第25話激愛 ソラ【激情のキス】

◇◇◇◇◇


とある日の夕方。

「ソラ」

「……」

「ソラちゃん」

「……」

幾度となく私の名を呼んでくるのは旦那様であるソウタ。

それをスルーしているのにはちゃんと理由がある。

「ソラさ~ん」

「……もう、なに?」

「なんか暇じゃね?」

「はっ?」

「だから暇じゃないですかって聞いてるんですけど?」

丁寧な言葉遣いで言い直したソウタに私の口からは溜息が漏れる。

別に私はソウタの言葉が理解できなかった訳じゃない。

私が理解できなかったのは――

「ソウタ」

「ん?」

「見て分からない?」

「なにが?」

「私は今、家事をしているの」

「うん。洗濯物を畳んでるしね」

「そう。……ってことは見て分かると思うけど、私は全然暇じゃないの」

「……」

――どこからどう見ても暇ではない私に暇じゃないかと聞いてきたソウタの感覚が理解できなかっただけなのだ。


「それにこれが終わったら夕食の支度も手伝わないといけないし」

「……」

「その次は明日の朝ごはんの仕込みもあるんですけど」

「食事の準備はソラの役割じゃねぇじゃん」

「それはそうだけど……」

ソウタの言い分はもっともだった。

この家には部屋住みと呼ばれる多くの組員た達も生活を共にしている。

でも同じ屋根の下で生活していると言っても彼らの衣食住に関しては組員達が当番制で担当しているので私がしないといけないという訳ではない。

でも西園寺組の大姐であるお義母さんはその定義が当てはまるのかもしれないけど、嫁いできてまだ日が浅い私は若姐という立場ではあるけど、新参者に変わりはない。

新参者の私は組のことをいろいろと勉強させてもらっている身なので、なにごとも経験というスタンスでいなければいけない。

だから食事の準備や後片付け、洗濯や掃除などもできる限り手伝うようにしているのだ。


「担当の奴等に任せておけばよくね?」

ソウタの言い分はもっともだけど

「そんな訳にはいかないわよ。夕食だって朝ごはんだって私もいただいてるんだから手伝わないと」

私にできることはやらなければいけない。

「……」

「だから残念だけど私は暇じゃないからソウタの相手はしてあげられないの。ごめんね」

「え~」

幼い子どもみたいに不満そうな声を上げるソウタを

「よし、洗濯物はおしまい。次はお台所に行って……」

私は軽くスルーして立ち上がる。

部屋を出ていこうとした時だった

「そうだっ!!」

ソウタが大きな声を発した。


「な……なに? 急に大きな声を出して。びっくりするじゃない」

「良いことを思いついた」

「良いこと?」

「うん」

「それってどんなこと?」

「ソラ、デートしようぜ」

「はっ? デート?」

「そう、お泊りデート」

「……お泊りデート?」

「そうだ」

ソウタは得意げに頷く。

……なにを言っているんだろう?この人は……。

お泊りデートって、一緒に住んでて同じ部屋で寝ている私達に必要なんだろうか?

……っていうか、お泊りデートって夫婦じゃなくて、同棲していない恋人カップルがするものじゃないんだろうか?

