(9) ナンパの撃退

会員さん達の圧力だとか呪い染みた嫉妬を跳ねのけた俺は、雪谷さんと落ち合うべく、予定のバーへと歩を進めていた。


「うーん、思ったより巻くのに時間が掛かったな。雪谷さん、怒ってないかな?」


今はとにかく急ぐかと、人気の少ない道を早歩きで進んでいたのだが。


「いいから、付き合えって言ってんだよ!」


そんな男性の大声が聞こえてきた。

随分と強引なナンパだなと思いつつ、そちらを見ると綺麗な黒髪をした女性が中年の男性に詰め寄られていた。男性はシャツの裾をまくっており、そこから見えた腕には気合の入った入れ墨が彫られている。


女の子があんなのに詰め寄られたら、さぞ怖いだろうな。

そう思った俺は、助け船を出すべく彼らの方へと近づく事にしたのだが・・・


どうして直ぐに気が付かなかったのだろう。その女性は、先ほどまで一緒にいた雪谷さんだった。


「止めて下さい。急いでいるんです」

「ああ?俺と飲みに行った方が楽しいって。絶対喜ばせてやるからよー」


雪谷さんは、壁際まで追いやられながら、凛とした態度で嫌だという意志を見せた。しかし、男性は構わずにぐいぐいと迫る。


そして、怯える彼女の体に触れようと手を伸ばした。その恐怖からか、雪谷さんは目を強く瞑った時。


ガシ!


「すみません。連れが何かご迷惑を?」


その手を掴むと、出来るだけ優しい声色を意識して声を発した。逆上されて面倒なことになるのは避けたかったからだ。雪谷さんに視線を送ると、俺の顔を見て僅かながら安堵の表情を浮かべる。


対して男は、ナンパの邪魔をされた事に余程腹が立ったのか、憎悪とも取れる視線を向けてきた。

「ああ!何だ、テメー?お前が彼氏ってか!?」


違います。と、否定しても良かったけど、勝手に勘違いしてくれるなら、それでもいいかと敢えて触れなった。その方が都合いいだろうし。


「嫌がっているようですから、勘弁してあげて貰えませんか?」

「はは。女の前だからって格好つけてんの?……俺はな、ボクシングをやってんだ!女の前で、お前をボコボコにして恥をかかせてやってもいいんだぜ?」

「ボクシング?」


その言葉を聞いた瞬間、自分でも驚くほど目が冷たくなっていく。

こいつが‥‥‥ボクサー?男を観察するように視線を定めた。


「ああ、はいはい。それは怖いですねー。怖いので‥‥‥さっさと消えて貰っていいっすか?」


この時点で、相手を刺激しないようにしよう、といった考えはすっかり消えていた。こいつは、俺が最も嫌いな類の人間だったから。


男は怒りに満ちた表情を見せた途端、

「調子こいてんじゃねーぞ!餓鬼がぁ!!」


バッ‼っと突然右手を大きく振り上げると、そのまま殴りかかってきた。


予想はしていたが、っそ。

予備動作が大きいから、タイミングは丸分かりだった。おまけにハンドスピードは素人に毛が生えた程度だから避けるまでもない。

飛んできたその拳を左手で掴むと、同時に足を払って地面に転ばせる。ドスン!と音を立て、男は仰向けで地面に転がる体制となった。

「痛っつ!」


さて、一般常識として喧嘩はよくない。殴れば傷害や暴行罪で警察の厄介になるかもしれないし、罰金刑だの慰謝料だのと、多額のお金を支払わなければならない可能性もある。

だからこそ、程々に痛めつける手段を持っていることに越したことはない。何故かといえば、口では理解できない人種がいるからだ。


こういう奴は嫌いだ。

碌に練習もせずに数年間ジムに在籍していただけで、強くなった気になる奴。最悪なのは、それを勲章みたいにして周りに振りかざす事だ。

一目見た瞬間、弱いことは直ぐに分かった。一見筋肉がついている様にみえるが、大半は脂肪だろう。日頃から懸命になって練習に励んでいる身体では無い。


本物のボクサーの拳は凶器だ。硬くて重くて、何より速い。少なくとも、こいつにボクサーを名乗る資格はない。格闘技で自分を大きく見せようというだけの小心者だ。終いには、それを盾にして嫌がる女性を無理やり手籠めにしようとする。


……本当に、俺の嫌いなタイプだ。


「まだ、やんの?」

地面に転がりながら、未だに暴れようとしている往生際の悪い男。掴んだままの拳に少しだけ力を込めた。


「イデデデッ!分かった、勘弁してやるからさっさと離せ!ぶっ殺すぞ」

「それ、本当に分かっている人間の言葉ですか?……離した瞬間また攻撃してきたら次は容赦しないですよ。あばら数本くらいは覚悟して貰うから」


少しだけ怒気の孕んだ声を放つ。

男が明らかに怯えた表情を浮かべた所で手を離すと、そのまま一目散に駆け出していった。


「あ、しっかりボクシングをやるなら、足腰を鍛えた方がいいですよー!縄跳びがお勧めでーす」


まあ、この助言で鍛え直す殊勝な人間だったら、こんな馬鹿なことをそもそもしていないか。

雪谷さんの方を振り返ると、彼女は少し怯えた表情で俺の顔を見ていた。無理もない。さっきの男、見た目だけは結構怖い感じだったし。


「あの、雪谷さん。何も変な事されませんでしたか?」

「は、はい。大丈夫です。あの、ありがとう御座いました。私、怖くて……」

「そうですよね。でも、何事も無くて良かった。というか、本当に申し訳なかったです。最初から一緒に行けばこんな事には」


いえ。と、首を横に振った彼女は、未だに少しだけ震えている。


そこまで意図したつもりはなかったけど、気が付いたら彼女の頭に手を置いてポンポンと軽く撫でていた。


最初こそ、ぴくっ、と体を震わせた雪谷さんだったが、目を細めると少し気持ち良さそうな表情を浮かべて目を閉じた。


うわ、髪サラサラ。そして柔らかい。

そういった感情を表に出さない様にしながら、そのまま1分程度の時間が経過した。


そろそろ大丈夫かな?

手を離すと、彼女は少々名残惜しそうに離れていく俺の手を見ている。


「落ち着きました?」

コクリ


「えっと、どうします?呑みですけど、こういう事があったわけですから、また日を改めても……」

「行きます!さあ、早く行きましょう」


元気を取り戻したのか、食い気味に答える雪谷さん。呆気に取られて立ちすくむ俺の手を取ると、彼女は颯爽と歩き出した。


「村瀬さん。今日は、とことん付き合って下さいね!」


前を歩く彼女の表情は見えない。でも、彼女が髪をかき上げた時に、ちらりと見えたその耳が赤くなっていた事が妙に照れ臭かったんだ。







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