第26話 R.B 綾【挑発のキス】
◇◇◇◇◇
事の発端は響さんがこう言いだしたことから始まった。
「あぁ、そうだ」
「……?」
「明後日なんだけど」
「金曜日?」
「その日久保川の組長がこっちにくるんだ」
「そうなの?」
久保川組長――私はずっと久保川の親分って呼んでいる人で響さんより歳はちょっとだけ上だけど、肩書上は響さんが上っていうちょっと複雑な関係性の人。
でも、けっこう気が合うらしくて仕事上だけではなくプライベートの付き合いもあったりする。
だからこうして機会があれば席を設けて一緒に飲むことが多い。
それに私が夜のお店で働いていた時から何度か響さんと一緒にお店に飲みに来てくれたりもしたことがある
。
「あぁ、昼間にこっちで会合があるらしくて」
「へぇ~」
「それで会合が終わったらここに呼ぼうと思ってるんだ」
「そう。泊っていかれるのよね?」
「そうだな。そうさせようと思ってる」
「分かったわ。じゃあ、準備をしておくわね」
「頼む」
「任せて」
私は意気揚々と引き受けた。
この時点で、てっきり話は終わりだと思っていた。
でもこの話には
「それともうひとつあるんだけど」
続きがあった。
「なぁに?」
「……」
なぜか言いにくそうな響さんを怪訝に感じながら
「響さん?」
私は首を傾げる。
「……実は久保川の姐さんも一緒らしいんだ」
「……久保川の姐さん……って、忍さん⁉」
「そうだ」
私は自分の顔が引き攣ったのが分かった。
「……悪いけど姐さんも一緒にいいか?」
申し訳なさそうにそう問われて、私は即座に
『ヤダ、無理』
そう答えたかった。
それがダメなら
『久保川の親分はウチでゆっくりしてもらって、忍姐さんはどこかホテルでも予約します』とでも言いたかった。
だけど夫婦で来るのに、そう言うことができるはずもないのは私も重々承知している。
それでも嫌なものは嫌なのだ。
私がここまで嫌がるのにはちゃんと理由がある。
私は久保川の親分の奥様――忍姐さんがとても苦手なのだ。
久保川の親分はとてもダンディーなおじさまで優しくて楽しい方で気遣いもばっちりできる人。
だけどその奥様である忍姐さんは、どうも私のことが嫌いらしく、会うたびに言動は冷たいし、まるで虫けらでも見るような眼付きで見てくるのだ。
響さんに忍姐さんが苦手な理由を話したことはないし、苦手だと訴えたこともない。
だけど響さんは私が忍姐さんを苦手なんだと気付いている。
だからこそ忍姐さんが一緒だということを言いにくそうにしていたのだ。
「……綾」
「……分かってる。どうぞ、お呼びして」
「いいのか?」
「この家の主人は私じゃなくて響さんです。それに久保川の親分には結婚前から私もお世話になっています。その奥様である忍姐さんをないがしろになんかできないでしょ?」
「そうだな。でも、君は忍さんが苦手だろ?」
単刀直入に尋ねられ
「えぇ、とても苦手です」
私は即答した。
「それなら今回は見送っても……」
「いいえ」
「綾?」
「ぜひお呼びしてください」
「ぜひ?」
「これを機会に少しも親しくなりたいので」
私はにっこりと笑う。
でも内心では負けず嫌いに火がついていた。
苦手だからという理由で避けるのは性に合わない。
避けるくらいならこちらがじゃなくて相手に避けられた方が断然マシだ。
そう言う持論の元、私は闘志を燃やしていた。
◇◇◇◇◇
予定通りに久保川ご夫妻はウチにお見えになった。
早速始まった酒宴。
その合間を見て、私は自分がやるべきことに追われていた。
台所での用事を済ませて、響さんと久保川夫妻が飲んでいる座敷の様子を見に行こうとしている時
「綾さん」
「はい」
私はお手洗いに行ったらしい忍姐さんと廊下で鉢合わせした。
「お台所前の廊下に生けてある花が少し萎れかけていますよ」
急に指摘されて
「えっ?」
「確かに人の目に触れにくい場所ではあるけど、この家を守る役目のあなたが細かいところにも気をかけておかないとダメよ」
受けたダメ出し。
「はい、すみません。すぐに見てきます」
私は顔面に微笑を張り付けてしおらしく言うと、その場を離れようとした。
「それにしても響さんはどうしてあなたのような方と再婚されたのかしらね」
だけどそんな声が聞こえてきて、私は思わず足を止めた。
……はい?