そんな疑問を私は抱いた。


「ソウタ」

「ん?」

「私は暇じゃないってさっき言ったよね?」

「あぁ、言ったな」

「そんな冗談に付き合ってる暇なんてないんですけど」

「冗談なんかじゃねぇよ。俺は至ってまじめで真剣だ」

確かにソウタはまじめな表情を浮かべていた。

そんなソウタに

「結婚していて、同じ家に住んでるのになんでわざわざお泊りデートをする必要があるの?」

私は尋ねる。


「逆に聞くけど、結婚していて一緒に住んでたらお泊りデートしたらダメなのか?」

「別にダメって訳じゃないけど……」

「だろ?」

「でも絶対に必要ってことでもないでしょ?」

「いや、夫婦仲を良好にするためには必要だ」

「……そう」

「……ってことで、今日は外で飯を食って、泊まるから明日の朝飯もいらねぇ。それなら準備を手伝う必要もねぇってことだろ?」

「……まぁ、そういうことになるのかな?」

「なるだろ。てか、たまにはゆっくりしてください。奥さん」

そこでようやく私は気が付いた。

これはソウタなりの気遣いなんだと……。

「……ありがとう」

だから私は素直にソウタの気持ちに甘えることにした。


◇◇◇◇◇


「あ~、美味しかった」

ソウタが連れて行ってくれたお店でお腹いっぱい美味しいものを食べて、私は大満足していた。

「満足か?」

「うん。お家でみんなで食べるご飯も美味しいけど、たまにはこういう食事もいいね」

「だろ?」

「うん」

「まだ時間も早いし少し飲みにでも行くか?」

「いいね。そうしよう」

そんな話をしながら歩いていると

「西園寺さん」

話しかけてきたのはスーツをピシッと身にまとった中年の男性だった。

一瞬、組関係の人かなと思ったけど、その人の雰囲気がもっと柔らかいものだったことと

「おう、お疲れさん」

ソウタの口調がくだけた感じだったので私の予想は違うことが分かった。


「お疲れ様です。今日は……お仕事ではないんですね」

「あぁ、嫁さんとデートだ」

「そうでしたか。仲睦まじくてなによりです」

「ソラ」

「はい」

「この人はそこにあるLEGEND【レジェンド】っていう店の店長さんだ」

「初めまして。ソラです」

「こちらこそ、初めまして。加川と申します」

店長さんに挨拶をしていると

「あっ、ソウタさんだ」

お店から出てきた女の子たちがこっちを見ていた。

「本当だ。なにやってるんですか?」

その女の子たちが駆け寄ってくる。

「お……おい。西園寺さんは今日奥様とご一緒なんだから」

店長の加川さんが焦ったように、女の子たちを窘める。

「えっ? 奥様⁉」

「マジで? 可愛い」

だけど女の子達は加川さんの言葉を聞いてはいないようだった。

明るい女の子達に私は苦笑しつつも

「主人がいつもお世話になっています」

挨拶をする。

ソウタのことを知っている彼女たちに挨拶をすることは当然というのが私の認識だった。

恐らくLEGENDはソウタの組が関わっているお店で、そこで働く彼女達はソウタと面識があるんだろう。

私はそう推測した。

「わ~、本当に奥様っぽい」

「奥様っぽいじゃなくて、奥様なんだって」

「あっ、そうか」

加川さんと女の子達の会話が面白くて私は我慢しきれずに吹き出してしまった。


その時だった。

「舞さん!! ちょっと来てくださいよ」

女の子のひとりが急に声を張り上げた。

その女子が向いているのは、お店の出入り口の方で、そこには客の見送りに出てきたのか一人の女性がいた。

その人はタクシーが見えなくなるまで頭を下げて見送ってから

「なに?」

こちらにやってきた。

「ソウタさんの奥様ですよ」

「奥様?」

女の子の言葉を聞いて彼女は私の顔をじっと見つめる。

「この店のNO.1だ」

ソウタがさりげなく耳打ちして教えてくれた。


「西園寺さんの奥様でいらっしゃいますか?」

「はい」

「いつも西園寺さんにはお世話になっております。LEGEND【レジェンド】の舞と申します。どうぞお見知りおきを……」

「ご丁寧にありがとうございます。西園寺の家内のソラです」

彼女の私に向ける視線を見て

……この人ってもしかして……。

なんとなく警戒心を強めた。


「西園寺さん、今日は奥様とデートですか?」

舞さんがソウタににっこりと微笑みを向ける。

「あぁ」

「この後のご予定は?」

「どこかで軽く飲もうかと思ってるんだけど」

「それならウチで飲んでいってくださいよ」

「はっ?」

「あら? お嫌ですか?」

「そういう訳じゃねぇけど……」

ソウタは窺うように私に視線を投げかける。

「いいじゃない」

だから私は答えた。


「ソラ?」

「こういうお店は別に男性客しか入れないっていう決まりがある訳じゃないんだし。それにこの方たちはプロなんだから男性であろうが女性であろうが関係なくお相手してくださるでしょ?」

