第16話Pure Heart ケン【優しい厳しさを与えてくれる存在】
◇◇◇◇◇
俺はガキの頃から誰かに強く叱られたという記憶はほとんどない。
両親はもちろん祖父母にも……。
学校の先生を含め、俺に関りのある大人達は、いつも俺の顔色を窺っていた。
できる限り機嫌を損ねないように……。
できる限り刺激をしないように……。
それに気が付いたのは小学生の頃だった。
友達と一緒に悪いことをした時、友達は大人から叱られるのに俺だけはそんなに叱られないということがあった。
それが初めておかしいと思った時だった。
……どうして友達は叱られるのに、俺は叱られないんだ?
それからその疑問の答えを見つけるために俺は周囲を観察しまくった。
その結果、俺は気付いた。
周りの大人たちは俺を叱らないんじゃなくて、叱れないんだと。
そこには俺の家柄が深く関係していることも分かった。
俺を叱ることで両親や祖父母の機嫌を損ねたくない。
そんな大人の事情があって、叱る大人がいないことに気が付いた俺は好き勝手なことばかりして生きてきた。
そんな俺を唯一厳しく叱れるのは、彼女の葵だけだ。
葵は怒らせるとマジでヤバい。
口では言い表せないくらいにヤバい。
葵の説教が始まると、この世の終わりみたいな気持ちになるし
葵に睨まれると『死んだ』と思ってしまう。
葵だけはマジで怒らせてはいけない。
これは俺の日々の目標であり、教訓でもある。
◇◇◇◇◇
日が暮れたばかりの繁華街。
時刻は18時を過ぎた頃。
俺は繁華街のメインストリートにいた。
多くの人が行きかう街中に屯するのは俺達の専売特許であり、他のチームへの牽制でもある。
“この街はB-BRANDの縄張りだ”
そう言わんばかりに俺はそこにいた。
……とはいえ今は1月。
日が暮れてしまうと寒さも倍増する。
でもだからって溜まり場に引き籠ってるわけにはいかない。
定期的に街に出て、周囲に宣伝と牽制を仕掛けなければいけないのだ。
今、ここに出張ってるメンバーは俺やヒカルを含めて30人程度。
呼べばすぐにもっと人を集めることもできるが、夜はまだ長い。
徐々に増やしていかないとすぐに警察がやってくる。
傍から見れば俺達はなにも考えていないように見えるかもしれない。
でも実際のところはそんなことはない。
冷たい風が吹き付け
「……さむっ」
思わず肩を竦めた時だった。
「おう、溝下」
聞き覚えのある声が聞こえ、ふと声がした方を見た俺は
「……げっ、三井……」
そっちを見たことを心底後悔した。
でもどんなに後悔してももう遅かった。
その証拠に
「なんだよ? そんな嫌そうな顔をするんじゃねぇよ」
三井は相変わらず刑事か極道か分からない風貌で近寄ってくる。
「……嫌な顔なんてしてねぇよ」
言いながら俺は腰かけていたガードレールから立ち上がる。
目の前で足を止めた三井は
「いや、してたぞ」
しつこくその話題を引っ張ろうとする。
「そうか? じゃあ、あれだ」
「なんだ? 意識はしてなかったけどつい感情が顔に出ちまってたんだろ」
「……それって……」
「ん?」
「やっぱり俺に会いたくなかったってことじゃないのか?」
「そういうことになるな」
俺はニヤリと笑った。
三井は刑事だ。
極道にしか見えないが正真正銘れっきとした刑事。
刑事と言えば俺たちにとっては敵以外のなにものでもない。
敵と遭遇して喜ぶはずがないのだ。
「……ったく、報われねぇな」
三井は大袈裟に肩を落としてみせる。
「あ?」
「市民のために寝る間も惜しんで尽くしてるっていうのに……」
「警察なんてそんなもんだろ」
「……だな」
三井は刑事だが、俺個人的にはそんなに嫌いな人間じゃない。
もし三井が警察の人間じゃなかったらそこそこ仲良くなれる自信もある。
でも俺はストリートギャングのトップで三井は警察の人間。
お互いの立場を考えれば、適度な距離を保つ必要がある。
おそらく三井もそう考えているはずで、こうして人目が多いところで堂々と声をかけてくることはとても珍しいことだった。
だからこそ俺は少なからず警戒していた。
「てか、なにやってんだよ?」
俺が尋ねると
「うん?」
三井はポケットから煙草を取り出しながら答える。
「市民に尽くしまくってる刑事がこんなところでなにをやってるんだって聞いてるんだ」
「あぁ、見回りだ」
答えて、三井はなにかに気付いたように一瞬動きを止めた後、出した煙草をポケットにしまう。
どうやらここでは煙草を吸えないことに気付いたらしい。
「見回り?」
「あぁ」
「それってあんたの仕事じゃないだろ?」
「ん?」
「そんなの所轄のオマワリに任せればいいじゃん」
「まぁ、そうなんだけどな。たまには初心に戻って街の安全を自分の目で確認しないといけないと思ってな」
「ふ~ん。そりゃ、立派な心掛けだな」
「まぁな」
「じゃあ、もう行けよ。ここには事件なんてねぇよ」
「そうか」
「じゃあな」
俺はガードレールに腰を下ろそうとした。
すると
「溝下、ちょっといいか?」
三井が声を潜めそう言った。
「なんだよ?」
「話がある」
「それってここじゃダメなのか?」
「できれば2人で話したい」
「ふ~ん。どのくらいだ?」
「そんなに長くはかからない」
三井は珍しく真剣な表情だった。
しかも2人でということはそれなりに大事な話なんだろう。
そう判断した俺は
「……分かった。ヒカル」
三井に答えて、近くにいたヒカルを呼ぶ。
「はい」
「ちょっと出てくるわ」
「……一緒に行きましょうか?」
「いや、相手は三井だ。心配はいらない、俺一人で大丈夫だ」
「分かりました」
ヒカルが頷いたのを確認してから俺は三井と一緒に路地裏に向かった。
◇◇◇◇◇
「で? 話ってなんだ?」
そう尋ねた俺に
「お前、しばらく大人しくしとけ」
三井は開口一番そんなことを宣った。
「……あ?」
「近いうちにこの辺りで半グレチームの一斉検挙がある」
「……」
「この街で幅を利かせているチームのトップを含めた幹部を一斉に検挙する計画が進められている」
「……ふ~ん。……ってことは、そいつらを引っ張るための証拠も揃えてるってことだな」
「そうだな。……まぁ、こっちが集めている証拠だけで引っ張るのは難しい奴らもいるかもしれないが……」
「叩けばほこりが出るような奴らばかりだからそこは問題ないってわけか?」
「あぁ、その通りだ」
三井はタバコが吸えなくて口寂しいのかポケットからガムを取り出すとそれを口に放り込んだ。
その様子を眺めながら
「ところでなんでその情報を俺のところに持ってきた?」
俺は尋ねる。
「ん?」
恐らくその一掃計画のリストには俺の名前も入っているはずだ。
それなのにわざわざ俺にその計画をバラす三井の真意が分からない。
「お前らは俺を引っ張りたくてたまらないだろ?」
「まぁ、他の奴らはそうかもしれないが……こう見えても俺はお前を可愛がってるんだ」
「あ?」
「できることなら俺はお前を逮捕なんてしたくないと思ってる」
「……」
「それに俺はお前の彼女の大ファンだからな」
「……はぁ⁉」
「彼女を泣かせるようなことは男としてしたくないんだよ」
「……おい、待て。おっさん」
「なんだ?」
「マジでやめろ。このタイミングでお前が男を主張する意味が分かんねぇし。マジでキモくて引くわ」
「なに言ってんだ。日本男児として大切な女を守りたいと思うのは本能的なもんだろ」
「いやいや、マジでやめろって。お前の持論なんてマジで聞きたくねぇし、そもそも大切な女ってなんだよ? 葵は俺の女だ」
「……なぁ、溝下。知ってるか?」
三井は急に真剣な声音を発した・
「なにを?」
「お前の彼女がお前の気付いていないところで、お前を守ってくれていることを……」
「はっ? なんだ、それ……」
「お前は最近駅前で大乱闘をおこしたらしいな」
「……なんで……」
「俺がその情報を知っているかって聞きたいのか?」
「いや、確かに一瞬そう思ったけど……ちょっと考えれば分かることだ。逆に知らない方がヤバいしな」
「その通りだ。で、その件でお前は彼女に厳しく叱られなかったか?」
「なんでそれをお前が知ってるんだ?」
「……」
「おい、三井。答えろ」
俺は黙り込んだ三井に凄む。
「逆に聞くけど、どうして彼女が駅前の乱闘の情報を知っていたんだと思う?」
「……あ?」
「お前たちは敵が多い。だから大事な人間にはチームが護衛をつけているんじゃないのか?」
「あぁ、そうだ」
「それならあの日、彼女が繁華街の駅前にいたという報告をお前は下の人間から受けてるか?」
「……いや」
「じゃあ、乱闘があった時お前は彼女と一緒にいたのか?」
「いなかった」
「だよな。それなら彼女が乱闘のことを知っているのはおかしいと思わないか?」
……三井の言う通りだ。
