第5話アユ×ヒカル【お父さん】 コトダマ番外編

◇◇◇◇◇


大晦日の夕方。

朝から大掃除をし、簡単に正月を迎える準備をしたアユは、スマホが点滅していることに気付き確認しようとそれを手に取った。

神妙な顔でスマホを見つめていたアユが

「ねぇ、ヒカル」

意を決した

ようにヒカルに声をかけた。

テレビを見ていたヒカルが

「うん?」

アユに視線を向ける。


「あのね、今ママから連絡があって」

「あぁ」

「明日の夕方、家に遊びに来ないかって」

困惑したようにアユが伝える。

「明日の夕方?」

ヒカルはどうしてアユが困惑しているのかが分からず、確認するように繰り返した。

「うん」

「いいんじゃないのか? 元々、2日には年始の挨拶に行こうって言ってたんだし。それが1日早くなるだけだろ」

「うん、そうなんだけど……」

なぜか含みを持ったアユの返答に

「どうかしたのか?」

ヒカルも異変を覚え、眉間にわずかな皺を寄せる。


「明日はパパもいるみたいなの」

「そうなのか?」

「うん」

「珍しいな」

「でしょ?」

ヒカルが珍しいというのも仕方なかった。

なぜならばアユの父は忙しい人であまり家にいないのだ。

普段からどちらかと言えばヒカルはよくアユの家に遊びに行く。

だけどヒカルとアユを出迎えてくれるのはいつも母ひとりで父は仕事や用事で家にいないことの方が多い。

それは年末年始も例外ではなく、これまで年始の挨拶に行っても本当に挨拶をするぐらいしか時間が取れないのはいつもことだ。

結局、挨拶を済ませると父は出掛けてしまうので母とアユとヒカルの3人で過ごすことがほとんどなのだ。

だから今回も2日に年始の挨拶をしに行く予定ではあるが、例年通り父とは過ごす時間は挨拶をする時間ぐらいだとアユとヒカルは考えていた。

だが――

「しかも、パパがヒカルに会いたいって言ってるらしい」

驚くことに父からそんな打診があったのだ。

これにはヒカルも驚いた。

「……はっ?」

「……」

アユに至っては驚きを通り越して言葉を失ってしまっていた。

「お父さんがそう言ってるのか?」

ヒカルは怪訝そうに尋ねる。

「うん」

「新年の挨拶に来いって話じゃなくて?」

「うん。まぁ、それもあるとは思うんだけどママが言うには『パパがヒカルくんに会いたがってるから連れて来てほしい』って言ってるんだって」

「……」

「……なんか怖くない?」

「ちょっとだけ怖い」

それはヒカルの本音だった。

もちろんこれはホラー的な恐怖ではなく

……俺、なんか親父さんに呼び出されるようなことをしたか?

