(18)カップリング居酒屋に行こう

「エアッ!」


バン!という、ミットを鳴らす音がジム内に響き渡る。


「いいですね!次は、ジャブ、フックから入って右ミドルいきます。正面を蹴れるように、ポジションを意識しましょう」

「はい!」

「いきますよ!」


そうしているうちに19時を回り、仕事帰りの会員さん達でジム内は活気に溢れていく最中、俺は若干気まずい思いで、その時を待っていた。


あ……いらっしゃった。

彼女もまた仕事帰りなのだろう。丈が膝上くらいの短めなトレンチコートを羽織った雪谷さんが、ジムの扉を開けた時に目が合った。彼女は、いそいそとヒールを下駄箱に入れると、俺の方へと歩みを寄せた。


「こ、こんばんは。雪谷さん」

「お、お疲れ様です。村瀬さん」


……


これって、気まずい状況なのかな?

視線を俺から僅かに背けて、顔を赤らめた雪谷さんは小さく口を開いた。


「……その先日は、お恥ずかしいところを、ごめんなさい」

「えっと、そんな事は。僕は気にしていませんから」

「いえ。本当に申し訳ありませんでした。酔っていたはいえ、あんな風に……そのくっついてしまって。それに、あんな遅くまで付き合って頂いて」


恥ずかしそうに手で口元を隠すと、顔を赤らめたまま俺の目を覗き込む雪谷さん。

その破壊力はかなりのもので、頭がトリップしかける。


そんな瞬間、ピン!と危険な気配を感じ取った。


後ろか!?

ブオン!!という風切り音。

それを紙一重で避けることに成功した。


振り向けば三田さん(彼女募集中)が、俺に向けてローキックを放っていた。


「あ!ごめーん、村瀬コーチ。シャドーしていたら、思わず近くなり過ぎていたよ。気を付けないと」


ペロッ、と舌を出すおちゃめな表情と、その言葉に騙されてはいけない。笑っているようで、こめかみには大きな青筋を立てていた。


「そして新田さん!(彼女募集中)どうしてケトルベル(15㎏)を振りかぶっているんですか?!」

「あ、新しい筋トレ……」


背後で振りかぶっていたケトルベルを床に降ろすと、にっちゃあ、という笑みを浮かべた。

これ程まで狂気染みた笑みを、俺は未だかつて見たことが無かった。


「それより。なあ、村瀬コーチ。今しがた面白い話をしていなかったか?」

「わき腹が捻じ切れそうだった」

「い、いえ。あれは、その」


マズいぞ。目の前にいるのは、嫉妬で我を忘れた獣。言葉を選んで出来るだけ刺激を与えないようにしなければ。

先日の出来事を思い返し、何とか上手い言い訳は無いかと思考を加速させる。


あの日は、本当に大変だった。雪谷さんの柔らかい髪とか頬に触れてしまったり、彼女の柔らかい部分が体に押し付けられたりと……それはもう。


「あの日は……へへ」

思わず、にやけてしまう。


「そうか。辞世の句があれば聞いてやろう」

「電気ショックと水攻めなら、どっちがいい?両方?」


しまった……思わずやらかしてしまった。どうすれば、この危機的状況を回避できる?と、後ずさりながら考えていた時だ。

この状況を察したのだろうか、雪谷さんが俺達の間へと立ち入った。


「ま、待って下さい!違うんです。あの日は、村瀬さんは私に付き合って下さっただけで……その、何もなかったですよ///」


この人は天然なのか?

雪谷さんのそんなリアクションに、遂に二人は血涙を流しながら、サンドバッグに頭突きを始めた。


「ゆ、雪谷さん。取り敢えずお着替えを済ませてきて下さい!ここは何とかしておきますから!?」

「そ、そうですか?分かりました」


半ば強引に更衣室へと彼女を誘導する。このままでは、俺の生存確率が大幅に下がりそうだ。

彼女が更衣室に入ったのを確認すると、再び三田さんと新田さんとの対話を試みることにしたのだが……三田さんは一周回って冷静になったのか、遠い目をしたまま、ゆっくりと口を開いた。


「なあ、俺は思うんだよ。この世に、皆が幸せな世界などは存在しないと。あるとすれば、それは平等に不幸な世界なのだと」

「はあ」

「つまりさ、皆が俺と同じところまで落ちてくればいい。と、思う今日この頃だ」


コクコクと、同調するように首を縦に振る新田さん。


糞みたいな理屈はさておき、このままでは俺の命がいくつあっても足りない。

可及的速やかにこの人たちに幸せになって貰わなければ。


「お、お二人は、彼女が欲しいんですよね?……分かりました。それでは、カップリング居酒屋に行ってみませんか?」


カップリング居酒屋。

男性が料金の負担する分、女性は基本的に無料で飲食を行う事が出来るというシステムの居酒屋だそうだ。行ったことは無いが、知り合いが以前そこで知り合った女性とお付き合い始めた、という話を聞いたことがある。このジムに居ても出会いはない。ならば、二人をそういった場に連れ出す必要があると考えたのだ。聞いた話では、疑似的な合コンを開けるとのこと。まずは、女性の知り合いを作らない事には話にならない。


「カップリング……」

「居酒屋だと?」

「そうです。僕は完全にお二人のフォローに回ることをお約束します。勿論、僕自身の会計は自分で払いますから」


お二人は互いに視線を送り合うと、アイコンタクトで会話を始めた。そうして導き出した回答は。


「ま、まあ。村瀬君がそこまで言うなら、行ってやらないこともないけど?お願いされちゃーな?」

「……お願いされては仕方がない」


そんな面倒なプライドは捨てちまえ!

と、言いたい気持ちを全力で抑え込み、ギリッ!と奥歯を噛みしめながら何とか口を開くことに成功した。


「お、おねがい、します」


こうして俺は、土曜にカップリング居酒屋に行くべく、下調べをさせられることになった。

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