(5)縄飛びは重要です
あの無料体験の日から3日後の土曜日
「本日から正式に入会しました、雪谷椿姫です。皆様、宜しくお願いします」
無事入会した雪谷さんは、その場にいる会員さん達へと挨拶回りをしてくれていた。
綺麗な女性というのは、本当にありがたい。
今まで余り練習熱心でなかった会員さん達ですら、彼女が入った瞬間にドシンドシン!と音を鳴らしながら全力でサンドバックを叩き始めたのだから。
我先に、とかっこいいところをアピールするように。
行動が分かり易すぎて、同じ男として泣けてくる。そんな彼らに背を向けて、雪谷さんへと振り返った。
「それでは、早速ですが雪谷さんにはこれをやって頂きます」
「これは……縄跳びですね」
「そうです。まずはこれを、2分間連続で飛ぶところから始めて貰います」
フッ、と余裕の笑みを浮かべる雪谷さん。
「まあ、いいでしょう。この位は朝飯前です」
圧倒的な強者感を出すと、俺の手から縄跳びを受け取った。
「それでは、よーいスタート!」
……1分後
「こ、こんなはずでは」
雪谷さんは、地面に両手と両膝をついて、ふーふーと肩で息をしている。
圧倒的な敗北者感が漂っていた。
「前回の体験練習で分かったこと。それは、体力が無いことと、足腰が極端に弱いということです。最初にこれが出来るようになるまで、グローブを付けることも禁止です」
なん、だと?
悲壮な表情を浮かべて彼女は俺を見上げていた。
しかし、こちらが表情を変えない事に観念したのか、再び縄跳びをぴょこんと飛び始める。
縄跳びというのは、格闘技において強い味方だ。
体力の増進もあるが、リストの強化にもなるし、何よりリズム感が養われる。
そこに加えて体幹トレーニングなども並行しながら、先ずは彼女に人並みの体力をつけて貰えるようにと、献身的なサポートを行う日々が続いた。
そうして柔軟と体幹トレーニング。縄跳びの練習だけで2週間が経過した頃。
ピピピ、2分間が経った事を告げる音がジム内に響き渡った。
その音を聞くと同時に、雪谷さんは倒れ込むように地面に寝そべる。
「はい、オッケーです!お疲れ様です」
「ヒューヒュー。余裕でしたね」
2分間縄跳びを飛び続けるというのは、普段から運動習慣のない社会人には結構堪える行為である。しかし、何故だろう。彼女を見ていると、“はじめてのおつかい”を見た時の様な感情がこみ上げてくるのだ。
うおおおおお!よくやったあ!!
周りの会員さん達も、スタンディングオベーションで惜しみない賛辞を彼女に捧げている。会長に至っては、ぐすり、とちょっと泣いていた。
「いやー、本当によく頑張りましたね。おめでとうございます!」
「ゼーゼー。いえ、この位は当然ですよ。げほっ!」
なんだかんだ言って、彼女は負けず嫌いな性格をしている。スポーツをする上で必要な素養だ。強がる彼女を見て思わず破顔してしまう。本当によく頑張ったなと、素直に感心した。
「それで、村瀬さん。次は何をすればいいのでしょうか?遂にミットですか。それでしたら、バンテージが必要ですよね?ちゃんと購入しておきましたよ」
彼女のそんな問いかけに、俺は笑顔で答えた。
「それじゃあ次は、縄跳びを“3分間連続”で飛んでみましょう!」
~~~!
彼女の、声に為らない悲鳴が聞こえた気がした。
まあ、あくまで気がしただけなので、彼女に背を向けると、こちらを見守っていた会員の皆様に声を掛ける。
「はーい、皆さんも!ご自分の練習をなさって下さいね」
はーい。と、それぞれが練習を再開した。
「あ、そうだ雪谷さん。ちょっとこちらに来て貰っていいですか?」
何ですか?と、と問う彼女の手を掴んだ。
「ひゃっ!」
と、驚いた声を上げて赤面する彼女。
「ああ、驚かせてすいません。ちょっと失礼しますね」
そのまま、彼女の手を開かせる。
「やっぱり、大分無理なさっていたんですね」
開いた彼女の掌、ところどころ皮がむけて、指の付け根にはうっすらと豆の様な
ものが出来ていて、全体的に赤みを帯びている。
「雪谷さん」
静かな声で、彼女に呼びかけた。
「今後は痛みや違和感を覚えたら、直ぐに教えて下さいね。今回はそれほどでもないですが、格闘技を続けていくなら、どんな怪我をするか分かりませんから」
両の手に消毒をして軟膏を塗り、少し緩めに包帯を巻いた。
「……はい、分かりました。」
まだ、少しだけ顔が赤い。言い方が強かったかな?
「まあ、でも頑張ってくれていて嬉しいです。今後は縄跳びと並行して新たなトレーニングメニューを組みますね」
雪谷さんは俯いたまま、小さくコクンと頷く。包帯で巻かれた両の手を大切そうに、胸の辺りに添えながら。
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