第9話彩羽×樹【策略は必要か?】Desire番外編

◇◇◇◇◇


仕事を終えた樹は時間を確認する。

時刻は16時少し前。

今日の仕事はこれで終わりだが、夜はパーティーが予定されている。

このパーティーは樹が代表取締役社長を務める会社が運営している飲食店の従業員を招いて労う新年の恒例パーティーである。

樹が代表取締役社長に就任する前からあるパーティーで、先代から引き継がれているもので招待客である飲食店の従業員からはかなり好評なパーティーだったりする。

そのパーティーが19時から始まるので、そろそろ準備を始めなければいけない。

一度家に帰り、シャワーを浴びて、着替えをして……。

樹は頭の中で準備の段取りをする。

……あっと、その前に念の為に連絡を入れといたほうがいいな。

樹はスーツのポケットからプライベート用のスマホを取り出す。

そして樹は履歴のいちばん上にあった番号に発信をした。

呼び出し音は聞こえるが相手はなかなか電話に出ない。

……まさかまだ寝てるんじゃないだろうな?

樹の脳裏に嫌な予想が過った時――

『……もしもし』

ようやくスマホ越しに女性の声が聞こえた。

「彩羽?」

『……うん』

「準備の方は順調か?」

『準備……うん。なんとか』

「じゃあ、迎えに行くのは予定の時間で大丈夫か?」

『うん、大丈夫』

「了解。じゃあ18時に家の前まで迎えに行くから。後でな」

『は~い』


通話を終えた樹は

「……あいつ、今起きたな」

溜息を零した。


◇◇◇◇◇


待ち合わせの時間の10分前に樹は待ち合わせ場所に着いた。

でも待ち合わせの相手は時間通りには来ない。

さっきの電話の様子からおそらく今頃彼女は半泣きになりながら準備していることだろう。

とりあえずパーティー開始の10分前に会場であるホテルに着けばいい。

ここからなら15分もあればホテルまで行ける。

……ということはあと30分程度ならここで待つことができるな。

樹は考え、シートベルトを外した。


7時10分。

「ご……ごめん。お待たせ」

彼女は慌てた様子で現れた。

焦った表情の彼女の顔を見て

「そんなに待ってないけど」

樹は淡々と答える。

「本当?」

「あぁ、だから早く乗れ。風邪をひくぞ」

樹が車に乗るように促すと

「うん」

彩羽は素直にそれに従った。


助手席に座った彩羽は分かりやすく安堵していた。

おそらく寝坊したことがバレていないと思っているのだろう。

分かりやすすぎる彩羽の思考に樹は込み上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。


車が走り出してしばらくすると

「今日もビシっと決まってるね」

彩羽が言った。

「そうか?」

樹は前方に視線を固定したまま答える。

「うん」

「お前も……」

「なに? なんかおかしい? どこ⁉」

急に焦りだした彩羽。

今日、彩羽が着ているドレスは事前に樹が準備して贈ったもの。

似合うだろうと思って選んだドレスは予想以上に彩羽によく似あっていた。

「いや、馬子にも衣裳だなって思って」

「……はっ?」

「ん?」

「おかしくないの?」

「あぁ」

樹が頷くと

「……」

彩羽は黙り込んでしまった。

それを不審に感じた樹は

「彩羽?」

チラリと彼女に視線を向ける。

「……ちょっと待って」

「なんだよ?」

「今のって褒めたの?」

「貶されたように感じたのか?」

「……いや」

「貶されたんじゃないなら褒められたんじゃないか?」

「褒めるんならもっと分かりやすく褒めてよね」

「はっ?」

「そうじゃないと素直に喜べないじゃん」

「……」

彩羽はいつも正直な言葉を求める。

恋愛の醍醐味ともいえる駆け引きなどは好まないし、回りくどい言葉も過剰なくらいに嫌がる。

それは今日も例外ではないらしい。

「はい、どうぞ」

期待に満ちた瞳で彩羽は樹を見つめる。

愛しい彼女が求めているのなら、男としてそれに答えないといけない。

そう考えた樹は、赤信号で停車したタイミングでその眼差しをまっすぐに彩羽に向けた。

「彩羽」

「うん?」

「今日はいつにも増して美人だな。惚れなおした」

樹が言った途端

「……!!」

彩羽の顔はまっかに染まった。

「満足か?」

樹が尋ねると

「……ヤバい。鼻血が出そう」

彩羽は答える。

決して色気がある言葉とは言えない返答に

「服を汚すなよ」

樹は溜息を吐いた。

「うん!!」

だけど彩羽はよほど樹の言葉が満足だったらしく気に掛ける様子はなかった。


「てか、今日のパーティーって本当に私も行っていいの?」