「さすが西園寺さんの奥様。そうですね、私達はプロですからお客様が男性であろうが女性であろうがお楽しみいただけるよう心を尽くして接客させていただきます」

「ほらね。ソウタ、ちょっとだけお邪魔させてもらいましょうよ」

「……そうだな。店長、いいか?」

「もちろんです。どうぞ」

こうして私とソウタはLEGENDで飲むことになった。


◇◇◇◇◇


「え~、じゃあ、ソウタさんがこっちに戻ってくる前からお付き合いしてたんですか?」

「うん」

「そうなんだ。それで美容師さんを辞めてこっちに一緒にきて結婚したんですね」

「そう」

「なんか、ドラマチック」

「そう? けっこうありがちな話だと思うんだけど」

「そんなことないですって、ねぇ舞さん」

「本当にドラマチックだわ。羨ましい」

「ですよね。私もそんな恋愛してみたい」

うっとりとした表情で宙を見つめるのは香絵ちゃん。

最初に外で私達に声を掛けてくれた女の子だ。

私が座るテーブルに着いてくれたのは舞さんと香絵ちゃんだった。

ソウタは知り合いがいたようでそっちのテーブルに挨拶がてらお邪魔していてこのテーブルには女性しかいない不思議な空間になってしまっている。


「でも、ソラさんもいろいろと大変ですよね?」

舞さんが空になったグラスに手を伸ばしながら言う。

「えっ?」

「だって、天下の西園寺家に嫁がれたんですからそれなりにご苦労もおありですよね?」

「……まぁ、でも西園寺家だからっていうわけじゃなくて、嫁ぐってことは婚家がどこであれ少なからず苦労はあるものじゃないかな」

「そうなんですか?」

「うん。だって自分が生まれ育ってきた家とは別の家に招き入れてもらうってことだから、少なからず違いはあるだろうし」

「そう言われてみれば確かにそうですね」

香絵ちゃんが神妙な顔で頷く。

「そういうことも踏まえて考えれば私はかなり恵まれてると思う」

「じゃあ、苦労とかないんですか?」

「う~ん、結婚してから自分が苦労してるっていう認識は全くないかな」

「へぇ~、そうなんですね」

「うん、お義父さんもお義母さんもとても優しくて実の娘みたいに可愛がってくれるし、ソウタもいろいろと気を遣ってくれるし」

「あっ、デートもしてますもんね」

「うん」

「そうなんですね。羨ましい」

舞さんがポツリと呟く。

「えっ?」

私はそれがなぜか無性に引っ掛かった。

だけど

「舞さん、お願いします」

黒服さんが呼びに来てしまい

「はい」

舞さんにそれ以上聞くことはできなかった。


席を離れる舞さんの後ろ姿を見ながら

……もしかしたら、私は勘違いをしたのかもしれない。

そう思った。


「舞さんって……」

「あっ、気にしないでください」

「えっ?」

「いつもはあんなんじゃないですよ。面倒見が良くて明るくて優しい人なんです。ただ……」

「うん?」

「今の話題がちょっとダメだったかも」

香絵ちゃん困ったように笑う。

「えっ? それってどういうこと?」

「お客様にこんな話をしていいのか分からないんですけど……」

「大丈夫。私は口だけは堅いから」

「そ……そうなんですね」

「うん。だから教えて」

懇願する私に香絵ちゃんは分かりやすく戸惑っている。

だけど私は舞さんのことが気になって仕方がなかった。


「……舞さん、実はバツイチなんです」

「そうなの?」

「はい。2年ぐらい前に一度結婚するからってお店を辞めたんです。でも昨年に離婚してまたお店に戻ってきて」

「そうなんだ」

「嫁いだお家でかなりひどい扱いを受けたらしくて」

「ひどい扱い?」

「はい、なにかある度に『元ホステスだから』て蔑まれていたらしくて。舞さんが嫁いだお家はそれなりに大きな会社をいくつも営む家系のお家だったので、旦那さんのご両親は舞さんが結婚する前に夜のお店で働いていたってことがどうしても受け入れられなかったみたいで……」

「旦那さんは庇ってくれなかったの? 舞さんのことが好きで結婚したんでしょ?」

「そうです。元々旦那さんはお客様で、舞さんに惚れて通い詰めて必死で口説いてプロポーズをしたような人なんです。でもご両親には頭が上がらなかったみたいで舞さんがご両親に冷たい態度を取られていても見て見ぬふりをしていたらしくて」

