(7)歓迎会は突然訪れる②
「雪谷さん、どうしたんだろう」
トイレに逃げ込んだ俺は、先ほどの光景を思い出していた。
別の女性とやりとりをしていたから、彼女は不機嫌になったというのだろうか。それって……
いやいや、そんなわけないだろうと、自分の中に生まれた推測を秒で振り払う。
「いやー愛されているね。蓮司君」
突然、声を掛けられ振り向くと、そこには用を足している加山さんがいた。
え、いつの間に来たんですか?
「全く、皆さんからかいすぎですよ」
「いや、そっちじゃなくてね。雪谷さんは、本当に君の事が大好きなんだなと」
「何のことですか?」
「気がついているだろう?」
そう言って、加山さんは笑っていた。
加山さんは、会長と同年代の方でプロの経験もある方だ。時折、他のインストラクターに気を使いながらも、困っている会員さんたちに技術的なことを指導して下さっている。
でも、決して出しゃばったり、インストラクターのお株を奪うような真似はしない。それは、インストラクターは勿論、他の会員さんたちにも伝わっているのだろう。だから、彼のジム内での信頼は厚い。俺自身も、そんなこの人のことを慕っていた。
「いや、加山さんがどう思っているのか分かりませんけど、あれは師弟愛みたいな感情だと思います。それにあんな美人が俺なんて相手にするわけ無いですよ」
「そうかい?まあ気持ちというのは目に見えないしね。いや御免ね。老婆心ながら変な世話を焼いてしまったよ。」
でもね、と加山さんは言葉を続けた。
「彼女は確かに美人だが、私から言わせたら君だって十分にいい男だよ。」
そう言い残してトイレを後にした。
「俺が、いい男ね」
……確かに容姿だけなら、まあまあの方かもしれない。身体だって鍛えてはいる。
ただ加山さんの言葉には重さがあって、そういった見た目だけではなく、内面も含めて評価してくれたのが伝わった。そこは素直に嬉しいのだが。
ただ、雪谷さんと俺が釣り合っている、みたいな物言いには悩むところである。
いや、普通に考えてないだろう。現在の俺はアルバイター。まあ、将来性は無い。それにキックボクシングっていうのは、本来余りお金になるものではない。プロになっても、それ一本で食べていけるのはほんの一握り。強さ以上に、いかに客を呼べるかが重要になってくる。第一、俺はもう現役を
仮にジム経営をするにしたって業界はレッドオーシャン状態。潰れずに残れたとしても収益性は決して高いとは言えないだろう。
ああ、やばいな。完全に自虐思考になってきた。
「戻るか」
トイレのドアを開けた時、誰かとぶつかりそうになり咄嗟に立ち止まる。
「あれ、雪谷さん?」
「遅かったですね。少し待ちましたよ」
「え、待っていたんですか?僕の事を」
「折角飲みに来たのに、村瀬さんとお話が全然出来ないし」
幼い少女の様に、少しむくれている彼女をみて、先ほどの加山さんとの会話が思い出さられる。
途端に顔に熱が帯びてきた。
「私、知りたいんです。もっと……」
何を言えばいいのか分からず黙り込むことしか出来なかった。
もっと知りたいって何を?……俺の事ですか。
トクンと鼓動が少しだけ高鳴る。
「今後の練習メニューについて」
ズコッ、とコメディなら崩れ落ちるシーンだが、ただただ笑ってしまった。そうだよな、流石にね。
「はは。いいですよ、いくらでも。好きなんですね」
「はい、好きです」
お酒が入ったせいか、ほんのりと頬を染めて上目遣いで、俺を見上げた彼女。
「ところで村瀬さん。皆さん良い人ですし、私ももっと仲良くなりたいと思います。だから、この場ではしっかりと交流を深めたいと考えています」
「それは、とても良いことですね」
他の会員さんとも、上手くやっていこうという思いが見て取れた。
「ところで、ですが。私は今日、この後の予定がありません。フリーです」
「ゆっくり休むことが出来て、良いことですね」
「村瀬さんは、この後ご予定はありますか?いえ、他意はありませんが」
ああ、そういう事か。これは、二次会のお誘いなのだと得心した。まあ、別に明日は休みだし大丈夫か。
「いえ、何も有りませんよ。じゃあ、ここを出たら飲み直しますか?」
彼女の瞳が僅かに見開かれた。
「し、仕方が無いですね。付き合って差し上げてもいいですよ。ふ、2人きりだからって節度は持ってくださいね」
「え、2人?みんなで二次会に行きたいのかと」
‥‥‥
無言で拳を強く握りこむ雪谷さん。先ほど巻いて差し上げた包帯が、ミシミシ音を立てている。
おかしいな?ゆるく巻いたはずなのに。
「そ、そうですよね。2人ですよね!うわー楽しみだな。節度を持って楽しまないと」
「はい。楽しみにしています」
白い歯を見せて、ニッコリとした笑顔を見せると、踵を返し席の方へと戻っていった。
初めて見せた少女のような笑顔がやたらと可愛くて、彼女が去った後も暫く惚けてしまった。
少しして席に戻ると、皆さんは大分出来上がってた。顔を赤くしながら、格闘技談義をしている人たちも居れば、仕事の愚痴を言い合っているグループと様々だった。
そして、雪谷さんといえば。
「お
気を利かせた彼女は、瓶ビールを持って
少しの付き合いとはいえ、皆のこんな笑顔は初めて見る。
デへへへへ
ぐふふふふ
デュッフフフ
にっちゃあー
そんな皆の笑顔を見ていたら、思わず本音が漏れてしまった。
「ハハッ。汚え絵面だなぁ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます