(2)無料体験レッスン

PM:18:50


「こんにちは。体験をお願いしていた雪谷です」


サンドバックやミットを叩く音。そんな騒音の中にも関わらず、彼女の良く通る声に、その場にいた全員が入り口の方へと振り返る。


そして皆ピタリと動きを止めて、一様に彼女を見入った。


雪の様に白い肌。美しく長い黒髪に、桜色の唇。深く美しい色合いの黒い瞳。彫刻の様にスウっと通った鼻筋。『綺麗』という言葉を体現したような女性が入り口に佇んでいた。身長も、女性にしては少し高く160㎝半ばはありそうだ。


黒いスキニーに、上はチャコグレーの薄手のトレンチコートを羽織っている。

非常にシンプルな服装が、落ち着いた大人の女性を演出していた。


恥ずかしながら、俺自身も彼女を見て呆けてしまっていた。ハッと我に返り、会長に目をやると、口を開けたまま目をパチパチとさせている。


うん、ダメだね。こりゃ。

仕方がないので、自分で最初から最後までやり遂げる決意を固めると、彼女の方へと近づいていった。


「はじめまして。雪谷さん。本日ご担当させて頂くトレーナーの村瀬蓮司と申します」

「はじめまして。本日は宜しくお願いします」


彼女は凛とした瞳で正面から俺を見つめた。こんな風に真っすぐ目を見て話されるのは久しぶりだな。


おまけに美人さん。気恥ずかしくなって、思わず少しだけ足早に話を続ける。


「それでは、あちらが女性の更衣室ですので、お着替えが終わったら、こちらまで来ていただけますか?」

「分かりました」


彼女は無人の更衣室へと入っていった。それを見計らって、常連の会員さんたちが一斉に俺の元へと詰め寄ってくる。


「おいおい蓮司君。なんだよ、あの凄い別嬪さん。撮影会でもするのかい?ユーチューバー?」

「違いますよ。無料体験の方です。だから皆さん……くれぐれも変なちょっかいは出さないようにして下さいよ。いいですね!」


少々語気を強めた俺に、皆無言で頷いていた。


「あの、着替え終わりました」


そんな茶番を繰り広げていると、ガチャリと音を立て雪谷さんが更衣室から出てきた。またしても、彼女の姿を見て固唾を呑む男性陣。


スカイブルーのハーフパンツから伸びる白くて細い足が眩しい。上は無地の黒いTシャツ。そのシャツ越しに、彼女の胸部の破壊力が伝わってきた。何カップかと問われても存じ上げないが、良い感じに大きいとだけ伝えておく。


そして極めつけのポニーテール。世の男は大概ポニーテールに弱い。

その証拠に、歩くたびに揺れるその尻尾を、男達は馬の眼前にぶら下がるニンジンが如く凝視していた。


またしても何とか我に返り、今度はタイ人トレーナーであるサポンさんを見ると、彼はバランスボールでリフティングをして遊んでいた。無邪気な笑顔だなぁ。あ、会長にぶつけて怒られている。


ありがとう、サポンさん。お陰で幼少の穢れなき心を思い出しました。


相手がどれだけ美人だろうが、関係ない。全力で臨むだけだ!と、自分の頬をペチペチと数回叩き集中することにした。

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