「ん? なんでそんなこと聞くんだ?」

「だってそのパーティーって樹の仕事関係の人ばかりが来るんでしょ?」

「あぁ、そういうパーティーだからな」

「私は樹の仕事とは無関係な人なんですけど」

「そうだな」

「やっぱり行かない方がいいんじゃ……」

「お前はいいんだよ」

「いいの?」

「あぁ」

「なんで?」

「お前は俺の彼女だから」

「……そっか」

「そうだ」

樹が断言すると彩羽はそれ以上何も言わなくなった。


◇◇◇◇◇


ホテルに到着し、パーティー会場を目にした彩羽は

「……ヤバい」

小さな声で呟いた。

彩羽の声は小さかったが、それを聞き逃さなかった樹は

「なにが?」

怪訝そうに彼女を見た。

「こんな大きなパーティーだなんて聞いてないし」

「別に大したパーティじゃない」

「……いやいや」

「ほら、行くぞ」

「ちょっと待って!!」

「なんだよ?」

「心の準備がまだできてない」

「……それって必要なのか?」

「ものすごく」

「……」

「なに?」

「行くぞ」

「はっ?」

「今、心の準備をする時間をやっただろ?」

「はっ? それって束の間の沈黙の時間のこと? あんな短時間で心の準備をしろって言ってるの⁉」

「十分だろ?」

「……はい?」

「そもそも心の準備なんて必要ない」

「どういう意味?」

「緊張感なんて時間が経てば経つほど増すものなんだ」

「そ……そうなの?」

「そうだ。心の準備をする時間を作るくらいならさっさと入った方がいい」

「そ……そっか」

「行くぞ」

上手い具合に言いくるめられ、彩羽が黙り込んだすきに、樹は彩羽の腰に手をあて会場に足を踏み入れた。

その途端

「社長、お疲れ様です」

「お疲れ様です」

近くにいた人たちが一斉に声を掛けてくる。

それらに樹は笑顔で答える。

すると樹の隣にいる彩羽に視線を止めた男性が

「この女性は?」

樹に尋ねる。

「私のパートナーです」

樹は全く臆することなく彩羽を紹介する。

「あぁ、お噂の……かわいらしい方ですね」

「どうも」


その後も彩羽のことを樹に尋ねる人はあとをたたない。

尋ねられる度に樹は彩羽のことを自分のパートナーだと紹介する。

その間、彩羽は居心地が悪そうに樹の隣に立っていた。


会場に入り30分が経った頃

「……ねぇ」

彩羽は樹のスーツの裾を引っ張った。

「失礼……どうした?」

話していた相手に断ってから、樹は彩羽に視線を向ける。

「私、ちょっとあっちにいてもいい?」

彩羽は料理が並んでいるテーブルを指さす。

どうやらお腹が空いたらしい。

「あぁ、好きなものを食べててくれ」

樹が頷くと

「は~い」

彩羽は嬉しそうに頷き、樹の元を離れる。


彩羽が傍を離れても

「あっ、社長」

樹に声を掛けてくる人はあとを絶たない。

本当ならば彩羽の傍にいたいというのが樹の本音ではあるが、仕事関係のパーティーなにのだから仕方がない。

「来てくださったんですね」

樹は仕事モードを崩そうとはしなかった。

「もちろんです。社長がいらっしゃるんだから私たちも来ますよ」

「それはありがたいですね。貴女方がいてくださるだけだけで場が華やぎますから」

「まぁ、社長ったらお上手なんですから。そういえば、今日は社長のパートナーの女性にお会いできるっていう噂を聞いたんですけど一緒じゃないのかしら」

「来ていますよ」

「やっぱり。どちらにいらっしゃるの?」

「今、ちょっと席を外していて……まだ世間知らずなのでお手柔らかにお願いしますよ」

「あら、残念。ウチの店で働かないか口説こうと思っていたのに」

「ママのお店に会うような女性ではないですよ」

「心配しなくても大丈夫。社長の彼女ってだけで労働基準はクリアできますもの」

「そうなんですか?」

「えぇ、だって社長のパートナーなら社長という太客を持ってるんですもの。あっという間にNo.1になれますよ」

「なるほど」

……さすがは有名店のママ。

策略家だな。

樹は感心した。


◇◇◇◇◇


ようやく寄ってくる人の波から解放された樹はすぐに彩羽の姿を探した。

……あ?

樹は眉間に皺を寄せる。

彼の視線の先には彩羽の姿があった。

だけど彩羽は一人ではなかった。

見知らぬ男と親しげに話していたのだ。

「……ちっ」

樹は小さく舌を打つと、彩羽がいるところに向かって歩みだした。


「彩羽」

「……あっ、樹……」

「こちらは?」

樹は彩羽と一緒にいた男が誰なのかを彼女に尋ねた。

すると

「千葉さん」

彩羽は普通にそう答える。

誰なのかを知るために尋ねたのに

……千葉?