「響さんにはもっと年相応の方がいらっしゃったのに……」
……それって要は私がガキだって言いたいのかしら?
こんな小娘に現を抜かしやがってって言ってるの?
そういえば聞いたことがある。
響さんが私と籍を入れる前。
忍さんは響さんに再婚を強く進めていたらしい。
そのお相手は忍さんの親戚の女性。
私より年上で、響さんとも年齢が近い。
久保川の姐の紹介だったので無下にできず、響さんは一度だけその女性と会った後、丁重にお断りしたらしい。
忍姐さんからしたらそれが面白くなかったのかもしれない。
自分がいいと考えて勧めた縁談。
それを断って響さんが結婚したのはひとまわり以上年下の小娘。
それに納得できないから忍姐さんは私にきつくあたるのかもしれない。
もしそうなら、逆恨みもいいところだけどその可能性も100パーセントじゃないから今のところはなにも言えない。
「すみません、至らない嫁で。これからもっと精進させていただきますので、忍姐さんもお手数ですけどご指導くださいね」
私はにっこりと笑みを浮かべてできるだけ腰を低くして言ったけど
「……」
忍姐さんはなにも言わずその場を去ってしまった。
その日の夕食時。
響さんは食べに出掛けようかと言ってくれたけど、遠くから見えている久保川の親分達はお疲れかもしれないと思い、私は家で食べることを提案した。
住み込みの組員達にも手伝ってもらい、心尽くしの手料理を振る舞うことにした。
事前に久保川夫妻は大のお魚好きだと聞いていたので、お魚料理メインにしてみた。
お刺身に煮つけ。天ぷらに鯛の炊き込みご飯。
「これはすごいな」
「本当だわ、美味しそう」
料理の並んだテーブルをみた久保川夫妻はそう言ってくれて、私はひとまず胸を撫で下ろした。
いちばんの問題は味だ。
2人の口の合えばいいのだけれど……。
私は柄にもなくドキドキしていた。
「どうぞ召し上がってください」
私はお料理に合う日本酒をお酌しながら勧める。
「じゃあ、お言葉に甘えていただきます」
「ほう、これは美味い」
「そうね。お魚もとても新鮮だわ。お煮つけの味付けもちょうどいいし。どちらのお店のお料理?」
「これは綾の手料理なんだ」
「綾さんの?」
「お口に合ったようで良かったです」
私は安堵しながら言う。
「神宮さん、料理上手な奥さんが来てくれてよかったですね」
「えぇ」
久保川の親分と響さんのやり取りに頑張って作ってよかったと心から思えた。
だけど私は気付いてしまった。
忍さんの箸があまり進んでいないことに……。
ずっと気にはなっていたけど声を掛けることができずモヤモヤしていた。
しばらく経って、忍姐さんが中座したので私も座敷を出る。
そして戻ってきた忍姐さんに声を掛けた。
「忍姐さん」
「……綾さん」
「あの、食が進まれてないような気がしたんですけど、お口に合いませんでしたか?」
「いいえ、そんなことはないわ」
「そうですか。もし、良かったら別のものを準備しますけど」
「結構よ」
「そうですか」
申し出もはねのけられてしまい、私には術がなかった。
酒宴が終わったら忍姐さんにおにぎりを作って持っていこう。
あっ、私が持っていくと食べてもらえないかもしれないから若い子にお願いした方がいいかも。
私は座敷に戻りながらそんなことを考えていた。
飲食を始めてから2時間ほど経ったころ、響さんと久保川の親分はかなり酒も入り楽しそうに話し込んでいる。
話の内容は仕事のことやお互いの組のことで私や忍姐さんはすっかり蚊帳の外状態になっていた。
相手が忍姐さんだから、女は女同士こっちで楽しもうという雰囲気にはならず私はぶっちゃけ暇を持て余していた。
それは忍姐さんも一緒だと思う。
元々、こういう場でしゃばったことをしないのが女性の美徳と考えているらしい忍姐さんはずっと響さんや久保川の親分の話をニコニコと笑みを浮かべて聞いている風ではあるけれど、絶対にこの時間を楽しんでいるようには見えない。
もう少ししたらお風呂を勧めてみようかな。
私がそんなことを考えている時だった。
「それにしても神宮さん。若くて料理上手ないい嫁さんを貰えて良かったですね」
「あぁ、俺にはもったいない嫁だよ」
すっかり酔いが回っている男性陣に苦笑していると
「本当に男性は若い女性がお好きだこと」
珍しく忍姐さんが口を挟んだ。
「確かに遊ぶ相手としては若い女性の方が刺激的で楽しいかもしれませんけど、長く連れ添うなら相手はちゃんとした方自分にふさわしい方を選ばないと後悔してしまいますよ」
……ん? 今のって私に対する嫌味?