警戒心からくる怖さだった。

だけどどんなに考えてもアユの父から叱られるようなことをした記憶はなく、思い当たる節は全くなかった。

思い当たる節はないのだから、気にする必要はないはずなのに気になって仕方がない。

そこで念のため

「俺、なんかしたっけ?」

アユにも確認をしてみる。

「なんかって?」

ヒカルから尋ねられたアユはキョトンとした表情を浮かべた。

「俺、なんか親父さんに呼び出されるようなことしたっけ」

「……ううん、別にそんなことはしてないと思うんだけど」

「本当に?」

「うん。てか、ヒカルはなんか心当たりでもあるの?」

「……ないって言えばないけど、あるって言えばあるような……」

この時点でヒカルは軽くプチパニック状態に陥ってしまっていた。

ヒカルがこんな状態になることはとても珍しいことだった。

元々ヒカルはどんなことがあっても動じることはなく、常に冷静さを失わないのだから。

だけど今回ばかりは冷静ではいられなかった。

ここでヒカルの唯一の弱点が暴かれてしまった。

ヒカルの弱点はまさしくこれなのだ。


「それってどっちなの?」

アユがもっともな質問をしても

「……」

ヒカルは何も答えない

その代わりに真剣な表情で何かを考えこんでいる。

明らかに様子のおかしいヒカルを

「ヒカル?」

アユは不思議そうに見つめた。

そして――

「アユ、出かけるぞ」

ヒカルは思いたったように立ち上がった。

「えっ? どこにいくの?」

「買い物だよ」

「買い物?」

「あぁ」

「年末年始の買い出しなら終わってるけど」

「そうじゃねぇよ」

「じゃあ、なに?」

「お父さんへの手土産を買いに行くぞ」

「なに言ってんの? 手土産なら買ってるじゃん」

「それはお母さんの好みに合わせた手土産だろ」

「それはそうだけど……別にそれでよくない?」

アユはそう言ったが

「ダメだ。お父さんになら……やっぱ酒類がいいか?」

ヒカルにバッサリと切り捨てられてしまった。

しかもバッサリと切り捨てたヒカルは買い出しに行く気満々でなにを買うかを悩んでいる。

「それって決定事項なの?」

わざわざ聞かなくても分かることではあるけど、アユは念のため確認する。

するとブツブツと何かを呟いていたヒカルがそれを止め、アユに視線を向けた。

「それ?」

「買い物に行くってヤツ」

「決定事項に決まってるだろ」

有無を言わせないヒカルに

「もうしょうがないな」

アユは溜息を吐きながら重い腰を上げた。


◇◇◇◇◇


元日の夕方。

ヒカルとアユは父が待っているという家に向かっていた。

父から指定された時間に大いに余裕を持って2人は家を出た。

元々、ヒカルは時間はきっちり守る男だ。

しかし今日はいつにも増して時間を気にしていた。

今もまた腕時計で時間を確認しているヒカルに

「ねぇ、ヒカル」

アユは呼びかける。

「なんだ?」

「ヒカルって早く準備ができる人だったんだね」

「それってどういう意味だ?」

「昨日買い物に行く時も今日も。いつもに比べるとびっくりするくらいに準備が早かったから」

「そうか?」

「うん」

「俺も本気を出せば準備ぐらいすぐにできる」

自信満々のヒカルに

「……それならいつも本気で頑張ってよ」

アユはすかさず突っ込んだ。

だけどアユの言葉はヒカルには届かなかったらしく

「なんか言ったか?」

ヒカルは怪訝そうに聞いてくる。


もう一度言い直すべきかとアユは一瞬悩んだが

……今は止めとこう。

いつになく緊張した面持ちのヒカルを刺激するのはよくないとアユは考え、口を閉ざした。

「ううん、別に」

「そうか」

一方、ヒカルもいつもならこういう時、絶対にしつこく聞いてくるはずなの。

今日のヒカルはあっさりと引いてくれた。

どうやらヒカルはかなり緊張しているらしい。

緊張して余裕がないらしい。

その気持ちも分からなくはない。

……もしこれが逆の立場なら、私は失神しそうになるぐらいに緊張するはずだから。

緊張して余裕がなくても『行かない』なんて言わないヒカルは偉いしありがたい。

……よし、今日はヒカルのサポートを頑張ろう。

アユはひそかに決意をしていた。


アユの家の前に着いたのは

「よし、時間通りだな」

父が指示した時間の5分前だった。

「うん」

アユは頷きながら、玄関のドアに手を伸ばそうとした。

それはもちろんドアを開けるためなのだが

「ちょっと待て」

ヒカルはそれを止めた。


「えっ? どうしたの?」

「ちょっと心の準備を……」

……はっ? 心の準備?

そんなのが必要なの?

ただ私の家にいくだけなのに?

なんか同棲の許可を貰いに来た時よりも緊張してない?

