第12話綾×響【2人きりの時間】R.B番外編

◇◇◇◇◇


1月3日の夜。

多忙を極めた年末と三が日をなんとか終えた綾は

「綾、大丈夫か?」

「……全然大丈夫じゃない」

完全に力尽きてしまい、ほぼ屍と化してしまっていた。


30分前、綾は満面の笑みを顔面に貼り付け最後の来客者の見送りの為玄関前にいた。

県下一の規模を誇る神宮組。

年末には1年のお礼の挨拶にとばかりに傘下の組長達が次々に押し寄せ、年が明けると今度は新年の挨拶に押し寄せてくる。

それは今年に限ったことじゃない。

毎年のことなのだ。

しかし神宮組は年を追うごとに規模を拡大しているので、挨拶にやってくる客の数もそれに比例して増え続けている。

それは綾の負担が毎年増え続けていることを意味している。


神宮組では年末年始の来客は12月30日から1月3日の夕方までと日時を定めている。

そうしないとダラダラとひっきりなしに客が詰めかけるため、綾を含め迎える組員たちが疲労困憊してしまうからである。

……とはいえ、日時を定めたからと言って来客者が減るわけではない。

要は時間を決めて来客者を集中的にしただけに過ぎないのだ。

しかし日時が定められていればゴールが分かりやすいだけに奮闘しやすいというメリットはある。


綾は神宮組の姐としてこの期間、奮闘する。

組員たちに指示を出しながら、自分自身は人の何倍も働く。

それは鬼神のように……。

しかし、来客者の目があるので笑顔を絶やすこともできない。

日が経つにつれて、綾は笑顔の作りすぎで頬がつるという症状とも戦わないといけなくなってしまうのだ。


最後の来客者を見送った綾は家に入った瞬間

「姐さん、大丈夫ですか?」

組員に心配されるくらい顔色が悪かった。

「大丈夫。それよりさっさと片付けを終わらせましょう」

綾はすぐに広間に戻ろうとしたが

「片付けは自分たちがやるので姐さんはもう休んでください」

組員に引き留められてしまった。


「なに言ってるの? 私なら大丈夫だから」

疲れているのは自分だけじゃない。

ここにいる組員たちだって同じなのだ。

そう思うと自分だけ先に休むことなんて綾はできなかった。

しかし組員たちも引かなかった。

「いいえ、絶対に大丈夫な顔色じゃないですって」

綾の顔色は相当悪かったからだ。

「だから私なら大丈夫……」

綾が言いかけた時

「どうかしたのか?」

響がやってきた。

「あっ、響さん」

「親父」

「なにを騒いでるんだ?」

不思議そうに尋ねた響に

「姐さんがお疲れのようで顔色も悪いので休んでくださいって言ってるんですけど」

組員が訴える。

「私は大丈夫よ」

綾はそう断言したが

「確かに顔色が悪いな」

綾の顔を見た響はすぐにそう言った。

「ですよね?」

「あぁ。綾、あとはこいつらに任せて部屋で少し休みなさい」

響の言葉に

「……はい」

綾は逆らうことができなかった。

組員の前だからなおさら口答えなどできるはずがない。


「ほら、行くぞ」

響に連れられて

「大丈夫、一人で歩けます」

綾は自室に強制送還されることになった。


綾は『大丈夫』と言っていたものの、自室に入った途端

「綾⁉」

その場に蹲ってしまい響をヒヤリとさせた。

「……大丈夫です。ちょっと気が抜けただけだから」

「本当に?」

「えぇ、でも一つお願いしてもいいですか?」

「なんだ?」

「ちょっとベッドまで手を貸してもらってもいいですか?」

「もちろん」

響はすぐに綾を抱き上げるとベッドまで運んだ。


綾をベッドに寝かせてから響は尋ねた。

「限界だったんだろ?」

「えっ?」

「さっき組員に顔色が悪いって指摘された時、もう限界だったんじゃないのか?」

「……まぁ、そうなんですけど」

「どうして正直に言わないんだ?」

「言えるわけないでしょ?」

「どうして?」

「だって私は神宮組の姐なんです。そんな弱音を組員の前で吐けるわけないでしょ?」

「……なるほど。君らしいな」

「神宮組の姐は常に強くてしっかりしていないといけないんです」

綾の言い分はもっともだった。

姐が倒れてしまったら組員たちが責任を感じてしまう。

そんなことがないためにも綾は強がりでも気丈な振りをしなければいけなかったのだ。

その強がりもすべては綾の組員を想う気持ちだと気が付いた響は