「そうは言っても若い女性を好むのは男の本能だからな」
笑いながら久保川の親分が言う。
「あら、それならあなたも若い女性を囲えばいいじゃないですか」
いつもなら親分の冗談に困ったような笑顔で答える姐さんが、棘のある口調で言い返した。
……ちょっと待って。
これってなんかヤバい展開じゃない⁉
「大体、若い女性を見ると鼻の下を伸ばして、みっともない」
「みっともないとはなんだ。お前こそ若い女性というだけで毛嫌いして。それは自分が歳を取っていると公言しているようなもんだぞ。見苦しい」
いよいよ怪しくなってきた雲行きに
「久保川さん、落ち着いて」
「し……忍姐さん」
響さんと私が仲裁に入ろうとするが2人はさらにヒートアップしていく。
「なにを言ってるんですか? 人が歳取るのは当然のことです。若い女性だって月日が経てば私みたいにおばさんになるんです。それはあなたも同じでしょ」
「あぁ、その通りだ」
「いい年齢のおじさんが若い子を見て鼻の下を伸ばしている方が見苦しいと思いますけど」
「なんだと?」
「それに若い女性なんて若いだけが取り柄でしょ。その若さがなくなった時、一体なにが残るんでしょね」
忍姐さんはそう言いながらチラリと私に視線を向けると鼻で笑う。
……あっ、これって宣戦布告されてるんじゃない?
私の魅力が若さだけだと思われてるんだ。
そう気付いてしまった私は一瞬にして頭に血が上ってしまった。
その結果、修羅場に自ら足を踏み入れてしまった。
「お言葉ですけど……」
突然、口を挟んだ私に一斉に視線が集まる。
「私は若い女性だからという理由だけで好意を示す男性には好感は持てません。だけど、年齢が若いからという理由だけで蔑まれることを不快に感じます。忍姐さん」
「……なに?」
「若い女性がみんな何も考えず、また努力を怠って生きている訳ではありません。忍姐さんだって10年前、20年前はいろいろなことを頑張って生きてこられたんじゃないですか? だからこそ今の姐さんがある」
「……」
「私も同じです。もちろんまだまだ至らないところは多々あると自負しています。ですが、響さんを支えられる存在になるために私も必死で努力しているところです」
「……へぇ、そうなの?」
「はい」
「綾さんは自分が響さんにふさわしい女性になれると考えているのね?」
「はい。すぐには無理かもしれませんがいつかはそうなりたいと思っています」
「……そう。でも、甘いわよ」
「えっ?」
「あなたが努力を重ねて、響さんにふさわしい女性になったとしましょう。でも、その時あなたはいくつになっているの? 少なくとも今と同じ年齢じゃないことだけは確かよね?」
「そうですね」
「あなたが努力を重ねて響さんにふさわしい存在になった時、響さんが今と同じようにあなたを愛でてくれる確証なんてどこにもないのよ。下手をしたら、響さんの隣にはあなたじゃなくて他の若い女性がいるかもしれないし」
忍さんの言葉に隣にいる響さんから不穏な空気が漂いだす。
それを察して、私は一か八かの作戦に出ることにした。
このままではせっかくに楽しい時間が台無しになってしまう。
「貴重なご忠告ありがとうございます。でも、ご心配なく」
そこまで言って、にっこりと微笑んだ私は隣に座っている響さんの首に手を回すと、遠慮なく濃厚なキスをさせてもらった。
そして、唇を離した私は
「私は響さんの妻としてだけではなく、女としても飽きられないよう努力していくつもりですから」
できる限り色っぽく笑う。
そのキスは明らかに忍姐さんを挑発するためのキスだった。
それと同時に響さんのご機嫌を直すためのキス。
一か八かの作戦。
その結果は――……。
◇◇◇◇◇
翌日。
私は縁側でぼんやり庭を眺めている忍姐さんを見つけた。
「忍姐さん」
「……綾さん」
「お茶でもいかがですか?」
「いただこうかしら」
「すぐに準備しますね」
私は急いで台所に向かう。
「どうぞ」
「ありがとう」
「この羊羹、すごく美味しいんですよ。おすすめなので召し上がってください」
「……あら、本当に美味しいわね」