……まぁ、あの時はこっちが時間指定をしてきたけど、今日は呼び出されたようなもの。

ヒカルがこんな風に緊張するのは無理もないかもしれないな。

「分かった。思う存分心の準備をしなよ」

アユがそう言った時だった。

目の前で玄関のドアが開いた。

もちろんアユがドアを開けたのではない。

玄関のドアは向こう側から開けられたのだ。

「あっ、パパ」

ドアを開けたのは父だった。

「声が聞こえたような気がしたから見に来たんだけど……なんかまずかったか?」

異様な雰囲気を察したのか父が困惑したように尋ねる。

「……えっと……」

アユは父の問い掛けになんと答えたらいいのかが分からなかった。

そんなアユの代わりに答えたのは

「いいえ、大丈夫です。あけましておめでとうございます」

ヒカルだった。

さっきまでの緊張と余裕のなさが嘘のようにヒカルは落ち着いた口調で答えた。

「あぁ、おめでとう。寒かっただろう? さぁ、入りなさい」

「おじゃまします」

それはいつもと変わらないヒカルで、それ見たアユはホッと胸を撫で下ろした。


◇◇◇◇◇


家に入ると

「ヒカルくん、アユ、よく来てくれたわね。いらっしゃい」

笑顔の母が出迎えてくれた。


「お母さん、明けましておめでとうございます」

ヒカルは父にしたように母にも丁寧に頭を下げ挨拶をする。

「はい、おめでとうございます。今年もよろしくね」

「よろしくお願いします」

「どうぞ座って」

「はい」

挨拶を終えた母が

「アユも座ってていいわよ」

そう言ってくれたけど

「ううん、手伝うよ」

アユはそれをやんわりと断った。

「本当? ありがとう」

なぜならば母に探りを入れるという任務がアユにはあるからだ。

……ヒカル、今日は大船に乗ったつもりでいていいからね。

アユはこっそりと呟いた。


◇◇◇◇◇


キッチンでお茶の準備をしていると

「ヒカルくん元気がないみたいだけど、風邪でもひいたの?」

母が聞いてきた。

「ううん、そうじゃないの」

「どうしたの?」

「ちょっと緊張してるのよ」

「緊張?」

「うん。ほらパパから呼び出されるのって初めてでしょ? なんかお叱りでも受けるのかって不安になってるみたい」

「そうなの?」

「うん」

「そんなパパからお叱りを受けるようなことなんてヒカルくんはしてないでしょ?」

「それはそうなんだけど……」

「なんか悪いことをしちゃったわね」

「パパはヒカルに言いたいことがあるわけじゃないんだよね?」

「もちろんよ。お父さんはヒカルくんにただ渡したいものがあるから来てもらったのよ」

「渡したいもの?」

「うん」

「それってなに?」

「それはあとでのお楽しみよ」

「お楽しみ?」

「うん」

……なんだろう?

私は首を傾げた。

だけど、ママの顔を見る限りでは決して悪いことが待っているのではないらしい。

むしろどちらかと言えば良いことのような気がする。

それに気付いた私は、それ以上聞くことをやめた。

……というかママは意外なところで頑固さを発揮するので、私がこれ以上聞いても教えてくれないだろうということを察したのである。

ふと、リビングに視線を向けると、応接セットのソファでヒカルはパパと向き合って座っていた。


「あの、これ良かったら」

ヒカルが持ってきた紙袋から箱を取り出して、父に差し出す。

「うん? これは?」

「日本酒です。お節料理によく合うらしいので良かったら飲んでください」

「そんなに気を遣わなくていいのに」

「いいえ、いつもお世話になっているのでそのお礼も兼ねて」

「そうか。じゃあ、遠慮なくいただくよ」

「どうぞ」


「今日はこの後、なにか用事はあるのかい?」

父がヒカルに尋ねる。

「いいえ、今日はなにもないです」

「それなら一緒にこれを飲まないか?」

「えっ?」

「日本酒は好きじゃないか?」

「そんなことはないです」

「それならお節もあることだし、今日は一緒に飲もう」

父の誘いを

「ご迷惑じゃなければぜひ」

ヒカルは嬉しそうに快諾した。

「良かった」

すると父も安心したように表情を緩めた。


話がひと段落ついたところで

「ヒカルくん、とりあえずコーヒーでいい?」

タイミングを見計らった母が声をかける。

「はい、ありがとうございます。お母さん、これを」

「なぁに?」

「お母さんがお好きな焼き菓子です」

「まぁ、わざわざ買ってきてくれたの?」

「アユも好きなので一緒に食べてください」

「嬉しいわ。さっそくいただいていいかしら?」

「もちろんです」

「アユ、みんなでいただきましょうよ」

「うん」


「ママ、ヒカルくんが今日は付き合ってくれるらしいぞ」

「あら、良かったですね。パパ、すごく楽しみにしていましたもんね」

「……まぁ、そうだな」


……もしかして、パパが私たちを呼んだのってヒカルと一緒に飲みたかったからなのかな?