葵が乱闘のことを知っていたのは確かにおかしい。
……いや、別に知っていることはおかしいことじゃない。
おかしいのは、葵が乱闘の件を知るには早すぎるという点だ。
乱闘があって2~3日の時間が経ってからなら、その場にいなかった葵がそのことを知っていてもおかしくはない。
でもあの場にいなかった葵が、事があった数時間後に知っているということはおかしすぎる。
チーム内部の情報が俺の許可なく葵に届く可能性は極めて低い。
……ということは部外者の誰かが葵にその情報を回したと考えるのが最も自然な感じがする。
そうなると誰が葵にその情報を齎したのか……。
俺は思考を巡らせていた。
「溝下」
「……なんだよ?」
「先に謝っておくことがある」
「謝っておくこと? なんだよ?」
「俺の部下がお前の彼女に接触していた」
「……あ?」
「先日の乱闘の件を彼女に話したのは俺の部下だ」
……あぁ、そうか。
だから葵は知っていたのか。
俺はようやく納得ができた。
「あんたは知っていたのか?」
念の為、三井に確認する。
「……俺が知ったのは、事後報告でだ」
「そうだろうな。もし、事前に知っていたならあんたは部下に絶対にそれをさせなかったはずだ」
「いくら彼女とはいえ、善良な市民を事件に巻き込むのは警察としてやってはいけないことだからな」
「確かにな。……まっ、警察の事情なんて俺には関係ねぇし。てか、これはここで俺がキレてもいいぐらいのことだよな?」
「あぁ、そうだな」
「葵に情報を伝えた刑事の目的は?」
「彼女の助言を借りて、お前が起こす問題行動を減少させたかったらしい」
「それって葵の仕事じゃなくて警察の仕事だよな」
「そうだ」
「その刑事の処分は?」
「しばらくの間、別の課に移ってもらうことにした」
「しばらくの間? それってどのくらいなんだ?」
「お前がB-BRANDのトップに就いている間は戻って来ねぇよ」
「あっ、そう」
「悪かったな」
「それって、俺に対する謝罪か?」
「まさか、彼女に対する謝罪に決まってるだろ」
「じゃあ、なんで俺に言うんだよ?」
「彼女に俺が直接謝罪してもいいのか?」
……直接、謝罪。
それって三井が葵に直接会うってことだよな?
「ダメに決まってるだろ」
「そう言うと思ったから、お前のところに来たんだろうが」
「……なるほどな。そういうことか。で? 今回、一斉検挙の話を俺のところに持ってきたのは謝罪のつもりか?」
「……」
「どうなんだ?」
「……あぁ、少なからずそれも理由の一つだ」
「そうか」
「それにしてもお前の彼女はお前にはもったいないな」
「うるせえな。余計なお世話だ」
「捕まりたくなければお前らはおウチで大人しくしとくことだな」
「あんたの忠告はありがたく受けさせてもらうよ、おっさん」
「そうしろ、クソガキ」
「三井、お前の部下がしたことは許せねぇ。でも、この情報を教えてくれたことには感謝する。俺はこの件は知らないふりをしておく。そうする方が葵との関係もうまくいくからな」
「あぁ、そうだな」
「でも、あんたの部下が予定より早く戻ってきたり、俺の前に顔を出したら容赦しねぇからな」
「……分かった。でもひとつだけ言っておく」
「なんだ?」
「お前は引退するまで警察にマークされていることに変わりない。目立つことは控えろ」
「……あぁ、分かってる」
「彼女を失いたくないならヤンチャはほどほどにしろよ」
「……余計な世話だ」
「じゃあな。溝下」
「おう」
立ち去る三井の背を眺めながら、俺は小さく息を吐く。
……また葵に余計な心配と迷惑をかけちまったな。
あの日、俺にケンカをするなと𠮟る葵の顔を思い出し、罪悪感に襲われた。
◇◇◇◇◇
メインストリートに戻ると
「ケン」
そこには葵の姿があった。
「おっ、葵。来たのか?」
「うん。それよりなんか三井さんに連れていかれたって」
「世間話を少ししただけだ。心配はいらない」
「……良かった」
葵は安堵の表情を浮かべる。
そんな葵ともう少し一緒にいたいけど、その前に俺はやらないといけないことがあった。
「あれ? ヒカルは?」
「あっちにいるよ」
「あぁ、そうか。ヒカルと話してくるから葵ちょっと待っていてくれるか?」
「うん、分かった」
俺はすぐにヒカルの元に向かう。
「ヒカル」
「はい」
「ちょっと相談したいことがある」
「なんでしょうか?」
「あっちで話すか」
「はい」