「そうでしょ? 私、ずっと和菓子って苦手だったんですけどここの羊羹を食べてから和菓子の美味しさに気付いたんですよ」
「和菓子が苦手だったの?」
「はい。なんか言い方は悪いんですけど和菓子ってご年配の方の食べ物っていう思い込みがあって」
「あぁ、なんとなく分かるわ。私も若い頃はそう思っていたもの」
「そうなんですか?」
「うん」
「分かってくれる人がいて嬉しいです。でも最近はケーキとかの洋菓子より和菓子の方が好きなんです」
「私もよ」
「それなら今度こちらにいらっしゃった時にでも和菓子や巡りでもしませんか?」
「いいわね」
「じゃあ、また近いうちにいらしてくださいね」
「ありがとう」
そう答えてくれた忍姐さんは、少しなにかを考えうような素振りをみせたあと
「綾さん」
私の名を呼ぶ。
「はい」
「昨日はごめんなさいね。ううん、昨日だけじゃない。私は初めて会った時から感じが悪かったわよね」
「感じが悪いってことはないですけど……」
「うん?」
「正直苦手だとは思っていました。すみません」
「別に謝る必要なんてないわ。本当にごめんなさいね」
「もうやめましょうよ」
「えっ?私も昨日は忍姐さんに対して生意気なことを言ってしまいましたし」
「別に生意気なんかじゃ……」
「いいえ。あれは生意気でした。反省しています」
「……綾さん……」
「こんな私ですけどこれから仲良くしてくださいますか?」
「えぇ、もちろん。でも、私なんかと仲良くするのなんて嫌じゃないの?」
「とんでもないです。確かに今まではちょっと苦手だなって思っていましたけれど、忍姐さんは女としても妻としても私の憧れです。それは初めてお会いした時から変わりません」
「憧れを抱いてもらう資格なんて私にはないわ。だって綾さんにきつくあたっていたのは完全に八つ当たりだったのよ」
「そうなんですか?」
「うん、響さんがあなたと結婚してからあなたは私たちの世界ではかなり評判が高くて、よく噂が耳に入ってきてたの。みんながみんなあなたのことを褒めているわ」
「噂ですか?」
「そう、神宮組の姐は若くて美人で度胸があって、まだ嫁いで間もないのに組員にも慕われていて、とてもうまく取り仕切っているって」
「そんなことないですよ。毎日失敗ばかりなんですから」
「極道に嫁ぐってことは普通より大変なことで苦労だって多いって私も身をもって学んできたはずなのに、そんな噂を聞いてそれすらも忘れてしまっていたのよね。だってそんな評判がたつってことはあなたがそれだけ努力している証拠だもの」
「……忍姐さん……」
「それとちょっとヤキモチもあったのよ」
「ヤキモチですか?」
「うん、ウチの人があなたをベタ褒めするから」
「……あっ……」
「本当にごめんなさいね」
「もういいです。話してくださってありがとうございます」
忍姐さんのかわいらしいヤキモチの話しを聞き終わった私は、忍姐さんに対する苦手意識は完全になくなっていた。
◇◇◇◇◇
「綾」
「なに?」
「誰とやり取りしてるんだ?」
「忍姐さん」
「忍さんと?」
「うん、来週こっちに来る用事があるらしいからちょっと会おうって話になって」
「忍さんはひとりで来るのか?」
「うん、ご親戚が入院されてるからお見舞いに行くんだって」
「そうか。それは大変だな」
「そうね」
「それでどこに行くんだ?」
「和菓子屋さん巡り」
「へぇ、本当に仲良くなったな」
「うん、雨降って地固まるってヤツ」
「その雨って綾からの熱烈なキスか?」
「うん。そういうことになるね」
「あのキスはもうないのか?」
「あら、ご希望?」
「あぁ」
「いくらでもしてあげるわよ」
あの一件以来、忍姐さんと私はすっかり仲良くなることができて、今でも定期的に2人で会い和菓子屋巡りをしている。
R.B 綾【挑発のキス】完結
深愛 a Short Story 2021 New Year Edition 桜蓮 @ouren-ouren
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