「姐さん、お疲れ様でした」

綾に向かって深々と頭を下げた。

突然の響の行動に

「響さん?」

綾は困惑を隠せなかった。

しかし――

「年末年始、姐さんの見事な仕切りのお陰で無事すべてを滞りなく終わらせることができました」

響の労いの言葉に

「それは良かったです」

綾は安堵の表情を浮かべた。


「よし、正月の姐さん業はこれで終わりだ」

「えっ?」

「今からしばらく神宮組の姐さんは休業に入る」

「休業?」

「そうだ」

「響さん、一体何を言ってるんですか?」

「今日、一晩ゆっくり休んで明日は朝から出かけるぞ」

「出かけるってどこに?」

「近場の温泉宿だ」

「温泉宿?」

「そうだ。休暇を取ろう」

「はっ? 休暇?」

「明日から3日間。綾は温泉宿でゆっくり過ごすことが仕事だ」

「仕事……ですか?」

「そうだ。俺から感謝のプレゼントだ。受け取ってくれるな?」

「因みにそれは受け取り拒否できるんですか?」

「いや、できない」

「そうですか。それならせっかくなのでありがたく受け取らせていただきます」

綾が神妙に言うと

「そうしてくれ」

響は嬉しそうな笑みを浮かべた。



◇◇◇◇◇


「こちらがお部屋になります」

案内された部屋に足を踏み入れた綾は

「うわ~、すごい」

思わず感嘆の声を上げた。


綾の反応を見た響が満足そうに

「良い部屋だね」

仲居に告げる。


「ありがとうございます。どうぞごゆっくりお過ごし下さいね」

「あぁ、3日間世話になるよ」

「はい。お食事は何時にお運びしましょうか?」

「そうだな。綾、何時がいい?」

「19時ぐらいかな」

「その時間にお願いします」

「承りました」

仲居が部屋を出ると

「サプライズだわ」

綾が呟いた。


「ん?」

「響さんがこんなサプライズを準備してくれているなんて全然気付かなかったわ」

「姫花も今年はさっさと自分のマンションに戻ったし、蓮も美桜さんとゆっくり過ごすっていうからそれなら綾と一緒に温泉にでも行きたいなって思って」

「なるほど。お父さんは寂しいんですね」

「……まぁね。でも俺には綾がいるから」

「お役に立てて光栄です」

「でも、姫花はなんで元旦しか家にいなかったんだ?」

「あぁ、私が言ったのよ」

「なんて?」

「元旦は帰ってきてもらわないと困るけどそれ以外はどうでもいいって」

「えっ?」

「なに?」

「なんでそんなことを言ったんだ?」

響に聞かれた綾は、響の正面に腰を下ろすと仲居が準備してくれたお茶に手を伸ばす。

「姫花も高校生よ。課題とか友達付き合いとかいろいろ忙しいでしょ」

「そうか?」

「そうよ。でも心配はいらないわよ」

「うん?」

「姫花は出歩いたりせずにずっと朝緋と一緒に部屋に引きこもってるみたいだから」

「そうなのか?」

「うん」

綾は口に運び、満足そうに息を吐いた。

「それって朝緋が報告してくるのか?」

そして今度はお茶うけとして出されている饅頭の包みを開け始める。

「うん。律儀にね」

「そうか。でも……」

「なに?」

「朝緋も男だし。ずっと一緒っていうのは……」

「なに? 気に入らないの?」

尋ねながら綾は饅頭を口に放り込んだ。

「気に入らなくはないけど」

「なに?」

「心配ではある」

響がそういうと

「なに言ってるの?」

綾はケラケラと笑い出した。

「綾?」

なぜ笑われているのかが分からない響は怪訝そうに綾を見つめる。

その視線を受けながら綾は残りの饅頭を口に入れると幸せそうな表情でそれを食べ、お茶を飲んだ。


「朝緋が一緒にいるのよ。どこの誰か分からない男といるわけじゃないんだし」

「それはそうだけど……」

「大丈夫よ、お父さん。朝緋は絶対に姫花を傷付けるようなことはしないから」

「……それも分かってる。ただ……」

「なに?」

「確かに朝緋のことは信頼してるし、将来姫花が望むなら朝緋となら結婚も許せる相手だと思ってる」

「うん」

「でも正直、男親としては複雑なんだ」

「そういうものなの?」

「そういうものなんだ」

「へぇ~、じゃあ、そんなお父さんは私が慰めてあげるわ」

「頼むよ」

「任せて。慰める報酬に響さんのお饅頭ももらっていい?」

「あぁ、どうぞ」

「ありがとう」