誰だ?

謎は余計に深まってしまった。

彩羽の説明が不十分だと思ったのは樹だけではないらしく

「社長、私はサルートの副店長で千葉と申します」

千葉が分かりやすい自己紹介をしてくれた。


「……あぁ、サルートの副店長でしたか」

サルートというのは樹の会社が経営する飲食店のひとつだった。

「いつもお世話になっております」

丁寧に頭を下げる千葉に

「こちらこそ」

樹も仕事モードで答える。

「余計なことかとは思ったのですが彩羽さんがお一人でいらっしゃったので……」

「千葉さんが話し相手をしてくれたの」

「そうでしたか。それはお気遣いいただきありがとうございました」

「いいえ、とんでもないです」

樹がお礼を言うと千葉は恐縮していた。


「どうぞ今日は楽しんでいってください。彩羽、あちらで座って食べようか」

「うん」

樹が場所を移動しようとすると

「あっ、社長」

千葉が焦ったように引き留めてくる。

「はい?」

「このような時にあれなんですが、ちょっとご相談がございまして」

「なんでしょうか?」

「ここではちょっと……」

「そうですか。すみませんが今日はゆっくり話をする時間が取れそうもないので後日に……」

樹がそこまで言うと

「あの、私の昇進についてなのですが」

ここでは話せないといった千葉自ら本題を切り出してきた。

「昇進?」

「はい」


……あぁ、そういう魂胆か。

千葉のもくろみに気付いた樹は

「彩羽」

「うん?」

「すぐに行くからあそこに座って待っていてくれるか?」

「分かった」

さりげなく彩羽を遠ざける。

彩羽が離れたのを確認してから

「それで昇進というのは?」

樹は千葉に向き直った。

「先日、新店長が新しく配属されたのですが」

「えぇ、前の店長が体調を崩されたので本部の方で選出をして新しく店長を配属しました。それがなにか?」

「どうして私ではなかったのかと思いまして」

「それはどうして本部はあなたを新店長に選ばなかったのかということですか?」

「そうです。勤続年数や経験的には問題ないと思うのですが……」

「なるほど。本部が選んだ新店長に納得ができていないということですね」

「……そういうことになりますね」

「分かりました。それでは明日、勤務後に本部の方に来ていただけますか?」

「……えっ?」

「お互いに納得ができるよう話し合いをしましょう」

樹の提案に

「本当ですか?」

千葉は分かりやすく表情を明るくする。

「はい」

「ありがとうございます」

深々と頭を下げる千葉に笑顔を向けながら

……こっちの策略はまだ甘いな。

樹は内心そう思っていた。


ようやく千葉に開放され樹は彩羽の元に向かう。

「彩羽」

「話は終わった?」

「あぁ」

「そう」

「どうした?」

尋ねながら樹は彩羽の隣に腰をおろす。

「樹って本当に社長さんなんだなって思って」

「なんだ? 急に……」

「私と一緒にいる時はちょっと口うるさいけど普通の人だと思っていたんだけど」

「……お前、今さりげなく俺のこと貶さなかったか?」

「気のせいじゃない?」

「……そうか」

「ここにいると樹は社長でなんか遠い人みたいに感じる」

「なにが言いたいんだ?」

「……やっぱり今日、来なければ良かった」

「なんで?」

「私は樹にふさわしくないから」

「なんでそう思うんだ?」

「だって私は一般人だし」

「俺も一般人だけど」

「……はっ?」

「……あ?」

「みんなが言ってる」

「なんて?」

「樹に私はふさわしくないって」

「みんなって誰だ?」

「……」

彩羽はその問いに答えなかったけど、樹にはおおよその予想が付いた。

「言いたい奴には言わせておけばいいだろ」

「……でも」

「俺がお前を選んだんだから」

「……っ」

「それだけじゃダメなのか?」

「……」

「どうなんだ?」

「……ダメじゃない」

「だろ? お前は堂々としていればいい」


樹が彩羽を彼女に選んだ理由。

それは彼女には策略が全く通じないから。

樹はこれまで策略にまみれた世界で生きてきた。

人と人の策略。

男と女の策略。

社会で

策略だらけの世界で生きてきたので、様々な策略を身をもって学んできた。

だけど彩羽といるとその策略が全く通用しない。

それが樹にはやけに新鮮に感じられた。


「……うん。そうする」

彩羽の傍だけが真実のように感じられるから……。


彩羽×樹【策略は必要か?】完結

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