけではなかったはずだ。

なぜならば、俺と結婚することを選ぶならば両親を含める身内や地元の友人達とこれまで通り会うことができなくなってしまうからだ。

それはもちろん俺のせいだ。

社会から嫌われている俺と家族になるということはそういうことだ。


ヒナにそんな不自由で寂しい生活をさせることが心苦しくて

籍は入れなくてもいい。

そう考えたこともあった。

でも、どうしてもヒナを手放したくなくて……。

結局俺は自分の独占欲とエゴでヒナにプロポーズをした。

俺のプロポーズをヒナは笑顔で幸せそうに受け入れてくれた。

ヒナは快諾してくれたがヒナの両親には結婚を認めてもらうことはできなかった。

それは当然と言えば当然のことだった。

愛情と手間と時間をかけて大切に育てた愛娘。

その愛娘を極道に嫁がせたいと思う親がどこにいるだろうか。

そんな親なんているはずがないのだ。


その日俺はヒナの地元の料亭の個室を予約していた。

ヒナは家に来たらいいと言っていたけど、自分の立場を考えればヒナの実家の敷居を跨ぐことには躊躇いがあった。

念の為、蓮にも相談してみたがやはりヒナの実家に行くことは止めた方がいいと言われた。

その上でヒナの地元にある料亭を教えてくれた。

そこのオーナーは蓮の知り合いらしく、いろいろと融通が利くらしい。

その料亭で俺はヒナの両親と初めて顔を合わせた。

目元がヒナとよく似た親父さんと笑顔がヒナにそっくりなお袋さん。

事前に『何も伝えなくていい』俺はヒナにそう伝えていた。

そもそも極道の男と結婚しようと思うなんてヒナは両親に言いづらいに決まっている。

それを伝えるのは俺の役目なのだ。


顔合わせの場には俺達が先に着いた。

俺は柄にもなく緊張していた。

でも――

「なんか緊張する……」

――緊張を隠さないヒナのお陰でずいぶん緊張は解れた。


それから10分ほどしてヒナの両親がやってきた。

仲居に案内されて部屋に入ってきたヒナの親父さんとお袋さんはとてもうれしそうな笑顔だった。

「遅くなって申し訳ない」

親父さんが丁寧に頭を下げてくれる。

「いえ、今日は急なお願いを聞いていただきありがとうございます」

礼の意を伝えてから席を勧める。

予想外の笑顔での初対面に俺はほんの少し油断していた。

それから料理が運ばれてきて、食事会が始まる。

ヒナの親父さんとお袋さんは終始笑顔で、気さくにいろいろな話をしてくれた。

ヒナの幼い頃のエピソードの数々はどれだけヒナを大切に思っているのかが伝わってきた。

今、思い出してもこの時間は俺にとってもヒナにとっても貴重な時間となった。

最初で最後の団欒の時間なのだから。


食事が終わり、デザートと飲み物が運ばれてきた時点で、俺は崩していた足を正した。

「本日はヒナさんとの結婚を認めていただきたくてお時間をいただきました」

そして今日の目的を告げる。

「あぁ、なんとなく予想はしていたよ」

親父さんが柔らかい口調で言う。

隣ではお袋さんが笑顔で目尻の涙をこっそり拭っている。

そんな2人に結婚を認めてもらう前に俺は伝えておかないといけないことがあった。


「実は先にお伝えしておかないといけないことがあります」

不思議そうに顔を見合わせる親父さんとお袋さんに俺は包み隠さず話した。

自分がしている仕事のこと。

そのせいで結婚すると知人と自由に会うことも難しいこと。

迷惑をかける恐れがあるのでヒナの実家に行くことはできないということ。


この場をうまく切り抜けようとも誤魔化そうとも俺は思っていない。

ましてや結婚に納得し、認めてもらおうとも思ってはいない。

大切なヒナの両親だからこそ真実を伝えなければいけない。

それが自分なりのけじめであり、今の俺にできる精一杯のことだった。

しかしその結果ヒナは、実家はもちろん俺と知り合う前に関わっていた人と縁を絶つような形になってしまった。


「この結婚は認められない」

親父さんはそう言って、お袋さんは泣いていた。

こうなることは十分に予測できた。

でも楽しかった1時間弱の食事の時間の余韻が胸に残っていて罪悪感が半端なかった。

でもヒナの親父さんとお袋さんの気持ちを考えれば俺の胸の痛みなんて大したことじゃない。


「……マサト、帰ろう」

そう言って先に立ち上がったのはヒナだった。

そんなヒナに

「この男と一緒にここを出て行った時点で親子の縁は切るぞ」

親父さんが言った。

でもヒナは迷ったりはしなかった。

それどころか俺の腕を引き、部屋を出ようと足を進める。

襖の前で足を止めたヒナは、一瞬何かを迷うような素振りを見せた。

……あぁ、俺は一人でここを出ないければいけないのかもしれないな。

そう考えた時だった。

ヒナは両親の方を振り返ると

「長い間お世話になりました。親不孝な娘でごめんなさい。でも私はマサトのいない人生はかんがえられない。だから誰になんと言われてもこの人と結婚します。本当にごめんなさい。それと今までありがとうございました」