アユはなんとなく父がヒカルを呼んだ理由が分かったような気がした。


◇◇◇◇◇


「そろそろ夕食にしましょうか」

「そうだね。ずっとお菓子を食べてたのになんだかお腹が空いちゃった」

「ママもよ。おやつとご飯は別腹よね」 

「そうだよね」

「お節は準備できてるからすぐに食べられるわよ」

「やった。食器を出すの手伝うよ」

「ありがとう」

アユと母がキッチンに行くと

「女性というのはよく食べるんだな」

父が苦笑しながら呟いた。

「そうですね」

「ヒカルくんはあんまり食べてなかったからお腹が空いただろ?」

「そうですね。でもお父さんもあまり召し上がってませんよね?」

「そうだね。私は甘いものより酒の方が好きだからな」

「俺も一緒です」

「やっぱりそうか」

「えっ?」

「いや、家で甘いものを出した時、ヒカルくんがあまり食べないのを見てもしかして甘いものより酒の方が好きじゃないかと思ってたんだ」

「そうなんですか?」

「あぁ、でも未成年のヒカルくんに酒を勧めるわけにはいかなくてな」

「確かにそうですよね」

「でも今年は堂々と誘えるだろ?」

「えっ?」

「もう20歳になったんだろ?」

「あっ、はい」

「実は私の夢だったんだ」

「夢ですか?」

「あぁ、息子と一緒に酒を飲む。ウチには娘しかいない。だからこの夢が叶なんて思っていなかったんだが」

「……?」

「幸せなことに息子はまだいないが息子みたいな存在はいるからな」

「それって俺のことですか?」

「あぁ、そうだ。アユと結婚しているわけじゃないけど私はヒカルくんのことを勝手に息子だと思っている」

「……お父さん」

「迷惑だということは十分承知している。だが、できれば今晩だけでもいいから付き合ってくれないか」

「そんな迷惑だなんて……正直、嬉しいです」

「そうかい? 気を遣わなくてもいいんだよ」

「いいえ、嬉しいです。俺はご存じの通り実の父とほとんど交流がありません。これまでもそうでしたし、おそらくこれからもそうだと思います」

「……」

「とっくの昔に父親という存在を求めることも諦めていました」

「……そうか」

「でもアユと付き合い始めたことでお手本とする父親のような存在を得ることができました」

「……えっ?」

「俺も勝手にお父さんのことを実の父親のように思っていたんです」

「そうなのか?」

「すみません。勝手に……」

「いや、とんでもない。私もそう言ってもらえてうれしいよ」

「俺にも夢があるんです」

「それはどんな夢なんだ?」

「お父さんが築いてきたような家庭を築くことです」

「……ヒカルくん……」

「アユの家族は俺の理想の家族なんです」

「……」

「この家はいつ来てもとてもあたたかくて居心地がいいです」

「そうか」

「そんな家庭を俺も作りたいと思ってます」

父とヒカルが2人でこんなに話をするのは初めてのことだった。


◇◇◇◇◇


リビングのドアの前でアユは立ち尽くしていた。

「アユ?」

「……ママ……」

「どうしたの?」

「ちょっといい話を聞いちゃって」

「いい話?」

「うん」

「そう。じゃあ、私たちが入るのはもう少ししてからがいいかしら」

「そうだね」

2人がキッチンに戻ろうとしていると

「ママ~!!」

父の声が聞こえてきた。

「あら、お呼びだわ」

「そうだね」

母とアユは顔を見合わせて吹き出した。

「はいはい」

「ビールとグラスを先に持ってきてくれないか?」

「はい、分かりました」


テーブルの上に並ぶのはお正月料理の数々。

「それじゃ、いただきましょうか」

母の言葉で

「よし、じゃあ改めてあけましておめでとう。今年もよろしくな」

父が新年の挨拶をし

「よろしくお願いします」

みんなで乾杯をする。

それを終えると

「じゃあ、お年玉だ」

これは毎年恒例のお楽しみだ。

「ありがとう!!」

大喜びするアユと

「いつもすみません」

恐縮するヒカル。

これも毎年恒例の光景。

そこに

「なにを言ってるんだ。親が子にお年玉をやるのは普通のことだろ?」

「そうよ、ヒカルくん。当然だって顔して受け取ればいいのよ。アユみたいにね」

今年から新たな言葉が加わった。


「えっ? 私、当然だって顔してる!?」

キョトンとするアユに、その場にはあたたかな笑い声が木霊していた。


アユ×ヒカル【お父さん】完結

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