「……そうなんだ」

「離婚を切り出したのも舞さんじゃなくて旦那さんの方だったと聞いてます」

「……はっ?」

「ひどいですよね」

「うん」

「あの……この話は知らないフリをしてもらってもいいですか?」

「もちろん。教えてくれてありがとう」

「あと、舞さんは本当に悪い人じゃないんです。ただ結婚系の話が出ると……」

「うん、分かってる」

頷きながら私は確信していた。

……やっぱり私は勘違いをしていた。

舞さんが私にあまりいい感情を持っていることには初めから気が付いていた。

最初はソウタの嫁である私に対してのものだと思っていたけど、多分違う。

恐らく彼女は幸せそうな奥さんである私に嫌悪感を抱いたんだ。

それが分かった途端、舞さんに対してこれまでと違う感情が湧いてきた。


しばらくすると舞さんが戻ってきた。

「失礼します」

「おかえりなさい」

私は笑顔で迎える。

「すみません、お誘いしたのにお待たせしちゃって」

「ううん、気にしないで。さすがはNo.1、忙しそうだね」

「そんなことないですよ。私なんてまだまだです」

舞さんが戻ってくると同時に

「香絵さん、お願いします」

「あっ、はい」

今度は香絵ちゃんが席を立つ。

席を離れる時、香絵ちゃんが私に目配せする。

それに対して私は小さく頷いて答えた。


香絵ちゃんが席を離れたことで私は舞さんと2人きりになった。

「ソラさんって西園寺さんより年上なんですよね?」

「うん。今年、27歳になるよ」

「あっ、同じ歳だ」

「本当?」

「はい」

「じゃあ、改めてよろしくお願いします」

私は舞さんに向かって手を差し出す。

「えっ?」

私の手を見つめる舞さんは困惑気味だった。

「私、こっちに同い年の同性の友達っていないんだよね」

言いながら握り返してもらえなかった手を引っ込める。

これは想定内のことだった。


「そうなんですか? あっ、そういえばソラさんの地元ってこっちじゃないんですよね?」

「うん。それもあってまだ友達もいないし、知り合いも少ないんだよね」

「それは寂しいですね」

「でしょ? だから舞さん、友達になってくれる?」

「えっ?」

「ダメなの?」

「ダメって……逆にいいんですか?」

「うん? なにが?」

「私なんかが友達なんて……」

「舞さんが友達だと何かダメなの?」

「……私はホステスですし」

「ホステスさんだとなにがダメなの?」

「なにがって……恥ずかしくないのかなって思って」

「恥ずかしい?」

「はい」

「それって、舞さんがホステスなのが?」

「えぇ、ソラさんの友達にホステスがいるなんて……」

「私は全然恥ずかしくないよ。てか、友達になるのにその人がなんの仕事をしてるのかなんて大した問題じゃなくない?」

「……」

「それとも舞さんは友達になるかどうかを相手の仕事とかおかれてる環境で決める感じなの?」

「……」

「もし、そうなら私とは友達になんてなりたくないよね」

「ソラさん?」

「だって私の旦那は極道で私は極道の嫁だもん」

「……」

「さすがに嫌だよね」

「……そんなことはないです……」

「ん?」

「ソラさんって強いですね」

「強い?」

「はい。私もソラさんくらい強かったら少しは運命が違っていたのかも」

「私は全然強くないよ。泣き虫だし、すぐパニックに陥るし、テンパるし」

「……」

「でも欲張りなんだよね」

「そうなんですか?」

「うん、だから手放したくないものには手段を選ばないかな」

「例えば?」

「そうだな。今、手に入れたいと思ってるのは舞さんなんだよね」

「はっ? 私?」

「うん、どうしても舞さんとは友達になりたいと思ってる」

「別に私と友達になってもいいことなんて……」

「違うよ」

「えっ?」

「それを判断するのは舞さんじゃなくて私」

「……」

「さて、舞さん」

「はい?」

「どうすれば私と友達になってくれる?」

「どうすればって……」

「なんでも言ってみて」

「それじゃあ、ひとつ教えてください」

「うん?」

「私は男運が悪いんです。どうすればソラさんみたいに幸せになれますか?」

「そんなの簡単だよ」

「簡単?」

「うん。さっきも言ったでしょ?私は欲張りだって」

「はい」

「どうしても欲しいと思うものができたら、手段を選ぶ必要はないんだよ」

「……?」

首を傾げる舞さん。

彼女を見つめる私の視界の端にソウタが映った。

……ナイスタイミング、ソウタ。

私は心の中でガッツポーズをした。

もうお分かりかもしれないけど、これだけ余裕たっぷりに言っておいて、実は私はノープランだった。

でもタイミングよくソウタが戻ってきてくれたから

「手放したくないものがあるなら、周囲の目なんて気にしちゃいけないんだよ」

「ソラ、そろそろ帰るか?……うわっ⁉」

私は背後から声を掛けてきたソウタの襟元を無造作に掴むと、自分の方に引き寄せる。

そして、ソウタの唇を自分の唇で塞ぎながら、視線だけを舞さんの方に向ける。


このハッタリが通用する自信なんて全くなかった。

でも結果的には――

「な……なんだ? どうしたんだ、ソラ?」

「どう、舞さん?」

「面白いです」

「えっ?」

「ソラさんってものすごく面白い。喜んで友達になります」

「良かった」

私の望み通りの結果となってくれた。


こうして私は舞さんと友達になることができた。

この後何十年という長い年月の間、舞さんとの親交は続くことになるんだけど、もちろんこの時の私はそんなことは知らない。


ただこの時は舞さんと友達になれたことがうれしくて堪らなかった。

手段を選ばない私のこの言動が舞さんの興味を刺激できたのは大成功だったのかもしれない。

だけど、私が刺激してしまったのは舞さんの興味だけではなかった。


もう一つ私が刺激してしまったのは

「……ソウタ、もう無理」

「俺はまだ全然足りてない」

「もう勘弁してよ」

「無理だ」

ソウタの性欲だった。


人前で私から仕掛けたキスがソウタの男としての何かを刺激してしまったらしく、この日は一晩中離してもらえず、私にとっては疲労困憊のお泊りデートとなってしまった。


激愛 ソラ【激情のキス】完結

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