ヒナは両親に向かって深々と頭を下げた。

親父さんとお袋さんは振り返ろうともしなかった。

ただ、お袋さんのすすり泣く声だけが室内に響いていた。


それ以来、俺は親父さんやお袋さんと会っていないし、ヒナの地元にも来ていない。


「マサト、この辺りでいいよ」

ヒナの声で現実に引き戻された俺は、ブレーキを踏んで車を停める。

「一人で大丈夫か?」

「うん」

「家の前まで送ろうか?」

「ううん、大丈夫」

「そうか」

「ねぇ、マサト」

「ん?」

「明日、絶対に帰るから」

「あぁ、もし何かあったら連絡しろよ」

「うん」

「なんもなくても時間があったら連絡してこい」

「分かった」

ようやく見れたヒナの笑顔に俺はホッと胸を撫で下ろす。


ヒナを降ろして、俺はそのまま自宅に戻った。

ヒナの実家の近くにホテルを取ろうかとも考えたけど、そんなことをしたらすぐに迎えに行ってしまいそうな気がして止めた。


◇◇◇◇◇


その日の夜。

俺は一人でベッドに入り、ぼんやりとしていた。

仕事が休みで、ヒナもいないとやることがなにもなくて、俺は早々にベッドに入った。

時刻は22時。

でもこんな時間に眠れるはずもない。

気が付けば考えているのはヒナのことだった。

今、ヒナはなにをしているのだろうか。

俺のせいで居心地の悪い思いはしていないだろうか。

叔父さんとのお別れはちゃんとできただろうか?

ヒナのいない家はとても静かでなぜか寒い。

暖房もつけているし、ベッドに入っているのに肌寒く感じる。

……もしかしたらヒナもひとりで寂しいのかもしれないな。

一人で家にいる時間が長いヒナのことを考えている時

もしかして寂しいから端っこで寝てるのかもしれない。

俺はそんな考えが頭を過った。


翌日の昼過ぎ。

朝から雪が舞っている。

俺はヒナを迎えに行くため車を走らせていた。

昨日の夜と今朝、ヒナからは2度電話があった。

思ったよりも元気なヒナの声に俺はホッとした。


待ち合わせの場所に着くと、そこにはまだ約束の時間前なのにヒナの姿があった。

しかもヒナはひとりじゃなかった。

車を停めた俺は急いでヒナの元に歩み寄る。

「ヒナ」

声を掛けると

「あっ、マサト」

ヒナは笑顔だった。


それを確認したがすぐに安心することはできなかった。

「ご無沙汰しています」

ヒナと一緒にいた親父さんに俺は頭を下げる。

「……あぁ、あの日以来だな」

「はい」

「今回は急にヒナを呼び出して申し訳ない」

「どうんでもないです。こちらこそすみません、一緒に行けなくて」

「いや、気にしなくていい。本来ならヒナも来れないと思っていたんだ」

「すみません、自分のせいで……」

「マサト君」

「はい」

「今では私は君たちの結婚を認めることはできない」

「はい」

「でも……」

「……」

「ヒナを大切にしてくれてありがとう」

「えっ?」

「ヒナの顔を見ればどれだけ君に大切にしてもらっているのかが分かる」

「……」

「今はまだ私も妻も働いていて、堂々と君と関りを持つことはできない」

「はい。それは承知しています」

「でもあと数年後、私たちが現役を引退した時は、一緒に飯でも食おう」

「……えっ?」

「勝手なことを言っているのは十分に承知している」

「いいえ、それは当然のことです」

「それまでヒナのことをどうぞよろしくお願いします」

親父さんはそう言って俺に深々と頭を下げてくれた。

結婚を認めてもらったわけじゃない。

でも俺は無性に嬉しかった。



◇◇◇◇◇


寝室に入ってきたヒナが

「う~、寒い」

ガタガタと身体を震わせる。

「ん? あぁ、早く入れ」

俺はベッドの隣の布団をめくって、手招きする。

「うん。雪、けっこう降ってるよ」

飛び込んできたヒナが言う。

「そうか。明日、積もるかもな」

「そうだね。あ~、あったかい」

「そんなに寒いのか?」

「うん、寒い。マサトは寒くないの?」

「今日はとてもあたたかい」

「えっ? 雪が降ってるのに?」

「あぁ」

「ふ~ん」

「昨日は寒くて堪らなかったけどな」

「昨日よりも今日の方が絶対に寒いと思うよ」

「いや、俺はヒナが傍にいてくれるだけで十分あたたかいよ」

「なに? それ」

ヒナは笑っていた。


俺にとってヒナはあたたかい陽だまりのような存在。

これから先、どこにいようと傍にヒナがいてくれればきっとあたたかいと俺は思う。



Shine マサト【あたたかい陽だまり】完結

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