饅頭を貰い嬉しそうな綾に響は苦笑いを浮かべた。


◇◇◇◇◇


部屋にある内風呂には入った2人は布団の上にいた。

「……んっ」

「……どう?」

「気持ち……いいっ」

「……本当に?」

「うん……最高」

「それは良かった。それにしても綾、全身凝りまくってるね」

「やっぱり?」

「あぁ」

綾は響にマッサージをしてもらっていた。

響はマッサージが上手い。

その辺のマッサージ店に行くぐらいなら響に頼んだ方が凝りは解消してもらえるのだ。


「なんか身体が重いと思ってたんだけど、凝りのせいだったのね」

「これだけ凝り固まっていたら、頭痛とかもあったんじゃないのか?」

「……まぁ」

「薬を飲んで我慢してたんだな」

「……うん」

「やっぱり。無理をさせて悪かったね」

「別に響さんが謝ることじゃないわ」

「でも……俺のところに嫁いできたから……」

響の申し訳なさそうな言葉を

「響さん」

綾は止めるように遮った。

「ん?」

「年末年始、忙しくて大変なお嫁さんは私だけじゃないの」

「綾?」

「確かにウチは年末年始お客様が多い。だけどそれはウチに限ったことじゃないでしょ?」

「それはそうだけど……」

「それに私は今の忙しい年末年始も気に入ってるのよ」

「そうなのか?」

「うん、響さんと結婚するまで私は寂しいお正月しか知らなかったから」

「……綾……」

「だから感謝してるし、結構楽しんでるのよ」

「そうか」

「そうよ。さて、響さん交代しましょ」

「えっ?」

「今度は私がマッサージをしてあげる」

「俺は、いいよ」

「どうして?」

「今日は綾を労う日なんだから」

「なに言ってるの? お疲れなのは響さんも一緒じゃない」

「いや、俺は綾ほど疲れてはいないよ」

「ずっとお客様のお相手をしていたのに?」

「俺はただ酒を飲んで話していただけだ」

「それだけでも十分疲れると思うけど」

「ん?」

「だってあなたはずっと組長さんでいなければいけなかったんだから。組長さんが大変だってことは私にもちゃんと分かりますよ」

「……さすがだな」

響は弱音を口にしたりしない。

それが許される立場じゃないということを十分自覚しているからである。

でも綾は響が口に出して言わなくても、その苦労にちゃんと気付きその上労ってくれる。

それは今に限ったことじゃない。

結婚してからずっとだ。

綾の存在に響はいつもいろいろな意味で救われているのだ。

「でしょ? 私には適わないってことを早く認めたほうがいいわよ」

「あぁ、綾には適わないよ」

「よし。じゃあ、交代しましょう」

綾の言葉に従い、今度は響がうつ伏せに横になる。


「ほら、響さんだって身体がバキバキじゃない」

「そうか? あまり自覚はなかったけど」

「だめよ。もうそんなに若くないんだからもっと自分の身体を労わってあげなきゃ」

「気を付けるよ」

「そうしてください」

綾の手のぬくもりを背中に感じながら、響はふと思い出した。


「綾」

「うん?」

「俺が今の仕事を引退したら、田舎でのんびり暮らそうか」

「えっ?」

「最近、そういう暮らしに憧れてるんだ」

「そうなの?」

「うん。人の少ない街で2人で住める古民家を買って、のんびり暮らす。綾は温泉が好きだから源泉の近くを探せば家でも温泉に入れる」

「いいわね。とても素敵だわ」

「だろ? 庭で家庭菜園をして、なんなら鶏を飼って卵を産んでもらおう」

「自給自足ってやつね?」

「そうだ。魚が食べたくなったら2人で釣りに行こう」

「いいわね。そういう生活ならぜひしてみたいわ」

「組は蓮に任せて、姫花が成人したら俺は引退しようって考えてるんだ」

「……そう。だったらその素敵な夢が叶うのはそんなに遠い未来じゃないわね」

「そうだね。それまであと数年、君は神宮組の姐として頑張ってくれるかい?」

「もちろんよ。私が望むのはただ一つだけだもの」

「それはなんだい?」

「決まってるでしょ。私が望むのは響さんの傍にいられることよ」

綾の声を聞きながら、響はつかの間の休息を満喫している。

一方、綾は響から聞いたばかりの未来予想図を頭に思い浮かべ心を弾ませていた。


【2人きりの時間】完結


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