俺達はメンバー達から少し離れた場所に移動する。
「近いうちにこの辺りのチームを一掃するために一斉検挙が行われる」
「一斉検挙ですか⁉」
「そうだ」
「それは三井からの情報ですか?」
「あぁ。それで、それが落ち着くまでメンバーたちは必要最低限の見まわりだけにしてあとは溜まり場か自宅で待機させる」
「分かりました」
「見まわりの人数も減らした方がいいから機転の利くヤツをメインに組み直した方がいいな」
「それでは幹部を中心に、警察からそこまでマークされていないヤツらを見まわりにまわしましょうか?」
「あぁ、それがいいな」
「分かりました。すぐに見回りのメンバーのリストを作り直します」
「そうしてくれ」
「今日中に伝達を出しますか?」
「あぁ、そうだな。できるだけ早い方がいい。あと県外の傘下のチームにもしばらくはこの街に来ないように知らせろ。今から俺がOKを出すまでどんな理由があろうとも揉め事や諍いは禁止だ」
「分かりました」
「じゃあ。、頼んだぞ」
「任せてください」
ヒカルとの話を終え、葵の元に戻った俺は
「よし、今日はもう帰るか」
メンバーと談笑している葵に告げる。
「えっ? もう?」
「なんか身体がダルイから今日は家でゆっくりする」
「えっ? だ……大丈夫⁉ 風邪でもひいたの?」
「……あ~……」
「なに?」
「そうかもしれないな」
「……はっ? 大丈夫?」
「……どうだろう」
「大変、早く帰ろう」
「葵」
「なに?」
「看病してくれるか?」
「当たり前でしょ。ほら、早く!!」
葵は俺を引っ張り歩き出す。
寒い冬の夜。
冷たい風に吹かれていても隣に葵がいるだけであたたかく感じた。
◇◇◇◇◇
数日後。
葵をウチの呼んでまったりしていると
「ねぇ、ケン」
葵が急に神妙な顔で俺の正面を陣取った。
「ん?」
「なにかあったの?」
「なにかって?」
「それが分からないから聞いてるんだけど」
「別になんもないけど」
「それにしては妙に大人しくない?」
「そうか?」
「うん、この頃外に出ることもあんまりないし」
「寒いからな」
「なに? その年寄りくさい理由は……」
「年寄りくさいか?」
「うん、ものすごく」
「……断言しすぎじゃね?」
「だって本当にそう思うんだもん」
「てか、ケンカしたら怒られるし」
「……はっ?」
「俺がケンカしたら葵は怒るだろ?」
「それは……」
「それは?」
「……そうだけど……」
「だろ? だから大人しくしてるんだけど」
「へっ? そうなの?」
「あぁ」
「そっか。それなら別にいいんだけど……」
「なんかあったから大人しくしてる訳じゃなくて、なんもないように大人しくしてるだけだ」
「……い……」
「“い”?」
「えらい!! えらいよ、ケン」
「そ……そうか?」
「うん。なんか短期間に成長したね」
「まぁな。俺はやればできる子だからな」
「うん、できる子だね」
嬉しそうな葵につられるように俺も顔が緩む。
「てか、ケン知ってる?」
「なんだ?」
「最近、繁華街のチームの人たちがどんどんつかまっちゃてるらしいよ」
「そうなのか?」
「うん。かなり大規模な逮捕者らしいよ」
「へぇ~」
「B-BRANDのメンバーは大丈夫?」
「あぁ、ウチはひとりも捕まっていない」
「良かった。でも油断は禁物だよ」
「ん?」
「しばらくは大人しくしててね」
「あぁ、そうするわ」
きっとこの先も俺は葵に刑事から連絡があったことを問いただすことはしない。
確かに葵に連絡をしていた刑事はムカつく。
でもその刑事も左遷され別の部署に飛ばされたらしいから今後葵に接触してくる可能性は極めて低い。
もしまた懲りずに接触を図ってきたら、その時は手加減なしで二度と職場復帰できないようにしてやろう。
一方、葵が俺にその件を言わないのは恐らく俺の為。
俺がそのことを知れば、警察が相手だろうが間違いなく揉めることを葵は分かっている。
だからこそ絶対に葵は俺にその話はしないはずだ。
それなら俺も知らないフリをしておこう。
俺にとって葵は優しい厳しさをくれる存在。
葵が俺の傍にいて、悪いことは悪いって叱ってくれる。
俺にとって葵は唯一の存在。
これまでも。
そしてこれからも……。
Pure Heart ケン【優しい厳しさを与えてくれる存在】完結
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます