(4)雪谷さんを探せ
「レンジ、オンナノコ、ナッカセタヨー」
サポン先生(37歳)が小学生男子みたいなノリでジム中に言いまわる。
さっと周りを見渡すと、 “無いわー”という冷たい表情の会員さんたちが、こちらを見ていた。
「ム・ラ・セ・ク~ン」
呼ばれた方へと振り返ると、凄い形相の会長がそこにはいた。こめかみの青筋はピクピクと痙攣したように小刻みに動いている。
あ、これヤバいやつだ。
「馬鹿者!さっさと追いかけんか!もし彼女を入会させられなかったらクビにするからな!!」
「し、承知しました!」
会長の圧に負けた俺は、出入口へと猛ダッシュ。
Noir《ノワール》と白く印字された、スタッフ用の真っ黒な半袖のTシャツに、太もも丸出しのムエタイパンツ、そして裸足に革靴という奇天烈な格好で、雪谷さんを追いかけることになった。
外にでた瞬間、冷たい風が全身をぞわっと撫でる。それに堪らず、ブルッと身震いが起きた。
「着ていけ!」
会長の温情でサウナスーツの上だけを、顔面に投げつけて貰えた。
ジムを出て直ぐに2本の別れ道。駅なら右。左は確か公園くらいしかなかったはず。
ここで間違えたら、恐らくもう雪谷さんを見つけるのは難しいだろう。
考えろ、俺が彼女ならどうする?
俺なら……
少しだけ考えた後、一気に駆け出した。
「探しましたよ。雪谷さん。」
ジムに来た時の格好で、彼女は公園のブランコに座って黄昏れていた。
「よく、ここが分かりましたね?」
「今は寒いですからね。流石にさっさと着替えたかったかなと思いまして。特に運動の後、汗が引くと底冷えしてインナーも着替えたくなる。だったら、この公園の公衆トイレが一番近いかなと。それに、半袖短パンで人通りの多い駅方面に行くのは少し恥ずかしいでしょうから」
彼女の了承を得ずに、空いていた隣のブランコへと腰掛ける。
「先ほどはすみませんでした。何ていうか、泣かせるつもりは無かったんです。」
「いえ、良いんです。こちらこそ御免なさい。あの後、大変だったんじゃないですか?」
「分かります?」
「ええ、その恰好を見れば……足、寒そうですね」
彼女の視線の先には、鳥肌がたった俺の生足。
ハアー、と二人同時にため息を吐く。
「本当にすみませんでした。さっきは取り乱してしまって。思わず泣いてしまったのは、貴方のせいではなく、自分の不甲斐なさからで。‥‥‥実をいうと、ああやって体験するのは初めてじゃないんです。」
「そうですよね。構えに入るまでがスムーズでした。あの時は、ひょっとしたら経験者なのかなって思いましたよ。」
雪谷さんは、フッと自嘲気味な笑みを浮かべた。
「ですが、私は極度の運動音痴で、何度やってもあんな感じになるのです。前回お伺いしたジムは、マンツーマンではなく、集団レッスンに混ざるというスタンスだったので、私のせいで一向にレッスンが進まずご迷惑を掛けてしまいました」
「そう、でしたか……でも、どうして格闘技なんですか?他にもスポーツは色々あるのに」
沈黙の彼女を尻目に言葉を続ける。
「僕が言うのもあれですけど、格闘技なんて真剣にやるほど怪我は増えます。練習は地味でつまらないものですよ。ヘッドギアなんて、すんごい蒸れます。健康とかダイエット目的でしたら、他にいくらでもあるのに」
彼女は、マジで?という顔を一瞬浮かべたが、直ぐに元へと戻っていた。
「強くなりたい。そして格闘技をやっている人の気持ちを知りたいんです」
どうしても。と、小さく続けた。その凛とした表情からは、決意みたいなものが伺えた。
「そうですか。どうしても、ね」
なら答えは出ている。
「なら、戻って練習を続けましょうか。まだ時間はあります」
立ち上がると、彼女に手を差し出した。
「そんな、あんなにご迷惑をお掛けしたのに」
「そんなのは些細な事です。強くなりたいという人が目の前にいる。そんな人に格闘技を教える。それが今の僕の仕事です」
クスっと、彼女は微笑む。
「いいんですか?知っていると思いますけど、私は相当ですよ」
「勿論、それに僕も相当でしたから。慣れっこです」
今度はあっけに取られる彼女。そして、力強く差し出された俺の手を取った。
「宜しくお願いします。村瀬コーチ」
やたらと肌寒いこの季節だが、握られた右手は確かな熱を帯びていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます